1870年(明治3年)は、明治政府が国家の基礎を整えながら、「中央集権国家」としての実体を急速に形にし始めた年です。
前年の版籍奉還によって統治の方向性は示されましたが、この年は軍事・制度・産業・生活の各分野で具体的な整備が一気に進みました。
国旗の制定や軍制の統一、産業施設の設置などにより、「国家としての統一」が現実のものとなっていきます。
つまり1870年は、「新国家の仕組みが具体的に動き出した年」といえます。
なぜ明治政府の改革は全国へ広がっていったのか?
中央集権化の進展とともに、制度や軍事の改革は全国へと広がっていきます。
明治維新からこの年に至るまでの変化の流れを時系列で確認できます。
Q. 1870年は何が起きた?
A. 明治政府が中央集権国家に向けた制度整備を進めました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 近代国家としての基盤づくりが本格的に始まったためです。
Q. この後どうなる?
A. 1871年に廃藩置県が行われ、日本は中央集権国家へ移行します。
→ 1871年(廃藩置県)を見る
1870年の重要出来事
- 工部省が設置され、近代産業・インフラ整備が本格化した
- 大阪砲兵工廠が設立され、近代的な兵器生産が始まった
- 庶民の帯刀が禁止され、身分制度の解体が進んだ
この年は何が変わったのか
1870年(明治3年)は、日本が近代国家として機能するための「制度と産業の基盤」を整え始めた年です。
工部省の設置
明治政府は工部省を設置し、鉄道・通信・鉱山などの近代産業の整備を進める体制を整えました。
これにより、日本は国家主導で産業を育成する方向へと進み、後の殖産興業政策の基盤が築かれていきます。
大阪砲兵工廠の設立
大阪に兵器製造の拠点が設けられ、近代的な軍需工業が始まりました。
これまでの旧式な軍備から脱却し、西洋型の軍事体制へと移行する準備が進められます。
帯刀禁止(身分制度の崩壊)
庶民の帯刀が禁止されるなど、武士とそれ以外の身分の違いが徐々に解体されていきました。
これは、江戸時代の身分秩序が崩れ、「四民平等」へ向かう流れの一つです。
つまり1870年は、制度・産業・社会の各分野で、近代国家の土台が静かに整えられ始めた年でした。
出来事・事物起源・話題
- 1月3日
- 神道国教化強化の大教宣布の詔
- 1月5日
- 徳川慶喜以下旧幕臣の罪を宥す
- 1月17日
- 最初の陸軍始観兵式(明治天皇、宮城内旧本丸跡にて鎮台兵閲兵)
- 1月27日
- 太政官布告(第57号)を以て、日章旗を国旗と定める
- 2月3日
- 大教宣布の詔出る
- 2月3日
- イギリスから蒸気消防ポンプを輸入
- 2月13日
- 樺太開拓使を置く
- 2月15日
- 大阪造幣寮(現在の造幣局)開業
- 2月20日
- 京都諸藩兵を兵部省支配に管する
- 3月5日
- 東京湾最初の灯台、品川第二砲台に竣工
- 3月10日
- 続いて品川第四砲台にも灯台を竣工する
- 3月15日
- 我が国初の靴工場着工(伊勢勝造靴場)
- 3月17日
- 人力車の営業許可願提出
- 3月17日
- 東京築地の尾張邸跡に、鉄道敷設事務局が設置される
- 3月22日
- 和泉要助発明の人力車に営業許可出る
- 4月17日
- 東京駒場の調練場で、在京常備兵による初の天覧演習
- 4月22日
- 暦本類を密かに販売するを禁ずる
- 4月23日
- 鉄道敷設費のため、英国人より九分利附公債480万円を募る(外国公債募集の始)
- 4月24日
- 全国に種痘法を奨励勧告する
- 5月15日
- 陸軍旗章及びその他諸旗章制定
- 5月17日
- 北海道に屯田兵が入植する
- 6月8日
- 東京に小学校開校の布達
- 6月10日
- 石造の灯台、樫野崎に竣工
- 6月12日
- 東京府下に小学校6校を設置
- 6月23日
- 前島密、西洋諸国の郵便事業視察のため、横浜を出帆
- 7月20日
- 小松帯刀逝去(享年36歳)
- 7月23日
- 弘文・淳仁・仲恭の三天皇に追諡
- 7月28日
- 普仏戦争に日本は中立を宣言する
- 8月13日
- 相模城ヶ島の燈台、竣工点火
- 8月14日
- 工部大学の前身たる工学寮及び測量司を設置
- 8月14日
- 天文暦道局を県学局と改称
- 8月22日
- 東京府下に中学校を開設す
- 9月8日
- 「君が代」が初めて演奏される
- 9月19日
- 平民に苗字使用を許可(四民平等)
- 9月25日
- 囚人に刺青することを廃止する
- 9月25日
- ヨーロッパ式機械製糸法はじまる
- 10月2日
- 最初の特命全権公使任命(英・仏・独の三ヶ国兼務の特命全権公使に鮫島尚信、米国は森有礼)
- 10月2日
- 兵制統一、陸海軍の制式決まる(陸軍は仏式、海軍を英式と決定)
- 10月3日
- 皇族旗、将旗などの旗章制定される
- 10月18日
- 外国人に東京府下の遊覧を許す
- 10月18日
- 岩崎弥太郎、九十九商会設立
- 10月20日
- 新律綱領領布、工部省設置
- 10月22日
- 東京濱殿の海軍所を築地に移す
- 10月24日
- 最初の鉄道トンネル工事
- 10月27日
- 初めて医学校(後の東京大学医学部)にて人体を解剖し実習を行う
- 11月3日
- 徴兵規則領布(府藩県一万石毎に士族平民を問わず5名宛徴募の制となる)
- 11月25日
- 松代藩で7万人の農民蜂起、各地で「世直し」の騒乱が続く
- 12月4日
- 群馬県富岡製糸場設立布告される
- 12月9日
- 新たに総裁、議定、参与を置く
- 12月12日
- 最初の日刊紙「横浜毎日新聞」発刊
- 12月22日
- 陸海軍の洋式服制定められる
- 12月24日
- 士族といえども特定以外の帯刀を禁ず
生活の話題
衣
- 華族の染歯・眉をかくことを禁止
- 大阪で百姓町人のコウモリ合羽・ブンランケットの着用を禁ず
- 庶民の帯刀禁止
- 東京・大阪でトンビの流行始まる
- 手編みのメリアス・シャツ・ズボン下東京都下に普及し始める
- 東京に散髪流行
- 太政官制服制定
- 軍服制定
- 西村勝三、製靴工場設立
食
- 外国人の手でサイゴン米しきりに輸入
- 民部省、甜菜試作を東京府にさせる
- 愛媛県、アメリカ人より洋牛買い搾乳を始める
- 山梨県の山田宥教らブドウ酒を試作
- 横浜でアイスクリーム売られる
この年のポイントまとめ
- 工部省の設置により、近代産業・インフラ整備が本格化した
- 大阪砲兵工廠の設立により、近代的な軍需産業が始まった
- 帯刀禁止により、武士中心の身分制度が崩れ始めた
- 国家主導による近代化の基盤づくりが進められた
1870年は、明治政府が近代国家として機能するための基盤を整え始めた年です。
産業・軍事・社会制度の各分野で改革が進み、日本は徐々に西洋型の国家へと変わっていきました。
この段階ではまだ大きな制度改革は完成していませんが、その後の急速な近代化を支える重要な準備が進められていました。
この年を理解することで、明治維新後の日本が、どのようにして近代国家としての基礎を築いていったのかが見えてきます。
また、後に進められる殖産興業政策や軍制改革が、突然生まれたものではなく、この時期の積み重ねの上に成立していることを理解することができます。
1870年のよくある質問 Q&A
Q. 1870年とはどんな年ですか?
1870年は、明治政府が近代国家としての制度整備を進めた年です。 表立った大事件は少ないものの、国家の基盤づくりが進みました。
Q. 明治政府はどのような政策を進めていましたか?
中央集権化や行政制度の整備、財政改革などを進めていました。 近代国家としての体制を整える準備段階でした。
Q. なぜ1870年は重要なのですか?
翌年の廃藩置県などの大改革に向けて、 制度的な準備が進められた年だからです。
Q. 当時の社会はどのような状況でしたか?
武士と農民の身分制度が変化し始め、 社会全体が大きく変わる過渡期にありました。
Q. 1870年の出来事はその後どうつながりますか?
1871年の廃藩置県により中央集権国家が確立されます。
→ 1871年(国家の完成)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
教育や軍事制度の整備も進み、
後の徴兵制や学制へとつながっていきます。
→ 1873年(徴兵令)を見る
Q. 1870年の重要人物は誰ですか?
明治天皇、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允など、 明治政府の中心人物が改革を進めました。
Q. 1870年は日本にとってどんな意味がありますか?
1870年は、近代国家への転換を支える基盤が整えられた年です。 翌年以降の大改革の土台となりました。
全国へ広がった改革は、どのように完成していくのか?
廃藩置県や制度整備へと進み、日本は本格的な近代国家へと変化していきます。
明治初期の改革の流れをあわせて理解できます。
