1893年(明治26年)の出来事

条約改正交渉の継続

今から133年前の出来事

この年の位置づけ

対外緊張の高まり

朝鮮問題をきっかけに日清戦争が始まりました。日本は近代国家として初めて本格的な対外戦争へ突入します。

1893年(明治26年)は、近代国家として成長した日本が、軍事・産業・社会の各分野で力を高めていった年です。

明治維新から約25年が経過し、日本は制度面だけでなく、実際の国力強化へと進んでいました。

この年は、軍事技術の進歩、インフラ整備、企業の発展などが同時に進み、日本の近代化が一段と具体化していきます。

つまり1893年は、「近代国家としての力が実体として整い始めた年」といえます。

まず全体を把握

日本はなぜ対外問題へ強く関心を向け始めたのか?

議会政治が動き始める中、日本は朝鮮問題など対外情勢への対応を強めていきます。
明治維新からこの年に至るまでの政治と発展の流れを時系列で確認できます。

明治時代の流れを一気に理解する →
1893年のポイントQ&A

Q. 1893年は何が起きた?
A. 議会と政府の対立が続き、政治が不安定な状況にありました。

Q. なぜ重要なのか?
A. 国内政治の混乱とともに、対外関係の緊張が高まっていたためです。

Q. この後どうなる?
A. 翌1894年に日清戦争が始まり、条約改正も実現します。
1894年(日清戦争・条約改正)を見る

1893年の重要出来事

  • 条約改正交渉を巡る外交問題が引き続き議論となった
  • 政府と民党の対立が続き、議会政治が不安定化した
  • 軍備拡張と近代国家建設政策が進められた
  • 朝鮮半島を巡る日本と清国の緊張が高まり始めた
  • 日清戦争前夜の外交・軍事体制整備が進展した

出来事・事物起源・話題

スポンサーリンク
1月17日
下瀬雅允が発明した爆薬を「下瀬火薬」と命名する
1月31日
日比谷公園が開園する
2月1日
御真影および教育勅語の奉安方法について、初めて各官庁・学校へ通達される
2月3日
国木田独歩、『欺かざるの記』を書き始める
2月7日
衆議院、内閣弾劾上奏案を可決する
2月10日
建艦費補充のため、内廷費30万円を6年間下賜する詔勅が出される
2月14日
アメリカ、ハワイ併合条約に調印する
2月17日
海軍省、下瀬雅允が発明した新火薬を採用する
2月18日
長野・直江津間の鉄道が開通する
2月22日
衆議院、製艦費を認めて予算案修正案を可決する
2月26日
予算案が成立する
3月20日
郡司成忠大尉、7隻の小舟で北航艇隊63名を率い、千島探検のため隅田川を出発する
3月25日
大阪・神戸間で電話が開通する
3月29日
伊勢松阪町で大火が発生する(約1,000戸焼失)
3月30日
三田尻港の築港工事が完成する
4月1日
日本初のアプト式鉄道が横川・軽井沢間で開通する
4月14日
出版法・版権法が公布される
5月8日
東京弁護士会が創立される
5月19日
防穀令問題について日朝間の交渉が成立し、日本への11万円の支払いが決定する
5月20日
海軍軍令部条例が公布され、初代軍令部長に中牟田倉之助が就任する
5月22日
戦時大本営条例が公布される
6月12日
陸軍中佐福島安正が単騎でのシベリア横断を成し遂げ、ウラジオストクに到着する
6月20日
海軍大尉郡司成忠が北方防備の調査のため同志十数名とともに択捉島へ到着する
6月29日
陸軍中佐福島安正がシベリア単騎横断を終えて帰国し、大歓迎を受ける
6月29日
下瀬雅允、火薬発明の功績により1,200円を下賜される
7月1日
三菱合資会社が設立される
7月8日
閣議で陸奥宗光外相の条約改正案を審議し、イギリスとの交渉方針を決定する
7月11日
御木本幸吉が真珠の養殖に成功する
7月13日
沼津御用邸が完成する
8月12日
「君が代」が祝祭日の唱歌として正式に定められる
9月11日
富岡製糸場が三井家へ払い下げられる
9月11日
東京帝国大学で講座制が導入される
9月24日
速射砲と無煙火薬を装備した帝国海軍巡洋艦「吉野」がイギリスで進水する
10月1日
二宮忠八が玉虫型飛行機を考案する
10月1日
安部井磐根らが大日本協会を結成し、内地雑居反対と現行条約維持を主張する
10月24日
相馬事件の被告6人に免訴判決が下される
10月26日
『二六新報』が創刊される
10月31日
文官任用令・文官試験規則が公布される
11月1日
明治座が開場する
11月7日
日本郵船が神戸―ボンベイ航路を開設する
11月20日
『朝野新聞』が創刊される
11月22日
実業補習学校規程が制定される
11月25日
第5回通常帝国議会が召集される
11月27日
ノーベル賞創設が発表される
11月29日
衆議院、星亨議長不信任案を可決するが、星は辞職を拒否する
11月29日
大倉組が設立される
12月1日
衆議院、取引所汚職問題をめぐり星亨議長不信任上奏案を可決する
12月30日
衆議院が解散される

この年に始まったこと

1893年(明治26年)は、日清戦争前夜の緊張が高まるなか、日本の軍備拡張と議会政治の運営が新たな段階へ入った年です。近代国家としての体制強化が進められました。

  • 軍備拡張計画が本格化した
    清国との対立を背景に、陸海軍の増強計画が本格的に進められました。
  • 日清対立の新段階が始まった
    朝鮮半島をめぐる日本と清国の対立が深まり、両国関係は戦争前夜の状況へ近づきました。
  • 議会と政府の協調路線が模索され始めた
    予算審議などを通じて、政府と政党勢力の妥協や協力が徐々に進み始めました。
  • 近代海軍の拡充が本格化した
    海軍力強化を目的とした艦艇整備や予算拡大が進められました。
  • 対外膨張政策への準備が始まった
    朝鮮問題への関与を強める中で、日本の対外政策は新たな段階へ入りました。

1893年は、「日清戦争へ向けた準備が本格化した年」でした。

この年は何が変わったのか

1893年(明治26年)は、議会政治が徐々に定着し始める一方で、対外問題への関心がさらに高まった年でした。政府と政党の対立は続いていましたが、日本は近代国家としての外交・軍事体制強化を進めていきます。

帝国議会で政府と政党の対立が続いた

帝国議会では予算案をめぐり、政府と政党勢力の対立が続いていました。藩閥政府中心の政治に対して、政党側は議会権限拡大を求めていきます。

自由党と立憲改進党が議会政治で存在感を強めた

自由党や立憲改進党は、帝国議会内で徐々に勢力を拡大していきました。日本の政党政治はまだ発展途上でしたが、議会を通じた政治運営が少しずつ定着し始めます。

軍備拡張によって近代軍事国家化が進んだ

清との対立や東アジア情勢悪化を背景に、日本では軍備拡張が進められていました。陸軍・海軍ともに近代化が進み、日本は軍事力強化を急いでいきます。

朝鮮問題への緊張がさらに高まった

朝鮮半島をめぐる日本と清の対立は徐々に深まっていました。日本国内でも「朝鮮問題は国家安全保障に直結する」という認識が強まっていきます。

殖産興業によって産業発展が続いた

鉄道・通信・工業化政策は引き続き進められ、日本経済は徐々に発展していきました。近代国家を支える産業基盤整備がさらに進んでいきます。

日清戦争前夜の空気が強まり始めた

議会政治や近代化が進む一方で、日本は対外問題への対応を迫られる時代へ入っていきました。1893年は、翌年の日清戦争へ向かう緊張感が徐々に高まっていった一年でした。

この年の重要人物

1893年(明治26年)は、条約改正問題や朝鮮半島情勢をめぐる議論が続く中、政府と議会の対立が深まった年です。一方で、翌年の日清戦争へ向けて国内外の緊張が高まり、日本の外交政策が大きな転換点を迎えつつありました。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。

  • 伊藤博文
    第2次伊藤内閣を率い、議会運営や外交問題への対応を進めました。政党との協調を模索しながら政府の安定化を図りました。
  • 陸奥宗光
    外務大臣として条約改正交渉を進めました。翌年の領事裁判権撤廃につながる外交努力を続けた中心人物です。
  • 大隈重信
    立憲改進党の指導者として議会政治の発展を訴えました。政府との対立と協調を繰り返しながら影響力を維持しました。
  • 板垣退助
    自由党の指導者として民党勢力を率いました。議会を通じた政治改革を目指し、政党政治の発展に貢献しました。

総理大臣

伊藤博文(明治25年8月8日~明治29年8月31日)

生活の話題

  • 弁護士の法服制
  • 各地に山高帽子普及
  • 鞄業同業者が鞄盛会を東京に組織
  • インドからも綿が入ってくるようになる

  • 北海道宗谷で鯨肉缶詰の製造がおこる
  • 岩谷商会が天狗煙草の売捌元となる

  • 非内地雑居運動盛ん
  • 国産自転車製造を宮田製作所始める

地方の話題

北海道

  • 郡司成忠海軍大尉の率いる北航艇隊が千島開拓にのりだし、占守島にたどりつく

東北

  • 吾妻山が大噴火(福島)
  • 郡司成忠海軍大尉の北航艇隊が下北半島沖で遭難する(青森)
  • 東北廿四州会が仙台で開かれる(宮城)

関東

  • 西・北・南の三多摩郡を神奈川県から東京府に移す
  • 富岡製糸所を三井に払い下げる(群馬)

中部

  • 新潟県有志が探北義団をつくり、沿海州探検を計画する

近畿

  • 宮津港をロシア・朝鮮貿易の船舶出入港として指定する(京都)

九州

  • 三潴郡民3,000人が福岡県政に反抗して竹槍騒動がおこる(福岡)

1893年のポイントまとめ

  • 条約改正問題が大きな政治課題となった
    不平等条約改正をめぐる外交交渉が続き、日本国内では政府外交への賛否が広がっていました。
  • 政党政治がさらに発展した
    帝国議会では民党勢力と政府側の対立が続き、政党の政治的影響力は徐々に強まっていきました。
  • 軍備拡張への関心が高まり始めた
    東アジア情勢の緊張を背景に、日本国内では海軍・陸軍の強化を求める声が強くなっていきました。
  • 産業・経済の近代化が進んだ
    鉄道整備や工業化が進み、日本は近代産業国家として成長を続けていました。
  • 日清戦争前夜の空気が強まり始めた年であった
    1893年は、外交・軍事・政治の各分野で、日本が対外戦争へ向かう時代の変化を感じさせる重要な年でした。

1893年は、議会政治の発展とともに、日本の軍事・外交政策が大きく動き始めた年でした。 不平等条約改正問題や東アジア情勢への対応を通じて、政府は国力強化を急いでいきます。 翌1894年の日清戦争へ向け、日本社会全体に緊張感が高まり始めた重要な時期となりました。

1893年のよくある質問 Q&A

Q. 1893年とはどんな年ですか?

1893年は、議会と政府の対立が続き、 政治が不安定な状況にあった年です。 同時に対外関係の緊張も高まっていました。

Q. なぜ政治が不安定だったのですか?

政府と政党が対立し、 予算や政策をめぐって衝突が続いたためです。

Q. 当時の議会はどのような状況でしたか?

衆議院と政府の対立が激しく、 議会運営は安定していませんでした。

Q. 対外関係では何が起きていましたか?

朝鮮をめぐる日本と清の対立が深まり、 戦争の可能性が高まっていました。

Q. なぜ1893年は重要なのですか?

国内政治の混乱と対外緊張が重なり、 翌年の大きな転換への準備段階となったためです。

Q. 1893年の出来事はその後どうつながりますか?

翌1894年に日清戦争が勃発し、 日本の国際的地位が大きく変わります。
1894年(対外転換の年)を見る

Q. 他に重要な流れはありますか?

政党と政府の関係調整が進み、 近代政治の基盤が徐々に整えられていきました。

Q. 1893年の重要人物は誰ですか?

伊藤博文、板垣退助、大隈重信などが重要人物です。

Q. 1893年は日本にとってどんな意味がありますか?

1893年は、国内外の緊張が高まり、 日本が大きな転換点へ向かう直前の年です。

次に読むなら

高まる対外緊張は、日本をどこへ向かわせるのか?

朝鮮半島をめぐる対立はさらに深まり、日本はやがて日清戦争へと進んでいきます。
明治後期の大きな転換点をあわせて理解できます。

日清戦争へ向かう流れを確認する →

時代の流れをもう少し広く見る

明治時代年表から、この年の前後をたどる

明治維新から日清・日露戦争、近代国家の形成までを時系列で整理しています。

スポンサーリンク