1906年(明治39年)は、日露戦争後の日本が「大陸へ進出し始めた年」です。
この年、日本は戦争で得た権益をもとに満州経営へ本格的に乗り出し、その中心として南満州鉄道株式会社(満鉄)を設立しました。
一方で国内では、税負担の増加や生活の圧迫を背景に、都市部で暴動が発生するなど、社会の不安も広がっていきます。
つまり1906年は、「対外進出が進む日本」と「国内に不満がたまる日本」が同時に存在した転換点といえます。
日露戦争の勝利後、日本は何を進めていったのか?
戦後の処理と国内整備が進み、日本は新たな段階へと進みます。
明治維新からこの年に至るまでの流れを時系列で確認できます。
Q. 1906年は何が起きた?
A. 南満州鉄道株式会社(満鉄)が設立されました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 日本が満州経営を本格的に開始したためです。
Q. この後どうなる?
A. 対外政策がさらに進み、日本の影響力が拡大していきます。
→ 1907年(戦後拡張)を見る
目次
1906年の重要出来事
- 南満州鉄道株式会社(満鉄)が設立された
- 初代韓国統監として伊藤博文が就任した
- 日露戦争後の満州経営と大陸進出が本格化した
- 鉄道・重工業・軍需産業の発展がさらに進んだ
- 日本が帝国国家として東アジアへの影響力を強めた
出来事・事物起源・話題
- 1月7日
- 西園寺公望内閣が成立する
- 1月14日
- 乃木希典第三軍司令官が東京に凱旋する
- 1月29日
- 札幌・日本・大阪のビール三社が合併を発表する
- 1月31日
- 伊東祐亨、野津道貫大将へ日露戦争の功により元帥号が下賜される
- 2月9日
- 巨砲主義最初のイギリス戦闘艦「ドレッドノート」が進水する
- 2月17日
- 坪内逍遥らの文藝協会が発足する
- 2月18日
- 福島県平町で大火が起こる(570戸)
- 2月19日
- 英国皇太子コンノート殿下が来朝される
- 2月20日
- コンノート殿下が参内し、最高位のガーター勲章を捧呈する
- 2月22日
- 日本・ハワイ間修交通商条約が公布される
- 2月24日
- 日本社会党第一回大会が開かれる(日本社会党結党)
- 3月1日
- 振替貯金制度が実施される
- 3月2日
- 非常特別税法が改正される
- 3月15日
- 堺利彦が「社会主義研究」を創刊する
- 3月15日
- 東京市電値上げ反対運動が激化し、電車を焼き打ち、軍隊が出動する
- 3月17日
- 台湾で大地震が起こり、死者1,110人余を出す
- 3月31日
- 鉄道国有法が公布される
- 4月4日
- 徳富蘆花がロシアの文豪トルストイを訪問するため横浜を出帆する(7月、両氏会見)
- 4月7日
- 廃兵院法が公布される
- 4月11日
- 華族女学校を学習院に併合する
- 4月29日
- 「日露戦役凱旋」記念切手が発行される
- 4月30日
- 日露戦役凱旋大観兵式が青山練兵場(現在の明治神宮外苑)で挙行される
- 5月1日
- 横浜三渓園が市民に開放される
- 5月5日
- 第一回全国小学教員大会が開かれる
- 5月11日
- 満州軍参謀福島安正少将が、ロシアの満州参謀次長オラノフスキーと会見する(満州鉄道の授受開始)
- 5月20日
- 鉄道総哩数5,000哩(マイル)開通を記念し、盛大な祝賀会が名古屋市で挙行される
- 5月22日
- 元老会議で満州問題が協議される
- 5月28日
- 幸徳秋水が「世界革命運動の潮流」を演説する
- 6月1日
- ロシアより北緯50度以南の樺太を受領する
- 6月1日
- 日米間海底電信の布設が竣工する
- 6月7日
- 南満州鉄道会社設立勅令が公布される
- 6月9日
- 文相牧野伸顕が、戦後の学生風紀に関して訓令を発する
- 6月9日
- 林権助を清国公使に任命する
- 6月11日
- 京都帝国大学に文科大学が開設される
- 6月12日
- エスペラント協会が創立される
- 6月26日
- 日米直通海底有線電話が開通する
- 7月1日
- 京釜・京仁鉄道を買収する
- 7月11日
- 新潟県直江津で大火が起こる
- 7月13日
- 南満州鉄道株式会社に、参謀総長児玉源太郎を委員長とする設立委員会を設置する
- 7月23日
- 児玉源太郎が没する(享年55歳)
- 7月24日
- 逓信省において女子判任官任用の新例が開かれる
- 8月1日
- 日米間の海底電線による通信が開始される
- 8月1日
- 愛知県豊橋に市制が実施される
- 8月8日
- 佐世保港内に沈没していた戦艦「三笠」が浮揚される
- 8月18日
- 呉海軍工廠の職工が、戦時手当の廃止に反対して騒擾を起こす
- 9月1日
- 煙草「ゴールデンバット」が発売される
- 9月1日
- 関東庁が開設される(初代総督に大島義昌を任命し、以後毎年この日を関東庁の始政記念日とする)
- 9月1日
- 東京に廃兵院が開設される(初代院長に川崎虎三中佐を任命)
- 9月1日
- 三重県宇治山田に市制が実施される
- 9月5日
- 「革命評論」が創刊される
- 9月10日
- 南満州鉄道会社(満鉄)が株式募集を開始する
- 9月24日
- 南米最初の日本商店がサンパウロに開店する(野間貞七郎経営の藤崎商会)
- 10月11日
- 東京帝国大学医学部に初めて整形外科の一科を開設する
- 10月11日
- アメリカのサンフランシスコで、日本児童排斥問題が起こる
- 10月11日
- 夏目漱石が第1回「木曜会」を開く
- 11月5日
- 日本・チリ間通商航海条約が調印される
- 11月22日
- ロシアでストルイピンの農業改革が行われる
- 11月26日
- 南満州鉄道株式会社が設立される(初代総裁は後藤新平)
- 11月27日
- 東京市会にて電車市営化を可決する
- 12月6日
- 日本最初の地下鉄道計画書が東京で立てられる
- 12月13日
- エチオピアに関する英仏協定が結ばれる
- 12月14日
- 大阪砲兵工廠の賃上げ運動を憲兵・警官が弾圧する
- 12月16日
- 東京赤坂に国語擁護会が創立される
- 12月19日
- 教育会議にて義務教育延長が可決される
- 12月20日
- 英国コンノート殿下が来日される
- 12月26日
- 『大日本史』編纂の大事業が完成する
この年に始まったこと
1906年(明治39年)は、日露戦争後の戦後経営が本格化した年です。満州経営や鉄道整備など、日本の大陸進出と産業発展を支える新たな組織や事業が動き始めました。
- 南満州鉄道株式会社(満鉄)が設立された
日本の満州経営の中核となる南満州鉄道株式会社が設立されました。 - 満鉄による満州開発が始まった
鉄道経営だけでなく、都市開発や産業振興を含む本格的な満州経営が始まりました。 - 鉄道国有化が始まった
鉄道国有法が公布され、主要私鉄を国有化する政策がスタートしました。 - 南樺太統治が始まった
ポーツマス条約によって獲得した南樺太で、日本による行政運営が本格化しました。 - 戦後経営の新体制が始まった
日本は日露戦争後の権益を活用し、経済発展と対外進出を進める国家戦略を本格化させました。
1906年は、「満鉄と戦後経営が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1906年(明治39年)は、日露戦争後の日本が「戦後経営」と植民地支配を本格化させた年でした。南満州鉄道株式会社設立などによって大陸進出が進み、日本は帝国国家としての色をさらに強めていきます。
南満州鉄道株式会社によって満州経営が始まった
1906年、日本は南満州鉄道株式会社(満鉄)を設立しました。鉄道経営だけでなく、調査・開発・都市整備なども担い、日本の満州支配を支える重要機関となっていきます。
満鉄によって日本の大陸進出が本格化した
南満州鉄道株式会社は、日本の経済・軍事・外交政策と深く結びついていました。これによって日本は、中国東北部への影響力拡大をさらに進めていきます。
鉄道国有法によって国内交通網が再編された
1906年には鉄道国有法が制定され、多くの私鉄が国有化されました。政府主導で鉄道網を整備することで、軍事輸送や経済発展を支える体制が強化されていきます。
韓国統監府によって韓国支配が強化された
伊藤博文が統監として韓国統治を進め、日本の韓国への影響力はさらに強まりました。韓国は徐々に日本の保護国化が進み、後の韓国併合へつながっていきます。
戦後経営によって財政負担が重くなった
日露戦争後、日本政府は膨大な戦費負担への対応を迫られていました。軍備維持や大陸政策を進める一方で、国民生活には重税や経済負担がのしかかっていきます。
帝国国家としての日本が拡大路線へ進み始めた
日露戦争勝利後、日本は東アジアでの勢力拡大を本格化させました。1906年は、日本が「近代国家」から「帝国国家」へ大きく変化し始めた重要な一年でした。
この年の重要人物
1906年(明治39年)は、日露戦争後の戦後経営が本格化した年です。南満州鉄道株式会社(満鉄)が設立され、日本は満州経営へ乗り出しました。また、韓国統監府が設置され、日本の対外政策は新たな段階へ進みました。戦後日本の進路が定まったこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 後藤新平
初代満鉄総裁に就任し、満州経営の中心人物となりました。日露戦争後の日本の大陸政策を象徴する存在です。 - 伊藤博文
初代韓国統監として韓国統監府を率いました。日韓関係の新たな体制づくりを担った重要人物です。 - 児玉源太郎
満鉄設立や戦後処理に深く関わりました。日露戦争後の国家戦略を考えるうえで欠かせない人物です。 - 桂太郎
内閣総理大臣として戦後経営を主導しました。日露戦争後の日本の進路を決定づけた政治家です。
この年を彩った人物
- 夏目漱石
『坊っちゃん』を発表しました。松山を舞台とした作品としても知られ、近代文学を代表する作品の一つとなりました。
総じて、この時期の日本は、国際的な舞台での地位を固めるため、また国内での近代化を進めるためのさまざまな取り組みを行っていました。
総理大臣
桂太郎(明治34年6月2日~明治39年1月7日)
西園寺公望(明治39年1月7日~明治41年7月14日)
生活の話題
衣
- ゴム底の地下足袋現れる
- 肩掛は防寒具というよりも装飾品として流行するに至る
- 大阪十合呉服店・白木屋呉服店、下関に臨時出張販売する
食
- 銀座にできた台湾コーヒー店が女給をおいて成功
住
- 下関市水道竣工
- 博多ガス会社開業
文学
- 『婦人世界』創刊(1月)
その他
- 振替貯金事務開始
- 鉄道国有法公布
- 鉄道五千哩記念祝賀
- 東京市街鉄道三社合併成立
- 東京市街電車値上反対市民大会、電車焼打ち騒ぎあり
- 金銭登録器を初めて輸入
- 阪神電車開通
- 救世軍本部で無料宿泊・職業紹介を開始
- 新橋・下関間急行列車開始
- 年賀郵便特別取扱開始
地方の出来事
東北
- 石川啄木が郷里渋民村に帰って小学校の代用教員になる(岩手)
- 大湊海軍修理工場でストライキおこり軍隊が出動する(青森)
関東
- 水戸藩ではじめられた『大日本史』の編修が完成する(茨城)
近畿
- 新橋・神戸間に最大急行列車(13時間)運転をはじめる
- 高野山が女人と肉食の禁制を解く(和歌山)
四国
- 四国幹線(琴平・須崎間およびこれと徳島を連絡する線)の建設が決まる
九州
- 高島炭坑でガス爆発がおこり、坑夫ら256名死亡
1906年のポイントまとめ
- 南満州鉄道株式会社(満鉄)が設立された
日本は南満州鉄道株式会社を設立し、満州経営と大陸進出を本格化させました。 - 韓国統監府が設置された
伊藤博文が初代韓国統監に就任し、日本は韓国への支配をさらに強めていきました。 - 日露戦争後の軍備拡張が続いた
戦後も日本は列強との競争を意識し、海軍・陸軍の強化を継続しました。 - 戦後経営による社会不安も広がった
戦費負担や物価上昇によって国民生活は厳しさを増し、社会問題も表面化していきました。 - 日本が本格的な帝国主義国家へ進み始めた年であった
1906年は、満州経営と韓国支配強化によって、日本の大陸進出が本格化した重要な年でした。
1906年は、日露戦争後の日本が大陸進出を本格化させた年でした。 満鉄設立や韓国統監府設置によって、日本は東アジアでの影響力を急速に拡大していきます。 その一方で、戦後経営による国民負担も増加し、日本社会は新たな時代の課題へ直面し始めていました。
1906年のよくある質問 Q&A
Q. 1906年とはどんな年ですか?
1906年は、日露戦争後の処理が進み、 日本が満州経営を本格的に開始した年です。
Q. 南満州鉄道とは何ですか?
満州での鉄道運営や経済活動を担う企業で、 日本の対外進出の拠点となりました。
Q. なぜ満州経営が重要だったのですか?
経済利益と戦略的拠点の確保のため、 日本にとって重要な地域だったためです。
Q. 日本への影響は何ですか?
経済活動が拡大する一方で、 対外関係の緊張も高まりました。
Q. なぜ1906年は重要なのですか?
戦争の勝利を受けて、 日本が実際に勢力拡大を進めた年だからです。
Q. 1906年の出来事はその後どうつながりますか?
日本の対外進出が加速し、
1907年以降の政策へとつながります。
→ 1907年(拡張政策)へ
Q. 他に重要な流れはありますか?
日本は列強としての地位を維持しつつ、 国際政治に積極的に関与していきました。
Q. 1906年の重要人物は誰ですか?
桂太郎、小村寿太郎などが重要人物です。
Q. 1906年は日本にとってどんな意味がありますか?
1906年は、戦争の勝利を実際の国益へと変え、 日本が列強として行動し始めた年です。
戦後の再編は、日本の発展にどうつながっていくのか?
制度整備と国力強化を背景に、日本は近代国家としてさらに成長していきます。
明治後期の流れをあわせて理解できます。
