徳川家定とは|黒船来航後の将軍をわかりやすく解説

徳川家定(とくがわ いえさだ)は、江戸幕府第13代将軍です。
黒船来航後の激動期に将軍となり、幕末政治混乱の中で統治を行いました。
また、開国問題や将軍継嗣問題とも深く関わっています。
- 徳川家定とはどのような人物ですか?
- 江戸幕府第13代将軍です。
- なぜ有名なのですか?
- 黒船来航後の将軍だったためです。
- 井伊直弼との関係はありますか?
- はい。 大老として幕政を主導しました。
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目次
徳川家定とは簡単にいうと?
簡単に言えば、徳川家定とは「黒船来航後の混乱期を治めた将軍」です。
- 江戸幕府第13代将軍
- 1853年に将軍就任
- 黒船来航期の将軍
- 開国問題へ直面した
- 将軍継嗣問題が発生した
徳川家定の生涯
将軍就任
徳川家定は1824年に生まれました。
1853年、第13代将軍へ就任します。
しかし、同じ年にペリー率いる黒船が来航しました。
幕府は大きな危機へ直面します。
体調不安説
徳川家定は病弱だったとも言われています。
そのため、政治主導権は老中や大老へ移ることが多くなりました。
幕末政治混乱も進んでいきます。
開国問題
黒船来航後、幕府は開国対応を迫られます。
1854年には日米和親条約が締結されました。
さらに1858年には日米修好通商条約も結ばれます。
これによって日本は本格的開国へ進みました。
将軍継嗣問題
徳川家定には後継問題がありました。
紀州派と一橋派による将軍継嗣争いが発生します。
これが幕末政治対立をさらに激化させました。
井伊直弼の登場
1858年、大老となった井伊直弼は紀州慶福(後の徳川家茂)を後継へ決定します。
また、反対派弾圧として安政の大獄も行いました。
幕末政治はさらに不安定化します。
徳川家定の死
1858年、徳川家定は35歳で死去しました。
その後、徳川家茂が将軍となります。
幕末政治混乱はさらに深まっていきました。
徳川家定の人物像
徳川家定は穏やかで温厚な人物だったと言われています。
一方で、病弱説もあり政治主導力不足も指摘されます。
しかし、幕末最大級の危機時代を生きた将軍でした。
『坂の上の雲』との関係
『坂の上の雲』で描かれる明治日本は、幕末危機を経て成立しました。
徳川家定時代は、その危機が本格化した時代です。
そのため、徳川家定を理解すると、幕末から明治への流れも理解しやすくなります。
徳川家定の歴史的意義
- 黒船来航期の将軍だった
- 開国問題へ直面した
- 将軍継嗣問題が発生した
- 幕末政治混乱期を象徴した
徳川家定のポイントまとめ
- 江戸幕府第13代将軍
- 1853年に将軍へ就任した
- 黒船来航へ対応した
- 日米修好通商条約期の将軍だった
- 幕末政治混乱の中心時代を生きた

