1857年(安政4年)は、日本が開国へ向かう流れの中で、外交交渉が本格化した年です。
この年、アメリカ総領事ハリスが幕府との交渉を本格的に進め、日本に対して通商の必要性を強く迫りました。
また、将軍への謁見が実現するなど、日本の外交はこれまでにない段階へと進んでいきます。
つまり1857年は、「開国が現実のものとして動き出した年」といえます。
1857年の重要出来事【まずここだけ読めばOK】
■ ハリスの将軍謁見
アメリカ総領事タウンゼント・ハリスは江戸に入り、将軍徳川家定と謁見しました。
これは外国使節が将軍と直接会見した重要な出来事であり、日本の外交が新たな段階に入ったことを示しています。
■ 日米交渉の本格化
ハリスは幕府に対し、通商条約の必要性を強く主張しました。
これにより、日本は本格的に「開国か否か」という選択を迫られることになります。
■ 国内政治の対立(将軍継嗣問題)
この年、将軍後継をめぐる対立(一橋派と南紀派)が激化しました。
外交問題と国内政治が絡み合い、幕府の統治は不安定になっていきます。
■ 近代化の芽生え
長崎では造船・製鉄に関する施設の建設が始まり、西洋技術の導入が進みました。
また、写真技術など新しい文化も日本に入ってきています。
この年は何が変わったのか
ハリスとの交渉が本格化し、日本は通商条約を受け入れるかどうかの決断を迫られました。
同時に将軍継嗣問題が激化し、幕府内部の対立も深まっていきます。
外交と内政の問題が絡み合うことで、幕府の統治は次第に不安定になっていきました。
これにより、日本は単なる外交問題ではなく、政治体制そのものが揺らぐ局面に入ります。
つまり1857年は、「開国の決断が目前に迫り、国内対立が激化した年」です。
この緊張は、翌1858年の開国決定と弾圧へとつながり、幕末の動乱が本格化していきます。
出来事・事物起源・話題
- 2月4日
- オランダ領事キュルチュス、日本の対外国是を改めん事を長崎奉行に勧説す
- 5月7日
- 下田奉行、ハリスと応接す
- 5月13日
- 将軍家金蔵破りの稀代の盗賊藤岡藤十郎、富蔵等吟味の末浅草にて磔となる
- 5月24日
- 唐人お吉、玉泉寺へ奉公
- 5月26日
- 下田奉行ハリスと条約調印
- 7月8日
- 米国使節ハリス下田奉行と下田に会見し国書の要旨を求めて許されず
- 7月19日
- 下岡蓮杖、初めて写真機を見る
- 7月22日
- 一橋慶喜を将軍家の後継に推す
- 7月23日
- 徳川斉昭の幕政参事を免ず
- 10月7日
- ハリス、江戸出府の為め下田発
- 10月10日
- 長崎鮑ノ浦に日本最初の製鉄所(造船所を兼ね)創設起工さる
竣工は文久元年3月25日、落成28日 - 10月14日
- ハリス、将軍との会見が叶い、江戸に入る
- 10月21日
- 米国総領事タウセンド・ハリス江戸城に入り将軍徳川家定に謁し国書を呈す
- 10月26日
- 米国総領時ハリス、江戸の老中堀田正睦を訪ね熱誠に日米通商の急務を論ず
- 11月28日
- 毛利慶親、外交意見を呈す
- 12月2日
- 老中堀田正睦、米国領事ハリスを招き両国の交易及び公使の江戸駐在を許す
- 12月12日
- 幕府、米国総領事タウセンド・ハリスの意見書を各大名に示し評議す
- 12月25日
- 日米通商条約の草案成る
- 12月29日
- 幕府、諸大名と条約締結を議す
天皇
孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)
将軍
徳川家定[13代](在位:嘉永6年11月23日~安政5年8月8日)
生活の話題
食
- キャベツ輸入
その他
- 踏絵の制を廃す
この年のポイントまとめ
✔ハリスが将軍に謁見し、日本の外交が新段階に入った
✔通商条約交渉が本格化し、開国が現実の問題となった
✔将軍継嗣問題で、幕府内の対立が激化した
✔西洋技術や文化の流入が始まった
✔外交と内政が結びつき、幕府の不安定化が進んだ
1857年は、開国が「準備段階」から「決断直前」へ進んだ重要な年です。
この年を理解することで、1858年の開国決定とその後の幕末の動乱がより明確に見えてきます。
