1853年(嘉永6年)は、日本の歴史が大きく動き出した決定的な年です。
この年、アメリカのペリー提督が率いる艦隊(いわゆる黒船)が浦賀に来航し、江戸幕府に開国を迫りました。
これまで約200年以上続いてきた鎖国体制は、この出来事によって大きく揺らぎ、日本は世界の中での立ち位置を考え直さざるを得なくなります。
つまり1853年は、「日本が世界に引き出された年」であり、幕末の始まりを告げる年です。
1853年の重要出来事【まずここだけ読めばOK】
■ 黒船来航(ペリー来航)
6月3日、アメリカ東インド艦隊を率いるペリー提督が4隻の軍艦で浦賀に来航しました。
蒸気船を含む巨大な軍艦は、日本人に大きな衝撃を与え、幕府は対応を迫られます。
■ 開国要求と国書提出
ペリーはアメリカ大統領の国書を幕府に提出し、開国と通商を強く求めました。
幕府は即答を避け、翌年の回答を約束します。
■ 幕府の動揺と対応
黒船の来航により、江戸では大混乱が起こり、幕府は諸大名に意見を求めるなど、従来にはない対応をとりました。
■ ロシアの来航
同年、ロシアの使節も長崎に来航し、日本は複数の列強から開国を迫られる状況に置かれます。
■ 大船建造の解禁
幕府は海防強化のため、それまで禁じていた大船建造を解禁しました。
軍事体制の見直しが始まった重要な変化です。
この年は何が変わったのか
この年、アメリカのペリー提督が黒船を率いて浦賀に来航し、日本に開国を強く迫りました。
これにより、日本はそれまでの鎖国体制を維持することが困難となり、幕府は対応を迫られることになります。
圧倒的な軍事力を背景とした要求に対し、日本は武力で対抗することができず、外交による解決を模索せざるを得ませんでした。
この出来事は、日本にとって単なる外国船の来航ではなく、国のあり方そのものを問われる重大な転機でした。
つまり1853年は、「外圧によって日本が変わらざるを得なくなった年」です。
この衝撃は、翌1854年の条約締結へとつながり、日本は本格的に開国へ進んでいきます。
この年の重要人物
1853年は黒船来航により、日本が初めて本格的に西洋列強と向き合うことになった年です。この出来事を動かした中心人物を整理します。
■ 外国側(開国を迫った側)
- マシュー・ペリー
アメリカ東インド艦隊司令長官として来航し、日本に開国を要求 - ミラード・フィルモア
アメリカ大統領として日本に開国を求める国書を送った
■ 幕府側(対応を迫られた側)
- 徳川家慶
黒船来航直後に死去した12代将軍 - 徳川家定
混乱の中で13代将軍に就任 - 阿部正弘
老中首座として開国問題への対応を担った
出来事・事物起源・話題
- 5月17日
- 久留米有馬藩士眞木保臣、水野丹後、稲次因幡等数十名の勤王派は幕政改革を図って成らず、一党禁固を命ぜられる
- 6月3日
- アメリカの国使ペリー、浦賀に来航、通商を求む
- 6月9日
- 幕府の代表、ペリーと久里浜にて会見す
- 6月10日
- ペリーの軍艦品川湾に入り、頻りに空砲を放つ(江戸市民騒然)
- 6月12日
- ペリー、再渡を約し浦賀を去る
- 6月23日
- 米国の水師提督ペリー日本より帰路琉球那覇に寄港し物資売買を強請す
- 7月3日
- 水戸老公徳川斉昭、隔日江戸城に登城して時局を談じ海防の議に参加す
- 7月9日
- 徳川斉昭、老中阿部正弘に書を呈し海防意見十ヶ条を陳ず
- 7月14日
- 幕府五ヵ年間の節約を下す
- 7月17日
- 露使プチャーチン、長崎へ来航、修好を求む
- 8月6日
- 幕府、高島秋帆の罪を赦し、代官江川担庵に隷属して築塁に力を致さしむ
- 8月24日
- 佐賀の鍋島藩士、プチャーチンの招きにて、初めて蒸気機関車の模型を見学
- 8月28日
- 品川のお台場建設
- 9月13日
- 吉田松陰、鎌倉の瑞泉寺に竹院上人を訪ね渡欧の相談をなす
- 9月15日
- 幕府、大船製造の禁を解く
- 10月5日
- 幕府、兵器購入を計る
- 10月23日
- 徳川家定13代将軍となる
- 10月27日
- 吉田松陰、海外渡航を企て長崎に到着
- 10月30日
- 川路聖謨、筒井政憲等、ロシア使節と会見のため江戸発長崎へ赴く
- 11月5日
- 米国より帰朝の中浜万次郎、海外情報通として幕府に登用普請役恪となる
天皇
孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)
将軍
徳川家慶[12代](在位:天保8年9月2日~嘉永6年7月22日)
徳川家定[13代](在位:嘉永6年11月23日~安政5年8月8日)
生活の話題
衣
- 肥前鍋島・奥州南部藩で羊を飼う
その他
- 三池炭鉱官業開業
- 江川太郎左衛門、伊豆韮山に反射炉をつくる
- 品川お台場増築(8月)
この年のポイントまとめ
✔ペリー来航により、日本は開国を迫られた
✔鎖国体制が大きく揺らぎ始めた
✔幕府の対応力の限界が明らかになった
✔ロシアなど列強の圧力が同時に強まった
✔海防強化など国内体制の見直しが始まった
1853年は、日本が近代へと向かう出発点です。
この年の衝撃を理解することで、その後の幕末の動きがすべてつながって見えてきます。
