1887年(明治20年)は、日本が近代国家としての制度を整えながらも、その進め方に対する「反発」や「ゆらぎ」が表面化した年です。
明治政府は欧米に学びながら近代化を進めてきましたが、この時期になると、急速な西洋化に対する批判や社会的な摩擦も強まっていきます。
一方で、憲法制定に向けた動きは着実に進み、国家の骨格は完成へと近づいていました。
つまり1887年は、「近代化が進む一方で、その進め方への反発が強まった年」といえます。
なぜ日本は憲法制定へと進んでいったのか?
憲法制定に向けた準備は最終段階に入り、近代国家としての体制が整えられていきます。
明治維新からこの年に至るまでの政治改革の流れを時系列で確認できます。
Q. 1887年は何が起きた?
A. 保安条例が公布され、政府による言論統制が強化されました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 自由民権運動の抑圧が進み、政治の方向性が大きく変わったためです。
Q. この後どうなる?
A. 憲法制定が進み、1889年に公布されます。
→ 1889年(大日本帝国憲法)を見る
目次
1887年の重要出来事
- 保安条例が公布され、自由民権運動への弾圧が強化された
- 大同団結運動が進み、民権派勢力の結集が図られた
- 条約改正交渉を巡り、外国人判事任用問題が議論となった
- 政府主導による立憲国家体制整備が進められた
- 憲法発布と帝国議会開設へ向けた準備が進展した
出来事・事物起源・話題
- 1月22日
- 東京市街で初めて営業用電灯が点灯される
- 2月3日
- リースが帝国大学史学科教授として着任する(ドイツ歴史学を紹介)
- 2月14日
- 逓信省の徽章として〒(郵便マーク)を制定する
- 3月14日
- 海防に関する詔勅が下され、あわせて30万円が下賜される
- 3月23日
- 所得税法を公布する
- 3月23日
- 陸軍で初めて伝書鳩の飼育を開始する
- 4月20日
- 伊藤博文首相が仮装舞踏会を開催する
- 4月21日
- 富山市で大火が発生する(約900戸焼失)
- 4月26日
- 九代目市川團十郎が麻布の井上馨邸で『勧進帳』を演じる
- 4月30日
- 法律顧問ロェスレルが「日本帝国憲法草案」を提出する
- 5月20日
- 博愛社を日本赤十字社に改称する
- 5月20日
- 初の学位令を公布する
- 5月23日
- 榎本武揚、佐野常民ら16名に子爵位を、高崎正風、井上良馨ら18名に男爵位を授ける
- 6月1日
- 法律顧問ボアソナードが条約改正に関する意見書を提出する
- 6月2日
- 監軍部条例を改正し、監軍部を東京に設置する
- 6月9日
- 板垣退助が爵位を辞退する
- 6月30日
- 海軍大臣西郷従道が欧州視察から帰国する
- 7月3日
- 谷干城が政府批判の意見書を提出する
- 7月8日
- 特使が板垣退助の宿所を訪れ、辞爵の上表を返却する(板垣はこれに感激し受爵を決意する)
- 7月15日
- 板垣退助が参内し、爵位を受ける
- 7月26日
- 谷干城が農商務大臣を辞職する
- 7月29日
- 井上馨外務大臣が各国公使に対し、条約改正会議の無期限延期を通告する
- 8月15日
- 熊本県三角港の開港式が行われる
- 8月19日
- 日本で初めて皆既日食の観測が行われる
- 8月20日
- 東京石川島造船所で帝国砲艦「鳥海」の進水式が行われる(民間造船所による帝国軍艦建造の初期事例)
- 9月4日
- 富士山頂で初めて気象観測が行われる(中央気象台技師正戸豹之助とお雇い外国人クニッピングによる)
- 9月16日
- 東洋大学が開校する
- 9月21日
- 横浜で最初の水道が敷設される
- 9月22日
- 「児童福祉の父」と呼ばれる石井十次が岡山孤児院を設立する
- 10月3日
- 後藤象二郎らが丁亥倶楽部を結成する(大同団結運動)
- 10月5日
- 文部省に専門学務局・普通学務局を設置する
- 10月5日
- 東京音楽学校が開校する
- 10月7日
- 日本初の近代上水道が横浜で給水を開始する
- 10月8日
- 陸軍大学校条例を公布する
- 10月15日
- 2府18県の有志が三大事件建白運動を行う
- 12月6日
- 島津久光死去
- 12月9日
- 日本初の大型鉄橋である隅田川吾妻橋が完成する
- 12月15日
- 郡山・仙台間の鉄道が開通する
- 12月16日
- 宮城(皇居)の二重橋が木橋から石橋へ改築される
- 12月19日
- 東京日本橋で大火が発生する(約1,700戸焼失)
- 12月26日
- 保安条例を公布・施行する(星亨、中島信行、中江兆民ら294名が皇居から三里以内への立ち入りを禁止される)
- 12月28日
- 改正新聞紙条例などを公布する
この年に始まったこと
1887年(明治20年)は、憲法制定と帝国議会開設を目前に控え、近代国家体制の整備が進んだ年です。一方で、自由民権運動への規制も強化され、政府主導による国家づくりが新たな段階へ入りました。
- 保安条例が施行された
政府は自由民権運動を取り締まるため保安条例を公布し、政治運動への規制を強化しました。 - 条約改正交渉の新方針が始まった
外務大臣井上馨の欧化政策に代わり、大隈重信を中心とする新たな条約改正交渉が始まりました。 - 憲法発布へ向けた最終準備が始まった
伊藤博文を中心に大日本帝国憲法制定作業が最終段階へ入りました。 - 近代的な官僚国家体制が本格化した
内閣制度のもとで中央集権的な行政運営がさらに強化されました。 - 帝国議会開設準備が本格化した
憲法発布後の議会政治を見据えた制度整備が進められました。
1887年は、「憲法発布と議会開設への最終準備が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1887年(明治20年)は、憲法制定と議会開設へ向けた準備がさらに進む一方、自由民権運動への統制が強化された年でした。不平等条約改正問題も大きな政治課題となり、政府への批判が高まっていきます。
保安条例によって自由民権運動への弾圧が強化された
1887年、明治政府は保安条例を公布し、政府批判を行う民権派を東京から追放しました。これによって自由民権運動への統制はさらに強まり、政府と民権派の対立は激化していきます。
自由民権運動が転換期を迎えた
度重なる弾圧によって自由民権運動は次第に勢いを失い始めました。しかし一方で、議会政治や憲法制定を求める思想そのものは社会へ広く浸透していきます。
条約改正問題によって政府批判が高まった
外務大臣井上馨は不平等条約改正交渉を進めていましたが、外国人裁判官任用案などに国内世論は強く反発しました。条約改正問題は政府批判の大きな争点となっていきます。
鹿鳴館外交への批判が強まった
欧化政策を象徴する鹿鳴館外交に対し、「西洋に迎合しすぎている」という批判も広がっていきました。文明開化を進める一方で、日本独自の国家像を求める声も強まっていきます。
伊藤博文による憲法制定準備が最終段階へ入った
大日本帝国憲法制定へ向けた準備は大詰めを迎えていました。政府は立憲国家体制整備を急ぎ、日本型議会政治の仕組みづくりを進めていきます。
立憲国家成立前夜の空気が強まった
憲法制定、議会開設準備、政治運動弾圧などが同時に進み、日本は本格的な立憲国家成立直前の時代へ入っていきました。1887年は、近代日本政治が大きな転換点へ近づいた一年でした。
この年の重要人物
1887年(明治20年)は、条約改正交渉をめぐる議論が活発化する一方、保安条例が公布され、自由民権運動への取り締まりが強化された年です。また、翌年の枢密院設置や憲法発布へ向けた準備が進められ、近代国家としての体制整備が続きました。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 井上馨
外務大臣として条約改正交渉を進めました。しかし、外国人判事任用案などへの反発を受け、厳しい批判にさらされました。 - 伊藤博文
内閣総理大臣として憲法制定と国家制度整備を進めました。近代国家建設の中心人物として活動した年です。 - 大隈重信
立憲改進党の指導者として政府批判を続け、条約改正問題や立憲政治をめぐる議論で大きな影響力を持ちました。 - 後藤象二郎
自由民権運動の有力指導者として活動しました。保安条例による弾圧を受けながらも民権拡大を訴え続けました。
この年を彩った人物
- 二葉亭四迷
小説『浮雲』を発表しました。言文一致体による近代小説の出発点として重要な作品です。
総理大臣
伊藤博文(明治18年12月22日~明治21年4月30日)
生活の話題
衣
- 皇后の婦人服制に関する思召書発布
- 陸海軍将校、儀式宴会に夫人同伴の時は洋装することも申合す
- 大阪市内学校の一部で洋服裁縫の授業を始める
- 三井呉服店、フランス人裁縫師を招く
- 柳原古着屋に女洋服がぶら下がるようになる
- 編物、神戸にも流行
- 商人鳥打帽子を使い始める
- 中折帽子地方の役人たちが被るようになる
- ネル製品の襟巻が多くなる
- 衣類の防虫に関する関心多くなる
- 東京毛絲紡績会社設立
食
- 千葉県で馬鈴薯の新品種の栽培を始める
- パン、ビスケットを専門に製造する木村屋開業
- 金線サイダー製造始まる
- 日本・札幌・大阪の三ビール会社設立
住
- 横浜水道竣工
- 東京電燈会社開業、市中に点灯
文学
- 『国民の友』発行(2月)
- チャンブレン著『日本小文典』刊(4月)
- 二葉亭四迷著『浮雲』第一編刊(7月)
- 中江兆民著『平民のめさまし』刊(8月)
その他
- 綿作の中止拡大する
- 国産石鹸の支那向輸出始まる
- 勧工場多し
- 馬にひかせる蒸気ポンプができる
- ゴム印発明(ただし高価のため、その普及は日清戦争後)
1887年のポイントまとめ
- 保安条例によって自由民権運動への弾圧が強化された
政府は保安条例を公布し、多くの民権派活動家を東京から追放しました。 - 大日本帝国憲法制定への準備が進んだ
伊藤博文を中心に憲法制定作業が進められ、日本は立憲国家成立へ近づいていきました。 - 条約改正交渉が大きな政治課題となった
不平等条約改正を目指す政府外交に対し、国内では反対運動も強まっていきました。 - 欧化政策への批判が高まり始めた
鹿鳴館外交に象徴される急速な西洋化に対し、日本文化軽視への批判も広がりました。 - 立憲国家成立直前の緊張が高まった年であった
1887年は、政治統制強化と近代国家建設が同時に進み、日本社会が大きな転換期を迎えていた年でした。
1887年は、保安条例によって自由民権運動への統制が強化された年でした。 その一方で、政府は憲法制定や条約改正へ向けた準備を進め、日本は立憲国家成立へ近づいていきます。 近代化が進む中で、政治的緊張や欧化政策への反発も強まり始めた重要な時期となりました。
1887年のよくある質問 Q&A
Q. 1887年とはどんな年ですか?
1887年は、保安条例の公布により言論統制が強化され、 政治運動が大きく制限された年です。
Q. 保安条例とは何ですか?
保安条例は、政府に反対する人物を東京から追放するなど、 政治活動を規制する法律です。
Q. なぜ保安条例が制定されたのですか?
自由民権運動の激化により、 政府が社会の安定を維持しようとしたためです。
Q. ノルマントン号事件とは何ですか?
外国船の沈没事故で日本人乗客が救助されなかった事件です。 不平等条約への不満が高まりました。
Q. なぜ1887年は重要なのですか?
言論統制が強化される一方で、 条約改正への機運が高まった転換点だからです。
Q. 1887年の出来事はその後どうつながりますか?
憲法制定と政治体制の確立へと進み、
1889年に大日本帝国憲法が公布されます。
→ 1889年(国家体制の完成)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
政府主導の政治体制が強まり、 民権運動は次第に弱まっていきました。
Q. 1887年の重要人物は誰ですか?
伊藤博文、井上馨などが重要人物です。
Q. 1887年は日本にとってどんな意味がありますか?
1887年は、政治の安定と統制が強化され、 憲法制定へ向けた準備が整えられた年です。
憲法制定は、どのように完成へと至るのか?
やがて大日本帝国憲法の発布へと進み、日本は近代国家としての体制を確立していきます。
明治中期から後期への流れをあわせて理解できます。
