1881年(明治14年)は、日本が本格的に立憲国家への道を歩み始めた転換の年です。
この年、開拓使官有物払い下げ事件をきっかけに政府内の対立が激化し、大隈重信が罷免される「明治十四年の政変」が起こりました。さらに同年、政府は1890年の国会開設を約束する「国会開設の詔」を発し、議会政治への道筋が初めて明確に示されます。
一方で、自由党の結成や私擬憲法の作成が進むなど、民間でも政治参加を求める動きが大きく広がりました。
つまり1881年は、「政変を経て国会開設が約束され、日本が立憲国家へ進み始めた年」といえます。
なぜ日本は国会開設へ向かうことになったのか?
明治十四年の政変を経て、政府は国会開設を約束します。
明治維新からこの年に至るまでの政治改革の流れを時系列で確認できます。
Q. 1881年は何が起きた?
A. 明治政府が「国会開設の詔」を出し、議会設立を約束しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 日本が立憲政治へ進むことが正式に決まったためです。
Q. この後どうなる?
A. 憲法制定が進み、1889年に公布されます。
→ 1889年(大日本帝国憲法)を見る
目次
この年の重要出来事
- 国会開設の詔が出され、1890年の国会開設が約束された
- 自由党が結成され、政党政治への動きが進んだ
- 明治十四年の政変で大隈重信が政府を去った
- 北海道開拓使官有物払下げ事件が問題化した
- 立憲政治と憲法制定へ向けた流れが本格化した
出来事・事物起源・話題
- 1月4日
- 警視庁を再設置する
- 1月14日
- 東京に警視庁を設け、憲兵を配置する
- 1月15日
- 初代警視総監に陸軍少将樺山資紀が任命される
- 1月17日
- 明治法律学校(現在の明治大学)が東京麹町有楽町に開校する(校長は岸本辰雄)
- 1月26日
- 東京の大火(神田から深川に延焼し、1万5,200戸を焼失)
- 2月11日
- 東京神田の大火(7,700戸焼失)
- 2月21日
- 東京四谷の大火(四谷箪笥町から出火し、1,500戸焼失)
- 3月11日
- 憲兵本部を東京に創設し、憲兵中佐三間正弘を部長に任命する
- 3月12日
- ロシア皇帝アレクサンドル二世が暗殺される
- 3月27日
- 越後出雲崎の大火(約540戸焼失、死者26名)
- 4月5日
- 大日本農会を東京に創立する
- 4月7日
- 農商務省を設置し、河野敏鎌を初代農商務卿に任命する
- 4月25日
- 陸前福島の大火(約1,780戸焼失)
- 4月26日
- 初めて各国の使節を招き、吹上御苑で観桜会を開く
- 5月27日
- 横須賀軍港で初めて敷設水雷の実験を行う(天覧に供し、柴山中佐が説明する)
- 5月31日
- 勤王家の蒲生君平に正四位を追贈する
- 6月17日
- 小学校教員心得を制定する
- 7月2日
- パスツール、予防接種に成功する
- 7月6日
- 岩倉具視、憲法制定に関する意見書を提出する
- 7月9日
- 明治生命保険会社が創業する(日本最初の生命保険会社、設立は7月8日)
- 7月21日
- 黒田清隆、北海道開拓使官有物の払下げ計画を太政大臣に申請する
- 7月29日
- 北海道官有物を関西貿易商会へ払い下げることを決定する
- 7月30日
- 明治天皇、東北・北海道巡幸のため御出発になる
- 8月1日
- 開拓使官有物払下げ事件が起こる
- 8月2日
- 「学生」という呼称が始まる(東京大学本科生のみを「学生」とし、その他は「生徒」と呼ぶ)
- 8月20日
- 元田永孚が編纂した修身教科書『幼学綱要』の刊本が完成する
- 10月9日
- 黒田清隆、大隈重信の国会早期開設論に反対し、三条実美へ意見書を提出する
- 10月11日
- 大隈重信が参議を罷免される(明治14年の政変)
- 10月12日
- 北海道官有物払下げが中止される(明治14年の政変)
- 10月12日
- 明治天皇、明治23年に国会を開設することを約束する詔書を下される
- 10月18日
- 自由党が結成される(日本初の本格的な政党)
- 10月21日
- 官制改革により太政官に参事院を設置する
- 10月21日
- 松方正義を参議兼大蔵卿、佐々木高行を参議兼工部卿に任命し、大山巌・川村純義にも参議兼任を命じる
- 10月29日
- 東京で自由党の結党式が行われる
この年に始まったこと
1881年(明治14年)は、日本の政党政治が本格的に動き始めた年です。国会開設の方針が示されるとともに、日本初の本格的な政党が誕生し、立憲国家への歩みが大きく前進しました。
- 国会開設への道が始まった
明治政府は「国会開設の詔」を発表し、1890年に国会を開設する方針を正式に示しました。 - 自由党が結成された
板垣退助を中心に自由党が結成され、日本初の本格的な政党政治が始まりました。 - 政党政治の時代が始まった
自由党の誕生により、政治を政党が担う新しい仕組みづくりが始まりました。 - 北海道開拓使官有物払下げ事件への追及が始まった
政府の不透明な払い下げ計画に対する批判が高まり、政治改革を求める動きが強まりました。 - 明治十四年の政変後の新体制が始まった
大隈重信が政府を去り、伊藤博文らを中心とする憲法制定路線が本格化しました。
1881年は、「国会開設と政党政治が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1881年(明治14年)は、国会開設へ向けた流れが大きく進み、日本の近代政治が大きな転換点を迎えた年でした。一方で、明治政府内部では政争も激化し、明治十四年の政変が発生します。
明治十四年の政変によって政府内部対立が表面化した
1881年、大隈重信はイギリス流議院内閣制の早期導入を主張しましたが、伊藤博文らと対立し政府を追われました。これが明治十四年の政変です。政府内部の政治路線対立が鮮明になっていきます。
国会開設の勅諭によって議会政治への道が開かれた
明治政府は「1890年に国会を開設する」とする国会開設の勅諭を発表しました。これによって、日本は本格的に立憲政治と議会制度整備へ向かっていきます。
自由党によって政党政治が始まり始めた
板垣退助らは自由党を結成しました。自由民権運動を背景に誕生した政党であり、日本における本格的政党政治の始まりとなっていきます。
北海道開拓使官有物払下げ事件が政治問題化した
政府が北海道開拓使の官有物を安値で払い下げようとしたことが批判を集め、北海道開拓使官有物払下げ事件が発生しました。この問題は政府不信を強め、明治十四年の政変にも影響を与えます。
自由民権運動がさらに勢いを増した
国会開設要求運動は全国へ広がり、政治参加への関心はさらに高まりました。新聞や演説会も活発化し、日本社会は近代政治への関心を急速に強めていきます。
立憲国家建設への流れが本格化した
国会開設決定によって、日本は憲法制定と議会制度整備を本格的に進める段階へ入りました。1881年は、近代日本の政治体制づくりが大きく前進した重要な一年でした。
この年の重要人物
1881年(明治14年)は、明治十四年の政変が起こり、大隈重信が政府を追われる一方で、国会開設の詔が発布された年です。日本の立憲政治が具体的に動き始めた重要な転換点であり、後の政党政治の出発点となりました。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 大隈重信
早期の国会開設とイギリス流議会政治を主張しましたが、明治十四年の政変によって政府を追われました。この事件の中心人物です。 - 伊藤博文
大隈重信と対立しながら政府内で影響力を強めました。その後の憲法制定や立憲国家建設の中心人物となります。 - 板垣退助
自由民権運動の指導者として国会開設を求め続けました。国会開設の詔発布に大きな影響を与えた人物の一人です。 - 岩倉具視
政府首脳として明治十四年の政変に関与しました。明治政府内部の主導権争いにおいて重要な役割を果たしました。 - 福澤諭吉
慶應義塾を中心に教育と言論活動を展開し、近代的な政治意識や独立自尊の思想を広めました。自由民権運動の時代を語るうえで欠かせない知識人です。
生活の話題
衣
- 地方の町村に靴を履く者が出てくる
食
- 牛乳配達始まる
- 東京に粉ミルク・バターの製造始まり、その売捌店は市内13軒をかぞえる
- 第2回内国勧業博覧会に11道府県より缶詰の出品あり、殆ど魚介を材料とした、また2府3県から琺瑯(ほうろう)品が出品された、これは鍋等の飲食器である
- 東京湾の金沢にカキの移植がなされる
- 芝日影町で日本人のラムネ製造始まる
住
- 東京下町1月と2月に重ねて大火あり、火災後内地釘が間にあわぬため西洋釘を輸入、にわかに洋釘使用が普及する
その他
- 東京職工学創立
- 小学校で体操と唱歌を正科とする
- 竹器の輸出盛ん
- 船会社運賃協定をはかる
- 二人乗自転車につき東京の新聞珍しげに記事をかかげる
- 大阪鉄工所・小野田セメント・日本鉄道・大日本農会など設立
1881年のポイントまとめ
- 明治十四年の政変が発生した
政府内で国会開設や政治改革をめぐる対立が起こり、大隈重信が政府を追われました。 - 国会開設の勅諭が出された
明治政府は1890年に国会を開設する方針を発表し、日本は立憲政治へ向かって動き始めました。 - 自由党が結成された
板垣退助を中心とする自由党が誕生し、日本で本格的な政党政治が始まりました。 - 北海道開拓使官有物払下げ事件が問題化した
政府高官と結びついた不透明な払い下げ計画に批判が集まり、政治問題へ発展しました。 - 日本の立憲政治が本格的に始動した年であった
1881年は、国会開設決定と政党誕生によって、日本近代政治史の大きな転換点となった年でした。
1881年は、明治十四年の政変によって政府内対立が表面化した年でした。しかし同時に、国会開設の勅諭や自由党結成によって、日本は立憲政治と政党政治への道を歩み始めます。 近代国家日本の政治制度が大きく動き出した重要な一年となりました。
1881年のよくある質問 Q&A
Q. 1881年とはどんな年ですか?
1881年は、明治政府が国会開設の詔を出し、 日本が議会政治へ進むことを正式に決定した年です。
Q. 国会開設の詔とは何ですか?
国会開設の詔とは、1890年までに国会を開設することを約束したものです。 日本の政治体制が大きく変わる契機となりました。
Q. なぜ政府は国会開設を決めたのですか?
自由民権運動の高まりにより、 国民の政治参加要求に応える必要があったためです。
Q. 明治十四年の政変とは何ですか?
政府内部で対立が起こり、 大隈重信が政府から追放された政治事件です。 国会開設の決定と密接に関係しています。
Q. なぜ1881年は重要なのですか?
日本が専制政治から立憲政治へ移行する方向が確定したためです。
Q. 1881年の出来事はその後どうつながりますか?
憲法制定が進み、
1889年に大日本帝国憲法が公布されます。
→ 1889年(憲法の完成)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
政党の結成が進み、 近代政治の基盤が整えられていきました。
Q. 1881年の重要人物は誰ですか?
伊藤博文、大隈重信、板垣退助などが重要人物です。
Q. 1881年は日本にとってどんな意味がありますか?
1881年は、議会政治への道が正式に開かれた年です。 日本の近代政治の方向性が決定づけられました。
国会開設への流れは、どのように実現していくのか?
憲法制定や政党政治の発展を経て、日本は立憲国家としての体制を整えていきます。
明治中期の政治改革の流れをあわせて理解できます。
