1880年(明治13年)は、日本が近代国家としての制度や体制を本格的に整え始めた年です。
この年、国会開設を求める運動が広がり、国会期成同盟が結成されるなど、政治参加を求める動きがさらに活発になります。一方で政府はこれを抑えるため「集会条例」を制定し、自由と統制のせめぎ合いが表面化しました。
さらに、刑法・治罪法の制定や「君が代」の完成、鉄道開通など、国家の制度や文化の整備も進んでいきます。
つまり1880年は、「自由を求める動きと国家統制がぶつかり、近代国家の骨格が整い始めた年」といえます。
Q. 1880年は何が起きた?
A. 自由民権運動が全国で活発化し、政府は集会条例で規制を強化しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 国民の政治参加要求が高まる一方、政府との対立が深まったためです。
Q. この後どうなる?
A. 1881年に国会開設の詔が出され、議会政治へ進みます。
→ 1881年(国会開設の詔)を見る
この年の重要出来事
明治13年は、日本の政治が大きく動き始めた年である。最大の特徴は、国会開設を求める運動が全国的に広がり、「国会期成同盟」が結成されたことである。これは自由民権運動が全国規模へと発展した象徴的な出来事であった。
一方で政府は、こうした政治運動の拡大に対して警戒を強め、「集会条例」を公布して言論や集会を制限する措置をとる。
政治参加の広がりと、それを抑える統制が同時に進んだ年
この年は何が変わったのか
この年、日本は政治の性格が大きく変わり始めた。それまでの政治は政府主導で進められていたが、国民が政治に参加し、意見を表明する動きが明確に広がっていく。
国会期成同盟の結成は、「政治は一部の政府だけのものではない」という意識の広がりを示している。一方で政府は、こうした動きを制限しようとし、集会や言論に規制をかける。
つまりこの年は、「国民の政治参加」と「国家による統制」が正面からぶつかり始めた年である。
この対立は、その後の憲法制定や議会開設へと続く重要な流れを生み出していく。
出来事・事物起源・話題
- 1月10日
- 陸軍に電信隊開設
- 1月20日
- シャム総領事品川弥二郎の斡旋により、シャムと本格的な国交開かれる
- 1月31日
- 陸軍飾隊式を観兵式と改める
- 2月5日
- 外国郵便為替創設
- 2月6日
- 横浜正金銀行の設立(開業は2月28日)
- 2月27日
- 陸軍、海軍、工部各省の連合精鉄製造所(後の製鉄所)設立の請を配す
- 2月28日
- 参議の各省兼任を止め、太政官と各省を分離する
- 3月8日
- スウェーデン最初の公使に柳原前光任命
- 3月17日
- 日愛国社第4回大会、国会期成同盟と改称(請願運動開始)
- 3月23日
- 内務省に駅逓官を設ける
- 3月24日
- デンマーク最初の公使に長岡護美、スイス公使に鮫島尚信を任命する
- 3月25日
- 前島密、駅逓総官に任用
- 3月30日
- 村田銃が発明される
- 4月5日
- 国会請願運動を拘束し、民心動揺を防ぐため「集会条例」定める
- 4月19日
- 河野広中・片岡健吉ら、約10万人の総代として国会開設の請願書を提出(却下される)
- 5月17日
- 陸奥弘前の大火(約1,000戸焼失)
- 5月20日
- 地価をさらに5年間据え置きと決定する
- 5月21日
- 越後三条町大火(約2,000戸焼失)
- 6月29日
- 東京代言人組合創立、会長は星亨(東京弁護士会の前身)
- 7月6日
- 井上外務卿、条約改正案を各国公使に交付(米・清を除く)
- 7月14日
- 京都・大津間の鉄道開通式(外国人技師に依頼せず邦人技師のみにて竣工せる最初の鉄道)
- 7月17日
- 刑法・治罪法制定
- 7月20日
- 明治天皇、神戸行幸の折、勅使を湊川神社へ差遣し、楠正成に正一位を追贈し給う
- 7月26日
- 明治天皇、中央道巡幸より帰還
- 8月7日
- 新潟の大火(約5,500戸焼失)
- 8月18日
- 日清両代表、琉球事件を商議する
- 8月31日
- エジソンの白熱電燈に特許権
- 9月15日
- 最初の美術学校、京都府画学校創立(現在の京都市立芸術大学)
- 10月8日
- 小笠原諸島、東京府に編入
- 10月25日
- 「君が代」が完成
- 11月5日
- 工場払下概則を定める
- 11月5日
- 地方税増税の2措置、松方正義、紙幣整理に着手
- 11月10日
- 東京馬車鉄道の設立認可される
- 11月10日
- 国会期成同盟第ニ回大会開かれる
- 11月28日
- 北海道最初の鉄道開通(小樽手宮駅より起工し札幌間まで開通)
- 12月14日
- 伊藤博文立憲政体に関し建白
- 12月15日
- 河野広中、松田正久、沼間守一など、東京に於て自由党の盟約成立する
- 12月17日
- 東京・京橋で最後の仇討ち
- 12月24日
- 大阪大火(南区に出火、約3,000戸焼失)
- 12月28日
- 改正教育令、公布(国家統制が強化される)
- 12月30日
- 東京神田日本橋大火(約2,000戸焼失)
生活の話題
衣
- 後藤毛織が毛糸生産をはじめる
- 近畿の綿作激減しはじめる
食
- 三田育種場孵卵器で孵化に成功したが普及せず
- 丸山三吉、信州飯田で梨の栽培をはじめ成功す
- 東京市内ビール販売店13店を数える
住
- 和製の弗匣(金庫)販売の新聞広告出る
文学
- 『六合雑誌』創刊(10月)
その他
- 巡査、棒を廃して洋劔を帯びる
- 集会条例発布
- 本所横綱に会員800名の日常共同購入を目的とする共立社ができる
- 工場払下概則制定
- 京橋三十間堀に父の仇討ちあり
- サガレン出稼漁者寄合結成される
この年のポイントまとめ
- 政治:国会期成同盟結成で国会開設運動が拡大
- 社会:自由民権運動が全国規模へ発展
- 統制:集会条例により言論・集会が制限
- 制度:伝染病予防など近代的統治制度が整備
- 意識:国民の政治参加意識が高まる
まとめると「政治参加の拡大と、それを抑える統制がぶつかり始めた年」
1880年は、日本において国民が政治に関わろうとする動きが本格化した年です。
この年を理解することで、その後の憲法制定や国会開設へとつながる政治の流れと、同時に強まっていく国家の統制の動きがより明確に見えてきます。
1880年のよくある質問 Q&A
Q. 1880年とはどんな年ですか?
1880年は、自由民権運動が全国的に広がり、 政府との対立が深まった年です。
Q. 自由民権運動はどのように広がりましたか?
各地で演説会や政治結社が活発に活動し、 憲法制定や議会開設を求める声が強まりました。
Q. 集会条例とは何ですか?
集会条例は、政治集会や演説を規制する法律で、 政府が民権運動を抑えるために制定しました。
Q. なぜ政府は規制を強化したのですか?
急激な政治運動の広がりによる社会不安を抑え、 政権の安定を維持するためです。
Q. なぜ1880年は重要なのですか?
国民の政治参加要求が頂点に近づき、 政府が対応を迫られた転換点だからです。
Q. 1880年の出来事はその後どうつながりますか?
政府は対応を迫られ、
1881年に国会開設の詔を出します。
→ 1881年(政治改革の決定)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
政党の結成へ向けた動きも活発になり、 近代政治の基盤が形成されていきました。
Q. 1880年の重要人物は誰ですか?
板垣退助、大隈重信、伊藤博文などが重要人物です。
Q. 1880年は日本にとってどんな意味がありますか?
1880年は、国民の政治参加の動きが最高潮に達し、 議会政治への移行が決定づけられた年です。
