日本海海戦のエピソード10選|東郷平八郎と連合艦隊の決断とドラマ
1905年(明治38年)は、日本が大国ロシアとの戦争を終え、国際的な地位を大きく高めた年です。
この年、日露戦争は日本海海戦などの勝利を経て終結し、アメリカの仲介によりポーツマス条約が結ばれました。
しかし、この条約では賠償金が得られなかったことなどから国内では不満が高まり、日比谷焼打ち事件が起こるなど社会不安も広がります。
つまり1905年は、「戦争に勝利して国際的地位を高めた一方で、その成果をめぐり国内で大きな動揺が生まれた年」といえます。
まず全体を把握
日露戦争の勝利は、日本に何をもたらしたのか?
戦争の終結により、日本は列強の一角としての地位を確立します。
明治維新からこの年に至るまでの流れを時系列で確認できます。
1905年のポイントQ&A
Q. 1905年は何が起きた?
A. 日本海海戦で日本が大勝し、日露戦争が終結しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 日本が欧州列強ロシアに勝利し、世界を驚かせたためです。
Q. この後どうなる?
A. ポーツマス条約が結ばれ、日本は国際的地位を確立します。
目次
1905年の重要出来事





- 日本海海戦で日本海軍がロシア艦隊に大勝した
- ポーツマス条約が締結され、日露戦争が終結した
- 樺太南部や満州の権益を獲得し、日本の国際的地位が上昇した
- 講和内容への不満から日比谷焼打ち事件が発生した
この年は何が変わったのか
1905年(明治38年)は、日露戦争の勝敗が決し、日本が列強の一員として国際社会に認められた決定的な年です。
日本海海戦(決定的勝利)
1905年5月、日本海海戦で日本海軍はロシアのバルチック艦隊をほぼ壊滅させました。
この勝利により戦局は決定的となり、日本は戦争の主導権を完全に握ります。
ポーツマス条約の締結
同年9月、アメリカの仲介によりポーツマス条約が結ばれ、日露戦争は終結しました。
条約では、日本は韓国における優越権や南樺太、満州の鉄道利権などを獲得しました。
日本の国際的地位の上昇
ロシアという大国に勝利したことで、日本は列強の一員として国際社会で認められるようになります。
アジアの国が欧米列強に勝利したことは、世界にも大きな衝撃を与えました。
日比谷焼打ち事件(講和への不満)
しかし、賠償金が得られなかったことなどから、日本国内では強い不満が広がりました。
その結果、東京で日比谷焼打ち事件が発生し、政府への抗議運動が激化しました。
つまり1905年は、戦争には勝利したが、その成果と負担をめぐって社会が揺れた年でした。
この年の重要人物
1905年は日露戦争の勝敗が決定し、日本の国際的地位が大きく変化した年です。その中心となった人物を整理します。
軍事(戦争を勝利に導いた人物)
- 東郷平八郎
日本海海戦でロシア艦隊を撃破し、戦争の帰趨を決定づけた連合艦隊司令長官 - 秋山真之
作戦参謀として戦術を立案し、日本海海戦勝利の中核を担った - 乃木希典
旅順攻略を指揮し、戦局全体に影響を与えた第三軍司令官 - 大山巌
奉天会戦を指揮した満州軍総司令官
外交・政治
- 小村寿太郎
ポーツマス条約を締結した全権代表 - 桂太郎
内閣総理大臣として戦争と講和を主導
国際関係
- セオドア・ルーズベルト
日露講和を仲介したアメリカ大統領
出来事・事物起源・話題
- 1月1日
- 難攻不落の旅順陥落
- 1月2日
- 旅順開城調印成立(司令官乃木希典、ステッセルの開城提議に同意し、開城規約同附録に調印)
- 1月5日
- 乃木希典将軍、敵将ステッセルと旅順城外水師営において会見
- 1月7日
- 旅順にて受領のロシア捕虜32,207名(各地にて旅順開城大祝勝会)
- 1月10日
- 旅順要塞の授受全て完了
- 1月12日
- 鴨緑江軍の編成決定
- 1月13日
- 日本海軍、潜水艇を導入
- 1月13日
- 乃木希典率いる第三軍、旅順入城式
- 1月14日
- 乃木希典、水師営南方の丘陵上において招魂祭を行う
- 1月14日
- 第三軍の北方転進開始
- 1月18日
- 島村速雄少将、第二戦隊司令官に転出
- 1月22日
- 「血の日曜日」事件、ペテルブルグで起こる (第一次ロシア革命)
- 1月25日
- 黒溝台附近において激戦開始
- 1月29日
- 厳寒を衝いて激戦、遂に黒溝台を占領し、ロシアを渾河右岸に駆逐
- 1月29日
- 週刊「平民新聞」、廃刊、「直言」をもってこれに代える
- 2月3日
- 韓国政府、警視庁第一部長丸山重俊を刑務顧問に任用する契約に調印
- 2月5日
- 日本最初の乗合自動車、広島市に開業
- 2月5日
- 平民社「平民新聞」の後継紙として「直言」を創刊
- 2月6日
- 旅順に鎮守府開庁
- 2月11日
- 満州ダルニーを大連と改称
- 2月11日
- 森下南陽堂、仁丹を発売
- 2月16日
- 郵便貯金法公布、実用新案法公布
- 2月20日
- 日本軍、?子嶺を占領
- 2月24日
- 日本軍、清河城を占領
- 3月1日
- 日本軍、奉天総攻撃
- 3月2日
- 日本軍、周官堡を占領
- 3月7日
- 奉天会戦最大の激戦、李官堡の戦い(大越兼吉少佐の自決)
- 3月9日
- 満州軍総司令官大山巌に勅語賜る
- 3月9日
- 日本軍、撫順及び安州を占領
- 3月10日
- 奉天占領(陸軍記念日)
- 3月15日
- 満州軍軍司令官・大山巌、奉天に入城する
- 3月16日
- 鉄嶺を占領
- 3月16日
- クロパトキン、総司令官を辞任
- 4月4日
- 早大野球部初の海外遠征
- 4月8日
- 閣議、韓国保護権確立を決定する
- 4月15日
- 漫画雑誌「東京パック」創刊
- 4月22日
- 日露戦争の戦没者28,999柱を靖国神社に合祀する
- 5月1日
- 平民社でメーデー茶話会
- 5月12日
- 小林、向後両烈士の殉難
- 5月25日
- 朝鮮京釜鉄道開通式
- 5月27日
- 日本海海戦に大勝(海軍記念日)
- 5月28日
- 日本海海戦にロシア艦隊全滅
- 5月28日
- 盛岡高等農林学校開校(現、岩手大学)
- 5月29日
- バルチック艦隊全滅、敵将ロジェストウェンスキー提督以下降伏
- 5月31日
- 日本政府、高平駐米公使に「ルーズベルト大統領への調停要請」を訓令
- 6月1日
- 塩の専売制度実施される
- 6月1日
- 米大統領ルーズベルトに日露講和友誼的斡旋を希望
- 6月3日
- 米大統領ルーズベルト、駐米日本公使高平小五郎を招き日露講和勧告
- 6月3日
- 東郷平八郎、敵のロジェストウェンスキー提督を佐世保の海軍病院に見舞う
- 6月10日
- 外相小村寿太郎、米国大統領の日露講和提議に対して承諾の旨を回答する
- 6月10日
- 英外相、林公使に日英同盟対案を提示
- 6月18日
- 台湾の暴風雨に倒潰家屋約3,600戸、半潰3,500戸、流失船数十隻
- 6月27日
- ロシア艦隊ポチョムキン号で水兵の反乱おこる
- 6月30日
- 相対性理論の論文初めて発表される
- 7月1日
- 実用新案法実施される
- 7月7日
- 樺太派遣軍第十三師団、メシヤ付近に上陸して直ちに進撃を開始する
- 7月8日
- 講和全権小村寿太郎外相一行、横浜を出発
- 7月9日
- 桂・タフト覚書成立
- 7月24日
- 樺太アレキサンドロフスク占領
- 7月26日
- 奉天にて征露八将軍記念撮影
- 7月29日
- 韓国、フィリピン問題に関する桂、タフト覚書成立
- 7月30日
- 孫文、中国革命同盟会結成
- 7月31日
- 日露戦争、終結
- 8月1日
- 公園に初めて音楽堂を開設(日比谷公園)
- 8月10日
- 日露講和第一回会議、ポーツマスで開催
- 8月12日
- 第二次日英同盟調印
- 8月12日
- ポーツマスに於ける日露講和談判、第二回会見
- 8月19日
- ポーツマスの日露講和談判、ロシアの拒絶にて一時延期となる
- 8月20日
- 孫文ら、東京で中国革命同盟会を結成
- 8月23日
- ポーツマスの日露講和談判、第八回にロシアの拒絶により将に決裂せんとす
- 8月24日
- 東京帝大教授戸水寛人、対露強硬意見により休職処分
- 8月25日
- 山路愛山ら「国家社会党」結成
- 8月28日
- 御前会議開かれる(日露講和談判の最後的譲歩条件をアメリカの小村全権に打電する)
- 9月1日
- 日露休戦議定書調印成る
- 9月1日
- 神戸製鋼所設立
- 9月3日
- 市民大会で日露講和条約破棄の決議
- 9月3日
- 潜水艇隊職員勤務令定める
- 9月5日
- ポーツマスにて日露講和条約調印
- 9月5日
- 日比谷で講和反対国民大会開かれ、交番などを焼き打ち、東京に戒厳令
- 9月6日
- 日比谷焼打事件を鎮圧するため、東京市外に戒厳令布かる(11月29日解除)
- 9月11日
- 九州・朝鮮間、関釜連絡船開始(下関・釜山航路)
- 9月11日
- 佐世保停泊中の軍艦「三笠」の火薬庫爆発して、火災により沈没(死傷者337名)
- 9月13日
- 日露休戦協定調印
- 9月14日
- 大山総司令官、全軍に休戦命令
- 9月14日
- 奥羽線、福島・青森全通
- 10月9日
- 政府の弾圧厳しく、平民社ついに解散(「直言」廃刊)
- 10月16日
- 平和克復の詔勅を下す
- 10月16日
- 日露平和条約公布、日露講話全権委員帰朝復命
- 10月18日
- 東郷平八郎、伊勢神宮に戦捷奉告
- 10月20日
- 連合艦隊、横須賀に凱旋
- 10月22日
- 海軍大将司令長官東郷平八郎、海軍中将上村彦之丞ら、東京に凱旋参内復命
- 10月23日
- モスクワ労働者武装蜂起
- 10月23日
- 東京湾上で、海軍凱旋式による大観艦式挙行(明治天皇、御召艦「浅間」に乗御)
- 10月24日
- 東郷平八郎大将以下の凱旋艦隊歓迎会(東京市民に依り上野公園に開催される)
- 10月26日
- ペテルブルグで第1回労働者代表ソビエトの選挙
- 10月30日
- ツァーリ、10月勅書で立憲政体をみとめる
- 10月31日
- 平和克復祝賀の為、各国公使参内
- 11月5日
- 朝鮮開城府に京義鉄道開通式
- 11月11日
- ロシアの捕虜ロジェストウェンスキー提督以下約7万、帰国の途に就く
- 11月15日
- 石油共同販売所設立
- 11月17日
- 明治天皇、伊勢大神宮に戦捷奉告
- 11月17日
- 第二次日韓協約(韓国保護条約)調印
- 11月20日
- 中央報徳会設立
- 11月30日
- 第一軍司令官黒木為楨凱旋
- 12月2日
- ロンドンの帝国公使館を大使館と改める(これより各国公使館を大使館に進める)
- 12月6日
- 普通選挙連合会結成
- 12月7日
- 満州軍総司令官大山巌元帥、同参謀長児玉源太郎大将、東京に凱旋
- 12月9日
- 第一軍司令官黒木為楨大将、東京に凱旋し直ちに参内復命す
- 12月12日
- 潜水艇隊条令公布される
- 12月17日
- 上野公園にて東京市民を挙げ満州軍総司令官大山巌元帥以下の凱旋大歓迎会
- 12月20日
- 韓国統監府を設置
- 12月20日
- 東郷平八郎、海軍軍令部長に任命
- 12月21日
- 伊藤博文を初代韓国統監に任命
- 12月21日
- 連合艦隊解散式(連合艦隊解散の辞)
- 12月21日
- 山県有朋を枢密院議長に親任
- 12月22日
- 満州に関し、日清間北京条約締結
- 12月22日
- 第22回帝国議会開院
- 12月23日
- 新政党大同倶楽部結成される
- 12月29日
- 乃木将軍の凱旋
- 12月31日
- 大山巌大将を参謀総長に親補
総理大臣
桂太郎(明治34年6月2日~明治39年1月7日)
生活の話題
衣
- 冠婚葬祭や他所ゆきに足袋をはくことが盛んになる
- 日露戦争後、地下足袋の使用激増
- 婦人の髪型、”二〇三高地”というのが流行
- 指輪を嫁入り仕度の一つにしているところが各地にあった
- 軍服カーキ色着用始まる
- 元禄模様大流行
- 人絹輸入増加して産業界にこの製造の機運高まる
- 学生間に腕時計の流行始まる
- 軍隊用雑ノウの使用が学生間に流行、学生カバン姿を消す
食
- アンパンの駅売り始まる
- 三ツ矢平野鉱泉株式会社が三菱のあとをうけて清涼飲料水を作る
住
- 岡山市水道竣工
- 神戸市水道竣工
- 大阪ガス会社開業
- 東京市中の富裕者の間に賃家を建てること流行
出版
- 『あこがれ』(石川啄木)
- 『巌窟王』(黒岩涙香)
- 『破戒』(島崎藤村)
- 『夏姫』(三木露風)
その他
- 絵はがき流行
- 猪方正規によるツツガムシ病源発見
地方の話題
東北
- 宮城・福島・岩手3県が72年来の大凶作
- 大湊が海軍要港となる(青森)
関東
- 日比谷公園で屈辱講和反対国民大会が開かれる
近畿
- 神戸のデイリーニュース社で露字新聞を創刊
- 大阪で講和反対・戦争継続の市民大会を開く
中国
- 島根県美濃郡の沖にロシア軍艦が座礁し乗組員が上陸して降伏する
- 新橋・下関間に直列列車を運転する(37時間)
九州
- 詩人野口寧斎が郷里の諫早町に諫早文庫をたてる(長崎)
- 対馬沖で日本連合艦隊がバルチック艦隊を撃破
この年のポイントまとめ
- 日本海海戦により、ロシアに決定的勝利を収めた
- ポーツマス条約により、日露戦争が終結した
- 韓国や満州における権益を獲得し、日本の地位が上昇した
- 講和内容への不満から、日比谷焼打ち事件が発生した
1905年は、日本が日露戦争に勝利し、国際社会における地位を大きく高めた年です。
ロシアという大国に勝利したことで、日本は列強の一員として認められるようになりました。
しかしその一方で、講和条件への不満から国内では激しい抗議運動が起こり、社会は大きく揺れ動きました。
この年を理解することで、日本がどのようにして列強の一員となったのか、その決定的な転機を理解することができます。
また、戦争の勝利が必ずしも国民の満足につながらないこと、近代国家における「外交・戦争・世論」の関係を考える重要な視点を得ることができます。
1905年のよくある質問 Q&A
Q. 1905年とはどんな年ですか?
1905年は、日本海海戦の勝利により 日露戦争が終結した年です。 日本の歴史における大きな転換点となりました。
Q. 日本海海戦とは何ですか?
日本海で行われた海戦で、 東郷平八郎率いる日本海軍がロシア艦隊を撃破しました。
Q. なぜ日本は勝てたのですか?
戦略・戦術の優位性や士気の高さ、 情報戦の成功などが勝因とされています。
Q. ポーツマス条約とは何ですか?
アメリカの仲介で結ばれた講和条約で、 日露戦争の終結を定めました。
Q. 日本は何を得ましたか?
韓国に対する優越権や南満州の権益などを得ましたが、 賠償金は得られませんでした。
Q. なぜ1905年は重要なのですか?
日本が初めて欧州列強に勝利し、 国際社会での地位を確立したためです。
Q. 国内ではどのような反応がありましたか?
賠償金が得られなかったことに対する不満から、 日比谷焼打事件が起こりました。
Q. この出来事はその後どうつながりますか?
日本は列強の一員として国際政治に関与し、 その後の歴史へと大きく影響していきます。
Q. 1905年の重要人物は誰ですか?
東郷平八郎、秋山真之、小村寿太郎などが重要人物です。
Q. 1905年は日本にとってどんな意味がありますか?
1905年は、日本が世界の列強の一員として 認められた歴史的な年です。
次に読むなら
勝利の裏で、なぜ国内の不満は高まったのか?
講和条件への不満は暴動へと発展し、戦後の日本は新たな課題に直面します。
その後の社会や政治の動きをあわせて理解できます。




