1864年(元治元年)の出来事

今から160年前の出来事

出来事・事物起源・話題

1月13日
島津久光廟議参与を許される
1月24日
高杉晋作、長州を脱す
2月6日
長門藩武器の他国流失を厳禁す
2月10日
松平容保、京都守護職の精勤に対し5万石加増、翌日陸軍総裁となす
2月18日
島津久光、砲12門を朝廷に献ず
2月20日
元治と改元
2月22日
熊本藩主細川慶順、長岡護久等連署して長州処分の寛大ならん事を請う
3月1日
松平慶永、幕府へ公武合体を勧告
3月3日
島津久光、西郷吉之助に対して上京を命ず
3月16日
薩摩藩主島津忠義のイギリスに注文せる軍艦2隻、大砲60門横浜に着す
3月26日
水戸藩士田丸稲之右衛門、藤田小四郎等脱走して常陸筑波山に義旗を翻す
3月29日
高杉晋作、萩の野山獄に投ぜらる
4月18日
薩摩の島津久光、後事を西郷吉之助に託し京都発帰藩の途に就く
5月2日
将軍徳川家茂、参内して江戸帰任の賜暇を奏上す(同月7日京都を出発)
5月14日
勝海舟、軍艦奉行となる
5月15日
徳川家茂、シーボルト召見
5月29日
幕府、海軍操練所を兵庫に設置
6月2日
勤王家古高俊太郎、京都にて同士と共に事を起さんとして新撰組に捕わる
6月5日
池田屋騒動(新撰組、京都三条の旅館池田屋を襲う)
6月10日
井上聞多、伊藤俊輔両人、馬関戦争の報に驚き、遊学中のロンドンから帰朝す
6月14日
新島襄、海外渡航の禁を冒し、函館より米国商船にて密航出帆に成功す
6月16日
徳川家茂、米十五万俵を朝廷に献上
6月22日
長州藩の家老福原越後、堺町御門変の雪寃の為兵3千を率いて藩地出発
6月24日
久坂玄瑞、眞木保臣等、男山八幡に本陣を設けて勤王討幕の義旗を翻す
6月25日
井上聞多、伊藤俊輔両人、山口政治堂に出頭して時局を論じ攘夷を難ず
6月26日
長州藩の家老国司信濃、桂小五郎等を従えて山口を発途、京都へ向う
7月11日
佐久間象山、刺殺される
7月14日
山口藩の家老益田右衛門等の勤王党兵約600名、男山に屯す
7月19日
蛤御門の変
7月21日
諸藩の兵、天王寺の義挙を攻む、蛤御門の変に長州藩兵悉く破る
7月22日
幕府第2回の遣欧使節が帰朝
8月1日
将軍徳川家茂、長州親征を布告
8月3日
長州藩の福原・国司・益田の三家老に禁固謹慎を命じ罪を待つ旨を上申す
8月5日
英・米・仏・蘭の連合艦隊、馬関海峡に砲撃を開始し長州兵抗戦す
8月5日
奥村五百子男装して馬関の奇兵隊本陣へ使者として到着
8月6日
英・米・仏・蘭の連合艦隊兵、長州に上陸し緒砲台を破壊す
8月8日
高杉晋作、杉孫七郎、井上聞多、伊藤俊輔等、英国水師提督と講和会議
8月14日
長州藩と四国連合艦隊和議成立
9月1日
幕府、参勤交代を復活
9月7日
水戸兵、筑波の義兵と常陸の額田村に戦いて利あらず敗走す
9月9日
朝廷、長州征伐の兵を進めしむ
9月11日
西郷吉之助と勝海舟、大阪で会見
9月25日
袖解橋事件(長州藩士井上聞多が反対党の兇刃に見舞われ瀕死の重傷を負う)
10月16日
幕府、筑波の叛(天狗党の乱)の罪を問い水戸家家老鳥居忠順、大久保忠貞など49名を斬る
10月18日
幕府軍、筑波勢と再び戦い敗る
10月22日
大阪城に於て征長軍議評定
10月24日
萩藩の志士宍戸左馬之介、堺町御門の変のために罪を問われ野山の獄に入る
10月25日
幕府、人質の旧弊を盛返し諸代大名にその妻子宗族を江戸に呼寄すべしと命ず、同年9月1日と同令のもの、後大名間には遵守されずして終る
10月27日
高杉晋作長州藩を脱す
11月2日
高杉晋作脱藩し福岡に移る
11月3日
野村望東尼、高杉晋作を庇護す
11月10日
幕府に兵庫奉行を置く
11月12日
長州藩三家老の切腹
11月15日
三条実美らの五卿、長州藩の諸隊士700余人に護衛され山口より長府に移る
11月18日
徳川慶勝、長州三家老の首実検
11月27日
武田耕雲斎尊攘党を率い美濃入
11月30日
武田耕雲斎征討の命幕府に下る
12月3日
筑前藩士月形洗蔵など、長府の功山寺に三条実美等五卿を訪ね動座を勧める
12月11日
西郷吉之助、五卿動座の談判のため、単身長州に乗込む
12月13日
高杉晋作、筑前より長府に帰る
12月14日
長州藩主毛利敬親、老臣毛利隠岐を征長総督府に遣し伏罪の誓書を呈す
12月15日
長州藩士高杉晋作等、恭順派の藩政に反抗し馬関新地の役所を夜襲す
12月17日
天狗党の乱(筑波山事件)の終結

天皇

孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)

将軍

徳川家茂[14代](在位:安政5年12月1日~慶応2年8月20日)

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生活の話題

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