1869年(明治2年)は、明治政府が本格的に全国支配へと踏み出し、「幕藩体制の解体」が現実に始まった年です。
前年の明治維新によって政権は交代しましたが、この時点ではまだ旧来の藩による支配が残っていました。
しかしこの年、版籍奉還が行われたことで、土地と人民が天皇に返還され、国家の仕組みは大きく変わり始めます。
さらに東京への遷都や制度改革も進み、新しい国家の形が具体化していきました。
つまり1869年は、「新政府が全国を統治する国家へと動き始めた年」といえます。
なぜ日本は中央集権国家へと進んでいったのか?
版籍奉還により、藩主は領地と人民を朝廷に返上し、中央集権化が進みます。
明治維新からこの年に至るまでの変化の流れを時系列で確認できます。
Q. 1869年は何が起きた?
A. 戊辰戦争が終結し、新政府が全国の支配を確立しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 明治政府が日本全体を統一し、近代国家の基盤が整ったためです。
Q. この後どうなる?
A. 中央集権化が進み、廃藩置県などの大改革が行われます。
→ 1871年(廃藩置県)を見る
1869年の重要出来事
- 五稜郭の戦いにより旧幕府軍が敗北し、戊辰戦争が終結した
- 版籍奉還が行われ、大名が領地と人民を天皇に返上した
- 明治政府が全国を統一し、新しい国家体制が確立された
この年は何が変わったのか
1869年(明治2年)は、明治維新の戦いが終わり、日本が本格的に「一つの国家」として動き始めた年です。
五稜郭の戦い(戊辰戦争の終結)
北海道・箱館での戦いにおいて、旧幕府軍は新政府軍に敗北しました。
五稜郭が開城されることで、約1年半に及んだ戊辰戦争は終結します。
この戦いの終わりによって、幕府勢力の抵抗は完全に終わり、明治政府が国内を統一することとなりました。
版籍奉還
諸藩の大名は、自らの領地(版)と人民(籍)を天皇に返上しました。
これにより、各地を支配していた藩は形式上解体され、中央政府による統一国家への移行が進みます。
明治政府による全国統一
戊辰戦争の終結と版籍奉還によって、日本は実質的に一つの中央政府のもとに統一されました。
これまでの「藩ごとの支配」から、「国家による統治」へと大きく転換していきます。
つまり1869年は、戦いが終わり、日本が本格的に近代国家として動き始めた年でした。
この年の重要人物
1869年は、版籍奉還によって幕藩体制の解体が始まり、明治政府による中央集権国家の基盤づくりが進んだ年です。この変化を主導した人物を整理します。
■ 新政府(制度改革の中心)
- 大久保利通
新政府の中枢として中央集権化を推進し、国家体制の整備を主導した - 木戸孝允
版籍奉還など制度改革に関与し、新政府の方向性を定めた - 西郷隆盛
軍事・政治の両面で新政府を支え、体制の安定に寄与した
■ 諸藩(版籍奉還)
- 毛利敬親
長州藩主として版籍奉還をいち早く申し出た - 島津忠義
薩摩藩主として版籍奉還に応じ、中央集権化に協力した
■ 国家の象徴
- 明治天皇
東京行幸などを通じて新政府の正統性を示し、新国家の中心となった
出来事・事物起源・話題
- 1月1日
- 日本最初の洋式燈明台を三浦半島・観音崎に開設
- 1月10日
- 安房国の野島岬灯台竣工する
- 1月10日
- 日独修交通商航海条約成り調印
- 1月14日
- 横浜港に初めて燈台竣工
- 1月20日
- 薩長土肥藩主、版籍奉還を上奏
- 1月20日
- 諸道の関門、関所廃止を布告
- 1月23日
- 薩長土肥の四藩、率先して版籍奉還(これより各藩これに倣って奉還する)
- 2月3日
- 毛利元就に豊栄神社を賜号
- 2月5日
- 造幣局を設置(金銀座廃止)
- 2月8日
- 新聞紙印行条例(新聞紙刊行初めて許される)
- 2月22日
- 諸開港場に通商司を設置
- 2月24日
- 太政官を京都より東京に移す
- 3月7日
- 最初の議事院たる公議所、東京で開催(諸藩より約220名参加、切腹の禁止、帯刀廃止などを討議)
- 3月8日
- 造幣局を大阪の川崎に創設
- 3月9日
- 函館討伐の官軍、品川を発す(黒田清隆、山田顕義ら軍艦及び運送船8隻に分乗)
- 3月10日
- 名主の制廃止
- 3月12日
- 伊勢大神宮へ天皇御親拝の始(明治天皇が伊勢へ行幸、内宮外宮御親拝)
- 3月20日
- 府県に小学校を設け、また東京府に中小学校取調掛を設ける
- 3月20日
- 朝廷修史のため史料編纂国史校正局を九段上旧和学講談所に設置(東京帝大史料編纂掛の始)
- 3月25日
- 宮古湾海戦(幕府残党軍によるストーンウォール号奪還事件)
- 3月28日
- 明治天皇、再び東京へ
- 3月30日
- 久我通久を函館鎮撫総督に任じ、軍艦「朝陽丸」にて差遣を命ぜられる
- 4月15日
- 両替町を改称し銀座に
- 4月24日
- 官軍の船艦8隻、函館港にて幕府残党の船艦と戦う(勝敗決せず)
- 4月29日
- 陸海軍のため軍律制定される
- 5月9日
- 日本で初めてアイスクリームが製造販売される
- 5月11日
- 函館において官軍海陸相呼応し、幕府の残党軍と戦いこれを撃破する(土方歳三、戦死)
- 5月13日
- 議政官を廃し、輔相・議定・参与を行政官におく
- 5月18日
- 五稜郭が落城(榎本武揚、部下の命乞いをして官軍に降り、函館戦争平定)
- 5月21日
- 京都に日本初の公立小学校開校(現在の柳池中学校)
- 6月4日
- 蝦夷開拓督務(北海道庁官の前身)として鍋島直正を任命
- 6月12日
- 室蘭、函館らの賊徒、悉く平定
- 6月15日
- 東京の昌平校を改めて大学校となし、開成医学の二校を附属する
- 6月17日
- 諸藩の版籍奉還の勅許あり、公卿、大名らの称を廃し、華族と改める
- 6月19日
- 東京九段に靖国神社造営起工
- 6月21日
- 明治政府としては最初の渡航免状が下付(佐藤進、横浜を出帆しドイツへ向う)
- 6月25日
- 藩知事家臣を士族と称し、農工商民を平民とする
- 6月28日
- 明治天皇、群臣を率いて神祇局に臨み、国是一定を天神地祇、皇祖の霊に告給う
- 6月29日
- 九段に招魂社創建、戊辰戦争戦死者を祀る(1879年靖国神社と改称)
- 7月7日
- 公議所を廃し、衆議院設立
- 7月8日
- 政府官制を改革し、神祇官・太政官・民部省・大蔵省・兵部省・刑部省・宮内省・外務省および開拓使・衆議院そのほかを設置、行政官・6官・上局会議を廃止(二官六省の制)
- 7月10日
- 銭価を定め10貫文を1両とする
- 7月17日
- 太政官令にて三府の外、県と称す
- 7月25日
- 定期蒸気船初めて東京・横浜間に運輸を開始(毎日2回運輸、片道賃金100匹)
- 7月29日
- 明治最初の盛大な能楽が、赤坂の紀州藩邸で演じられる
- 8月1日
- 日本最初の鉄橋が、長崎の浜町通りに竣工
- 8月9日
- デンマークに注文の電信敷設用の諸機械、横浜に到着
- 8月12日
- 民部、大蔵の二省合併される
- 8月13日
- 医学校(東京大学医学部の前身)において最初の人体解剖行われる
- 8月15日
- 蝦夷地を北海道と改称
- 8月20日
- 明治新政府、東京市内の地所約916万6,770坪を民間に払下げを行う
- 8月25日
- 菊花御紋章の制定められる
- 9月4日
- 兵部大輔大村益次郎、京都で襲撃される(11月5日死亡)
- 9月14日
- オーストリアと通商航海条約調印
- 9月18日
- 東京築地に海軍操練所を開所(海軍兵学校の前身)
- 10月2日
- 政府、海軍はイギリス式、陸軍はフランス式と定める
- 10月7日
- 庶民の西洋型船舶所有許される
- 10月22日
- 西周、兵部省に出仕(以後、陸軍軍制の整備・軍人勅諭の制定などに参画)
- 10月23日
- 無提灯の夜行を禁止
- 11月4日
- 海軍操練所を海軍兵学寮、大阪兵学寮を陸軍兵学寮と改称
- 11月4日
- 大阪造幣寮が火事
- 11月5日
- 大村益次郎、逝く
- 11月10日
- 政府鉄道布設のことを決議する
- 11月19日
- 金銀銅の自由貿易を禁ず
- 12月2日
- 禄制を定め藩士の俸禄を削減する
- 12月17日
- 大学校を大学、開成所を大学南校、医学校を大学本校と改称する
- 12月21日
- 安房の野島崎に西洋式燈台竣工点火する(相州観音崎燈台に次ぐ西洋式燈台)
- 12月24日
- 外務大臣丸山作楽など、樺太にてロシア代表と日露境界を談判(容易に決せず)
- 12月25日
- 東京・横浜間電信開通、伝信局を置き、通信規則・料金を定め、公衆電報の取扱開始
生活の話題
衣
- 森有礼、廃刀論に物議をかもす
- 大村益次郎廃刀論、兵制改革の主唱者なりとて暗殺される
- 松村庄三郎、銀座に散髪店を開く
- 『敬蒙知恵の輪』出版、その中に背広の語をみる
- 百姓町人の苗字帯刀廃止
食
- 安南・サイゴン米輸入、米価下がる(2月より)
- 通商司、築地牛馬会社設立、搾乳と牛の屠殺始める
- 風月堂、パンを売り始める
- 東京に牛鍋屋の開業多し
- 千葉県の角田某、養豚を奨励し、その建白をなす
住
- 芝海軍所の洋風建築なる
その他
- 関所廃止
- 小学校創始
- 東京市中、名主・自身番廃止
- 東京市中、月行事・五人組廃止
- 版籍奉還・知事の制・華族・士族・平民の別を定める
- 東京府種痘施行
- 秋葉大助、人力車製造場開設
- 諸街道三十六町を一里とする
- 金・銀・銅、自由売買禁止
- 府藩県の紙幣私製禁止
- 京浜間電信開通
- 京浜間乗合馬車始まる
この年のポイントまとめ
- 五稜郭の戦いにより、戊辰戦争が終結した
- 旧幕府勢力が完全に消滅し、明治政府が全国を統一した
- 版籍奉還により、藩から中央政府への権力移行が進んだ
- 日本が統一国家としての体制へと大きく転換した
1869年は、明治維新の戦いが終わり、日本が統一国家として再出発した年です。
軍事的な対立は終結し、政治の主導権は完全に明治政府へと移りました。
さらに版籍奉還によって、地方分権的な藩体制は中央集権国家へと変わり、日本は近代国家への歩みを本格的に進めていきます。
この年を理解することで、明治維新が「革命の始まり」ではなく、「国家統一の完成」であったことが見えてきます。
また、その後の廃藩置県や中央集権体制の確立が、どのような流れの中で進められたのかを理解する重要な基礎となります。
1869年のよくある質問 Q&A
Q. 1869年とはどんな年ですか?
1869年は、戊辰戦争が終結し、 明治政府が日本全国を統一した年です。
Q. 戊辰戦争はどのように終わりましたか?
旧幕府勢力の最後の拠点であった箱館(函館)が陥落し、 新政府軍の勝利で戦争は終結しました。
Q. 箱館戦争とは何ですか?
箱館戦争は、戊辰戦争の最後の戦いです。 榎本武揚ら旧幕府勢力が北海道で抵抗しましたが、 新政府軍に敗れました。
Q. なぜ1869年は重要なのですか?
日本全国が新政府のもとに統一され、 明治国家が実質的に成立したためです。
Q. 版籍奉還とは何ですか?
1869年に大名が領地と人民を天皇に返した制度です。 これにより中央集権国家への第一歩が踏み出されました。 → 1871年(廃藩置県)を見る
Q. 政府はどのような改革を進めましたか?
中央集権化や近代国家の制度づくりを進めました。 その流れは後の大改革へとつながります。
Q. 1869年の出来事はその後どうつながりますか?
廃藩置県や徴兵制などの改革が進み、 近代国家としての体制が整っていきます。 → 1873年(徴兵令)を見る
Q. 1869年の重要人物は誰ですか?
明治天皇、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、榎本武揚などが重要人物です。
Q. 1869年は日本にとってどんな意味がありますか?
1869年は、明治政府が日本を統一し、 近代国家としての歩みを本格的に開始した年です。
中央集権化は、その後どのように完成していくのか?
廃藩置県や制度改革へと進み、日本は本格的な近代国家へと変化していきます。
明治初期の改革の流れをあわせて理解できます。
