坂の上の雲

能力主義を否定することで封建体制を保った徳川幕府が終わり、新しい時代「明治」は、能力主義を復活させることで人材登用を切り拓いた。ここに伊予松山藩出身の三人が登場する。彼らは其々の能力で、明治という坂の上に輝く雲をみつめて駆け上った。

一人は病魔と闘いながらも俳諧の革新に挑んだ近代俳句の祖・正岡子規。一人は日露戦争で世界最強といわれたコサック騎兵を撃破した日本騎兵の創設者・秋山好古。そしてもう一人は、その弟で、日本海海戦の丁字戦法をあみだし、無敵艦隊と呼ばれたバルチック艦隊を破った帝国海軍参謀秋山真之である。

坂の上の雲

About坂の上の雲ノロジー

坂の上の雲

「坂の上の雲ノロジー」とは、坂の上の雲と年表のクロノロジー(Chronology)を合わせた造語です。

弊サイトでは、小説『坂の上の雲』(司馬遼太郎著)の物語である幕末と明治の出来事を、時系列にてまとめています。暇つぶし程度にご覧いただけたら幸いです。

なお、誤植の指摘や追記事項のご要望がございましたら、お問い合わせページよりお知らせくださいませ。

See More

Newsお知らせ

2022.04.27
未分類 新コンテンツ「今日は何の日」を追加しました
2022.04.18
未分類 ギャラリー「明治の写真」をカラー化しました
2022.04.05
未分類 ギャラリーに画像10点を追加しました
See More

Blog

Blog坂の上の雲

See More

Chronology

Today今日は何の日

4月18日の出来事・事物起源・話題

1864年(元治元年)薩摩の島津久光、後事を西郷吉之助に託し京都発帰藩の途に就く
1867年(慶応3年)薩摩藩士大山綱良、兵30数名、砲3門を率いて大宰府に入り、三条実美以下五卿の動座に反対
1871年(明治4年)平民の乗馬を許す
1873年(明治6年)全国電線付近にて凧を飛ばすを禁ずると工部省発令(凧のため電線被害が多し)
1874年(明治7年)米公使ビンハム、清国の敵対行為には、米人・米船の参加禁止を通告
1885年(明治18年)朝鮮問題に関し、全権伊藤博文は清国代表李鴻章と天津条約調印
1890年(明治23年)神戸湾において観艦式(帝国軍艦19隻)
1902年(明治35年)奥村五百子、愛国婦人会設立後間もなく、京都を始め各地の遊説に出発
1903年(明治36年)ロシア、清国に七項目の満州撤兵条件を提出

Chronology幕末年表

※注)一般には幕末は1853年(嘉永6年)からの表記となりますが、弊サイトは明治天皇御生誕の1852年(嘉永5年)からを始まりとしています。

Chronology明治時代年表