1899年(明治32年)は、日本が近代国家として国際社会の中で「対等な立場」に近づき、内外ともに大きな転換を迎えた年です。
この年、条約改正の実施により長年続いた治外法権が撤廃され、日本は主権国家としての地位を大きく回復しました。
また、教育制度や法制度の整備、通信・交通の発展などにより、国家としての基盤もさらに強化されていきます。
つまり1899年は、「日本が国際社会で一人前の国家として認められ始めた年」といえます。
なぜ不平等条約の改正は、日本にとって重要だったのか?
治外法権の撤廃により、日本は近代国家として国際的な対等性を高めていきます。
明治維新からこの年に至るまでの外交と発展の流れを時系列で確認できます。
Q. 1899年は何が起きた?
A. 不平等条約が改正され、治外法権が撤廃されました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 日本が主権国家として国際的に認められたためです。
Q. この後どうなる?
A. 列強との競争が激化し、日露戦争へと進みます。
→ 1904年(日露戦争)を見る
目次
1899年の重要出来事
- 治外法権(領事裁判権)が撤廃され、不平等条約改正が実現した
- 義和団事件前夜の中国情勢悪化により、東アジア緊張が高まった
- 私立学校令が公布され、近代教育制度整備が進んだ
- 日本の工業化と都市化がさらに進展した
- 列強の一員としての日本外交と国際的地位向上が進んだ
出来事・事物起源・話題
- 1月5日
- 乃木希典、琴平宮の鎮座する雪深い象頭山上で新年宴会を催す
- 1月19日
- イギリス、エジプトとスーダン共同統治協定
- 1月19日
- 勝海舟、77歳でこの世を去る
- 2月1日
- 東京、大阪、神戸間に最初の長距離電話開通(工費総額約40万円)
- 2月7日
- 中学校令・実業学校令・高等女学校令公布
- 2月24日
- 不動産登記法公布
- 3月4日
- 著作権法公布
- 3月14日
- 正岡子規、根岸短歌会を始める
- 3月28日
- 文官任用令改正(政党の猟官を阻止)
- 4月4日
- 東京に音楽、外国語学校開校
- 4月7日
- 八幡製鉄、大冶鉄鉱輸入契約締結
- 5月4日
- 京都武徳殿、新築落成
- 5月11日
- 参謀総長川上操六没(享年52歳)
- 5月16日
- 参謀総長川上操六(11日没)の後任に大山巌を任命する
- 5月18日
- 第1回万国平和会議ハーグで開催
- 5月24日
- 陸海軍大臣現役武官制確立
- 5月25日
- 食堂車初めて山陽鉄道に連結され、これより各線に及ぶ
- 6月9日
- 農合法公布
- 6月12日
- 台北の台湾銀行開業する
- 7月4日
- ビヤホール初めてあらわれる
- 7月13日
- 新たに22港を貿易港として開港
(清水、武豊、下関、四日市、門司、博多、口津、三角、巌原、佐須奈、鹿児島、那覇、浜田、境、宮津、敦賀、七尾、伏木、小樽、釧路、室蘭、唐津の諸港) - 7月15日
- 軍機保護法公布
- 7月17日
- 治外法権撤廃に依り、諸外国人の内地雑居許される
- 7月17日
- 日英通商航海条約をはじめ、以後成立の改正条約実施の第一日、横浜で米船員の殺人事件
- 7月18日
- 要塞地帯法公布
- 7月27日
- オランダの首都ヘーグに於て、16カ国の国際仲裁裁判所説立
- 8月3日
- 私立学校令
- 8月4日
- 東京初のビアホール、新橋にオープン
- 8月4日
- 悪疫防止に海港検疫法実施
- 8月5日
- 樟脳(しょうのう)の専売制、台湾にて実施
- 8月12日
- 富山市の大火(約5,000戸焼失)
- 8月12日
- 横浜開港以来の大火(約3,200戸焼失)
- 9月6日
- ヘイ米国務長官、中国の門戸解放を各国に通告
- 9月15日
- 函館の大火(約2,000戸焼失)
- 9月17日
- 最初の内外人合同劇開演(伊井容峰一派とイギリス俳優ゴーフら合同)
- 9月18日
- 朝鮮に初めて鉄道敷設される(仁川・鷺梁間20哩)
- 9月27日
- 台湾銀行開業
- 10月2日
- 木下尚江・河野広中・片山潜ら、「普通選挙期成同盟会」結成
- 10月28日
- 条約改正実施祝賀式典、宮中豊明殿で挙行(大臣以下100官を招待)
- 11月9日
- 赤坂離宮の観菊御宴
- 11月9日
- 憲政党、山県首相に提携をもとむ
- 11月26日
- 東京商業会議所の新築竣工する
- 12月16日
- 年賀郵便特別扱い始まる
- 12月17日
- 東京市の水道工事完成
- 12月18日
- 淀橋にて東京水道工事落成式
- 12月26日
- アメリカの門戸開放に同意
- 12月31日
- 政府発行の従来の紙幣を廃し、国立銀行発行の新紙幣に代える
この年に始まったこと
1899年(明治32年)は、日本が近代国家として国際社会での地位を高めた年です。不平等条約の一部改正が実現し、司法や教育の分野でも新たな制度が動き始めました。
- 治外法権の撤廃が始まった
条約改正の実施により、外国人に認められていた治外法権が撤廃され、日本の司法権が回復し始めました。 - 改正条約体制が始まった
新しい通商航海条約が発効し、日本と列強との関係は新たな段階へ入りました。 - 中学校令の改正による新教育制度が始まった
中等教育制度が整備され、近代教育の普及がさらに進みました。 - 高等女学校令が施行された
女子教育の制度化が進み、高等女学校を中心とする女子中等教育体制が始まりました。 - 私立学校令が公布された
私立学校の設置や運営に関する制度が整えられ、日本の教育体制がさらに充実しました。
1899年は、「治外法権の撤廃と教育制度の充実が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1899年(明治32年)は、不平等条約改正が実現し、日本の国際的地位が大きく向上した年でした。一方で、教育・産業・軍事面でも近代国家化がさらに進み、日本は「列強国家」を目指す時代へ本格的に入っていきます。
条約改正によって領事裁判権が撤廃された
1899年、改正条約が発効し、日本国内における外国人への領事裁判権が撤廃されました。これは長年続いた不平等条約問題の大きな前進であり、日本外交の重要な成果となります。
不平等条約改正によって国際的地位が向上した
欧米列強から「近代国家」として認められ始めたことで、日本の国際的信用は大きく高まりました。明治政府が進めてきた近代化政策の成果が、外交面でも現れ始めます。
文官任用令によって政党政治が前進した
山縣有朋内閣は文官任用令を改正し、高級官僚任用資格を制限しました。これによって藩閥政府の影響力維持が図られる一方、政党との対立も深まっていきます。
私立学校令によって教育統制が強化された
政府は私立学校令を公布し、教育機関への統制を強めました。国家主導による教育制度整備が進み、日本型近代教育体制がさらに固められていきます。
産業発展によって都市化が進み始めた
重工業・鉄道・通信網整備が進み、都市部では人口集中や経済発展が目立つようになりました。近代産業国家としての日本社会が急速に形成されていきます。
列強国家を目指す日本の姿勢が強まった
軍備拡張・産業発展・外交成功が重なり、日本は東アジアの新興列強として存在感を高めていきました。1899年は、日本が「近代国家」から「列強国家」へ近づき始めた重要な一年でした。
この年の重要人物
1899年(明治32年)は、改正条約が発効され、日本が長年の課題であった領事裁判権の撤廃を実現した年です。また、文官任用令の改正や私立学校令の公布など、近代国家としての制度整備も進められました。外交面で大きな成果を挙げたこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 陸奥宗光
1894年に締結した日英通商航海条約をはじめとする条約改正交渉を主導しました。1899年の領事裁判権撤廃実現の立役者として評価されています。 - 大隈重信
外務大臣として条約改正問題に取り組みました。欧米列強との対等な外交関係の実現を目指した人物です。 - 山縣有朋
第2次山縣内閣を率い、条約改正後の国家運営を担いました。軍備拡張や行政改革も推進しました。 - 伊藤博文
元老として政界に大きな影響力を持ち続けました。立憲国家体制の運営を支えた中心人物です。
総理大臣
山県有朋(明治31年11月8日~明治33年10月19日)
生活の話題
食
- 西洋料理人の組合進徳会設立
- 森永太一郎、赤坂に洋菓子店を開業
住
- 家屋税等に反対運動起こる
- 東京で水道による給水開始
その他
- 川崎・大師間の大師電気鉄道開通
- 高等女学校令・実業学校令公布
- 東京・大阪間長距離電話開通
- 大阪・門司直通電信開通
- 府県税・家屋税に関する件公布
- 私立学校令公布
- 図書館令公布
地方の出来事
北海道
- 北海道旧土人保護法を公布し、アイヌに無償で土地を交付する
- 小樽・釧路・室蘭が新開港地として指定される
東北
- 岩手県の田代・種山に軍馬育成所の出張所を新設する
- 星亨が青森で壮士たちに襲われる
- 福島に羽二重生糸市が開かれる
関東
- 東京市の水道落成式
中部
- 河北郡八田村の用水紛争で裁判所と警察署が対立する(石川)
近畿
- 三重県の御木本幸吉が養殖真珠を献納する
- 姫路に第十師団司令部を設置する
中国
- 岡山の黒住教本社工事が落成し、遷宮祭をおこなう
- 下関・浜田・境が新開港場として指定される
四国
- 谷干城・大石正巳らが四国地租増徴反対同盟会を結成(高知)
- 愛媛県下の旧自由・進歩党員が海南政友会を結成する
九州
- 福岡県立工業学校を設立し、久留米・小倉に分校をおく
1899年のポイントまとめ
- 治外法権が撤廃された
不平等条約改正が実現し、日本は欧米列強と対等な近代国家へ大きく近づきました。 - 改正条約が発効した
領事裁判権撤廃を含む条約改正によって、日本の司法権は大きく回復されました。 - 高等女学校令が公布された
女子教育制度整備が進み、日本近代教育は新たな段階へ入っていきました。 - 産業・軍事両面で国力強化が進んだ
日露対立の緊張を背景に、日本は経済成長と軍備拡張をさらに進めていきました。 - 日本が本格的な列強国家へ近づいた年であった
1899年は、不平等条約改正成功によって、日本の国際的地位が大きく向上した重要な年でした。
1899年は、治外法権撤廃によって日本外交が大きな成果を上げた年でした。 不平等条約改正は、日本が近代国家として国際社会に認められ始めた象徴的出来事となります。 その一方で、教育制度整備や軍備拡張も進み、日本は列強国家への道をさらに進んでいきました。
1899年のよくある質問 Q&A
Q. 1899年とはどんな年ですか?
1899年は、不平等条約の改正により 治外法権が撤廃された年です。 日本の主権が大きく回復しました。
Q. 治外法権とは何ですか?
外国人が日本の法律ではなく、 自国の法律で裁かれる制度です。 これが撤廃されました。
Q. なぜ条約改正が実現したのですか?
憲法制定や法制度の整備により、 日本が近代国家として認められたためです。
Q. 日本への影響は何ですか?
外国と対等な関係を築けるようになり、 国際的地位が大きく向上しました。
Q. なぜ1899年は重要なのですか?
日本が完全な主権国家として認められ、 近代国家として完成したためです。
Q. 1899年の出来事はその後どうつながりますか?
列強との競争が激化し、
日露戦争へとつながっていきます。
→ 1904年(開戦)へ
Q. 他に重要な流れはありますか?
日本の外交政策が積極化し、 国際社会での存在感が強まりました。
Q. 1899年の重要人物は誰ですか?
陸奥宗光や小村寿太郎などが条約改正に関わった重要人物です。
Q. 1899年は日本にとってどんな意味がありますか?
1899年は、日本が完全な主権国家として 国際社会に認められた歴史的な年です。
条約改正を達成した日本は、その後どこへ向かっていくのか?
国際的地位を高めた日本は、列強との競争をさらに強め、日露戦争へと進んでいきます。
明治後期の大きな流れをあわせて理解できます。
