1877年(明治10年)は、明治維新の最後の決着がついた年です。
この年、西郷隆盛を中心とする士族が明治政府に対して反乱を起こし、西南戦争が勃発しました。
この戦いは、日本最後にして最大の内戦となり、政府軍の勝利によって終結します。
その結果、武士の時代は完全に終わり、日本は本格的な近代国家へと進むことになります。
つまり1877年は、「武士の時代が終わり、近代国家が確立した年」といえます。
Q. 1877年は何が起きた?
A. 西郷隆盛が率いる士族が政府に反乱を起こす「西南戦争」が発生しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 士族による最後の大規模反乱が終わり、明治政府の支配が確立したためです。
Q. この後どうなる?
A. 内乱が終息し、政治は議会設立へと進みます。
→ 1881年(国会開設の詔)を見る
1877年の重要出来事

- 西南戦争が起こり、西郷隆盛が政府に反旗を翻した
- 政府軍が勝利し、士族の反乱が完全に終結した
- 西郷隆盛が戦死し、武士の時代が終わりを迎えた
この年は何が変わったのか
1877年(明治10年)は、明治維新の流れの中で続いていた不満や対立が、最後の大規模な戦争として表面化し、完全に決着した年です。
西南戦争(士族の反乱)
1877年、西郷隆盛を中心とする鹿児島の士族が、明治政府に対して反乱を起こしました。
これは、廃藩置県や徴兵制などの改革に不満を持つ士族による、最大規模の反乱でした。
熊本城攻防戦・田原坂の戦い
戦いは九州各地で激しく行われ、熊本城をめぐる攻防や田原坂の戦いなどで大きな戦闘が続きました。
政府軍は近代的な武器と兵力を背景に優位に立ち、戦局は次第に政府側へと傾いていきます。
西郷隆盛の最期
戦いは鹿児島へと移り、城山での戦闘の末、西郷隆盛は自決しました。
これにより、西南戦争は終結し、士族の反乱は完全に終わりを迎えます。
明治政府の支配の確立
西南戦争の終結によって、武力による反政府運動はほぼ消滅しました。
以後、日本では武力ではなく、議会や言論による政治参加へと移っていきます。
つまり1877年は、武士の時代が完全に終わり、近代国家としての日本が確立された年でした。
この年の重要人物
1877年は西南戦争によって、明治政府と旧士族の対立が決着し、日本の近代国家体制が確立した年です。この戦いを動かした中心人物を整理します。
■ 反乱側(士族)
- 西郷隆盛
旧薩摩藩士を率いて明治政府に反旗を翻し、西南戦争を主導した - 桐野利秋
西郷の側近として薩摩軍を指揮し、各地で戦闘を展開 - 村田新八
西郷軍の中心人物として戦闘に参加
■ 明治政府側
- 大久保利通
政府の中心として反乱鎮圧を指導し、国家体制の維持を図った - 山県有朋
徴兵制による近代軍を指揮し、戦闘での勝利を支えた - 大山巌
政府軍の指揮官として戦闘に参加し、西郷軍と対峙した
出来事・事物起源・話題
- 1月26日
- 歴史館設立(総裁は伊知地正治)
- 1月30日
- 鹿児島の私学校生、草牟田の火薬庫を襲う(西南戦争の火種となる)
- 2月3日
- 西郷隆盛、私学党を率いて遂に官軍対抗の意を決す
- 2月5日
- 京都・大阪・神戸間の鉄道開通式(京都駅落成、明治天皇迎えて開業式)
- 2月10日
- 西郷隆盛の私学党の乱に対し、近衛及び東京・大阪両鎮台に出動命令下る
- 2月15日
- 西郷隆盛が挙兵(西南戦争始まる)
- 2月15日
- 偕行社(陸軍将校組織)創立
- 2月18日
- 西南戦争で、西郷軍に備え熊本城外の民家を焼払う
- 2月19日
- 西南戦争に関する流言・噂話の新聞掲載を禁止
- 2月22日
- 「東京日日新聞」社長福地源一郎、軍団御用係の名目で西南戦争従軍のため出発
- 2月22日
- 西郷軍、熊本城を包囲
- 2月22日
- 乃木希典少佐、連隊旗を奪われる
- 2月23日
- 東京・名古屋・大阪三鎮台に令して第二後備軍を召集
- 2月25日
- 参軍山県有朋、陸軍少将三浦梧桜ら、博多に本営を設置
- 2月25日
- 西郷隆盛、桐野利秋、篠原国幹らの官位を剥奪して、その謀反を正式に布告する
- 2月26日
- 伍長谷村計介、高瀬の官軍への使者として、命を賭して熊本城を脱出する
- 2月27日
- 薩摩軍大挙して肥後の高瀬において官軍と戦う(熊本城兵利非ず)
- 2月28日
- 伍長谷村計介、薩軍に捕われるも脱出し、漸く高瀬の官軍に辿り着く(薩軍と疑われ、船隈に連行)
- 2月28日
- 熊本県阿蘇谷で農民3000人暴動
- 3月2日
- 谷村計介、船隈の営にて野津鎮雄少将に危急を報告し、密使の大役を果たす
- 3月3日
- 官軍、薩軍と田原坂で激戦
- 3月6日
- 四国と本州を通じる海底電信、讃岐・備前間に開通する
- 3月17日
- 西郷軍に加担した鹿児島県令大山綱良の官位を奪う
- 3月20日
- 政府軍、激戦の末、田原坂を占領
- 3月21日
- 岩村通俊を鹿児島県令に任命
- 3月31日
- 明治天皇、大阪の陸軍病院に西南の役の傷病兵を親問
- 4月8日
- 熊本城の包囲網破れ、奥少佐一大隊を率いて賊兵を追撃宇土に達す
- 4月12日
- 東京大学開校(東京開成学校と医学校が併合、東京帝国大学の前身)
- 4月14日
- 黒田清隆率いる政府軍、熊本城に入る
- 4月14日
- 小石川植物園を東京大学に附す
- 4月22日
- 参軍山県有朋、各旅団長を木山に招き謀議を凝らす
- 4月22日
- 西郷隆盛、人吉に退く
- 4月23日
- 山県有朋、西郷隆盛に書面を送り、その立場に同情し投降自決を勧告する
- 4月24日
- ロシア、トルコに宣戦布告、ルーマニアに侵入(露土戦争)
- 4月27日
- 参軍川村純義ら、海路鹿児島に至り、兵を各地に配置(西南戦争)
- 5月1日
- 博愛社(赤十字社の前身)創立
- 5月18日
- 西南戦争による九州の人心鎮定のため、東京より巡査700名を派遣する
- 5月23日
- 軍用に使用する軽気球が、東京築地の海軍省練兵所で揚げられる
- 5月26日
- 木戸孝允死去
- 5月27日
- 矢筈嶽の激闘(西南戦争)
- 5月31日
- 薩摩軍敗れて、悉く肥後人吉に退く(西南戦争)
- 6月11日
- 官軍、薩摩に攻め入る(西南戦争)
- 6月17日
- 参軍山県有朋、八代に諸将を集めて、都城進撃の軍議
- 6月17日
- 熊本鎮台兵、三国峠を占拠
- 6月19日
- 万国郵便条約実施される
- 7月9日
- 外国渡船に国旗を掲げしむ
- 7月24日
- 官軍、都城を陥る(西南戦争)
- 7月30日
- 西郷隆盛、官軍に圧せられ、日向の高鍋に退く(同日杉之本に戦闘あり)
- 8月8日
- 高知県士族林有造、兵器購入の計画発覚して、東京で捕えられる
- 8月17日
- 薩摩軍の将佐々友房、官軍に降る
- 8月18日
- 官軍、日向を平定
- 8月21日
- 第一回内国勧業博覧会、東京上野で開催(日本最初の勧業博)
- 8月31日
- 西郷隆盛の軍、大隈に奮闘
- 9月1日
- 西郷隆盛、退いて鹿児島に入り、本営を城山に置く(土民これに応じ士気振う)
- 9月8日
- 官軍、鹿児島城山を包囲
- 9月10日
- 朝鮮京城に公使館を設ける(韓国公使に花房義質を任命)
- 9月16日
- モース博士、大森貝塚を発見
- 9月19日
- 官軍、鹿児島城山の包囲陣成る
- 9月20日
- 官軍、鹿児島城山攻撃開始
- 9月23日
- 西郷隆盛、城山にて訣別の宴
- 9月24日
- 西郷隆盛、桐野利秋ら城山で自刃(西南戦争終結)
- 9月30日
- 前鹿児島県令大山綱良、漸に処せられる
- 10月1日
- 最初の鉄道正面衝突事故(夜間豪雨のため神戸を去る7哩の線)
- 10月4日
- 山田顕義、野津鎮雄、大山巌らの各武将、東京に凱旋
- 10月10日
- 征討総督熾仁親王、参軍川村純義、伊藤祐磨少将ら、東京に凱旋
- 10月17日
- 私立の華族学校開業式、天皇臨席し、「学習院」の称号を与える(学習院開校)
- 10月26日
- 車駕(天子)上野公園に幸し、内国勧業博覧会に臨まれる
- 11月20日
- 東京・大阪間鉄道貨物運輸開始
- 12月12日
- 最初の欧州回航船「清輝艦」(国産の軍艦)発航する
- 12月19日
- 東京大学、第一回卒業証書授与式
- 12月21日
- 東京工部省電信局より宮内省間に電話開通(実用電話最初の記録)
- 12月25日
- 刑法草案審査局を設ける(伊藤博文を総裁とする)
- 12月25日
- 地方長官に国産愛用を諭告
- 12月26日
- 西南戦争の凱旋巡査、東京に整列式
- 12月27日
- 新紙幣2700万円を発行し、西南戦争の戦債を補う
生活の話題
衣
- 京都白川にモスリン加工工場できる
- 鎮台所在地の一般人にもシャツの使用はじまる
- 山高帽子がナベボーシの名で地方でも着用
- 西南役よりメリヤス製造者激増
- 旧来のお白粉、人体に害ありと騒がれる
- ジャカード織機の国産試作行われる
食
- 大阪に卵を売る目的の養鶏始まる
- 北海道開拓使、缶詰製造の伝習を始める
- 山梨県営のブドウ酒醸造場が設けられる
- 大坂の小西儀助、ウイスキーの製造を始める
- 東京芝に桜田ビール創立
- タマネギ、ハナハボタン移入さる
- 東京で氷水が流行り出す
- 大阪で人造氷作られる
住
- 工作局器具染物製造所を設け、欧米風の家具及びラック、ワニス塗の業を始める
その他
- 宮内省で初めて電話の実演を行う
- 大阪でセルロイド製のサンゴ玉ができる
この年のポイントまとめ
- 西南戦争により、士族による最大の反乱が起こった
- 政府軍の勝利により、武力による反政府運動が終結した
- 西郷隆盛の死により、武士の時代が象徴的に終わった
- 明治政府による統治体制が完全に確立された
1877年は、明治維新の最終段階ともいえる年です。
士族の不満が爆発して起こった西南戦争は、日本最後の内戦となり、政府軍の勝利によって終結しました。
この戦争の結果、日本は武士中心の社会から完全に脱却し、近代国家としての体制を確立していきます。
この年を理解することで、明治維新が単なる政権交代ではなく、「社会構造そのものの転換」であったことが見えてきます。
また、武力による反乱の時代が終わり、日本が議会政治へと向かっていく流れを理解する重要な鍵となります。
1877年のよくある質問 Q&A
Q. 1877年とはどんな年ですか?
1877年は、西郷隆盛を中心とする士族が政府に反乱を起こした 西南戦争が起きた年です。
Q. 西南戦争とは何ですか?
西南戦争は、鹿児島を拠点とする士族が明治政府に対して起こした反乱です。 日本最後の内戦ともいわれます。
Q. なぜ戦争が起きたのですか?
廃刀令や秩禄処分により士族の特権が失われ、 政府への不満が高まったためです。
Q. 戦いの結果はどうなりましたか?
政府軍が勝利し、西郷隆盛は敗れて自刃しました。 士族による反乱はこれで終わりました。
Q. なぜ1877年は重要なのですか?
旧時代の勢力が完全に敗れ、 近代国家としての体制が確立したためです。
Q. 1877年の出来事はその後どうつながりますか?
国内の安定が進み、
議会政治の整備へと向かいます。
→ 1881年(国会開設)を見る
Q. 他に重要な影響はありますか?
政府は軍事力の重要性を再認識し、 近代軍隊の整備がさらに進みました。
Q. 1877年の重要人物は誰ですか?
西郷隆盛、大久保利通、山県有朋などが重要人物です。
Q. 1877年は日本にとってどんな意味がありますか?
1877年は、内戦が終わり、 近代国家としての体制が確立した決定的な年です。
