1892年(明治25年)は、議会政治が始まった日本において、政治のあり方が大きく問われた年です。
この年、第2回衆議院議員総選挙が行われましたが、政府による選挙干渉が各地で問題となり、騒乱や対立が激化しました。
さらに、保安条例の実施などによって政治運動の取り締まりも強化され、自由と統制のせめぎ合いが一層表面化していきます。
つまり1892年は、「議会政治の出発期において、政治の公正さと国家の統制がぶつかった年」といえます。
なぜ議会政治の中で激しい対立が起きたのか?
選挙干渉などを通じて、日本の議会政治は大きな混乱と対立を経験します。
明治維新からこの年に至るまでの政治発展の流れを時系列で確認できます。
Q. 1892年は何が起きた?
A. 第2回衆議院総選挙が行われ、政府による選挙干渉が問題となりました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 議会政治の運営が大きな試練に直面したためです。
Q. この後どうなる?
A. 政治が安定に向かい、1894年に条約改正と戦争へ進みます。
→ 1894年(日清戦争・条約改正)を見る
目次
1892年の重要出来事
- 第2回衆議院議員総選挙で選挙干渉問題が発生した
- 政府と民党の対立が激化し、議会政治が混乱した
- 松方正義内閣による強硬な政治運営が進められた
- 鉄道・通信など近代インフラ整備が全国で進展した
- 立憲国家としての政治制度運営が試行錯誤を続けた
出来事・事物起源・話題
- 1月28日
- 選挙の取り締まりを目的とした予戒令が公布される
- 2月3日
- 出口なおが大本教を開く
- 2月5日
- 大村益次郎銅像の除幕式が行われる
- 2月11日
- 福島安正がドイツ・ベルリンを出発し、シベリア横断の旅に出る
- 2月15日
- 第2回衆議院議員総選挙が行われる(選挙干渉により各地で騒乱が発生)
- 2月21日
- 日本初の日刊紙『東京日日新聞』が創刊される(現在の毎日新聞)
- 2月23日
- 伊藤博文が選挙干渉の責任者処分を求め、枢密院議長の辞表を提出する
- 2月24日
- 伊藤博文が選挙干渉に反対し、改めて枢密院議長の辞表を提出する
- 3月4日
- 帝国大学教授・久米邦武が「神道は祭天の古俗」とする論文問題で休職処分となる
- 3月11日
- 内務大臣・品川弥二郎が選挙干渉の責任を取り辞職する
- 4月10日
- 東京神田で大火が発生する(約4,000戸焼失)
- 4月17日
- 大日本蚕糸会が創立される
- 5月2日
- 第三特別議会が召集される
- 5月10日
- 日本初の養蚕学校が長野県小県郡に設立される
- 5月21日
- 保安条例が発動され、壮士143名に東京退去命令が出される
- 6月4日
- 日本初の水力発電所が京都市水利事務所に完成する
- 6月14日
- 両院協議会が予算修正案で妥協し、両院で可決される
- 6月16日
- 小包郵便法が公布される
- 6月17日
- 日本赤十字社病院の新病院が完成し、開院式が行われる
- 6月20日
- 川上音二郎一座が東京で初めて壮士芝居を上演し、大人気となる
- 6月26日
- 弁護士総会が初めて東京で開催される
- 7月13日
- 海軍造兵廠で約5,000人規模のストライキが発生する
- 7月15日
- 震災予防調査会が設置される
- 7月22日
- 徳島県で大水害が発生する
- 7月30日
- 選挙干渉問題の責任を取り、松方内閣が総辞職する
- 8月8日
- 第二次伊藤博文内閣が成立する
- 8月17日
- 露仏軍事同盟が成立する
- 10月1日
- 小包郵便の取り扱いが開始される
- 10月19日
- 東京九段に大村益次郎銅像が完成する(除幕式は翌年2月5日)
- 10月22日
- 栃木県で初の特別大演習が行われ、明治天皇が統監される
- 11月1日
- 黒岩涙香が新聞『万朝報』を創刊する
- 11月6日
- 大井憲太郎が東洋自由党を結成する
- 11月14日
- 山田顕義死去
- 11月25日
- 第四通常議会が召集される
- 11月27日
- 伊藤博文が交通事故に遭う(人力車が馬車と衝突し、一時意識を失う)
- 11月30日
- 北里柴三郎により日本初の伝染病研究所が芝公園内に設立される
- 11月30日
- 軍艦「千島」がイギリス船ラヴェンナ号と衝突して沈没し、乗組員70余名が死亡する
- 12月1日
- 正岡子規が新聞『日本』に入社する
この年に始まったこと
1892年(明治25年)は、帝国議会開設後の政治運営が本格化し、政党と政府の関係が新たな段階へ入った年です。また、鉄道や通信など近代国家を支えるインフラ整備も進められました。
- 第2回衆議院議員総選挙が実施された
帝国議会開設後初めての本格的な総選挙が行われ、議会政治の運営が新たな段階へ入りました。 - 政党と政府による本格的な議会運営が始まった
政党勢力が議会内で影響力を強め、政府との駆け引きを通じた政治運営が始まりました。 - 鉄道網の全国展開が本格化した
各地で鉄道建設が進み、人や物の移動を支える近代交通網の整備が加速しました。 - 衆議院中心の政治対立が始まった
予算案や政策をめぐり、政府と民党勢力の対立が本格化しました。 - 議会政治の実践段階が始まった
憲法や制度を整える段階から、それらを実際に運用する時代へ移行しました。
1892年は、「議会政治が本格的に動き始めた年」でした。
この年は何が変わったのか
1892年(明治25年)は、議会政治が本格化する中で、政府と政党勢力の対立がさらに激しくなった年でした。一方で、対外政策への関心も高まり、日本は東アジア情勢へ深く関わり始めていきます。
第二回衆議院議員総選挙によって政党対立が激化した
1892年に行われた第二回衆議院議員総選挙では、政府による選挙干渉が大きな問題となりました。各地で暴力事件も発生し、日本の議会政治は激しい対立の中で進められていきます。
選挙干渉によって政府批判が高まった
政府は与党勢力を有利にするため警察力などを利用したと批判されました。この問題によって、政府と政党勢力の対立はさらに深まっていきます。
伊藤博文による藩閥政治が続いた
明治政府では薩摩藩・長州藩出身者を中心とする藩閥政治が続いていました。一方で政党側は、議会を通じて政府への影響力拡大を目指していきます。
自由党と立憲改進党が議会政治を支え始めた
自由党や立憲改進党などの政党勢力は、帝国議会内で存在感を強めていきました。日本の政党政治はまだ未成熟でしたが、徐々に議会中心政治への流れが形成されていきます。
朝鮮問題への関心が高まり始めた
日本国内では、朝鮮半島をめぐる清との対立への関心が強まっていきました。東アジア情勢は不安定化し、後の日清戦争へつながる空気が形成され始めます。
立憲政治の課題が表面化した
議会開設後、日本では政党・政府・藩閥勢力の対立が続いていました。1892年は、近代議会政治の難しさと課題が明確になり始めた一年でした。
この年の重要人物
1892年(明治25年)は、第2回衆議院議員総選挙が行われ、日本の議会政治が大きな試練を迎えた年です。選挙では政府による干渉が問題となり、政府と民党勢力の対立が激化しました。一方で、政党政治が日本社会に定着し始めた重要な時期でもありました。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 松方正義
第4代内閣総理大臣として選挙を迎えました。政府主導の政治運営を進める中で、民党との対立が深まりました。 - 品川弥二郎
内務大臣として選挙を指揮しました。激しい選挙干渉が問題となり、後に辞任へ追い込まれました。 - 板垣退助
自由党の指導者として民党勢力を率いました。政府の選挙干渉に対抗し、議会政治の発展を目指しました。 - 大隈重信
立憲改進党の指導者として活動しました。議会を通じた政治改革を主張し、民党勢力の中心人物として活躍しました。
総理大臣
伊藤博文(明治25年8月8日~明治29年8月31日)
生活の話題
衣
- 雪駄が芸人、洒落者の間に大流行、女物のしゃれた下駄も行わる
- 襟巻に毛糸製品が多くなる(年末から)
- ゴム細工の花かんざし現る
- 大坂の森田利兵衛カバン類の口金製造を始める
- アメリカからワニ革製品を輸入
食
- 安価な支那卵の輸入始り、内地養鶏大打撃をうける
- 宇都宮大演習の際、横浜のビール商明治屋は宇都宮に出張して莫大な利益をあげた
住
- 東京浅草に陶器製の標札を考案、専売特許をとるものあり
- 箱根電燈所開業
地方の話題
北海道
- 日本郵船が根室国花咲より択捉島への試航に成功する
- 日本郵船が北海道より樺太にわたる航路を開始する
東北
- 久六島鮑岩の帰属問題で青森・秋田の漁民が争う
- 酒田の本間家が政界にのりだし、紛争をひきおこす(山形)
関東
- 足尾鉱毒事件について田中正造が衆議院に質問書を出す(栃木)
- 碓氷峠でアプト式機関車の試運転をおこなう(群馬)
中部
- 曹洞宗が越前永平寺派と能登総持寺派に分裂する
四国
- 衆議院議員総選挙で高岡郡斗賀野で国民派と破壊派壮士500名が乱闘をおこす(高知)
- 高知県下に保安条例が施行される
- 徳島県下に津波・山崩れ・大洪水が起こり大災害をだす
- 松山沖で水雷砲艦「千島」がイギリス船と衝突し沈没する
この年のポイントまとめ
- 政治:第二回総選挙で選挙干渉が問題化
- 政府:内相辞職など政治的混乱が拡大
- 制度:議会政治が本格的に運用段階へ移行
- 社会:新聞・教育の普及で政治意識が高まる
- 産業:養蚕など地域産業が発展
まとめると「議会政治が動き出す中で、その未成熟さが露呈した年」
1892年は、日本の議会政治が制度から実際の運用へと移行した重要な転換点の年です。
この年を理解することで、その後の政党政治の発展や政府との対立の流れがより明確に見えてきます。
1892年のよくある質問 Q&A
Q. 1892年とはどんな年ですか?
1892年は、第2回衆議院総選挙が行われ、 選挙干渉が大きな問題となった年です。
Q. 第2回衆議院総選挙とは何ですか?
帝国議会開設後2回目の総選挙で、 日本の議会政治が定着する過程で行われました。
Q. 選挙干渉とは何ですか?
政府や警察が選挙に介入し、 特定の候補者を有利にしようとした行為です。
Q. なぜ選挙干渉が起きたのですか?
政府が議会での影響力を強めるため、 選挙結果に関与しようとしたためです。
Q. 当時の状況はどうでしたか?
衝突や混乱も発生し、 議会政治の未成熟さが露呈しました。
Q. なぜ1892年は重要なのですか?
議会政治の課題が明らかになり、 政治体制の成熟に向けた転機となったためです。
Q. 1892年の出来事はその後どうつながりますか?
政治の安定化が進み、
1894年には条約改正と日清戦争へと進みます。
→ 1894年(対外転換)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
政党と政府の関係が調整され、 議会政治の基盤が徐々に整っていきました。
Q. 1892年の重要人物は誰ですか?
伊藤博文、板垣退助、大隈重信などが重要人物です。
Q. 1892年は日本にとってどんな意味がありますか?
1892年は、議会政治の課題が浮き彫りとなり、 近代政治の成熟に向かう過程の重要な年です。
議会政治の対立は、その後どのように変化していくのか?
政党政治は徐々に発展し、日本は対外戦争とともに近代国家として成長していきます。
日清戦争へ向かうその後の流れをあわせて理解できます。
