1858年(安政5年)の出来事

今から168年前の出来事

1858年(安政5年)は、日本の進む道が決定づけられた年です。

この年、江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を結び、本格的な開国に踏み切りました。

しかしこの決断は、朝廷の許可を得ないまま行われたものであり、国内に大きな対立を生み出します。

つまり1858年は、「開国によって日本の方向が決まり、同時に国内対立が激化した年」といえます。

1858年の重要出来事【まずここだけ読めばOK】

■ 日米修好通商条約の締結

6月19日、幕府はアメリカと通商条約を結びました。
この条約により、日本は本格的に貿易を開始し、開国が決定します。
しかし内容は、治外法権や関税自主権の欠如を含む不平等条約でした。

■ 安政の五カ国条約

アメリカに続いて、イギリス・フランス・ロシア・オランダとも同様の条約が結ばれました。
日本は一気に国際社会へ組み込まれることになります。

■ 井伊直弼の大老就任

幕府は井伊直弼を大老に任命し、強力な政治体制を敷きます。
彼は開国を推し進める中心人物となりました。

■ 安政の大獄

条約に反対する尊王攘夷派に対して、大規模な弾圧が行われました。
吉田松陰ら多くの志士が処罰され、政治対立は一気に深まります。

この年は何が変わったのか

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この年、幕府はアメリカと日米修好通商条約を締結し、日本は本格的な開国へと踏み出しました。これにより、外国との自由な貿易が認められ、日本は国際社会の中に組み込まれていきます。

しかし、この条約は朝廷の許可を得ないまま結ばれたものであり、国内では強い反発が生まれました。幕府は反対派を抑えるため安政の大獄を行い、多くの志士が処罰されます。

開国によって外へ開かれる一方で、国内では政治的対立が一気に激化しました。

つまり1858年は、「開国が決定し、同時に国内対立が爆発した年」です。
この対立は、1860年の桜田門外の変へとつながっていきます。

出来事・事物起源・話題

1月5日
幕府、日米条約締結を決意
1月8日
幕府、老中堀田正睦に上洛を命じ日米条約調印の勅許を請わしむ
1月21日
ハリス江戸会見を終え下田帰参
1月26日
緒公卿、外交意見を上奏す
2月10日
江戸大火(約12万戸焼失)
2月17日
勤王僧月照、勅を奉じて高野山に詣で国家安泰を祈願す
2月20日
幕府諸国に令して楮(こうぞ)、茶等を植え蝋、漆、紙、茶業の興産を計る
3月12日
幕府の日米開港条約に反対の中山大納言を始め公卿10名連署上奏す
4月5日
堀田正睦上洛して、米国との条約締結勅許を仰ぎて成らず空しく還る
4月23日
彦根藩主井伊直弼、大老就任
4月24日
老中堀田正睦、ハリスを私邸に招き、日米条約調印の延期を懇願す
5月3日
オランダへ注文の軍艦エド号(後の朝陽艦、300トン、砲18門)長崎へ入港す
5月7日
江戸に種痘所を開設
6月4日
三条実萬、大老井伊直弼へ意見書を送り、大いに時事を論ず
6月14日
松平慶永、庶政改革を論ず
6月17日
米国使節ハリス、軍艦ポーハタンにて神奈川に来航し日米通商条約を迫る
6月19日
江戸小柴沖停泊中の米艦上で、日米修好通商条約調印
6月21日
幕府、日米通商条約調印の事を京都に奏上するに宿次奉書の略式を以てす
6月24日
松平春嶽、日米通商条約を独断で調印した井伊直弼を詰問
7月4日
英国使節エルジンは芝西応寺に、露使プチャーチンは芝真福寺に館す
7月5日
イギリスの軍艦4隻が日本との開港条約を迫って品川に来航
7月5日
福井藩主中根師実著の幕末史「昨夢記事」全10巻脱稿完成す
7月10日
オランダ国と通商条約締結
7月11日
日露通商条約調印成る
7月18日
幕府、イギリスと通商条約締結
7月21日
徳川慶福、名を家茂と改む
8月8日
鵜飼幸吉、病父に代り勅諚を奉じ密かに京都発、徳川慶篤へ伝達に向う
8月17日
江戸でコレラ大流行(病死者681名)
9月7日
小浜藩浪士梅田雲浜、京都で逮捕される
(これより京都・江戸で尊皇攘夷派の逮捕しきり、安政の大獄始まる)
9月10日
幕府の弾圧急となり西郷吉之助、有村新七等僧月照を伴い京都に逃る
9月18日
勤王家鵜飼吉左衛門父子捕縛
10月25日
徳川家茂、14代将軍となる
11月15日
江戸大火(神田京橋町数259)
11月16日
西郷吉之助、僧月照と薩摩潟に投ず
11月17日
老中間部詮勝、米国との条約締結は之を取消すこと不可能の旨奏上す
12月26日
吉田松陰、再び野山の獄に下さる
12月30日
西郷隆盛、握美大島に流される

天皇

孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)

将軍

徳川家定[13代](在位:嘉永6年11月23日~安政5年8月8日)

徳川家茂[14代](在位:安政5年12月1日~慶応2年8月20日)

大老

井伊直弼

生活の話題

  • 石狩琴似の移民、幕府に収米を献ず

この年のポイントまとめ

✔日米修好通商条約により、本格的な開国が決定した
✔不平等条約により、日本の主権が大きく制限された
✔安政の五カ国条約で、列強との関係が一気に広がった
✔井伊直弼が強権政治を行い、反対派を弾圧した
✔国内対立が激化し、幕末の動乱が本格化した

1858年は、日本の進む道が決まった年であると同時に、幕末の混乱が本格的に始まった年です。
この年を理解することで、その後の尊王攘夷運動と幕府崩壊の流れがより明確に見えてきます。

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