1855年(安政2年)は、日本が「外圧」と「災害」という二つの大きな出来事に直面した年です。
ロシアとの条約締結により国際関係が進展する一方で、江戸を大地震が襲い、社会は大きな混乱に見舞われました。
幕末の不安と変化が一気に表面化した年です。
開国の影響は、日本社会にどのような不安をもたらしたのか?
安政江戸地震などの災害も重なり、社会の不安は一気に高まります。
開国直後の混乱から幕末の動乱へと向かう流れを時系列で確認できます。
Q. 1855年は何が起きた?
A. 安政江戸地震が発生し、大きな被害が出ました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 社会不安が高まる一方、西洋技術の導入が進んだためです。
Q. この後どうなる?
A. 1858年に通商条約が結ばれ、日本はさらに変化していきます。
→ 1858年(通商条約)を見る
1855年の重要出来事
- 日露和親条約が締結され、ロシアとの国境が定められた
- 長崎で海軍伝習が始まり、西洋式軍事の導入が進んだ
- 安政の江戸地震が発生し、大きな被害が出た
- 幕府が西洋式兵器や軍備の整備を進めた
この年は何が変わったのか
1855年(安政2年)は、開国による外圧の高まりを受けて、日本が本格的に「軍事と防衛の近代化」に動き出した年です。
日露和親条約の締結
1855年、日本はロシアと日露和親条約を結びました。
この条約では、択捉島と得撫島の間に国境が定められ、日本は北方における領土問題を初めて国際的に整理しました。
長崎海軍伝習所(西洋軍事の導入)
幕府は長崎に海軍伝習所を設け、オランダの協力のもとで西洋式の航海術や軍事技術の習得を進めました。
これは、日本が初めて本格的に西洋の軍事システムを学ぶ試みでした。
洋式軍備の整備(防衛体制の強化)
幕府は砲台の整備や銃砲訓練の導入を進め、西洋式の軍備を取り入れていきました。
外国の脅威に対抗するため、日本は従来の武士中心の軍事から近代的な軍事体制へと移行し始めます。
安政の江戸地震
1855年、江戸で大地震が発生し、大きな被害が出ました。
社会不安が高まる中で、幕府の統治能力も試されることになります。
つまり1855年は、外圧と災害の中で、日本が防衛国家へと動き始めた年でした。
この年の重要人物
1855年は、開国による外圧と国内の混乱の中で、日本が本格的に近代化へ向けた準備を進め始めた年です。この変化を担った人物を整理します。
軍事・近代化
- 勝海舟
長崎海軍伝習所で西洋式軍事を学び、日本海軍の基礎づくりに関わった - 矢田堀景蔵
海軍伝習所の一期生として西洋技術の導入を担った
幕府政治
- 阿部正弘
開国後の政策を主導し、軍事近代化を推進した中心人物 - 堀田正睦
老中として外交・政治の舵取りを担った
外交(ロシア)
- プチャーチン
日露和親条約を締結し、日本との外交関係を進展させたロシア使節
災害と社会
- 藤田東湖
安政江戸地震で命を落とした水戸藩の思想家
出来事・事物起源・話題
- 2月11日
- 将軍徳川家定、品川のお台場に臨み、砲台の発射演習を観る
- 2月22日
- 蝦夷地を幕府の直轄となす(ここに於いて松前崇広東西蝦夷地を上納す)
- 2月29日
- 幕府の軍艦鳳凰丸竣工し、老中阿部正弘、海防掛等大森海岸にてこれを観る
- 3月3日
- 幕府、国防のため各寺院の釣鐘を毀し兵器を鋳造せよと命ず
- 3月9日
- 踏絵の制(切支丹宗取調のため二百年来の制度)漸く廃せられる
- 3月27日
- 米艦来航、日本海の測量を請う
- 7月3日
- 幕府、西洋流の銃砲演習を奨励す
- 7月13日
- 江戸のお濱屋敷で、初めて電信機の見学
- 7月26日
- 佐賀藩鋳造の大砲8門、順勢丸にて江戸へ輸送中紀州沖にて沈没
- 8月24日
- 京都紫宸殿上棟式、現在の建物
- 9月15日
- 木村芥舟、本丸お目付に登用
- 10月2日
- 安政の大地震
- 10月9日
- 佐倉藩主堀田備中守正睦、13年ぶりに老中に再任
- 11月23日
- 現在の京都御所、紫震殿、清涼殿の御造営竣工し、天皇新内裏へ御還幸
- 12月15日
- 吉田松陰、1年数ヶ月振りに野山の獄を出される
- 12月22日
- 長州姥倉の運河竣工開通す
- 12月23日
- 長崎奉行、オランダ使節キュルチウスと日蘭和親条約締結調印
- 12月27日
- 西郷吉之助、橋本左内の初対面
天皇
孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)
将軍
徳川家定[13代](在位:嘉永6年11月23日~安政5年8月8日)
生活の話題
食
- 江戸でビスケット製造
その他
- 中浜万次郎はじめて写真をとる。邦人として最初
この年のポイントまとめ
- 日露和親条約により、北方の国境が定められた
- 長崎海軍伝習所で、西洋式軍事技術の導入が始まった
- 洋式軍備の整備が進み、防衛体制が強化された
- 安政の江戸地震により、社会不安が広がった
1855年は、日本が外国の脅威に対応するため、軍事と防衛の近代化を進めた年です。
西洋式の軍事技術を学び始めたことで、日本は従来の体制から大きく変化していきました。
また、大地震による被害は社会に不安をもたらし、幕府の統治力が試される状況となりました。
この年を理解することで、日本が開国後にどのようにして外国の圧力に対応しようとしたのかが見えてきます。
また、幕府が進めた軍事改革が、後の明治政府による近代軍の基盤となったことを理解することができます。
1855年のよくある質問 Q&A
Q. 1855年とはどんな年ですか?
1855年は、安政江戸地震が発生し、 江戸を中心に大きな被害が出た年です。 同時に西洋技術の導入も進みました。
Q. 安政江戸地震とは何ですか?
江戸で発生した大地震で、 多くの建物が倒壊し甚大な被害をもたらしました。
Q. 社会にはどのような影響がありましたか?
物価の上昇や混乱が起こり、 幕府の統治にも影響を与えました。
Q. 長崎海軍伝習所とは何ですか?
オランダの指導で設立された施設で、 日本の海軍技術の近代化が始まりました。
Q. なぜ1855年は重要なのですか?
社会の混乱と近代化の進展が同時に進み、 幕末の変動を象徴する年だからです。
Q. 1855年の出来事はその後どうつながりますか?
開国政策が進み、
1858年の通商条約へとつながります。
→ 1858年(通商条約)へ
Q. 日本への影響は何ですか?
災害による社会不安とともに、 西洋技術の導入が加速しました。
Q. 1855年の重要人物は誰ですか?
幕府関係者や西洋技術を学んだ人々が重要です。
Q. 1855年は日本にとってどんな意味がありますか?
1855年は、社会の混乱と近代化の進展が重なり、 幕末の大変動を象徴する年です。
社会不安の高まりは、幕府と政治にどのような影響を与えたのか?
混乱の中で政治的対立は深まり、やがて大きな転換点へとつながっていきます。
幕末の動乱へ進む流れをあわせて理解できます。

