1873年(明治6年)は、日本が近代国家としての基盤を一気に整え、「国家としての力」を国民に直接及ぼし始めた年です。
明治政府はこれまで制度の整備を進めてきましたが、この年は徴兵令や地租改正など、国民の生活や負担に直結する改革が実施されました。
また、政府内部では征韓論をめぐる対立が激化し、政治の方向性にも大きな影響を与えます。
つまり1873年は、「国家の仕組みが国民に強く作用し、同時に政治の対立が表面化した年」といえます。
Q. 1873年は何が起きた?
A. 徴兵令が出され、全国民が兵役の対象となりました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 武士に代わる近代的な国民軍が誕生したためです。
Q. この後どうなる?
A. 近代国家としての制度が整い、憲法制定へと進みます。
→ 1889年(大日本帝国憲法)を見る
1873年の重要出来事

- 徴兵令が制定され、国民皆兵の制度が始まった
- 地租改正が行われ、税制が近代化された
- 明治六年の政変が起こり、政府内の対立が表面化した
- 岩倉使節団が帰国し、本格的な近代化政策が進んだ
この年は何が変わったのか
1873年(明治6年)は、日本が近代国家として機能するための制度が整えられ、国家の「軍事・財政・政治」の仕組みが確立された年です。
徴兵令(国民皆兵の成立)
1873年、政府は徴兵令を制定し、満20歳の男子に兵役義務を課しました。
これにより、武士に代わって一般国民が兵士となる体制が整い、近代的な国民軍が形成されていきます。
地租改正(近代税制の確立)
同年、地租改正が実施され、税を米ではなく現金で納める制度へと変更されました。
これにより政府の財政は安定し、近代国家を支える経済基盤が確立されていきます。
明治六年の政変(征韓論争)
政府内部では、朝鮮出兵をめぐって激しい対立が起こりました。
西郷隆盛らの征韓論は退けられ、西郷や板垣退助らが政府を去る結果となります。
これにより、政府内の路線対立が表面化し、後の自由民権運動へとつながる流れが生まれました。
岩倉使節団の帰国
欧米を視察していた岩倉使節団が帰国し、その経験をもとに近代化政策がさらに加速していきます。
つまり1873年は、国家の仕組みが整う一方で、政治的対立も生まれた年でした。
この年の重要人物
1873年は、徴兵令や地租改正などの制度改革が進む一方で、征韓論をめぐる対立によって政府が分裂した年です。この大きな転換を動かした人物を整理します。
■ 制度改革(近代国家の整備)
- 大久保利通
内政優先を掲げ、徴兵制や税制改革など近代国家の基盤整備を主導した - 木戸孝允
制度改革を推進し、国家の近代化に深く関与した - 山県有朋
徴兵制の導入に関わり、近代軍の基礎を築いた
■ 征韓論派(対外強硬論)
- 西郷隆盛
朝鮮への使節派遣を主張し、対外強硬路線を掲げたが、対立の末に下野した - 板垣退助
征韓論を支持し、後に自由民権運動へとつながる動きを見せる - 江藤新平
政府内で強硬な立場を取り、政変後に辞職した
■ 政府中枢(内治優先)
- 岩倉具視
征韓論に反対し、内政の充実を優先する方針を主導した - 三条実美
政府首脳として政局の調整にあたった
出来事・事物起源・話題
- 1月1日
- 太陽暦実施(陰陽暦の廃止)
- 1月9日
- 全国鎮台配置を改めて東京、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本に置く
- 1月10日
- 徴兵令発布
- 1月15日
- 公園設立の布告初めて出る
- 1月15日
- 東京師範学校に附属小学校設立
- 1月22日
- 華士族と平民の相互養子縁組許される、また比丘尼の蓄髪、帰俗縁付も許される
- 1月29日
- 紀元節祝日の始(後に2月11日と改める)
- 1月31日
- イタリア及びオランダの全権大使に佐野常民任命される
- 2月7日
- 明治政府、仇討ちの事一切禁止じる
- 2月7日
- ロシアに初めて公使を置く(初代公使は澤宣嘉)
- 2月9日
- 大蔵少輔井上馨、造幣寮(現在の造幣局)の全職員の丁髷を切り洋服を着させる通達を出す
- 2月17日
- 証券印紙初めて発行される
- 2月24日
- 切支丹(キリシタン)禁制の高札を撤去
- 2月27日
- 外務卿副島種臣、特命全権として清国に派遣される(朝鮮及び台湾の清国干渉の絆を絶たしむ)
- 3月3日
- 琉球国王尚泰を「琉球藩王」と定める命を受けた使節が那覇港に到着
- 3月3日
- 皇后、鉄漿(かね)を剥ぎ、黛(まゆずみ)を落として旧来の風習を改める
- 3月7日
- 神武天皇即位日を紀元節と称する
- 3月11日
- 岩倉使節団、ビスマルクと会見
- 3月12日
- 台湾問題に就いて清国と談判のため、特命全権大使副島種臣が横浜を出港
- 3月14日
- 外人との結婚を許可
- 3月17日
- 最初の海底電信が馬関海峡に開通する
- 3月20日
- 明治天皇、率先して断髪する
- 3月25日
- 最初の公園に上野、浅草、深川、飛鳥山、芝の五公園を決定
- 3月30日
- 砂糖の自由貿易初めて許される(従来は国内産出少なかったため制限されていた)
- 4月9日
- 皇后、向島の桜を観給う
- 4月18日
- 全国電線付近にて凧を飛ばすを禁ずると工部省発令(凧のため電線被害が多し)
- 4月29日
- 明治天皇、習志野原に行幸(近衛兵の演習を観覧)
- 4月30日
- 特命全権大使副島種臣、天津において李鴻章と日清条約を締結調印する
- 5月1日
- 万国博覧会に初めて日本参加
- 5月10日
- 最初の陸軍大将に西郷隆盛任命(現制の陸軍階位ではない)
- 5月26日
- 特命全権副使大久保利通、帰朝
- 6月4日
- 各府県へ御真影下賜
- 6月11日
- 第一国立銀行設立(日本初の銀行)
- 6月13日
- 外国人訴訟規則を定め、改定律令領布される(磔の刑、晒首などの旧制を廃する)
- 6月15日
- 伊予灘釣島の燈台竣工する
- 6月15日
- ハンブルグ出帆のドイツ商船ロベルトソン号が沖縄県宮古島沖で台風に遭難
- 6月24日
- 皇后宮、英照皇太后宮が富岡製糸場行啓
- 6月24日
- 明治2年以来の衆議院の制を廃し、左院に属す
- 6月28日
- 地方の農民、徴兵令に「血税」の文字があるのを誤解して動揺する
- 7月2日
- 靴製造販売広告初めて新聞紙上に現われる(東京築地、伊勢勝の広告、郵便報知紙上に見える)
- 7月18日
- 従来混同する「布告」と「布達」の区別を初めて整然と定める
- 7月19日
- 鎮台条例改正、東京、佐倉、新潟、仙台、青森、名古屋、金沢、大阪、大津、姫路、広島、丸亀、熊本、小倉の14師管を置き、これを6軍管に隷す
- 7月20日
- 鉱業制度確立の為、日本坑法布告
- 7月26日
- 東京両国の花火大会復興する
- 7月28日
- 地租改正条令を布告
- 8月1日
- 官吏に初めて暑中休暇を与える
- 8月3日
- 西郷隆盛を遣韓大使となすの廟議決す(ただし岩倉具視帰朝を待てとの御沙汰)
- 8月9日
- 停車場の雑品販売を許す
- 8月17日
- 朝議、西郷隆盛を朝鮮派遣に内定する
- 9月3日
- 木戸孝允、朝鮮及び台湾征討に反対し、内治の急を説く
- 9月13日
- 特命全権大使岩倉具視の一行、欧州より帰朝する(翌日参内復命)
- 9月15日
- 新橋・横浜間の鉄道に初めて貨車運転開始(従来は客車のみであった)
- 9月30日
- オランダに公使館開設
- 10月9日
- 東京の開成学校(東京大学の前身)開校式場に、明治天皇臨御し給う
- 10月14日
- 祝祭日を官庁の休日となす制度定められ、太政官より布告
- 10月14日
- 岩倉具視、西郷隆盛らと征韓論意見衝突
- 10月19日
- 新聞紙発行規則定められる
- 10月19日
- 東京に初めて公園を設置(浅草、増上寺、上野台地、富岡八幡、飛鳥山の五地)
- 10月22日
- 西郷隆盛、板垣退助、副島種臣、桐野利秋ら、岩倉具視邸にて征韓論の正面衝突
- 10月23日
- 岩倉具視参内して、三条実美、西郷隆盛らの「征韓論」を奏陳し意見書を上げる
- 10月24日
- 明治天皇、征韓論を退ける(西郷隆盛、参議・近衛都督を辞職)
- 10月25日
- 征韓論敗れ、副島種臣・板垣退助・江藤新平ら参議を辞職(後を追って辞職するもの100余名に及ぶ)
- 10月28日
- 西郷隆盛、官を辞し鹿児島帰郷
- 11月3日
- 祭日に国旗掲揚の制を定める
- 11月4日
- 外国語学校を東京に設立する
- 11月10日
- 内務省を設置
- 11月19日
- 初めて郵便はがき発行される
- 11月24日
- 山田顕義少将を清国公使に任命
- 12月9日
- 東京小網町の大火(約5,000戸焼失)
- 12月20日
- 各府県に命じ里程を測定させる
- 12月25日
- 島津久光を内閣顧問に任命、屯田兵設置許可される
- 12月31日
- 徳川慶喜、大臣を辞す
生活の話題
衣
- 各県断髪令続く
- 天皇断髪し、皇后かね黛をおとす
- 東京の家庭でメリヤス製造はやる
- 貂兎の毛布が都市に流行し、輸入額15万円を超える
- 金銀指輪の使用者多くなる
- 佐野常民、オーストラリア万国博覧会に出張、石鹸製造法を習得
食
- ラムネ飲用行われる
- 牛屠殺取締強化を布告
- 築地に精養軒できる
- 甲府の野口正章、ビール製造を始める
- 前田松之助、バター製造を始める
- 神戸に米集まり、米の輸出盛んになる
- 大阪に各種の洋酒を製造するものあり
- キッコウマン醤油瓶詰をウイン博覧会に出品する
住
- 京橋・新橋間の銀座通り煉瓦造二階建ての洋風街となる
- 横浜の一部に木樋の上水道通水
- 勧工寮で不熔白煉化石の製造を始める
- 新潟の石油東京に出荷される
- 舶来油絵・写真額販売の新聞広告を横浜の商店新聞に出す
その他
- 太陽暦の採用と共に、五節句を廃止、新国祭日を定める
- 陸軍6鎮台設置、兵員数を定める
- 東京・長崎間電信線架設
- 仇討禁止令公布
- 浅草公園設置より、各地に公園設置される
- 道路並木の濫伐禁止
- 郵便脚夫のピストル携帯始まる
- 大阪で道路妨害禁止
- 飛脚の営業禁止
- 徴兵令等不安のため各地に擾乱起こる
- 官吏、暑中休暇実施
- 爪印花押の禁止
- 火葬禁止令公布(明治8年5月解禁)
- 地租改正条例公布
- 浅草に新聞雑誌所開く
- 外人、自家用馬車譲りたしの新聞広告出る
- 勧工寮内に女工伝習所を設立
- 王子製紙・築地活版製造所・二本松製糸創立
この年のポイントまとめ
- 徴兵令により、国民皆兵の近代軍隊が成立した
- 地租改正により、安定した税制と財政基盤が整った
- 明治六年の政変により、政府内の対立が表面化した
- 岩倉使節団の帰国により、近代化政策が本格化した
1873年は、日本が近代国家としての制度を整えた重要な年です。
軍事・財政の仕組みが整備され、国家としての基盤が強化されました。
しかしその一方で、政府内では進むべき方向をめぐる対立が表面化し、政治の新たな課題も生まれることになります。
この年を理解することで、明治政府が「制度の整備」と「政治的対立」という二つの課題を同時に抱えていたことが見えてきます。
また、その後の自由民権運動や士族反乱へとつながる流れを理解する重要な鍵となります。
1873年のよくある質問 Q&A
Q. 1873年とはどんな年ですか?
1873年は、徴兵令や地租改正などの重要な制度改革が行われ、 日本の近代国家としての基盤が整った年です。
Q. 徴兵令とは何ですか?
徴兵令とは、満20歳以上の男子に兵役の義務を課す制度です。 武士に代わる国民軍が誕生しました。
Q. なぜ徴兵制が必要だったのですか?
近代国家として外国に対抗するためには、 全国民による軍隊が必要だったためです。
Q. 地租改正とは何ですか?
地租改正は、土地に対して税金を課す制度です。 国家の安定した財政基盤を築くために行われました。
Q. 当時の人々の反応はどうでしたか?
徴兵制や税制改革に対して反発もあり、 一揆や反乱が起こる原因にもなりました。
Q. なぜ1873年は重要なのですか?
軍事と財政の制度が整い、 近代国家としての実質的な体制が完成したためです。
Q. 1873年の出来事はその後どうつながりますか?
国家制度が整い、
1889年の憲法制定へとつながっていきます。
→ 1889年(憲法制定)を見る
Q. 他に重要な出来事はありますか?
征韓論争が起こり、 明治政府内で大きな政治対立が生まれました。
Q. 1873年の重要人物は誰ですか?
大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允などが重要人物です。
Q. 1873年は日本にとってどんな意味がありますか?
1873年は、軍事・財政・政治の制度が整い、 近代国家としての基盤が完成した年です。
