明治と改元された1868年10月23日(慶応4年9月8日)から1912年7月30日、明治天皇の死去により大正と改元されるまでの44年余り。一般には1868年1月1日以降を明治時代とよぶ。
明治時代とは
明治は、日本人のなかに能力主義が復活した時代であった。
能力主義という、この狩猟民族だけに必要な価値判定の基準は、日本人の遠祖が騎馬民族であったかどうかはべつにせよ、農耕主体のながい伝統のなかで眠らされてきた。
途中、戦国の百年というのが、この遺伝体質をめざめさせた。 そのなかでも極端に能力主義をとったのが織田軍団であり、その点の感覚のにぶい国々を征服した。
能力主義の挫折は織田信長自身が自分の最期をもって証明したが、しかしかれがやった事業は、秀吉や光秀たちの能力伝説によって江戸期も語りつがれた。 能力主義を大勢として否定した時代で、否定することによって封建制というのものは保たれ、日本人たちはふたたび農耕型の精神と生活にもどった。 それが三百年近くつづき、明治になる。
司馬遼太郎著 小説『坂の上の雲』より
明治天皇の治世にあたり、日本は明治政府のもと封建的支配体制である幕藩体制を打破し、立憲政治の実現、産業化の推進など、政治・経済・文化・社会など多くの分野で急速な西洋化・近代化を進め、近代国民国家を形成した。
明治維新による構造的変化
明治維新とは、幕藩体制を打破し、西洋国際体系へ参加して近代国民国家を形成する契機となった政治社会の大変革であった。その主な構造的変化は下記の通りとなる。
- 中華帝国秩序の縁辺に孤立していた日本が西洋国際体系に参加し、開放体制に移行。
- それまでの多元的な政体が王政復古と廃藩置県を通じて一元化され、さらに国民の公議参加への道が開かれた。
- 身分制が大幅に解体され、経済・社会の自由化が行われた。
- 古代以来の中華文明にかわって西洋文明が社会のモデルになった。
※「維新」という文字は幕末に使われた「一新」という語を「詩経」中の雅語で置き換えたもの。
帝国主義国家への変質
同時に対外的には、帝国主義的国際国際環境のなか、日清戦争・日露戦争の勝利を通じて台湾・韓国を植民地とするなど急速に勢力を拡張し、列強の一員として東アジアの国際政局に大きな影響力をもつようになった。
主な出来事
- 1869年(明治2年)
- 版籍奉還
- 1871年(明治4年)
- 廃藩置県
- 1872年(明治5年)
- 学制交付
- 1873年(明治6年)
- 徴兵令
- 1874年(明治7年)
- 民撰議院設立建白書
- 1875年(明治8年)
- 樺太・千島交換条約締結
- 1876年(明治9年)
- 廃刀令
- 1877年(明治10年)
- 西南戦争
- 1882年(明治15年)
- 日本銀行条例公布
- 1885年(明治18年)
- 初代内閣総理大臣に伊藤博文
- 1889年(明治22年)
- 大日本帝国憲法発布
- 1894年(明治27年)
- 日清戦争
- 1900年(明治33年)
- 治安警察法公布
- 1902年(明治35年)
- 日英同盟条約調印
- 1904年(明治37年)
- 日露戦争
- 1905年(明治38年)
- 日露講和条約(ポーツマス条約)調印