1887年(明治20年)は、日本が近代国家としての制度を整えながらも、その進め方に対する「反発」や「ゆらぎ」が表面化した年です。
明治政府は欧米に学びながら近代化を進めてきましたが、この時期になると、急速な西洋化に対する批判や社会的な摩擦も強まっていきます。
一方で、憲法制定に向けた動きは着実に進み、国家の骨格は完成へと近づいていました。
つまり1887年は、「近代化が進む一方で、その進め方への反発が強まった年」といえます。
なぜ日本は憲法制定へと進んでいったのか?
憲法制定に向けた準備は最終段階に入り、近代国家としての体制が整えられていきます。
明治維新からこの年に至るまでの政治改革の流れを時系列で確認できます。
1887年の重要出来事
憲法草案の本格検討(夏島草案)
伊藤博文らが中心となり、神奈川県夏島で憲法草案の検討が本格的に進められました。
これは後の大日本帝国憲法につながる重要な作業であり、日本の国家体制の最終設計が具体化していきます。
憲法国家への移行が現実段階に入った出来事です。
欧化政策への反発(鹿鳴館外交の批判)
政府が進めた欧化政策に対し、国内では批判が高まりました。
鹿鳴館での舞踏会など西洋化の象徴的な取り組みは、上流社会の形式的な模倣として反発を招きます。
「西洋化の限界」が意識され始めた出来事です。
東京音楽学校の設立
東京音楽学校(現在の東京藝術大学の前身)が設立され、西洋音楽教育が本格的に始まりました。
文化の分野でも近代化が進み、日本の芸術教育は新たな段階へと入ります。
生活・文化の西洋化の進展
洋服の普及や都市文化の発展など、西洋的な生活様式が広がっていきました。
一方で、こうした変化に対する違和感や反発も社会の中で強まっていきます。
地方制度・社会整備の進展
地方制度や行政体制の整備が引き続き進められ、国家としての統治基盤が強化されていきました。
制度面では着実に「完成」に近づいていきます。
この年は何が変わったのか
1887年は、日本が「近代化を進める段階」から「その方向性を問い直す段階」へと進んだ年です。
憲法草案の検討が進み、国家の制度は完成へと近づいていましたが、その一方で欧化政策に対する批判が強まり、単なる西洋の模倣ではなく、日本独自のあり方が求められるようになりました。
これはつまり、「近代化そのもの」ではなく「近代化のあり方」が問われ始めたということです。
つまりこの年は、「制度は整いながらも、その進め方に修正が求められた年」です。
この流れは、1889年の大日本帝国憲法公布へとつながり、日本は独自の近代国家体制を完成させていきます。
出来事・事物起源・話題
- 1月22日
- 東京市街に始めて営業電燈点火
- 2月3日
- リース、帝国大学史学科教師として着任(ドイツ歴史主義を紹介)
- 2月14日
- 逓信省の徽章〒(郵便マーク)印制定
- 3月14日
- 海防に関する詔勅とともに30万円下賜
- 3月23日
- 所得税法を公布する
- 3月23日
- 陸軍で初めて「伝書鳩」を飼育する
- 4月20日
- 伊藤首相、仮装舞踏会を開催
- 4月21日
- 富山市の大火(約900戸焼失)
- 4月26日
- 九代目市川団十郎、麻布井上馨邸にて「勧進帳」を演じる
- 4月30日
- 法律顧問ロェスレル「日本帝国憲法草案」を提出する
- 5月20日
- 博愛社から日本赤十字に改称
- 5月20日
- 最初の学位令公布
- 5月23日
- 榎本武揚、佐野常民ら16名の勲功により子爵を、高崎正風、井上良馨ら18名に男爵を授ける
- 6月1日
- 法律顧問ボアソナード、条約改正につき意見書を提出
- 6月2日
- 監軍部条例を改正し、監軍部を東京に置く
- 6月9日
- 板垣退助、爵位を辞す
- 6月30日
- 海軍大臣西郷従道、欧州より帰朝
- 7月3日
- 谷干城、政府批判意見書を提出
- 7月8日
- 特使、板垣退助の旅館に臨み辞爵上表を返戻(板垣天恩に感激し受爵を決意)
- 7月15日
- 板垣退助、参内して遂に受爵す
- 7月26日
- 谷干城、農商務相を辞職
- 7月29日
- 井上馨外相、各国公使に条約改正会議の無期限延期を通告
- 8月15日
- 熊本県三角港の開港式
- 8月19日
- 日本最初の皆既日食観測
- 8月20日
- 東京石川島造船所にて帝国砲艦「鳥海」の進水式(私立造船所にて帝国軍艦建造の最初の記録)
- 9月4日
- 富士山頂にて初めて気象観測行われる(中央気象台技師正戸豹之助及び雇外人クニッピングによる)
- 9月16日
- 東京の東洋大学開校
- 9月21日
- 横浜に最初の水道布設
- 9月22日
- 「児童福祉の父」石井十次、岡山孤児院を設立する
- 10月3日
- 後藤象二郎ら丁亥倶楽部を結成(大同団結運動)
- 10月5日
- 文部省に専門・普通学務局設置
- 10月5日
- 東京音楽学校開校
- 10月7日
- 日本初の上水道、横浜で給水
- 10月8日
- 陸軍大学校条例公布
- 10月15日
- 2府18県の有志、三大事件建白
- 12月6日
- 島津久光死去
- 12月9日
- 最初の大型鉄橋、隅田川吾妻橋竣工
- 12月15日
- 郡山・仙台間の鉄道開通する
- 12月16日
- 宮城(皇居)二重橋、木橋を石造改築竣工
- 12月19日
- 東京日本橋の大火(約1,700戸焼失)
- 12月26日
- 保安条令の公布・施行(星享、中島信行、中江篤介ら294名、皇居より三里以外に放逐)
- 12月28日
- 改正新聞紙条例などが公布
総理大臣
伊藤博文(明治18年12月22日~明治21年4月30日)
生活の話題
衣
- 皇后の婦人服制に関する思召書発布
- 陸海軍将校、儀式宴会に夫人同伴の時は洋装することも申合す
- 大阪市内学校の一部で洋服裁縫の授業を始める
- 三井呉服店、フランス人裁縫師を招く
- 柳原古着屋に女洋服がぶら下がるようになる
- 編物、神戸にも流行
- 商人鳥打帽子を使い始める
- 中折帽子地方の役人たちが被るようになる
- ネル製品の襟巻が多くなる
- 衣類の防虫に関する関心多くなる
- 東京毛絲紡績会社設立
食
- 千葉県で馬鈴薯の新品種の栽培を始める
- パン、ビスケットを専門に製造する木村屋開業
- 金線サイダー製造始まる
- 日本・札幌・大阪の三ビール会社設立
住
- 横浜水道竣工
- 東京電燈会社開業、市中に点灯
文学
- 『国民の友』発行(2月)
- チャンブレン著『日本小文典』刊(4月)
- 二葉亭四迷著『浮雲』第一編刊(7月)
- 中江兆民著『平民のめさまし』刊(8月)
その他
- 綿作の中止拡大する
- 国産石鹸の支那向輸出始まる
- 勧工場多し
- 馬にひかせる蒸気ポンプができる
- ゴム印発明(ただし高価のため、その普及は日清戦争後)
この年のポイントまとめ
- 憲法草案の検討が進み、国家体制が具体化した
- 欧化政策に対する批判が高まり、西洋化の限界が意識された
- 音楽教育など文化の分野でも近代化が進んだ
- 生活様式の西洋化が広がる一方で反発も生まれた
- 日本は「近代化の進行」から「近代化の再検討」へと進んだ
1887年は、近代化が進む中で、その方向性が問い直され始めた重要な年です。
この年を理解することで、1889年の憲法制定と日本独自の国家体制の形成がより明確に見えてきます。
憲法制定は、どのように完成へと至るのか?
やがて大日本帝国憲法の発布へと進み、日本は近代国家としての体制を確立していきます。
明治中期から後期への流れをあわせて理解できます。
