1892年(明治25年)の出来事

総選挙と選挙干渉問題

今から134年前の出来事

この年の位置づけ

政党政治の拡大

総選挙や政党活動が活発化し、日本の議会政治は徐々に成熟していきました。政府と政党の対立も続きます。

1892年(明治25年)は、議会政治が始まった日本において、政治のあり方が大きく問われた年です。

この年、第2回衆議院議員総選挙が行われましたが、政府による選挙干渉が各地で問題となり、騒乱や対立が激化しました。

さらに、保安条例の実施などによって政治運動の取り締まりも強化され、自由と統制のせめぎ合いが一層表面化していきます。

つまり1892年は、「議会政治の出発期において、政治の公正さと国家の統制がぶつかった年」といえます。

まず全体を把握

なぜ議会政治の中で激しい対立が起きたのか?

選挙干渉などを通じて、日本の議会政治は大きな混乱と対立を経験します。
明治維新からこの年に至るまでの政治発展の流れを時系列で確認できます。

明治時代の流れを一気に理解する →
1892年のポイントQ&A

Q. 1892年は何が起きた?
A. 第2回衆議院総選挙が行われ、政府による選挙干渉が問題となりました。

Q. なぜ重要なのか?
A. 議会政治の運営が大きな試練に直面したためです。

Q. この後どうなる?
A. 政治が安定に向かい、1894年に条約改正と戦争へ進みます。
1894年(日清戦争・条約改正)を見る

1892年の重要出来事

  • 第2回衆議院議員総選挙で選挙干渉問題が発生した
  • 政府と民党の対立が激化し、議会政治が混乱した
  • 松方正義内閣による強硬な政治運営が進められた
  • 鉄道・通信など近代インフラ整備が全国で進展した
  • 立憲国家としての政治制度運営が試行錯誤を続けた

この年に始まったこと

スポンサーリンク

1892年(明治25年)は、帝国議会開設後の政治運営が本格化し、政党と政府の関係が新たな段階へ入った年です。また、鉄道や通信など近代国家を支えるインフラ整備も進められました。

  • 第2回衆議院議員総選挙が実施された
    帝国議会開設後初めての本格的な総選挙が行われ、議会政治の運営が新たな段階へ入りました。
  • 政党と政府による本格的な議会運営が始まった
    政党勢力が議会内で影響力を強め、政府との駆け引きを通じた政治運営が始まりました。
  • 鉄道網の全国展開が本格化した
    各地で鉄道建設が進み、人や物の移動を支える近代交通網の整備が加速しました。
  • 衆議院中心の政治対立が始まった
    予算案や政策をめぐり、政府と民党勢力の対立が本格化しました。
  • 議会政治の実践段階が始まった
    憲法や制度を整える段階から、それらを実際に運用する時代へ移行しました。

1892年は、「議会政治が本格的に動き始めた年」でした。

この年は何が変わったのか

1892年(明治25年)は、議会政治が本格化する中で、政府と政党勢力の対立がさらに激しくなった年でした。一方で、対外政策への関心も高まり、日本は東アジア情勢へ深く関わり始めていきます。

第二回衆議院議員総選挙によって政党対立が激化した

1892年に行われた第二回衆議院議員総選挙では、政府による選挙干渉が大きな問題となりました。各地で暴力事件も発生し、日本の議会政治は激しい対立の中で進められていきます。

選挙干渉によって政府批判が高まった

政府は与党勢力を有利にするため警察力などを利用したと批判されました。この問題によって、政府と政党勢力の対立はさらに深まっていきます。

伊藤博文による藩閥政治が続いた

明治政府では薩摩藩・長州藩出身者を中心とする藩閥政治が続いていました。一方で政党側は、議会を通じて政府への影響力拡大を目指していきます。

自由党と立憲改進党が議会政治を支え始めた

自由党や立憲改進党などの政党勢力は、帝国議会内で存在感を強めていきました。日本の政党政治はまだ未成熟でしたが、徐々に議会中心政治への流れが形成されていきます。

朝鮮問題への関心が高まり始めた

日本国内では、朝鮮半島をめぐる清との対立への関心が強まっていきました。東アジア情勢は不安定化し、後の日清戦争へつながる空気が形成され始めます。

立憲政治の課題が表面化した

議会開設後、日本では政党・政府・藩閥勢力の対立が続いていました。1892年は、近代議会政治の難しさと課題が明確になり始めた一年でした。

出来事・事物起源・話題

1月28日
選挙取締りを目的とする予戒令公布
2月3日
出口なを、大本教を開く
2月5日
大村益次郎銅像の除幕式
2月11日
福島安正、ドイツベルリンを出発(シベリア横断への発途)
2月15日
第二回臨時総選挙(選挙運動中、政府の干渉により各地で騒乱)
2月21日
日本初の日刊紙「東京日日新聞」創刊(現毎日新聞)
2月23日
伊藤博文、干渉責任者の処分を主張し枢密院議長の辞表提出
2月24日
伊藤博文、選挙干渉に反対、枢密院議長の辞表提出
3月4日
帝国大学教授久米邦武「神道は祭典の古俗」の論文により休職
3月11日
内相品川弥二郎、選挙干渉の責任をとり辞職
4月10日
東京神田の大火(約4,000戸焼失)
4月17日
大日本蚕糸会社創立
5月2日
第三特別議会召集
5月10日
最初の養蚕学校、長野県小県に設立(三吉校長一棟の民家にて授業開始)
5月21日
保安条例を実施し、壮士143名に対し帝都より退去を命じる
6月4日
日本初の水力発電所が京都市水利事務所開業(総工費30万円にて竣工)
6月14日
両院協議会、予算修正につき妥協、両院で可決
6月16日
小包郵便法公布
6月17日
東京の日本赤十字社病院、新築落成(皇后行啓、開院式を行う)
6月20日
川上音二郎一座、東京に初めて壮士芝居を開演(満都の人気を集め大当たり)
6月26日
弁護士総会初めて東京に開催
7月13日
海軍造兵廠5,000名スト
7月15日
震災予防調査会を設置
7月22日
徳島県下の大水害
7月30日
選挙干渉により、松方内閣総辞職
8月8日
第二次伊藤博文内閣成立(元勲内閣)
8月17日
露仏軍事協定成立
10月1日
小包郵便取扱(小包郵便法実施)
10月19日
東京九段の大村益次郎銅像竣工(除幕式は翌年2月5日執行)
10月22日
最初の特別大演習栃木県に開かれ、明治天皇統監(26日観兵式)
11月1日
黒岩涙香が新聞「万朝報」を創刊
11月6日
大井憲太郎、東洋自由党結党
11月14日
山田顕義死去
11月25日
第四通常議会召集
11月27日
伊藤博文、交通事故に遭遇(伊藤の人力車が馬車と衝突、伊藤気を失う)
11月30日
北里柴三郎博士により最初の伝染病研究所を芝公園内に設置(福沢諭吉、無償にて別邸を貸与える)
11月30日
軍艦「千島」、英船ラヴェンナと衝突沈没(乗務員70余名溺死)
12月1日
正岡子規、新聞「日本」に入社

総理大臣

伊藤博文(明治25年8月8日~明治29年8月31日)

生活の話題

  • 雪駄が芸人、洒落者の間に大流行、女物のしゃれた下駄も行わる
  • 襟巻に毛糸製品が多くなる(年末から)
  • ゴム細工の花かんざし現る
  • 大坂の森田利兵衛カバン類の口金製造を始める
  • アメリカからワニ革製品を輸入

  • 安価な支那卵の輸入始り、内地養鶏大打撃をうける
  • 宇都宮大演習の際、横浜のビール商明治屋は宇都宮に出張して莫大な利益をあげた

  • 東京浅草に陶器製の標札を考案、専売特許をとるものあり
  • 箱根電燈所開業

地方の話題

北海道

  • 日本郵船が根室国花咲より択捉島への試航に成功する
  • 日本郵船が北海道より樺太にわたる航路を開始する

東北

  • 久六島鮑岩の帰属問題で青森・秋田の漁民が争う
  • 酒田の本間家が政界にのりだし、紛争をひきおこす(山形)

関東

  • 足尾鉱毒事件について田中正造が衆議院に質問書を出す(栃木)
  • 碓氷峠でアプト式機関車の試運転をおこなう(群馬)

中部

  • 曹洞宗が越前永平寺派と能登総持寺派に分裂する

四国

  • 衆議院議員総選挙で高岡郡斗賀野で国民派と破壊派壮士500名が乱闘をおこす(高知)
  • 高知県下に保安条例が施行される
  • 徳島県下に津波・山崩れ・大洪水が起こり大災害をだす
  • 松山沖で水雷砲艦「千島」がイギリス船と衝突し沈没する

この年のポイントまとめ

  • 政治:第二回総選挙で選挙干渉が問題化
  • 政府:内相辞職など政治的混乱が拡大
  • 制度:議会政治が本格的に運用段階へ移行
  • 社会:新聞・教育の普及で政治意識が高まる
  • 産業:養蚕など地域産業が発展

まとめると「議会政治が動き出す中で、その未成熟さが露呈した年」

1892年は、日本の議会政治が制度から実際の運用へと移行した重要な転換点の年です。
この年を理解することで、その後の政党政治の発展や政府との対立の流れがより明確に見えてきます。

1892年のよくある質問 Q&A

Q. 1892年とはどんな年ですか?

1892年は、第2回衆議院総選挙が行われ、 選挙干渉が大きな問題となった年です。

Q. 第2回衆議院総選挙とは何ですか?

帝国議会開設後2回目の総選挙で、 日本の議会政治が定着する過程で行われました。

Q. 選挙干渉とは何ですか?

政府や警察が選挙に介入し、 特定の候補者を有利にしようとした行為です。

Q. なぜ選挙干渉が起きたのですか?

政府が議会での影響力を強めるため、 選挙結果に関与しようとしたためです。

Q. 当時の状況はどうでしたか?

衝突や混乱も発生し、 議会政治の未成熟さが露呈しました。

Q. なぜ1892年は重要なのですか?

議会政治の課題が明らかになり、 政治体制の成熟に向けた転機となったためです。

Q. 1892年の出来事はその後どうつながりますか?

政治の安定化が進み、 1894年には条約改正と日清戦争へと進みます。
1894年(対外転換)を見る

Q. 他に重要な流れはありますか?

政党と政府の関係が調整され、 議会政治の基盤が徐々に整っていきました。

Q. 1892年の重要人物は誰ですか?

伊藤博文、板垣退助、大隈重信などが重要人物です。

Q. 1892年は日本にとってどんな意味がありますか?

1892年は、議会政治の課題が浮き彫りとなり、 近代政治の成熟に向かう過程の重要な年です。

次に読むなら

議会政治の対立は、その後どのように変化していくのか?

政党政治は徐々に発展し、日本は対外戦争とともに近代国家として成長していきます。
日清戦争へ向かうその後の流れをあわせて理解できます。

明治中期から後期への流れを確認する →

時代の流れをもう少し広く見る

明治時代年表から、この年の前後をたどる

明治維新から日清・日露戦争、近代国家の形成までを時系列で整理しています。

スポンサーリンク