1865年(慶応元年)の出来事

倒幕運動と薩長接近

今から161年前の出来事

この年の位置づけ

倒幕勢力の成長

薩摩藩や長州藩では近代軍備の整備が進み、倒幕へ向けた動きが強まっていきました。幕府の求心力は徐々に低下していきます。

1865年(慶応元年)は、幕末の対立がさらに深まり、「戦う準備」が本格的に整えられていった年です。

前年の禁門の変や下関戦争を経て、長州藩は大きな打撃を受けましたが、この年、藩内で改革派が主導権を握り、再び立ち上がります。

一方、幕府も長州再征に向けて動き出し、日本全体が戦争へ向かう流れに入っていきました。

つまり1865年は、「対立が再編され、全面対決への準備が整った年」といえます。

まず全体を把握

倒幕へ向けた動きは、なぜこの年から加速したのか?

薩摩と長州の接近や軍備の近代化が進み、倒幕への準備が整い始めます。
黒船来航からこの年に至るまでの幕末の流れを時系列で確認できます。

幕末の流れを一気に理解する →
1865年のポイントQ&A

Q. 1865年は何が起きた?
A. 長州藩が再建を進め、高杉晋作らが改革を推進しました。

Q. なぜ重要なのか?
A. 倒幕に向けた勢力の立て直しが始まったためです。

Q. この後どうなる?
A. 1866年に薩長同盟が成立します。
1866年へ

1865年の重要出来事

  • 長州藩で高杉晋作らによる倒幕運動が活発化した
  • 薩摩藩と長州藩の接近が進み、薩長同盟への流れが強まった
  • 諸藩で西洋式軍制改革と近代兵器導入が進められた
  • 幕府は第二次長州征討へ向けて軍備を整えた
  • 倒幕派と佐幕派の対立が深まり、内戦の気運が高まった

出来事・事物起源・話題

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1月7日
長州藩正義派の諸隊兵、萩の鎮撫軍と交戦してこれを撃破する
1月15日
三条実美以下の五卿、勤王家の援護により長州より筑前大宰府へ動座する
1月16日
征長総督徳川慶勝、大阪城に入る。
1月16日
西郷吉之助、薩摩に帰藩し、これより各藩勤王党が連合して国是を一定しようと図る
1月28日
山口藩士毛利敬親の藩政改革
1月28日
西郷吉之助(隆盛)、39歳にて妻を娶る(坂本龍馬、大久保利通、小松帯刀らの勧めにより岩山八郎太の長女糸子を迎える)
1月30日
毛利広封、兵を率いて諸隊追討のため城を出て明倫館に入る
2月7日
老中阿部正外、兵を率いて京都入りする
3月9日
幕府へ参勤交代を緩めよとの勅諚が下る
3月25日
野村望東尼、三条実美に会見する
4月7日
慶応と改元
4月13日
幕府、長州再征の部署を定める
5月2日
山城の諸山陵修理が竣工する
5月14日
幕府、スイスと通商条約を締結する
閏5月1日
土佐藩の坂本龍馬、薩長両藩の和解を周旋し、馬関において桂小五郎と会見する
閏5月6日
中岡慎太郎、西郷吉之助と会見するため鹿児島に赴く(薩長連合の周旋)
閏5月11日
武市瑞山(半平太)処刑
閏5月16日
将軍徳川家茂、江戸を発して長州征伐へ向かい、後に京都より大阪城へ入る
閏5月21日
土佐藩士中岡慎太郎、馬関にて桂小五郎、高杉晋作らと薩長連合を周旋する
閏5月22日
将軍家茂、参内して長州再征を奏上する
7月18日
英国のパークス、駐日公使として来航する(これより18年間日本に滞留する)
8月16日
勝海舟、長崎へ下向する(幕府対長州藩抗争の調停を兼ねて)
8月23日
山内作左衛門の一行6名が命じられ、長崎を出帆する
8月24日
横浜に製鉄所が開設される
9月16日
英・米・仏・蘭4国の軍艦が兵庫に入港し、各国公使が京都に上って開港を請う
9月21日
将軍徳川家茂、参内して兵庫開港と長州再征を奏請するが、開港はお許しにならない
9月25日
幕府の老中阿部正外、松前崇広ら、大阪城中に会議を開き兵庫開港を決定する
9月26日
幕府の代表が兵庫に赴き、英艦にて各国公使と会見し、兵庫開港問題の延期を談判する
9月29日
朝廷、直接幕府の閣老を免職する(松前伊豆守崇広、阿部豊後守正外の官位を剥奪)
10月4日
徳川慶喜、松平容保、松平定敬ら、参内して対外情勢上、開港条約の勅許を奏請する
10月5日
開港条約改正の勅許が下る
10月7日
将軍家茂、上奏して辞意を撤回する
10月25日
福岡藩の家老加藤司書ら勤王の士数名に切腹を命じ、その他の一味を流罪とする
11月7日
幕府、大目付を広島に遣わして毛利藩主を審問させる。また一方で彦根以下31藩に長州征伐出兵を命じ、徳川茂承を総督とする
11月14日
筑前の女傑野村望東尼、玄海の孤島姫島に流される
11月21日
膳所藩尊王党の切腹(森祐信以下10名に切腹を命じる)
12月21日
毛利敬親、京阪の視察として桂小五郎を上洛させ、品川弥二郎がこれに従う

この年に始まったこと

1865年(慶応元年)は、表面的には大きな戦争や政変は少なかったものの、翌年以降の薩長同盟や明治維新につながる重要な動きが始まった年です。特に長州藩では改革が進み、倒幕へ向けた新体制が整い始めました。

  • 長州藩の本格的な藩政改革が始まった
    高杉晋作らの主導により藩内改革が進められ、長州藩は再建と軍備強化へ向けて動き始めました。
  • 奇兵隊を中心とした新軍制が本格化した
    身分にとらわれない諸隊の整備が進み、長州藩独自の近代的な軍事体制が確立され始めました。
  • 薩長接近への動きが始まった
    対立していた薩摩藩と長州藩の間で関係改善の動きが進み、翌年の薩長同盟へつながる基盤が築かれました。
  • 第二次長州征討への準備が始まった
    幕府は長州藩への再征討を計画し、諸藩への動員や軍備整備を進めました。
  • 倒幕勢力の再編が始まった
    長州藩を中心に幕府に対抗する新たな政治・軍事体制の構築が進み始めました。

1865年は、「長州藩の再建と薩長接近が始まった年」でした。

この年は何が変わったのか

1865年(慶応元年)は、幕府と長州藩の対立が続く一方で、日本各地で近代化への動きが加速し始めた年でした。攘夷から西洋技術導入への転換も進み、倒幕へ向かう流れが徐々に形になっていきます。

第二次長州征討へ向けた緊張が高まった

幕府は長州藩への警戒を強め、第二次長州征討の準備を進めていきました。一方の長州藩でも軍制改革や藩内統一が進められ、幕府との全面対決へ備える動きが強まっていきます。

高杉晋作によって長州藩改革がさらに進んだ

高杉晋作は功山寺挙兵をきっかけに藩内主導権を握り、長州藩の倒幕路線を強化していきました。奇兵隊を中心とする新しい軍事体制も整えられ、長州藩は急速に立て直されていきます。

横須賀製鉄所によって近代工業化が始まり始めた

幕府はフランスの支援を受けて横須賀製鉄所(後の横須賀造船所)の建設を進めました。これは日本初期の本格的近代工業施設の一つであり、日本の近代海軍や重工業発展の重要な出発点となっていきます。

薩摩藩が西洋軍事技術の導入を進めた

薩英戦争を経験した薩摩藩では、西洋式兵器や軍艦の導入が積極的に進められました。攘夷から近代化への転換が進み、後の倒幕運動を支える軍事力が整えられていきます。

坂本龍馬が倒幕勢力を結ぶ存在となり始めた

土佐藩出身の坂本龍馬は、薩摩藩と長州藩の関係改善へ動き始めました。まだ薩長同盟成立前ではありますが、この頃から龍馬の仲介活動が大きな意味を持ち始めます。

倒幕と近代化への流れが形になり始めた

1865年頃になると、単なる攘夷ではなく「西洋技術を取り入れて国を強くする」という考えが各藩で強まっていきました。ここから日本は、倒幕と近代国家建設へ向かう流れを本格化させていきます。

この年の重要人物

1865年(慶応元年)は、禁門の変と第一次長州征討によって苦境に立たされた長州藩が立て直しを進めた年です。表面的には大きな戦乱は少なかったものの、藩内改革や薩長接近の動きが進み、翌年の薩長同盟へつながる重要な転換期となりました。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。

  • 高杉晋作
    功山寺挙兵によって長州藩の実権を握った正義派の中心人物です。藩内改革を進め、長州藩再建の原動力となりました。
  • 木戸孝允(桂小五郎)
    長州藩の指導者として藩政改革に尽力しました。禁門の変後の混乱から藩を立て直し、後の薩長同盟への道筋を築きました。
  • 西郷隆盛
    薩摩藩の中心人物として国政への影響力を強めました。長州藩との関係改善にも関わり、薩長接近の基盤を築きました。

天皇

孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)

将軍

徳川家茂[14代](在位:安政5年12月1日~慶応2年8月20日)

生活の話題

  • 幕府雉子橋門内の牧場で将軍御用の牛乳をとり、一部江戸市中にもうる

1865年のポイントまとめ

  • 長州藩が軍事改革を進めた
    高杉晋作らの主導によって奇兵隊など諸隊の整備が進み、長州藩は近代的軍事力を強化していきました。
  • 薩摩藩と長州藩が接近し始めた
    これまで対立していた薩摩藩と長州藩の間で関係改善が進み、後の薩長同盟への流れが形成されました。
  • 幕府の求心力低下がさらに進んだ
    長州征討の停滞や諸藩との対立によって、幕府への不信感は全国で強まっていきました。
  • 西洋兵器や近代軍制の導入が広がった
    各藩は西洋式軍備の整備を急ぎ、日本全体で近代化への動きが加速していきました。
  • 倒幕へ向けた勢力再編が進み始めた年であった
    1865年は、薩長接近と長州藩再建によって、幕末政局が大きく変化し始めた重要な年でした。

1865年は、長州藩の軍事改革と薩長接近によって、倒幕への流れが強まり始めた年でした。幕府の権威低下が進む一方、各藩では西洋式軍備の導入が加速していきます。 翌1866年の薩長同盟へ向けて、日本の政治情勢は大きく動き始めていました。に見えてきます。

1865年のよくある質問 Q&A

Q. 1865年とはどんな年ですか?

1865年は、長州藩が敗北から立ち直り、 倒幕に向けた再建と改革が進められた年です。

Q. 長州藩はどのように再建したのですか?

高杉晋作らが中心となり、 奇兵隊などを活用して軍事改革を進めました。

Q. 奇兵隊とは何ですか?

身分に関係なく編成された部隊で、 長州藩の戦力強化に大きく貢献しました。

Q. 薩摩藩はどのように変化しましたか?

外国の力を認識し、 攘夷から開国・近代化へと方針を転換しました。

Q. なぜ1865年は重要なのですか?

攘夷から現実路線へと転換し、 倒幕へ向けた準備が整ったためです。

Q. この出来事はその後どうつながりますか?

1866年に薩長同盟が成立し、 倒幕運動が本格化します。
1866年へ

Q. 日本への影響は何ですか?

新しい政治勢力が台頭し、 幕府に対抗する力が強まりました。

Q. 1865年の重要人物は誰ですか?

高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)などが重要人物です。

Q. 1865年は日本にとってどんな意味がありますか?

1865年は、倒幕へ向けた現実的な戦略が整い、 明治維新への道が具体化した年です。

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準備が整ったあと、幕末はどのように決着へ向かうのか?

薩長同盟の成立や戦いの激化を経て、やがて幕府の終焉へと進んでいきます。
倒幕に至るまでの流れをあわせて理解できます。

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