1886年(明治19年)は、日本の近代国家づくりが制度面から一層進んだ年です。
この年、帝国大学令や学校令が公布され、教育制度が大きく整備されました。また、条約改正を目指した外交交渉も続けられ、国家としての体制強化が進められていきます。
つまり1886年は、教育制度が整えられ、近代国家の基盤が固められた年」といえます。
なぜ日本は制度整備を急速に進めたのか?
帝国大学令の公布などにより、教育や行政の基盤が整えられていきます。
明治維新からこの年に至るまでの近代化の流れを時系列で確認できます。
Q. 1886年は何が起きた?
A. 帝国大学令や中学校令などが制定され、教育制度が整備されました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 近代国家を支える人材育成の仕組みが整ったためです。
Q. この後どうなる?
A. 憲法が制定され、近代国家体制が完成します。
→ 1889年(大日本帝国憲法)を見る
この年の重要出来事
- 帝国大学令が公布され、東京大学は帝国大学となった
- 師範学校令・小学校令・中学校令が公布され、近代教育制度が整備された
- 北海道庁が設置され、北海道統治の仕組みが再編された
- 東経135度の子午線時を日本の標準時と定めた
- ノルマントン号事件が起こり、不平等条約への批判が高まったった
この年は何が変わったのか
帝国大学令の公布
1886年(明治19年)、帝国大学令が公布され、東京大学は帝国大学へと改組されました。 これにより、日本の高等教育は国家主導のもとで体系化され、近代国家を支える人材育成の基盤が整えられていきます。
学校令(小学校令・中学校令・師範学校令)の公布
同年には、小学校令・中学校令・師範学校令が公布され、初等教育から中等教育、教員養成までの制度が整備されました。 教育は国家運営の柱として位置づけられ、全国で統一された教育体制が確立されていきます。
北海道庁の設置
北海道では、開拓使の廃止後の統治体制として北海道庁が設置されました。 これにより、北海道の行政はより安定した形で運営されるようになり、国家による地域統治の仕組みが強化されました。
日本標準時の制定
東経135度の子午線を基準とする日本標準時が定められ、全国で時間が統一されました。 地域ごとに異なっていた時刻は整理され、日本社会は共通の時間のもとで動く近代国家へと進んでいきます。
ノルマントン号事件
イギリス船ノルマントン号の沈没をめぐる裁判では、日本人側に不利な判決が下されました。 この事件は、治外法権を含む不平等条約への不満を強く意識させ、日本国内で条約改正を求める声を高める契機となりました。
このように1886年は、教育・行政・時間制度といった国内の基盤が整備される一方で、 外交面では依然として不平等な立場に置かれている現実が浮き彫りとなった年でした。
出来事・事物起源・話題
- 1月1日
- 正貨兌換を開始する(銀本位制)
- 1月1日
- 鉄道定期乗車券、初めて発行される
- 1月9日
- 修史館を廃し、内閣に臨時修史局を設置
- 1月26日
- 北海道の3県を廃止し北海道庁開設(長官は岩村通俊)
- 1月28日
- 鎮台を廃して師団とする
- 1月28日
- ハワイと渡航条約調印
- 2月27日
- 各省官制通則を公布、職種・指揮命令系統を定める
- 2月28日
- 六鎮台を廃し師団とする(東京・仙台・名古屋・大阪・広島・熊本)
- 3月1日
- 帝国大学創立記念日(帝国大学令制定にともなって記念日と定める、公布は翌日2日)
- 3月2日
- 帝国大学令公布
- 3月3日
- 各省に次官を置く
- 3月9日
- 初代東京府知事(兼東京市長)に議官高崎五六を任命する
- 3月18日
- 名古屋に株式取引所設立
- 4月1日
- メートル条約に加盟
- 4月4日
- 東洋絵画共進会開催(於上野公園)
- 4月9日
- 東京高等師範学校開設
- 4月10日
- 師範学校令・小学校令・中学校令を公布する
- 4月29日
- 商船学校、高等師範学校などの管制交付
- 5月1日
- 外務大臣井上馨、各国公使と第一回条約改正会議を外務省にて開く
- 5月2日
- 国産鉛筆工場初めて東京四谷に設置(佐賀県人真崎仁六により起業)
- 5月10日
- 教科書検定条例制定
- 5月20日
- 東京浅草公園、開園祝賀会
- 5月30日
- 秋田市の大火(約3400戸焼失)
- 6月3日
- 自由党員の箱根離宮竣工式襲撃の陰謀発覚(静岡事件)
- 6月25日
- 日本薬局方制定公布
- 7月12日
- 東経135度の子午線時を本邦一般の標準時と定める
- 7月24日
- 監軍本部廃止
- 7月24日
- 東京築地の海軍兵学校、広島県江田島に移る(開校は8月1日)
- 7月26日
- 朝鮮独立運動の志士金玉均、日本に遊説中神奈川県において拘留の難に遭う
- 7月31日
- 箱根塔ノ島の離宮成る
- 8月13日
- 長崎上陸の清国水兵暴虐事件起こる
- 8月13日
- 登記法公布
- 10月16日
- 宝塚温泉落成式
- 10月18日
- 軍艦「畝傍」、回航の途につく
- 10月24日
- ノルマントン号事件 (英国汽船ノルマントン号、紀州沖の暗礁に沈没、日本乗客のみ溺死し問題起る)
- 10月24日
- 星亨・中江兆民ら全国有志大懇親会を開催
- 10月26日
- 薩摩、大隈に多数隕石落下
- 11月16日
- 赤十字条約へ加入の件公布
- 11月17日
- 東京の博愛社病院(後の日本赤十字病院)開院式あり(皇后宮行啓)
- 12月6日
- 矢島揖子ら婦人矯風会設立
- 12月11日
- 西村茂樹、日本道徳論を構ず
- 12月13日
- 神奈川県三浦郡三崎に最初の臨海実験所開設される
総理大臣
伊藤博文(明治18年12月22日~明治21年4月30日)
生活の話題
衣
- 帝国大学制服制帽を定める
- 婦人あみもの会発会
- 時計の輸入37,000余個
食
- 三田育種場『舶来穀菜要覧』を刊行、農家で栽培法を会得するものあり
- コレラ流行に際し、ラムネの宣伝功を奏し東京市民一般ラムネの存在をしる
住
- ドイツ建築技師ビョクマンの好意により、日本の建築技師及び職人20名がドイツに建築を学ぶため出発する
- 東京電燈会社、電球の製造に着手
文学
- 山田美妙著『新体詩選』刊(8月)
その他
- 鎮守府、軍港をおく
- 共立女子職業学校設立
- 共立病院内に看護婦教育所設立
- 神戸に曳船廻漕会社設立
- 若松港に筑豊?業組合設立
- 大阪で18歳未満の人力車夫を禁じ車夫服装を定める規則を公布
この年のポイントまとめ
- 帝国大学令により、高等教育制度の整備が進んだ
- 学校令の公布により、近代教育制度の基礎が固められた
- 北海道庁の設置により、北海道統治が再編された
- 日本標準時が定められ、全国共通の時間制度が整えられた
- ノルマントン号事件により、不平等条約への批判が高まった
まとめると「制度は整ったが、主権の限界が強く意識された年」
1886年は、日本が近代国家としての基盤を内側から固めた一方で、国際社会における不平等な立場を強く意識するようになった年です。
この年を理解することで、その後の条約改正や国家強化へと向かう流れがより明確に見えてきます。
1886年のよくある質問 Q&A
Q. 1886年とはどんな年ですか?
1886年は、教育制度の整備が進み、 近代国家としての人材育成体制が確立された年です。
Q. 帝国大学令とは何ですか?
帝国大学令は、東京帝国大学を中心とした高等教育制度を整備するための法律です。 日本の学問体系の基礎となりました。
Q. 中学校令とは何ですか?
中学校令は、中等教育の制度を定めた法律で、 全国的な教育体系の整備に貢献しました。
Q. なぜ教育制度の整備が重要だったのですか?
近代国家として発展するためには、 高度な知識や技術を持つ人材が必要だったためです。
Q. なぜ1886年は重要なのですか?
教育制度の整備により、 日本の近代化を支える人材育成の基盤が完成したためです。
Q. 1886年の出来事はその後どうつながりますか?
憲法制定が進み、
1889年に大日本帝国憲法が公布されます。
→ 1889年(近代国家の完成)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
行政・司法・教育の制度が整い、 日本は近代国家としての形を完成させつつありました。
Q. 1886年の重要人物は誰ですか?
伊藤博文、森有礼などが教育政策に関わった重要人物です。
Q. 1886年は日本にとってどんな意味がありますか?
1886年は、教育を通じて近代国家を支える基盤が完成した年です。
制度が整ったあと、日本はどのように発展していくのか?
教育や行政の整備を基盤に、日本はさらに近代国家としての体制を強化していきます。
明治中期から後期にかけての発展の流れをあわせて理解できます。
