日清戦争開戦と高陞号事件|東郷平八郎の決断と国際法の評価
1894年(明治27年)は、日本が初めて本格的な対外戦争に踏み出した年です。
この年、日本と清(中国)との間で日清戦争が勃発しました。
戦いの舞台は朝鮮半島であり、日本はここで初めて近代国家としての軍事力を試されることになります。
この戦争は単なる一戦争ではなく、日本がアジアの国際秩序の中で存在感を示し始めた転換点でした。
つまり1894年は、「日本が国内国家から帝国へと動き始めた年」といえます。
1894年の重要出来事


- 日清戦争が勃発し、日本と清国が朝鮮をめぐって戦った
- 日本軍が連戦連勝し、戦局は日本優勢で進んだ
- 国内では挙国一致体制が取られ、国家総力戦の様相を見せた
この年は何が変わったのか
1894年(明治27年)は、日本が初めて本格的な対外戦争に挑み、
近代国家としての実力を世界に示した年です。
日清戦争の勃発
1894年、朝鮮半島をめぐる対立から、日本と清国の間で日清戦争が始まりました。
農民反乱(東学党の乱)をきっかけに両国が出兵し、そのまま武力衝突へと発展します。
豊島沖海戦・成歓の戦い
戦争は海戦と陸戦の両面で始まり、日本軍は豊島沖海戦や成歓の戦いで勝利を収めました。
この初期の勝利により、日本は戦局の主導権を握ることになります。
平壌の戦い・黄海海戦
日本軍はさらに平壌の戦い、黄海海戦などでも勝利し、戦局を有利に進めました。
陸と海の両面での勝利は、日本の軍事力の成長を強く印象づけました。
挙国一致体制の形成
国内では、政府と政党の対立が一時的に収まり、戦争遂行のための体制が整えられました。
国全体が戦争に協力する「近代国家としての統合」が進んだことも大きな変化です。
つまり1894年は、日本が近代国家として初めて対外戦争に勝ち進み、国の力を示した年でした。
この年の重要人物
1894年は日清戦争が開戦し、日本が初めて本格的な対外戦争に踏み出した年です。戦争と外交を動かした中心人物を整理します。
■ 日本側(戦争指導)
- 明治天皇
宣戦布告を行い、日本の戦争を国家として主導した - 伊藤博文
内閣総理大臣として戦争政策を統括 - 山県有朋
陸軍の中心人物として戦争体制を支えた - 大山巌
陸軍を指揮し、朝鮮半島での戦闘を主導
■ 軍事(実戦部隊)
- 野津道貫
平壌の戦いなどで日本軍を指揮 - 東郷平八郎
海軍将校として戦闘に参加し、後の活躍につながる経験を積む
■ 外交・国際関係
- 陸奥宗光
外務大臣として戦争外交を主導し、国際関係を調整した
■ 清国側
- 李鴻章
清国の実力者として日本と対峙した
出来事・事物起源・話題
- 1月24日
- 鹿児島市大火(503戸焼失)
- 1月26日
- 大阪天満紡績スト
- 3月1日
- 清・英、雲南ビルマ条約
- 3月1日
- 第3回臨時総選挙、硬六派の政府攻撃一段と強化
- 3月9日
- 明治天皇大婚25年記念祝典(日本初の記念郵便切手が発行される)
- 3月28日
- 朝鮮政客金玉均、上海で暗殺
- 3月29日
- 朝鮮全羅道で暴動。のち拡大し東学党の乱に発展。朝鮮政府、清に救援を求める
- 4月2日
- ロンドンで日英通商条約改正交渉開始
- 5月1日
- 朝鮮全羅南道に暴動、南鮮に拡大(東学党の乱に発展)
- 5月15日
- 第6回議会開会
- 5月16日
- 北村透谷自殺
- 5月27日
- 山形市の大火(1,200戸焼失)
- 5月31日
- 衆議院、内閣弾劾上奏案可決
- 6月1日
- 朝鮮東学党の乱徒、全州占領
- 6月2日
- 日本、清国の朝鮮出兵に対抗し、朝鮮派兵を決定、衆議院解散を命ずる
- 6月3日
- 朝鮮政府、清国に援兵を請う
- 6月5日
- 大本営を参謀本部に設置
- 6月7日
- 清国の葉志超、丁汝昌ら将卒1,600、韓国に向かう
- 6月8日
- 清国駐韓公使袁世凱、兵1,500を牙山に上陸
- 6月9日
- 大鳥圭介、陸戦隊を率いて仁川に上陸(清国、日本軍出兵に警告を発す)
- 6月9日
- 陸軍少将大島義昌指揮の混成旅団渡韓を開始する
- 6月12日
- 混成旅団の先鋒、仁川上陸
- 6月12日
- 実業教育費国庫補助法公布
- 6月14日
- 朝鮮公使より陸奥外相に日本軍の撤退を要求
- 6月16日
- 陸奥外相、清国公使に東学党反乱共同討伐、朝鮮内政の共同改革案を提案
- 6月17日
- 横浜市の大火(約1,000戸焼失)
- 6月20日
- 東京地方大地震(倒潰家屋90、破損約1,832戸、死者24名)
- 6月22日
- 清国、陸奥外相の提案拒絶(日清国交急迫、御前会議)
- 6月23日
- 韓国における日清の風雲急、政府より駐韓公使大鳥圭介へ訓令を発す
- 6月25日
- 高等学校令公布
- 6月26日
- 駐韓公使大鳥圭介、韓国王に謁し、内政改革の必要を説き、政府の意見陳述
- 7月1日
- 三菱本社、丸の内にうつる(丸の内ビル街の先蹤)
- 7月3日
- 大鳥公使、朝鮮に内政改革要求
- 7月12日
- 駐清英国公使、日清間の国交周旋に努むるも、清国これを容れず国交悪化する
- 7月14日
- 陸軍省に恤兵部を設置する
- 7月16日
- 日英通商航海条約調印
- 7月16日
- 陸軍省、日清戦争で初の戦死者が出たと発表(野間田若松一等兵、戦死者第一号)
- 7月18日
- 韓国政府、清国公使袁世凱の威嚇により、公使大鳥圭介の改革要求を拒絶する
- 7月22日
- 韓国、再び大鳥圭介の要求拒絶
- 7月23日
- 日本軍、大院君を奉じて京城の朝鮮王宮を占領(大院君を国政総裁とする)
- 7月23日
- 伊東祐亨中将の連合艦隊、佐世保を進発する
- 7月25日
- 豊島沖で日本艦隊、清国艦を攻撃(日清開戦)
- 7月25日
- 東郷平八郎艦長の指揮する巡洋艦浪速がイギリス商船高陞号を撃沈する(高陞号事件)
- 7月28日
- 韓国王、大鳥圭介公使に清国絶縁を聲明
- 7月29日
- 混成旅団、牙山を占領
- 7月29日
- 安城渡の戦で、歩兵二十一連隊ラッパ手木口小平、ラッパを吹きつつ戦死
- 7月29日
- 日本軍、朝鮮の成歓を占領
- 8月1日
- 清国に宣戦布告(日清戦争)
- 8月2日
- 開戦にともない、新聞記事の事前検閲令公布
- 8月7日
- 愛国の赤誠に燃ゆる出征志願者続出(応接に遑なく、遂に義勇兵に関する詔勅下る)
- 8月8日
- 義勇兵に関する詔勅下る
- 8月15日
- 最初の軍事公債発行される
- 8月17日
- 駐清代理公使小村寿太郎、帰朝
- 8月19日
- 二宮忠八、軍用飛行機研究を建言(戦時中多忙のため顧られず)
- 8月20日
- 出征軍人輸送のため工事を急ぎ、広島・宇治間の鉄道竣工開通する
- 8月20日
- 日韓暫定合同条款調印
- 8月25日
- 北里柴三郎ペスト菌を発見
- 8月26日
- 日韓攻守同盟条約調印成る
- 9月1日
- 第4回総選挙
- 9月1日
- 第五師団、平壌へ前進開始
- 9月4日
- 第一軍司令官山県有朋、出征
- 9月6日
- 北進軍、黄州を占領
- 9月8日
- 第一軍司令官山県有朋、宇品発つ
- 9月10日
- 欧州に軍事視察中の陸軍少将奥保鞏、日清の役に召使され帰朝
- 9月13日
- 大本営を広島に移す
- 9月15日
- 平壌攻撃(原田重吉の玄武門一番乗り)
- 9月16日
- 野津道貫の軍、平壌を占領
- 9月17日
- 黄海会戦(司令長官伊東祐亨中将率いる連合艦隊、清国北洋艦隊主力と遭遇し、5艦を撃沈)
- 9月17日
- 朝鮮平壌の戦いに赤十字社派遣される(日本赤十字社海外派遣の始め)
- 10月3日
- 金鵄勲章令公布
- 10月3日
- 最初の海軍大将に西郷従道が任命される
- 10月4日
- 長谷川将軍の混成旅団、仁川に上陸
- 10月5日
- 広島県宇品港を軍用港と定める
- 10月5日
- 国内初の月刊時刻表『汽車汽船旅行案内』発売
- 10月17日
- 第一軍、奉天省義州を占領
- 10月18日
- 最初の臨時議会、広島に召集される(日清戦争中にて広島に大本営があった為)
- 10月19日
- 皇后、繃帯6,000個を下賜
- 10月22日
- 山県県下の大地震(倒壊焼失家屋約5,900戸、死者約850名)
- 10月23日
- 日本軍鴨緑江を渡り、清国軍を追撃する
- 10月26日
- 第一軍、安東県九連城を占領
- 10月27日
- 日本軍、東大溝を占領
- 10月31日
- 混成旅団、鳳凰城占領
- 11月2日
- 東京で戦捷祝賀会(明治天皇臨御)
- 11月5日
- 日本軍、大弧山を占領
- 11月7日
- 日本軍、大連湾頭の各砲台を占領
- 11月8日
- 連合艦隊、大連湾を占領
- 11月11日
- 北里柴三郎博士、ペスト病原菌発見の功により表彰される
- 11月18日
- 日本軍、岫巌を占領
- 11月19日
- 日本軍、旅順口の攻撃を開始する
- 11月21日
- 第二軍、連合艦隊と協力し旅順を占領(清国軍の死傷者約1,000名、日本軍189名)
- 11月22日
- 日米通商航海条約締結調印
- 11月22日
- 清国政府、アメリカ公使を経て講和の議を提唱する
- 11月24日
- 旅順占領の勝報に帝都湧き立つ
- 11月26日
- 旅順口陥落を祝い、慶応義塾生がカンテラ行列
- 11月28日
- 金鵄勲章令公叙賜条令公布
- 12月6日
- 乃木希典少将の第一旅団、復州城占領
- 12月9日
- 第一回戦勝祝賀会を東京に開催
- 12月12日
- 第三師団、栃木城を占領
- 12月12日
- 全国商業会議所連合会発足
- 12月13日
- 第三師団、海城を占領
- 12月15日
- 赤坂の海軍省を霞ヶ関に移す
- 12月19日
- 缸瓦塞の激戦
総理大臣
伊藤博文(明治25年8月8日~明治29年8月31日)
生活の話題
衣
- 東京岩橋謙次郎、リボン製織を始める
食
- この年創刊の『興農雑誌』は毎号洋風料理法を掲載
- 各種の巻煙草が出て新聞広告で大競争をなし煙草専売になる
住
- 丸ノ内三菱九号館(ビルの創め)建築
- 豊橋、前橋桐生、仙台の電燈会社、それぞれ開業
- 電気扇(扇風機)販売の新聞広告でる
その他
- 消防組規則公布
- 就学年齢満6才より満14才までと規定
- 『旅行案内』出版
地域の話題
北海道
- 室蘭港が特別輸出港に指定される
- 小樽港がロシア・朝鮮貿易のため船舶出入港として指定される
中部
- 伏木港をロシア・朝鮮貿易の船舶出入港に指定する(富山)
近畿
- 大阪天満紡績会社の第二工場で女工のストライキおこる
- 奈良県が国宝保存の請願を国会に提出する
中国
- 山陽鉄道が広島まで開通
- 朝鮮出兵のため下関に集積場を設置する
- 広島第五師団の将兵が宇品から出征の途につく
- 広島に大本営をうつす
- 広島に臨時帝国議会を招集する
- 広島・宇品を臨戦地境と定め、戒厳令を施行する
四国
- 猪鼻峠の工事が竣工し、琴平で四国新道の落成式をおこなう
- 高知の練武館から800名が義勇兵を志願する
- 新居浜住友製錬所の煙害のため、農民が製錬所を襲う(愛媛)
九州
- 那覇港を清国貿易の船舶出入港として指定する
この年のポイントまとめ
- 日清戦争が始まり、日本と清国が全面戦争に突入した
- 日本軍が各戦闘で勝利し、戦局を優位に進めた
- 朝鮮をめぐる国際関係が大きく変化した
- 国内では挙国一致体制が形成され、国家の統合が進んだ
1894年は、日本が近代国家として初めて本格的な対外戦争に臨んだ年です。
日清戦争は単なる戦争ではなく、日本が東アジアにおける勢力関係を大きく変える契機となりました。
この戦争において日本は優勢に戦いを進め、近代化によって培われた軍事力と国家体制の成果を示すことになります。
この年を理解することで、日本がどのようにして列強の一員へと近づいていったのか、その出発点を理解することができます。
また、翌1895年の下関条約や、その後の三国干渉・日露戦争へとつながる流れを理解するうえで、極めて重要な年となります。


