1880年(明治13年)の出来事

国会期成同盟と自由民権運動

今から146年前の出来事

この年の位置づけ

自由民権運動の拡大

国会開設を求める自由民権運動が全国へ広がり、政府への政治参加要求が高まっていきました。

1880年(明治13年)は、日本が近代国家としての制度や体制を本格的に整え始めた年です。

この年、国会開設を求める運動が広がり、国会期成同盟が結成されるなど、政治参加を求める動きがさらに活発になります。一方で政府はこれを抑えるため「集会条例」を制定し、自由と統制のせめぎ合いが表面化しました。

さらに、刑法・治罪法の制定や「君が代」の完成、鉄道開通など、国家の制度や文化の整備も進んでいきます。

つまり1880年は、「自由を求める動きと国家統制がぶつかり、近代国家の骨格が整い始めた年」といえます。

まず全体を把握

なぜ人々は国会開設と政治参加を求め始めたのか?

自由民権運動の広がりにより、国民の間で政治参加への要求が高まっていきます。
明治維新からこの年に至るまでの改革と政治発展の流れを時系列で確認できます。

明治時代の流れを一気に理解する →
1880年のポイントQ&A

Q. 1880年は何が起きた?
A. 自由民権運動が全国で活発化し、政府は集会条例で規制を強化しました。

Q. なぜ重要なのか?
A. 国民の政治参加要求が高まる一方、政府との対立が深まったためです。

Q. この後どうなる?
A. 1881年に国会開設の詔が出され、議会政治へ進みます。
1881年(国会開設の詔)を見る

1880年の重要出来事

  • 国会期成同盟が結成され、国会開設運動が高まった
  • 自由民権運動が全国でさらに拡大した
  • 集会条例が制定され、政府による言論統制が強化された
  • 政府と民権派の対立が激化した
  • 立憲政治実現へ向けた動きが全国規模で進展した

出来事・事物起源・話題

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1月10日
陸軍に電信隊を開設する
1月20日
シャム総領事品川弥二郎の斡旋により、シャムと本格的な国交が開かれる
1月31日
陸軍飾隊式を観兵式と改める
2月5日
外国郵便為替を創設する
2月6日
横浜正金銀行を設立する(開業は2月28日)
2月27日
陸軍・海軍・工部各省の連合製鉄製造所(後の製鉄所)設立を請願する
2月28日
参議の各省兼任をやめ、太政官と各省を分離する
3月8日
スウェーデン初代公使に柳原前光を任命する
3月17日
愛国社第4回大会を開催し、国会期成同盟と改称する(請願運動開始)
3月23日
内務省に駅逓官を設置する
3月24日
デンマーク公使に長岡護美、スイス公使に鮫島尚信を任命する
3月25日
前島密、駅逓総官に任用される
3月30日
村田銃が発明される
4月5日
国会請願運動を抑制し、民心の動揺を防ぐため「集会条例」を制定する
4月19日
河野広中・片岡健吉らが約10万人の総代として国会開設請願書を提出する(却下される)
5月17日
陸奥弘前の大火(約1,000戸焼失)
5月20日
地価をさらに5年間据え置くことを決定する
5月21日
越後三条町の大火(約2,000戸焼失)
6月29日
東京代言人組合を創立する。会長は星亨(東京弁護士会の前身)
7月6日
井上外務卿、条約改正案を各国公使に交付する(米国・清国を除く)
7月14日
京都・大津間の鉄道開通式(外国人技師に頼らず、日本人技師のみで完成した最初の鉄道)
7月17日
刑法・治罪法を制定する
7月20日
明治天皇、神戸行幸の際、勅使を湊川神社へ遣わし、楠木正成に正一位を追贈される
7月26日
明治天皇、中央道巡幸より帰還される
8月7日
新潟の大火(約5,500戸焼失)
8月18日
日清両国代表、琉球問題について協議する
8月31日
エジソン、白熱電灯の特許を取得する
9月15日
最初の美術学校である京都府画学校を創立する(現在の京都市立芸術大学)
10月8日
小笠原諸島を東京府に編入する
10月25日
「君が代」が完成する
11月5日
工場払下概則を定める
11月5日
地方税増税の措置を行い、松方正義が紙幣整理に着手する
11月10日
東京馬車鉄道の設立を認可する
11月10日
国会期成同盟第二回大会が開かれる
11月28日
北海道最初の鉄道が開通する(小樽手宮駅から札幌まで開通)
12月14日
伊藤博文、立憲政体に関する建白書を提出する
12月15日
河野広中、松田正久、沼間守一らが東京で自由党の盟約を結ぶ
12月17日
東京・京橋で最後の仇討ちが行われる
12月24日
大阪大火(南区から出火し、約3,000戸焼失)
12月28日
改正教育令を公布する(国家統制が強化される)
12月30日
東京神田・日本橋の大火(約2,000戸焼失)

この年に始まったこと

1880年(明治13年)は、自由民権運動が全国へ広がるなか、集会や言論を規制する新たな法制度が導入された年です。また、国会開設に向けた政治運動も本格化し、日本の議会政治への歩みが進み始めました。

  • 集会条例が施行された
    政府は自由民権運動の高まりに対応するため集会条例を制定し、政治集会や言論活動への規制を開始しました。
  • 国会期成同盟が結成された
    自由民権派が結集して国会期成同盟を結成し、国会開設を求める全国的な運動が始まりました。
  • 国会開設請願運動が本格化した
    各地の民権運動家が政府へ国会開設を求める請願活動を展開し、立憲政治実現への動きが強まりました。
  • 自由民権運動の全国組織化が始まった
    地域ごとの運動が連携し、全国規模で政治改革を求める体制づくりが進みました。
  • 立憲国家実現への政治運動が新段階に入った
    憲法制定と議会開設を求める声が高まり、日本の政党政治の基盤形成が進み始めました。

1880年は、「国会開設運動が本格的に始まった年」でした。

この年は何が変わったのか

1880年(明治13年)は、自由民権運動が全国でさらに広がり、国会開設を求める声が強まった年でした。一方で明治政府は言論統制を強化し、政治的対立はより鮮明になっていきます。

自由民権運動によって国会開設要求が高まった

自由民権運動は各地で活発化し、「国民が政治へ参加するべきだ」という声が強まっていきました。政治結社や演説会も増え、日本社会は近代政治への関心を急速に高めていきます。

国会期成同盟によって政治運動が全国化した

板垣退助らは国会期成同盟を結成し、国会開設請願運動を進めました。これによって自由民権運動は地方単位から全国規模の政治運動へ発展していきます。

集会条例によって言論統制が強化された

明治政府は自由民権運動の拡大を警戒し、集会条例を制定しました。政治集会や演説への規制が強化され、政府と民権派の対立はさらに深まっていきます。

地方議会設置への流れが強まり始めた

自由民権運動の影響もあり、地方自治制度整備への議論が進められました。後の府県会開設や帝国議会設立へつながる政治制度改革が徐々に形になっていきます。

殖産興業によって近代産業化が進んだ

政府主導による産業育成政策は引き続き進められ、鉄道・通信・工場建設などが発展していきました。日本社会は政治だけでなく経済面でも近代化を進めていきます。

近代国家と自由政治思想が衝突し始めた

中央集権国家づくりを進める政府と、政治参加を求める民権派との対立は次第に激しくなっていきました。1880年は、日本の近代政治が本格的に動き始めた重要な一年でした。

この年の重要人物

1880年(明治13年)は、自由民権運動が全国的な広がりを見せた年です。国会開設を求める声が高まり、政府と民権派の対立が深まる一方、集会条例が制定されるなど政治活動への規制も強化されました。立憲政治への道筋が模索されたこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。

  • 板垣退助
    自由民権運動の指導者として全国で活動しました。国会開設と政治参加の拡大を訴え、民権派の中心人物として活躍しました。
  • 大隈重信
    政府内で立憲政治の導入を主張しました。後の国会開設や政党政治へつながる議論の中心人物の一人です。
  • 伊藤博文
    政府の中枢として国家制度の整備を進めました。立憲国家建設へ向けた準備を進めていた時期です。
  • 福澤諭吉
    著述や教育活動を通じて近代的な思想の普及に努めました。『学問のすゝめ』の理念は多くの人々に影響を与えていました。

生活の話題

  • 後藤毛織が毛糸生産をはじめる
  • 近畿の綿作激減しはじめる

  • 三田育種場孵卵器で孵化に成功したが普及せず
  • 丸山三吉、信州飯田で梨の栽培をはじめ成功す
  • 東京市内ビール販売店13店を数える

  • 和製の弗匣(金庫)販売の新聞広告出る

文学

  • 『六合雑誌』創刊(10月)

その他

  • 巡査、棒を廃して洋劔を帯びる
  • 集会条例発布
  • 本所横綱に会員800名の日常共同購入を目的とする共立社ができる
  • 工場払下概則制定
  • 京橋三十間堀に父の仇討ちあり
  • サガレン出稼漁者寄合結成される

1880年のポイントまとめ

  • 自由民権運動がさらに活発化した
    国会開設や憲法制定を求める政治運動が全国へ広がり、政府への改革要求が高まっていきました。
  • 国会期成同盟が結成された
    板垣退助らを中心に国会開設請願運動が進められ、民権運動は組織的な広がりを見せました。
  • 政府は集会条例を制定し言論統制を強化した
    明治政府は自由民権運動の拡大を警戒し、政治集会や言論活動への規制を進めました。
  • 立憲政治への準備が進み始めた
    国会開設要求の高まりを受け、政府内でも憲法制定や議会制度導入の議論が本格化していきました。
  • 政府と民権派の対立が深まった年であった
    1880年は、近代政治制度を求める国民の動きと、政府の統制強化がぶつかり合った重要な年でした。

1880年は、自由民権運動が全国規模へ拡大した年でした。国会期成同盟の結成によって、政治参加を求める声はさらに強まっていきます。 その一方で、政府は言論統制を強化し、近代国家日本は政治改革と統制の両立を模索する時代へ入っていきました。

1880年のよくある質問 Q&A

Q. 1880年とはどんな年ですか?

1880年は、自由民権運動が全国的に広がり、 政府との対立が深まった年です。

Q. 自由民権運動はどのように広がりましたか?

各地で演説会や政治結社が活発に活動し、 憲法制定や議会開設を求める声が強まりました。

Q. 集会条例とは何ですか?

集会条例は、政治集会や演説を規制する法律で、 政府が民権運動を抑えるために制定しました。

Q. なぜ政府は規制を強化したのですか?

急激な政治運動の広がりによる社会不安を抑え、 政権の安定を維持するためです。

Q. なぜ1880年は重要なのですか?

国民の政治参加要求が頂点に近づき、 政府が対応を迫られた転換点だからです。

Q. 1880年の出来事はその後どうつながりますか?

政府は対応を迫られ、 1881年に国会開設の詔を出します。
1881年(政治改革の決定)を見る

Q. 他に重要な流れはありますか?

政党の結成へ向けた動きも活発になり、 近代政治の基盤が形成されていきました。

Q. 1880年の重要人物は誰ですか?

板垣退助、大隈重信、伊藤博文などが重要人物です。

Q. 1880年は日本にとってどんな意味がありますか?

1880年は、国民の政治参加の動きが最高潮に達し、 議会政治への移行が決定づけられた年です。

次に読むなら

自由民権運動は、その後どのように政治を動かしていくのか?

国会開設運動や政党の成立を経て、日本は立憲国家への道を進んでいきます。
1880年代の政治改革の流れをあわせて理解できます。

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