1855年(安政2年)は、日本が「外圧」と「災害」という二つの大きな出来事に直面した年です。
ロシアとの条約締結により国際関係が進展する一方で、江戸を大地震が襲い、社会は大きな混乱に見舞われました。
幕末の不安と変化が一気に表面化した年です。
開国の影響は、日本社会にどのような不安をもたらしたのか?
安政江戸地震などの災害も重なり、社会の不安は一気に高まります。
開国直後の混乱から幕末の動乱へと向かう流れを時系列で確認できます。
Q. 1855年は何が起きた?
A. 安政江戸地震が発生し、大きな被害が出ました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 社会不安が高まる一方、西洋技術の導入が進んだためです。
Q. この後どうなる?
A. 1858年に通商条約が結ばれ、日本はさらに変化していきます。
→ 1858年(通商条約)を見る
目次
1855年の重要出来事
- 安政江戸地震が発生し、江戸の町に大きな被害が出た
- 幕府が洋式軍備と海防強化をさらに進めた
- 長崎海軍伝習所が設立され、西洋式海軍教育が始まった
- ロシアと日露和親条約が締結され、国境が定められた
- 西洋技術や蘭学への関心が全国で高まった
出来事・事物起源・話題
- 2月11日
- 将軍徳川家定、品川のお台場に臨み、砲台の発射演習をご覧になる
- 2月22日
- 蝦夷地を幕府の直轄とする(ここにおいて松前崇広が東西蝦夷地を上納する)
- 2月29日
- 幕府の軍艦鳳凰丸が竣工し、老中阿部正弘、海防掛らが大森海岸にてこれを見学する
- 3月3日
- 幕府、国防のため各寺院の釣鐘を壊して兵器を鋳造するよう命じる
- 3月9日
- 踏絵の制(切支丹宗取調のため二百年来続いた制度)がようやく廃止される
- 3月27日
- 米艦来航し、日本海の測量を求める
- 7月3日
- 幕府、西洋流の銃砲演習を奨励する
- 7月13日
- 江戸のお濱屋敷で、初めて電信機の見学が行われる
- 7月26日
- 佐賀藩鋳造の大砲8門、順勢丸にて江戸へ輸送中、紀州沖にて沈没する
- 8月24日
- 京都紫宸殿の上棟式が行われる(現在の建物)
- 9月15日
- 木村芥舟、本丸お目付に登用される
- 10月2日
- 安政江戸地震
- 10月9日
- 佐倉藩主堀田備中守正睦、13年ぶりに老中に再任される
- 11月23日
- 現在の京都御所、紫宸殿、清涼殿の御造営が竣工し、天皇が新内裏へ御還幸される
- 12月15日
- 吉田松陰、1年数ヶ月ぶりに野山の獄を出される
- 12月22日
- 長州姥倉の運河が竣工し開通する
- 12月23日
- 長崎奉行、オランダ使節キュルチウスと日蘭和親条約を締結し調印する
- 12月27日
- 西郷吉之助、橋本左内と初対面する
この年に始まったこと
1855年(安政2年)は、開国後の日本が欧米列強に対抗するため、近代的な軍事・技術・教育制度の整備を進め始めた年です。後の明治維新や近代国家建設につながる取り組みが本格的に始まりました。
- 長崎海軍伝習所が開設された
幕府はオランダの協力を受けて長崎海軍伝習所を設置しました。日本初の本格的な海軍教育機関として、近代海軍の人材育成が始まりました。 - 洋式海軍の育成が始まった
勝海舟らが西洋式の航海術や軍事技術を学び、日本独自の近代海軍建設へ向けた取り組みが始まりました。 - 幕府による本格的な洋式軍備導入が始まった
黒船来航後の危機感から、幕府は洋式軍艦や西洋兵器の導入を進め、軍事改革を本格化させました。 - 安政東海地震・安政南海地震の復興事業が始まった
大地震による被害を受けた各地で復旧・復興事業が進められ、幕府や諸藩は災害対応に追われました。 - 近代技術者の育成が始まった
海軍伝習所を中心に、西洋技術を学ぶ人材の育成が進み、日本の近代化を担う世代が育ち始めました。
1855年は、「日本の近代海軍と技術教育が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1855年(安政2年)は、開国による衝撃を受けた日本が、西洋の知識や軍事技術を本格的に取り入れ始めた年でした。一方で、安政江戸地震によって社会不安も広がり、幕末の不安定な時代がより色濃くなっていきます。
安政江戸地震によって社会不安が広がった
1855年には安政江戸地震が発生し、江戸の町は大きな被害を受けました。幕府の政治力や救済対応への不満も広がり、人々の間では「時代が変わる前触れではないか」という不安感が強まっていきます。
長崎海軍伝習所によって西洋海軍技術の導入が始まった
幕府は長崎に長崎海軍伝習所を設置し、オランダから海軍技術を学び始めました。勝海舟など後に活躍する人物たちもここで学び、日本の近代海軍形成へつながっていきます。
洋学への関心がさらに高まった
黒船来航以降、日本国内では西洋技術への関心が急速に高まっていました。軍事・医学・造船など幅広い分野で洋学が重視されるようになり、日本は徐々に近代化への道を歩み始めます。
海防強化が幕府と諸藩の重要課題となった
外国勢力への危機感から、幕府や各藩では沿岸防備や軍備増強が進められました。西洋式兵器の導入も進み、日本の軍事体制は大きく変化し始めていきます。
開国後の幕末政治が本格化し始めた
日米和親条約締結後、日本は本格的に開国時代へ入っていきました。外国との関係をどう築くのか、幕府をどう立て直すのかが大きな政治課題となり、幕末の政局は次第に不安定さを増していきます。
幕末を動かす人材が育ち始めた
長崎海軍伝習所をはじめ、西洋技術を学ぶ場が整い始めたことで、新しい時代を担う人材が育ち始めました。後の明治維新や近代国家建設へつながる土台が、この頃から少しずつ築かれていきます。
この年の重要人物
1855年(安政2年)は、開国後の日本が西洋の技術や制度を取り入れ始めた年です。長崎海軍伝習所が設置され、近代海軍の育成が始まる一方、安政江戸地震が発生し、江戸の町に大きな被害をもたらしました。幕末日本の近代化が動き始めたこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 阿部正弘
老中首座として海防強化や幕政改革を推進しました。西洋技術の導入を進め、近代化への基盤づくりに取り組みました。 - 勝海舟
長崎海軍伝習所で西洋式の海軍技術や航海術を学びました。後の日本海軍発展につながる第一歩を踏み出した年です。 - 榎本武揚
長崎海軍伝習所で学び始めた幕臣の一人です。後に幕府海軍を率い、箱館戦争の中心人物となります。 - プチャーチン
ロシア使節として幕府との交渉を続けました。日本とロシアの国交樹立に向けた外交の中心人物でした。
天皇
孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)
将軍
徳川家定[13代](在位:嘉永6年11月23日~安政5年8月8日)
生活の話題
食
- 江戸でビスケット製造
その他
- 中浜万次郎はじめて写真をとる。邦人として最初
1855年のポイントまとめ
- 安政の大地震が江戸を襲った
安政江戸地震が発生し、江戸市中は大きな被害を受け、多くの人々が混乱しました。 - 幕府の権威がさらに揺らぎ始めた
黒船来航に続く大災害によって、幕府への不安や社会不安が一層高まっていきました。 - 洋式軍備の導入が本格化した
幕府は長崎海軍伝習所を設立し、西洋式の海軍技術や軍事知識の習得を進め始めました。 - 勝海舟ら新時代を担う人物が活躍し始めた
海防強化や洋学導入を通じて、後の幕末・明治を支える人材が育成されていきました。 - 日本近代化への動きが静かに始まった年であった
1855年は、災害と混乱の中で、日本が西洋技術を取り入れ始めた重要な転換期でした。
1855年は、安政江戸地震による混乱とともに、日本近代化への動きが進み始めた年でした。幕府は海防強化のため西洋技術の導入を急ぎ、長崎海軍伝習所の設立など新たな取り組みを進めます。 社会不安が広がる一方で、日本は少しずつ近代国家への道を歩み始めていました。
1855年のよくある質問 Q&A
Q. 1855年とはどんな年ですか?
1855年は、安政江戸地震が発生し、 江戸を中心に大きな被害が出た年です。 同時に西洋技術の導入も進みました。
Q. 安政江戸地震とは何ですか?
江戸で発生した大地震で、 多くの建物が倒壊し甚大な被害をもたらしました。
Q. 社会にはどのような影響がありましたか?
物価の上昇や混乱が起こり、 幕府の統治にも影響を与えました。
Q. 長崎海軍伝習所とは何ですか?
オランダの指導で設立された施設で、 日本の海軍技術の近代化が始まりました。
Q. なぜ1855年は重要なのですか?
社会の混乱と近代化の進展が同時に進み、 幕末の変動を象徴する年だからです。
Q. 1855年の出来事はその後どうつながりますか?
開国政策が進み、
1858年の通商条約へとつながります。
→ 1858年(通商条約)へ
Q. 日本への影響は何ですか?
災害による社会不安とともに、 西洋技術の導入が加速しました。
Q. 1855年の重要人物は誰ですか?
幕府関係者や西洋技術を学んだ人々が重要です。
Q. 1855年は日本にとってどんな意味がありますか?
1855年は、社会の混乱と近代化の進展が重なり、 幕末の大変動を象徴する年です。
社会不安の高まりは、幕府と政治にどのような影響を与えたのか?
混乱の中で政治的対立は深まり、やがて大きな転換点へとつながっていきます。
幕末の動乱へ進む流れをあわせて理解できます。

