1857年(安政4年)は、日本が開国へ向かう流れの中で、外交交渉が本格化した年です。
この年、アメリカ総領事ハリスが幕府との交渉を本格的に進め、日本に対して通商の必要性を強く迫りました。
また、将軍への謁見が実現するなど、日本の外交はこれまでにない段階へと進んでいきます。
つまり1857年は、「開国が現実のものとして動き出した年」といえます。
日本はなぜ通商条約を受け入れざるを得なくなったのか?
外交交渉は大きく進展し、開国はもはや避けられない状況となっていきます。
黒船来航からこの年に至るまでの幕末の流れを時系列で確認できます。
Q. 1857年は何が起きた?
A. ハリスによる通商条約締結の圧力が強まりました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 日本が不平等条約を受け入れる直前の重要な局面だったためです。
Q. この後どうなる?
A. 1858年に日米修好通商条約が結ばれます。
→ 1858年(通商条約)を見る
1857年の重要出来事
ハリスの将軍謁見
アメリカ総領事タウンゼント・ハリスは江戸に入り、将軍徳川家定と謁見しました。
これは外国使節が将軍と直接会見した重要な出来事であり、日本の外交が新たな段階に入ったことを示しています。
日米交渉の本格化
ハリスは幕府に対し、通商条約の必要性を強く主張しました。
これにより、日本は本格的に「開国か否か」という選択を迫られることになります。
国内政治の対立(将軍継嗣問題)
この年、将軍後継をめぐる対立(一橋派と南紀派)が激化しました。
外交問題と国内政治が絡み合い、幕府の統治は不安定になっていきます。
近代化の芽生え
長崎では造船・製鉄に関する施設の建設が始まり、西洋技術の導入が進みました。
また、写真技術など新しい文化も日本に入ってきています。
この年は何が変わったのか
ハリスとの交渉が本格化し、日本は通商条約を受け入れるかどうかの決断を迫られました。
同時に将軍継嗣問題が激化し、幕府内部の対立も深まっていきます。
外交と内政の問題が絡み合うことで、幕府の統治は次第に不安定になっていきました。
これにより、日本は単なる外交問題ではなく、政治体制そのものが揺らぐ局面に入ります。
つまり1857年は、「開国の決断が目前に迫り、国内対立が激化した年」です。
この緊張は、翌1858年の開国決定と弾圧へとつながり、幕末の動乱が本格化していきます。
この年の重要人物
1857年は、通商条約締結に向けた交渉が本格化し、日本の外交方針が大きく揺れ動いた年です。条約草案がまとまり、いよいよ決断の段階に入る中で中心となった人物を整理します。
外国側(通商を強く迫る)
- タウンゼント・ハリス
アメリカ総領事として江戸に入り、幕府に通商条約の締結を強く要求した
幕府側(交渉と決断)
- 堀田正睦
老中として条約交渉を主導し、朝廷の勅許を得ようと動いた - 徳川家定
第13代将軍として開国政策の最終判断を迫られた
朝廷・政治対立
- 孝明天皇
条約締結に強く反対し、幕府との対立を深めた - 岩倉具視
朝廷内で条約問題に関与し、政治的影響力を強めていく
出来事・事物起源・話題
- 2月4日
- オランダ領事キュルチュス、日本の対外国是を改めん事を長崎奉行に勧説す
- 5月7日
- 下田奉行、ハリスと応接す
- 5月13日
- 将軍家金蔵破りの稀代の盗賊藤岡藤十郎、富蔵等吟味の末浅草にて磔となる
- 5月24日
- 唐人お吉、玉泉寺へ奉公
- 5月26日
- 下田奉行ハリスと条約調印
- 7月8日
- 米国使節ハリス下田奉行と下田に会見し国書の要旨を求めて許されず
- 7月19日
- 下岡蓮杖、初めて写真機を見る
- 7月22日
- 一橋慶喜を将軍家の後継に推す
- 7月23日
- 徳川斉昭の幕政参事を免ず
- 10月7日
- ハリス、江戸出府の為め下田発
- 10月10日
- 長崎鮑ノ浦に日本最初の製鉄所(造船所を兼ね)創設起工さる
竣工は文久元年3月25日、落成28日 - 10月14日
- ハリス、将軍との会見が叶い、江戸に入る
- 10月21日
- 米国総領事タウセンド・ハリス江戸城に入り将軍徳川家定に謁し国書を呈す
- 10月26日
- 米国総領時ハリス、江戸の老中堀田正睦を訪ね熱誠に日米通商の急務を論ず
- 11月28日
- 毛利慶親、外交意見を呈す
- 12月2日
- 老中堀田正睦、米国領事ハリスを招き両国の交易及び公使の江戸駐在を許す
- 12月12日
- 幕府、米国総領事タウセンド・ハリスの意見書を各大名に示し評議す
- 12月25日
- 日米通商条約の草案成る
- 12月29日
- 幕府、諸大名と条約締結を議す
天皇
孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)
将軍
徳川家定[13代](在位:嘉永6年11月23日~安政5年8月8日)
生活の話題
食
- キャベツ輸入
その他
- 踏絵の制を廃す
この年のポイントまとめ
- ハリスが将軍に謁見し、日本の外交が新段階に入った
- 通商条約交渉が本格化し、開国が現実の問題となった
- 将軍継嗣問題で、幕府内の対立が激化した
- 西洋技術や文化の流入が始まった
- 外交と内政が結びつき、幕府の不安定化が進んだ
1857年は、開国が「準備段階」から「決断直前」へ進んだ重要な年です。
この年を理解することで、1858年の開国決定とその後の幕末の動乱がより明確に見えてきます。
1857年のよくある質問 Q&A
Q. 1857年とはどんな年ですか?
1857年は、アメリカとの通商条約に向けた交渉が進み、 幕府が大きな決断を迫られた年です。
Q. ハリスは何を求めていたのですか?
日本に対して本格的な貿易の開始と、 条約締結を強く要求していました。
Q. なぜ幕府は対応に苦しんだのですか?
外国の圧力と国内の反対意見の間で、 判断が難しかったためです。
Q. 国内ではどのような動きがありましたか?
尊王攘夷の考えが広まり、 外国との関係に対する反発が強まりました。
Q. なぜ1857年は重要なのですか?
日本が本格的な国際関係に踏み込む直前の 決定的な局面だったためです。
Q. 1857年の出来事はその後どうつながりますか?
1858年に日米修好通商条約が結ばれ、
日本は不平等条約の時代へ入ります。
→ 1858年(通商条約)へ
Q. 日本への影響は何ですか?
外交問題が国内政治の対立を激化させ、 幕末の動乱へとつながりました。
Q. 1857年の重要人物は誰ですか?
ハリスや幕府の指導者たちが重要人物です。
Q. 1857年は日本にとってどんな意味がありますか?
1857年は、日本が近代国家への道に進むかどうかの 分岐点となった年です。
この交渉の先に、日本はどのような決断を迫られるのか?
翌年には不平等条約が締結され、国内の対立は一気に激化していきます。
幕末の動乱へとつながるその後の流れをあわせて理解できます。

