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相州横須賀

相州横須賀

昔時は戸数僅三十余戸の寒村にてありしを慶応元年造船所を設立して以来戸口頓に増殖し今の繁栄を見るに至る

造船所は規模極めて宏大其の製作場は常に諸人の縦覧を許さる

明治33年発行『日本名勝百景』より

現代語

昔はわずか30戸ほどの小さな村だったが、慶応元年に造船所を設立してから、住民の数が急増し、今のような繁栄を迎えるようになった。造船所は非常に大きく、その製作場はいつでも人々に公開されている。

横須賀の概要

神奈川県の南部に位置する三浦半島の中央部には、横須賀という地があります。中世には「横須賀郷」と呼ばれ、三浦氏の拠点である衣笠城が存在していました。戦国時代には、後北条氏の水軍の重要な拠点として機能し、江戸初期には幕府の直轄地となりました。また、徳川家康の外交顧問格として知られるアダムズ(三浦按針)の所領もこの地にありました。

浦賀や久里浜といった地域は、幕末の外交の要所として注目されました。そして、江戸幕府の時代には製鉄所が建設され、後には横須賀造船所や海軍工廠としての役割を果たしました。1884年(明治17年)には横須賀鎮守府が設置され、横須賀は軍港都市としての発展を遂げました。しかし、第二次世界大戦後、この地は米海軍の基地として利用されるようになりました。そして、1907年には市制が施行され、横須賀市となりました。

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