1886年(明治19年)は、日本の近代国家づくりが制度面から一層進んだ年です。
この年、帝国大学令や学校令が公布され、教育制度が大きく整備されました。また、条約改正を目指した外交交渉も続けられ、国家としての体制強化が進められていきます。
つまり1886年は、教育制度が整えられ、近代国家の基盤が固められた年」といえます。
なぜ日本は制度整備を急速に進めたのか?
帝国大学令の公布などにより、教育や行政の基盤が整えられていきます。
明治維新からこの年に至るまでの近代化の流れを時系列で確認できます。
Q. 1886年は何が起きた?
A. 帝国大学令や中学校令などが制定され、教育制度が整備されました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 近代国家を支える人材育成の仕組みが整ったためです。
Q. この後どうなる?
A. 憲法が制定され、近代国家体制が完成します。
→ 1889年(大日本帝国憲法)を見る
目次
この年の重要出来事
- 帝国大学令が公布され、近代高等教育制度が整備された
- 学校令が制定され、教育制度改革が進められた
- ノルマントン号事件が発生し、不平等条約への不満が高まった
- 内閣制度の運用が本格化し、近代行政体制が整備された
- 憲法制定と立憲国家建設へ向けた準備がさらに進展した
出来事・事物起源・話題
- 1月1日
- 正貨兌換を開始する(銀本位制)
- 1月1日
- 鉄道定期乗車券が初めて発行される
- 1月9日
- 修史館を廃止し、内閣に臨時修史局を設置する
- 1月26日
- 北海道の3県を廃止し、北海道庁を開設する(長官は岩村通俊)
- 1月28日
- 鎮台を廃止し、師団制へ移行する
- 1月28日
- ハワイと渡航条約を締結する
- 2月27日
- 各省官制通則を公布し、職種や指揮命令系統を定める
- 2月28日
- 六鎮台を廃止し、師団制とする(東京・仙台・名古屋・大阪・広島・熊本)
- 3月1日
- 帝国大学創立記念日(帝国大学令制定に伴い記念日と定められる。公布は翌2日)
- 3月2日
- 帝国大学令を公布する
- 3月3日
- 各省に次官を置く
- 3月9日
- 初代東京府知事(兼東京市長)に高崎五六を任命する
- 3月18日
- 名古屋に株式取引所を設立する
- 4月1日
- メートル条約に加盟する
- 4月4日
- 東洋絵画共進会を上野公園で開催する
- 4月9日
- 東京高等師範学校を開設する
- 4月10日
- 師範学校令・小学校令・中学校令を公布する
- 4月29日
- 商船学校や高等師範学校などの官制を公布する
- 5月1日
- 外務大臣井上馨が各国公使を招き、第1回条約改正会議を外務省で開く
- 5月2日
- 国産鉛筆工場が初めて東京四谷に設立される(佐賀県出身の真崎仁六が創業)
- 5月10日
- 教科書検定条例を制定する
- 5月20日
- 東京浅草公園で開園祝賀会を開催する
- 5月30日
- 秋田市で大火が発生する(約3,400戸焼失)
- 6月3日
- 自由党員による箱根離宮竣工式襲撃計画が発覚する(静岡事件)
- 6月25日
- 日本薬局方を制定・公布する
- 7月12日
- 東経135度の子午線時を日本の標準時と定める
- 7月24日
- 監軍本部を廃止する
- 7月24日
- 東京築地の海軍兵学校を広島県江田島へ移転する(開校は8月1日)
- 7月26日
- 朝鮮独立運動家の金玉均が、日本遊説中に神奈川県で拘束される
- 7月31日
- 箱根塔ノ沢の離宮が完成する
- 8月13日
- 長崎上陸の清国水兵による暴行事件が発生する
- 8月13日
- 登記法を公布する
- 10月16日
- 宝塚温泉の落成式が行われる
- 10月18日
- 軍艦「畝傍」がフランスからの回航の途につく
- 10月24日
- ノルマントン号事件が発生する(英国汽船ノルマントン号が紀州沖で沈没し、日本人乗客のみが犠牲となって問題化する)
- 10月24日
- 星亨・中江兆民らが全国有志大懇親会を開催する
- 10月26日
- 薩摩・大隈地方に多数の隕石が落下する
- 11月16日
- 赤十字条約への加入を公布する
- 11月17日
- 東京の博愛社病院(後の日本赤十字病院)で開院式が行われる(皇后臨席)
- 12月6日
- 矢島楫子らが婦人矯風会を設立する
- 12月11日
- 西村茂樹が『日本道徳論』を著す
- 12月13日
- 神奈川県三浦郡三崎に日本初の臨海実験所が開設される
この年に始まったこと
1886年(明治19年)は、憲法制定と議会開設を見据えた制度整備が進んだ年です。教育・行政・鉄道などの分野で近代国家の基盤づくりが本格化しました。
- 帝国大学令が公布された
帝国大学令により帝国大学(後の東京帝国大学)の制度が整備され、日本の高等教育体制が本格的に始まりました。 - 小学校令が公布された
学校制度の再編が行われ、全国的な初等教育体制の整備が始まりました。 - 中学校令が公布された
近代的な中等教育制度が整備され、進学教育の基盤が築かれました。 - 師範学校令が公布された
教員養成制度が整備され、全国で教育水準を高める体制が始まりました。 - 教育令に代わる学校制度改革が始まった
森有礼の主導により、日本の近代教育制度が再構築されました。
1886年は、「近代教育制度が本格的に始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1886年(明治19年)は、明治政府が近代国家としての制度整備をさらに進めた年でした。教育制度や官僚制度が強化され、日本は憲法制定と近代国家建設へ向けて本格的に体制を整えていきます。
帝国大学令によって近代高等教育制度が整備された
1886年、帝国大学令が公布され、東京大学は帝国大学へ改編されました。国家を支える官僚や専門人材育成を目的とした近代高等教育制度が本格化していきます。
学校令によって教育制度改革が進められた
明治政府は小学校令・中学校令・師範学校令などを公布し、全国統一的な教育制度整備を進めました。近代国家に必要な国民教育体制がさらに強化されていきます。
伊藤博文による憲法制定準備が進んだ
伊藤博文を中心に、大日本帝国憲法制定へ向けた作業が本格化していました。ドイツ流立憲体制を参考に、日本独自の国家制度整備が進められていきます。
内閣制度による近代行政体制が安定し始めた
前年に始まった内閣制度は徐々に機能し始め、日本の行政運営は近代国家型へ移行していきました。官僚制度も整備され、中央政府の統治力はさらに強化されます。
ノルマントン号事件によって不平等条約問題が注目された
イギリス船ノルマントン号沈没事件では、日本人乗客が多数犠牲となった一方、外国人船員のみが救助されたことで世論が激しく反発しました。不平等条約改正を求める声はさらに高まっていきます。
近代国家としての基盤整備が本格化した
教育・行政・憲法準備など多方面で制度改革が進み、日本は本格的な立憲近代国家への道を進んでいきました。1886年は、明治国家体制がより強固になり始めた重要な一年でした。
この年の重要人物
1886年(明治19年)は、帝国大学令や師範学校令などが公布され、近代教育制度の整備が進んだ年です。また、内閣制度発足後の新政府が国家制度の整備を本格化させ、憲法制定に向けた準備も進められました。近代国家の基盤づくりが進んだこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 伊藤博文
内閣総理大臣として近代国家建設を主導しました。憲法制定に向けた準備を進め、政府改革の中心にいました。 - 森有礼
初代文部大臣として教育制度改革を推進しました。学校令の整備を進め、日本の近代教育制度の基礎を築きました。 - 山縣有朋
内務大臣として地方行政や国家制度の整備を進めました。近代国家体制の確立に重要な役割を果たしました。
総理大臣
伊藤博文(明治18年12月22日~明治21年4月30日)
生活の話題
衣
- 帝国大学制服制帽を定める
- 婦人あみもの会発会
- 時計の輸入37,000余個
食
- 三田育種場『舶来穀菜要覧』を刊行、農家で栽培法を会得するものあり
- コレラ流行に際し、ラムネの宣伝功を奏し東京市民一般ラムネの存在をしる
住
- ドイツ建築技師ビョクマンの好意により、日本の建築技師及び職人20名がドイツに建築を学ぶため出発する
- 東京電燈会社、電球の製造に着手
文学
- 山田美妙著『新体詩選』刊(8月)
その他
- 鎮守府、軍港をおく
- 共立女子職業学校設立
- 共立病院内に看護婦教育所設立
- 神戸に曳船廻漕会社設立
- 若松港に筑豊?業組合設立
- 大阪で18歳未満の人力車夫を禁じ車夫服装を定める規則を公布
1886年のポイントまとめ
- 帝国大学令によって近代高等教育制度が整備された
明治政府は帝国大学令を公布し、東京大学は帝国大学として日本最高学府へ位置づけられました。 - 学校制度改革がさらに進められた
小学校令・中学校令・師範学校令が制定され、日本の近代教育制度が本格的に整備されていきました。 - 伊藤博文による憲法制定作業が進行した
政府は立憲国家建設へ向けて、ドイツ憲法を参考にした制度研究を進めていました。 - ノルマントン号事件が発生した
イギリス船ノルマントン号沈没事件をきっかけに、不平等条約への国民不満が高まりました。 - 近代国家としての制度整備が加速した年であった
1886年は、教育・政治・外交の各分野で、日本近代国家の基盤がさらに強化された重要な年でした。
1886年は、教育制度改革によって日本近代教育の基盤が整えられた年でした。 その一方で、ノルマントン号事件によって不平等条約問題への不満も広がっていきます。 立憲国家建設と国際的地位向上を目指し、日本はさらに近代化を進めていくことになりました。
1886年のよくある質問 Q&A
Q. 1886年とはどんな年ですか?
1886年は、教育制度の整備が進み、 近代国家としての人材育成体制が確立された年です。
Q. 帝国大学令とは何ですか?
帝国大学令は、東京帝国大学を中心とした高等教育制度を整備するための法律です。 日本の学問体系の基礎となりました。
Q. 中学校令とは何ですか?
中学校令は、中等教育の制度を定めた法律で、 全国的な教育体系の整備に貢献しました。
Q. なぜ教育制度の整備が重要だったのですか?
近代国家として発展するためには、 高度な知識や技術を持つ人材が必要だったためです。
Q. なぜ1886年は重要なのですか?
教育制度の整備により、 日本の近代化を支える人材育成の基盤が完成したためです。
Q. 1886年の出来事はその後どうつながりますか?
憲法制定が進み、
1889年に大日本帝国憲法が公布されます。
→ 1889年(近代国家の完成)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
行政・司法・教育の制度が整い、 日本は近代国家としての形を完成させつつありました。
Q. 1886年の重要人物は誰ですか?
伊藤博文、森有礼などが教育政策に関わった重要人物です。
Q. 1886年は日本にとってどんな意味がありますか?
1886年は、教育を通じて近代国家を支える基盤が完成した年です。
制度が整ったあと、日本はどのように発展していくのか?
教育や行政の整備を基盤に、日本はさらに近代国家としての体制を強化していきます。
明治中期から後期にかけての発展の流れをあわせて理解できます。
