1865年(慶応元年)は、幕末の対立がさらに深まり、「戦う準備」が本格的に整えられていった年です。
前年の禁門の変や下関戦争を経て、長州藩は大きな打撃を受けましたが、この年、藩内で改革派が主導権を握り、再び立ち上がります。
一方、幕府も長州再征に向けて動き出し、日本全体が戦争へ向かう流れに入っていきました。
つまり1865年は、「対立が再編され、全面対決への準備が整った年」といえます。
倒幕へ向けた動きは、なぜこの年から加速したのか?
薩摩と長州の接近や軍備の近代化が進み、倒幕への準備が整い始めます。
黒船来航からこの年に至るまでの幕末の流れを時系列で確認できます。
Q. 1865年は何が起きた?
A. 長州藩が再建を進め、高杉晋作らが改革を推進しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 倒幕に向けた勢力の立て直しが始まったためです。
Q. この後どうなる?
A. 1866年に薩長同盟が成立します。
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1865年の重要出来事
慶応への改元
4月、元号が元治から慶応へと改められました。
これは国内外の混乱を断ち切る意図で行われたものです。
長州藩の再建(高杉晋作らの主導)
長州藩では高杉晋作らが主導権を握り、藩の方針を幕府との対決へと転換しました。
軍制改革も進められ、戦う体制が整えられていきます。
第二次長州征討の準備
幕府は長州藩の再征討を決定し、諸藩に出兵を命じました。
これにより、再び大規模な戦争の気運が高まります。
外交圧力の強まり
イギリスなど列強は条約の履行や開港を求め、日本への圧力を強めました。
日本は内戦と外交問題を同時に抱える状況となります。
坂本龍馬の活動(亀山社中の設立)
坂本龍馬は長崎で亀山社中を設立し、薩摩と長州の連携を進める活動を開始しました。
後の薩長同盟へとつながる重要な動きです。
横須賀製鉄所の着工
幕府はフランスの協力を得て横須賀製鉄所の建設を開始しました。
これは造船や兵器生産を担う、日本初の本格的な近代工業施設であり、その後の日本の産業発展と軍事力強化の基盤となります。
なお、この横須賀製鉄所の建設を主導したのが、小栗上野介です。
その人物像については、別ページで詳しく解説しています。
この年は何が変わったのか
長州藩は高杉晋作らによって再建され、軍事力の強化が進められました。
一方で幕府も再征討の準備を進め、日本は再び大規模な戦争へ向かいます。
さらに坂本龍馬の活動により薩摩と長州の接近が始まり、勢力の再編が進んでいきます。
対立は単なる意思ではなく、実際の戦闘に備えた体制として整えられていきました。
つまり1865年は、「内戦が実行直前の段階に入った年」です。
この流れは、1866年の幕府敗北へと直結していきます。
この年の重要人物
1865年は、攘夷の失敗を受けて各藩が現実路線へと転換し、倒幕に向けた再編が進んだ年です。
表立った戦闘は少ないものの、後の大きな変化につながる動きを担った人物を整理します。
長州藩(再建と転換)
- 高杉晋作
奇兵隊を率いて藩内の改革を進め、長州の立て直しを主導 - 木戸孝允(桂小五郎)
藩の政治を担い、倒幕に向けた戦略を構築
薩摩藩(対長州関係の変化)
- 西郷隆盛
長州処分をめぐり現実的な判断を行い、後の薩長接近の基盤を作る - 大久保利通
藩政改革と中央政治への関与を強める
幕府
- 徳川家茂
長州処分や政局の対応に追われるが、統治力の低下が続く
仲介・調整
- 坂本龍馬
薩摩と長州を結びつける動きを見せ始める
出来事・事物起源・話題
- 1月7日
- 長州藩正義派の緒隊兵、萩の鎮撫軍と交戦してこれを撃破す
- 1月15日
- 三条実美以下の五卿、勤王家の援護により長州より筑前大宰府に動座
- 1月16日
- 征長総督徳川慶勝、大阪城に入る。
- 1月16日
- 西郷吉之助薩摩に帰藩し、これより各藩勤王党連合し国是を一定せんと図る
- 1月28日
- 山口藩士毛利敬親の藩政改革
- 1月28日
- 西郷吉之助(隆盛)、39歳にて妻を娶る(坂本龍馬、大久保利通、小松帯刀等の勧めに依り岩山八郎太の長女糸子を迎う)
- 1月30日
- 毛利広封、兵を率いて緒隊追討のため城を出て明倫館に入る
- 2月7日
- 阿部老中、兵を率いて京都入り
- 3月9日
- 幕府へ参勤交代を緩めよと勅諚
- 3月25日
- 野村望東尼、三条実美に会見
- 4月7日
- 慶応と改元
- 4月13日
- 幕府長州再征の部署を定める
- 5月2日
- 山城の緒山陵修理竣工す
- 5月14日
- 幕府、スイスと通商条約締結
- 閏5月1日
- 土佐藩の坂本龍馬、薩長両藩の和解を周旋し、馬関に於て桂小五郎と会見
- 閏5月6日
- 中岡慎太郎、西郷吉之助と会見の為鹿児島に赴く(薩長連合の周旋)
- 閏5月11日
- 武市瑞山(半平太)処刑
- 閏5月16日
- 将軍徳川家茂、江戸を発し長州征伐に向う、後京都より大阪城に入る
- 閏5月21日
- 土佐藩士中岡慎太郎、馬関にて桂小五郎、高杉晋作等と薩長連合周旋
- 閏5月22日
- 将軍家茂参内、長州再征奏上
- 7月18日
- 英国のパークス、駐日公使として来航(これより18年間日本に滞留す)
- 8月16日
- 勝海舟、長崎へ下向(幕府対長州藩抗争の調停を兼ねて)
- 8月23日
- 山内作左衛門の一行6名が命ぜられ長崎を出帆
- 8月24日
- 横浜に製鉄所開設される
- 9月16日
- 英・米・仏・蘭4国の軍艦兵庫に入港し、各国公使京都に上りて開港を請う
- 9月21日
- 将軍徳川家茂参内、兵庫開港と長州再征を奏請す、開港を許し給わず
- 9月25日
- 幕府の老中阿部正外、松前崇広等、大阪城中に会議を開き兵庫開港に決す
- 9月26日
- 幕府の代表兵庫に赴き英艦にて各国公使と会見し兵庫開港問題の延期を談判
- 9月29日
- 朝廷、直接幕府の閣老を免職する(松前伊豆守崇広、阿部豊後守正外の官位を剥奪)
- 10月4日
- 徳川慶喜、松平容保、松平定敬など参内対封の情勢上開港条約勅許を奏請す
- 10月5日
- 開港条約改正の勅許下る
- 10月7日
- 将軍家茂、上奏して辞意を撤回
- 10月25日
- 福岡藩の家老加藤司書など勤王の士数名に切腹を命じその他の一味を流罪とす
- 11月7日
- 幕府大目付を広島に遣わし毛利藩主を審問せしむ、また一方彦根以下31藩に長州征伐出兵を命じ徳川茂承を総督と為す
- 11月14日
- 筑前の女傑野村望東尼、玄海の孤島姫島に流さる
- 11月21日
- 膳所藩尊王党の切腹(森祐信以下10名に切腹を命じる)
- 12月21日
- 毛利敬親、京阪の視察として桂小五郎を上洛せしむ、品川弥二郎これに従う
天皇
孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)
将軍
徳川家茂[14代](在位:安政5年12月1日~慶応2年8月20日)
生活の話題
食
- 幕府雉子橋門内の牧場で将軍御用の牛乳をとり、一部江戸市中にもうる
食
住
この年のポイントまとめ
- 慶応へ改元され、新たな局面に入った
- 長州藩が再建され、戦う体制が整った
- 幕府が長州再征の準備を進めた
- 坂本龍馬らにより薩長接近が始まった
- 内戦が現実化する直前の段階に入った
1865年は、幕末の最終局面に向けた準備が整った重要な年です。
この年を理解することで、1866年の幕府敗北と1867年の大政奉還の流れがより明確に見えてきます。
1865年のよくある質問 Q&A
Q. 1865年とはどんな年ですか?
1865年は、長州藩が敗北から立ち直り、 倒幕に向けた再建と改革が進められた年です。
Q. 長州藩はどのように再建したのですか?
高杉晋作らが中心となり、 奇兵隊などを活用して軍事改革を進めました。
Q. 奇兵隊とは何ですか?
身分に関係なく編成された部隊で、 長州藩の戦力強化に大きく貢献しました。
Q. 薩摩藩はどのように変化しましたか?
外国の力を認識し、 攘夷から開国・近代化へと方針を転換しました。
Q. なぜ1865年は重要なのですか?
攘夷から現実路線へと転換し、 倒幕へ向けた準備が整ったためです。
Q. この出来事はその後どうつながりますか?
1866年に薩長同盟が成立し、
倒幕運動が本格化します。
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Q. 日本への影響は何ですか?
新しい政治勢力が台頭し、 幕府に対抗する力が強まりました。
Q. 1865年の重要人物は誰ですか?
高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)などが重要人物です。
Q. 1865年は日本にとってどんな意味がありますか?
1865年は、倒幕へ向けた現実的な戦略が整い、 明治維新への道が具体化した年です。
準備が整ったあと、幕末はどのように決着へ向かうのか?
薩長同盟の成立や戦いの激化を経て、やがて幕府の終焉へと進んでいきます。
倒幕に至るまでの流れをあわせて理解できます。


