幕末年表(1852年〜1867年)

幕末の年表

幕末は、黒船来航をきっかけに日本が大きく揺れ動いた時代です。

本ページでは、1852年(嘉永5年)から1867年(慶応3年)までの主な出来事を年表形式で整理し、開国・尊王攘夷・倒幕へと至る流れをわかりやすくまとめています。

各年のリンク先では、その年に何が起こり、時代がどう動いたのかを詳しく解説しています。幕末の流れをつかみたい方は、まずこのページからご覧ください。

※注)一般には幕末は1853年(嘉永6年)からの表記となりますが、本ページは
明治天皇御生誕の1852年(嘉永5年)からを始まりとしています。

幕末とはどんな時代か

幕末とは、江戸幕府の体制が大きく揺らぎ、日本が近代国家へ向かって転換していく時代です。

黒船来航によって開国を迫られた日本は、外交問題と国内政治の混乱に直面しました。やがて尊王攘夷運動、薩長同盟、大政奉還へと進み、約260年続いた幕府の時代は終わりを迎えます。

幕末の流れを先に整理

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1.開国と通商条約の時代

1853年の黒船来航をきっかけに、日本は開国へ向かいます。1854年の日米和親条約、1858年の日米修好通商条約によって、幕府は対外関係の大転換を迫られました。

2.尊王攘夷と政局混乱の時代

安政の大獄、桜田門外の変、生麦事件、薩英戦争、池田屋事件などを通じて、幕府・朝廷・諸藩の対立は激化します。国内の政治不安が一気に深まった時期です。

3.倒幕と政権返上の時代

薩長の接近と雄藩連携が進み、1867年には大政奉還が行われます。幕末はここで一区切りとなり、翌年の明治維新へとつながっていきます。

主な出来事

1852年(嘉永5年)
開国前夜と迫る黒船

祐宮御誕生(後の明治天皇)。幕府は対外危機への対応を迫られる。国内では海防強化や西洋知識の導入が進み、開国への準備が徐々に整えられていった。

1853年(嘉永6年)
ペリー来航と日本の衝撃

黒船来航により開国要求が突き付けられ、幕府は対応に苦慮。鎖国体制は大きく揺らぎ、日本の対外政策は転換点を迎えた。

1854年(嘉永7年)
日米和親条約と開国

日米和親条約が締結され下田・函館が開港。鎖国体制が事実上終焉し、日本は開国へと大きく舵を切った。

1855年(安政2年)
安政江戸地震と幕府の動揺

安政江戸地震が発生し都市機能に大打撃。災害と同時に、西洋技術導入や蘭学の重要性が再認識され、近代化の機運が高まった。

1856年(安政3年)
通商交渉開始と開国圧力

ハリスが下田に着任し通商条約締結交渉が開始。幕府は開国を巡る外交判断を迫られ、国内の意見対立が深まった。

1857年(安政4年)
ハリス来日と条約交渉

通商条約交渉が進展し、開国を巡る議論が激化。尊王攘夷と開国派の対立が鮮明となり、幕府の統治基盤が揺らぎ始めた。

1858年(安政5年)
日米修好通商条約と不平等

日米修好通商条約締結で本格的開国が実現。不平等条約により国内の反発が高まり、政治的不安が拡大した。

1859年(安政6年)
開国と外国人居留地の形成

横浜・長崎・箱館が開港し外国人居留地が形成。貿易が開始される一方、攘夷運動の高まりにより社会不安が増大した。

1860年(万延元年)
遣米使節団と桜田門外の変

桜田門外の変で井伊直弼が暗殺され、幕府権威が大きく動揺。政治的暴力が激化し動乱が加速した。

1861年(文久元年)
公武合体と和宮降嫁

公武合体政策が進められ、幕府は朝廷との関係強化を図る。和宮降嫁などにより体制維持を試みるも、政治不安は続いた。

1862年(文久2年)
生麦事件と攘夷の激化

生麦事件が発生し対外関係が緊張。攘夷運動が激化し、外国との衝突が現実のものとなった。

1863年(文久3年)
尊王攘夷運動と長州挙兵

尊王攘夷運動が全国で高まり、長州藩などが外国船を砲撃。幕府の統制力が低下し、国内は戦乱状態へと傾いた。

1864年(元治元年)
禁門の変と長州征討

禁門の変や下関戦争が発生。長州藩が敗北し、幕府と諸藩の対立構造がさらに深まった。

1865年(慶応元年)
倒幕運動と薩長接近

諸藩で軍制改革が進み、西洋式軍備の導入が本格化。倒幕・佐幕双方で戦争準備が進み、内戦の気運が高まった。

1866年(慶応2年)
薩長同盟と倒幕体制

薩長同盟が成立し倒幕勢力が結集。幕府は長州征討に失敗し、政治的主導権を失い始めた。

1867年(慶応3年)
大政奉還と幕府の終焉

大政奉還により徳川慶喜が政権返上。王政復古へとつながり、幕府政治は終焉へ向かった。