出来事・事物起源・話題
- 2月18日
- 水戸藩士大津彦五郎、藩主斉昭の冤罪を雪(そそ)がんとして、尊王攘夷の同士数百を動かせしが成らず(一身に罪を負うて自訴す)
- 2月19日
- 文久と改元
- 3月28日
- 長崎製鉄所開所式、オランダより機械類を取寄せ、製鉄及び造船を兼ねたる工廠長崎鮑浦に落成(総坪数8,226坪、現在の長崎造船所の前身)
- 4月3日
- 幕府の開港拒絶の議決す
- 4月12日
- 露船対馬に来り侵す(対馬事件)
- 5月23日
- 長井雅樂、三条実美へ建白書を呈し、大いに時局の批政を論難す
- 5月28日
- 外人排撃の水戸浪士等、品川東漸寺の英国公使を襲い、彼我共に死傷あり
- 6月3日
- 伊東玄朴、麻酔薬を使って片脚切断の手術を行なう
- 6月19日
- 幕府庶民に令して旧来の大船製造の禁を解き、外国船の購入をも許す
- 7月2日
- 山口藩士長井雅樂、老中久世広周と会して大いに公武合体論を唱う
- 7月11日
- 品川御殿山に各国公使館を造る
- 7月26日
- 桜田門に井伊大老を襲撃せる水戸浪士、金子孫二郎、岡部三十郎等数名刑死
- 8月3日
- 長井雅樂、幕府の老中安藤信正に会して大いに公武合体を説く
- 8月11日
- 佐賀の藩主鍋島直正、藩にて鋳造せる大砲3門を幕府に贈る
- 8月22日
- 米国公使ハリス、幕府の老中安藤信正と同邸に会見し、公使館設置を議す
- 8月23日
- 幕府、露船の対馬退去を要求
- 9月20日
- 長崎に洋式の病院を初めて設立(開院式)
- 9月22日
- 幕府、英・米・仏・露四国公使と下関海峡砲撃事件の償金300万ドルを約す
- 10月13日
- 長州藩主毛利慶親、天下の為めに幕府に建言せんとして萩を発途江戸に向う
- 10月20日
- 和宮、京の御所を御発輿、将軍家茂への御降嫁のため江戸へ御下向
- 10月25日
- 伊東玄北の種痘所、幕府の経営に移り西洋医学所と改称、帝大医学部の前身
- 11月5日
- 米国総領事ハリス、江戸城の将軍家茂に謁し国書を呈して開港延期を諾す
- 11月15日
- 和宮御降嫁、江戸清水邸御着
- 11月15日
- 清川八郎、京都を発って九州下向
- 12月3日
- 水野忠徳、伊豆諸島巡視に出発
- 12月8日
- 毛利慶親、書を幕府に呈し公武合体を促し国威宣揚の基礎を樹てんと建白す
- 12月9日
- 清川八郎、筑紫の大宰府に眞木和泉守保臣を訪ね、王事を論じる
- 12月14日
- 幕府詰問使岩倉など帰洛す
- 12月19日
- 幕府の咸臨丸、小笠原島統轄のため同島父島着(日本領土たるを明らかにす)
- 12月22日
- 開港問題談判のため遣欧使節竹内保徳、松平康直等英艦にて江戸湾を発航す
- 12月30日
- 長井雅楽、久世老中と時勢を痛論す
- 12月30日
- 幕府、毛利慶親に公武周施を依嘱す
天皇
孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)
将軍
徳川家茂[14代](在位:安政5年12月1日~慶応2年8月20日)
生活の話題
その他
- 幕府肥前鮑浦に製鉄所を開く、後の長崎造船所