1875年(明治8年)は、日本が本格的に対外進出へ踏み出した年です。江華島事件によって朝鮮との関係が大きく動き、同時にロシアとの国境問題も決着しました。一方で国内では言論統制が強まり、国家主導の統治体制が固められていきます。日本が「外に向かう国家」へ転じた重要な転換点といえるでしょう。
なぜ明治政府は政治制度の整備を進め始めたのか?
大阪会議を経て、政府は対立の調整を図りながら立憲政治への準備を進めていきます。
明治維新からこの年に至るまでの改革と対立の流れを時系列で確認できます。
Q. 1875年は何が起きた?
A. 元老院・大審院が設置され、近代的な政治・司法制度の整備が進みました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 立憲政治へ向かう体制づくりが始まった一方、言論統制も強化されたためです。
Q. この後どうなる?
A. 国会開設に向けた動きが進み、1881年に大きな転機を迎えます。
→ 1881年(国会開設の詔)を見る
目次
1875年の重要出来事
- 大阪会議が開かれ、政府と自由民権派の協調が図られた
- 元老院・大審院が設置され、近代政治制度整備が進んだ
- 新聞紙条例と讒謗律が制定され、言論統制が強化された
- 江華島事件が発生し、日本と朝鮮の緊張が高まった
- 立憲政治導入へ向けた議論が徐々に進み始めた
出来事・事物起源・話題
- 1月1日
- 外国郵便の取扱いを実施する
- 1月2日
- 郵便為替を施行し、最初は尋常為替(小為替30円以下)を取り扱う
- 1月4日
- 最初の消防出初式が日比谷にて挙行される(これより毎年の恒例となる)
- 1月5日
- 最初の郵便局が横浜に落成する
- 1月8日
- 小学児童の学齢を定める
- 1月10日
- 見延山久遠寺の火災
- 1月12日
- 嘉永6年以来国に殉じた忠霊が、九段上招魂社(後の靖国神社)に合祀される
- 1月25日
- 紙幣印刷のための銅版印刷機が輸入される
- 1月26日
- 国産マッチ製造の始まり
- 2月3日
- 日本最初の外国航路・上海―横浜航路(三菱商会)が開始される
- 2月6日
- 森有礼、初の契約結婚を行う(西洋風のハイカラな結婚式)
- 2月13日
- 平民にも苗字が必要と命じる
- 2月20日
- 明治新政府の新税法を制定する
- 2月25日
- イギリス・フランス両国、駐屯兵撤退を伝える
- 3月3日
- 歌劇「カルメン」、パリで初演される
- 3月5日
- 日本最初の国産軍艦「清輝」が進水する
- 3月10日
- 奈良の東大寺をはじめ各寺院の宝器は内務省管理下に置かれ、永久保存法を設ける
- 3月20日
- 津軽海峡に海底電信を敷設する(東京・青森間、北海道間の電信が開通する)
- 4月4日
- 明治天皇、小梅村の徳川昭武邸へ行幸される(徳川光圀、斉昭らの遺業を嘉される)
- 4月6日
- 大鳥圭介、シャムより帰朝する
- 4月10日
- 勲章および従軍記章の制度が初めて定められ、勲等を分けて八級とする
- 4月14日
- 漸次立憲政体樹立の詔書
(左右両院を廃し元老院、大審院を置き、地方官会議を興し、漸次立憲政体を立てる) - 4月23日
- 岩倉具視、参内して辞意を奏上する(明治天皇は認められない)
- 4月24日
- 飛騨の高山大火(約1,300戸焼失)
- 5月2日
- 郵便貯金業務を開始する
- 5月7日
- ロシアと樺太・千島交換条約を調印する
- 5月12日
- 最初の大審院長に玉乃世覆が任命される
- 5月20日
- メートル条約を締結する
- 5月24日
- 大審院が設置される
- 6月1日
- 東京赤坂に初めて気象台が設立される(中央気象台の前身)
- 6月2日
- 東京曙新聞刊行
- 6月14日
- 初めて国際裁判に勝利する(マリア・ルス号事件)
- 6月18日
- 皇后、赤坂御所にて田植をご覧になる
- 6月20日
- 明治天皇、車駕親臨され、初めて地方長官会議を東京浅草本願寺に開かれる(議長は木戸孝允)
- 6月28日
- 新聞紙条例を定める
- 6月28日
- 言論圧迫の讒謗(ざんぼう)律が定められる
- 6月30日
- 元老院の議案条例が定められる
- 7月5日
- 元老院会議が初めて開かれる
- 8月7日
- 末広鉄腸、筆禍で禁獄処分となる
- 8月12日
- 東京芝浜に離宮を設ける(浜離宮)
- 8月17日
- 清国天津に日本領事館を設置する
- 8月22日
- 日露樺太千島交換条約を批准する
- 8月24日
- ドーバー海峡初横断
- 9月20日
- 江華島事件(朝鮮江華島にて衝突事件が起こる)
- 9月21日
- 日本軍、朝鮮永宗島第一、第二砲台を攻略する
- 10月3日
- 明治天皇、朝鮮処分意見を奏聞される
- 10月4日
- 明治政府、国税として煙草税を創設する
- 10月25日
- 征韓論で、板垣退助・後藤象二郎らが参議を辞職する
- 11月10日
- 樺太・千島交換条約が成立し公布される
- 11月17日
- 東京米倉の浅草文庫が公開される
- 11月27日
- 最初の鉄道用鉄橋を六郷川に架設竣工し、この日開通式を行う(工費34万円、英国セルヴィントル監督)
- 11月29日
- 最初の女子師範学校、東京で開校式を行う(現在のお茶の水女子大学)
- 11月29日
- 新島襄らが同志社英学校を創立する
- 12月27日
- 明治天皇、雜司谷村にて陸軍を御閲兵される
この年に始まったこと
1875年(明治8年)は、大阪会議をきっかけに政府と自由民権派の協調が図られた年です。また、立法制度の整備や国境確定に向けた動きが始まり、近代国家づくりがさらに進みました。
- 元老院が設置された
立法機関として元老院が設置され、法律や憲法制定に向けた審議体制が始まりました。 - 大審院が設置された
日本最高の司法機関として大審院が設置され、近代的な司法制度の整備が始まりました。 - 地方官会議が始まった
地方行政の意見を政府へ反映させるため、地方官会議が設置されました。 - 樺太・千島交換条約体制が始まった
ロシアとの間で樺太・千島交換条約が締結され、日本とロシアの国境体制が新たに定められました。 - 立憲政治への制度整備が始まった
大阪会議を経て、将来の国会開設や憲法制定を見据えた制度づくりが本格化しました。
1875年は、「立憲国家づくりが始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1875年(明治8年)は、明治政府が中央集権体制をさらに強化する一方で、自由民権運動への対応も進めた年でした。政治制度整備と対外問題への対応が同時に進み、日本は近代国家としての形を整え始めていきます。
大阪会議によって政府と民権派の調整が行われた
1875年、大久保利通・木戸孝允・板垣退助らによる大阪会議が開かれました。政府と自由民権派の対立を和らげるための会議であり、板垣退助の政府復帰などにつながっていきます。
立憲政体の詔によって憲法政治への流れが示された
明治政府は立憲政体の詔を出し、将来的に立憲政治を進める方針を示しました。これは後の帝国議会開設や大日本帝国憲法制定へつながる重要な一歩となります。
元老院によって立法審議制度が整備された
政府は元老院を設置し、法令審議を行う体制を整えました。また地方官会議も開かれ、中央集権国家としての制度整備が進められていきます。
新聞紙条例と讒謗律によって言論統制が強化された
自由民権運動の広がりを警戒した政府は、新聞紙条例や讒謗律を制定しました。これによって新聞や政治批判への取り締まりが強化され、言論の自由をめぐる対立も深まっていきます。
樺太・千島交換条約によって北方国境が整理された
日本とロシアは樺太・千島交換条約を結び、日本は千島列島を得る代わりに樺太全島をロシア領と認めました。明治政府は国境問題整理を進め、近代国家として外交体制を整えていきます。
近代国家制度の整備が本格化していった
政治制度・外交・言論統制など、多方面で国家体制整備が進められました。1875年は、明治政府が中央集権国家としての基盤をさらに固め始めた重要な一年でした。
この年の重要人物
1875年(明治8年)は、大阪会議によって政府と民権派の協調が図られた年です。また、元老院や大審院が設置されるなど、立憲政治へ向けた制度整備が進められました。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 大久保利通
政府の中心人物として大阪会議を主導しました。自由民権運動の高まりに対応しながら、明治政府の安定と改革を進めました。 - 木戸孝允
大阪会議に参加し、政府への復帰を果たしました。立憲政治の実現を目指し、制度改革を推進しました。 - 板垣退助
自由民権運動を代表する人物として大阪会議に参加しました。国民の政治参加拡大を求める運動の中心的存在でした。
生活の話題
衣
- 司法官制服制定
- 四谷の朝倉松五郎、洋式メガネを作る
食
- 勧業寮リンゴの苗1,300本を輸入し全国に配る
- 東京風月堂、ビスケットを作る
- 東京の茶商上林熊次郎、紅茶製造の伝習所を募集
- アメリカよりサケ・マス人口孵化法を習う
住
- 潜水誠、マッチ製造開始
- 東京市内の新築は石造・煉瓦造と規定されていたが、土蔵造・塗屋造も許される
- 銀座に下水竣工
- 甲府で開放水路の上水道通水
- 東京市内主要道路にガス・ランプ街燈つく
その他
- 小幡英之助、歯科医開業
- 金港堂書店・有田香蘭社・深川セメント・芝浦製作所など創立
1875年のポイントまとめ
- 江華島事件によって朝鮮との緊張が高まった
日本軍艦・雲揚が朝鮮沿岸で砲撃を受け、日本と朝鮮の対立は急速に深まりました。 - 日本の対外進出がさらに進み始めた
明治政府は朝鮮問題への関与を強め、後の日朝修好条規へつながる流れが形成されました。 - 大阪会議で政府内の対立調整が行われた
大久保利通や木戸孝允らが政治改革を協議し、国会開設へ向けた議論が進められました。 - 新聞・言論への統制が強化された
自由民権運動の拡大を警戒した政府は、新聞紙条例や讒謗律によって言論統制を進めました。 - 外交と国内改革が同時に進んだ年であった
1875年は、対外政策強化と自由民権運動への対応が進み、日本近代国家の方向性がさらに固まり始めた年でした。
1875年は、江華島事件によって日本と朝鮮の関係が大きく動き始めた年でした。その一方で、国内では自由民権運動が広がり、政府は政治改革と統制強化の両面で対応を進めます。 外交と国内政治の両方で、日本近代国家の姿が形づくられていく重要な時期となりました。
1875年のよくある質問 Q&A
Q. 1875年とはどんな年ですか?
1875年は、元老院や大審院が設置され、 立憲政治に向けた制度整備が進められた年です。
Q. 元老院とは何ですか?
元老院は、法律の審議を行う機関で、 後の議会制度の基礎となる役割を持っていました。
Q. 大審院とは何ですか?
大審院は、日本の最高裁判所にあたる機関で、 司法制度の整備を象徴する存在です。
Q. 新聞紙条例とは何ですか?
新聞紙条例は、政府が新聞の内容を規制する法律で、 言論統制を強化するために制定されました。
Q. なぜ言論統制が行われたのですか?
自由民権運動の広がりに対し、 政府が社会の安定を維持しようとしたためです。
Q. なぜ1875年は重要なのですか?
立憲政治に向けた制度づくりと、 政府による統制が同時に進んだ転換点だからです。
Q. 1875年の出来事はその後どうつながりますか?
政治制度の整備が進み、
1881年の国会開設の詔へとつながります。
→ 1881年(議会政治の始まり)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
自由民権運動はさらに拡大し、 政府との対立が深まっていきました。
Q. 1875年の重要人物は誰ですか?
大久保利通、板垣退助、伊藤博文などが重要人物です。
Q. 1875年は日本にとってどんな意味がありますか?
1875年は、近代国家としての政治と司法の制度が整い始めた年です。 同時に自由と統制のバランスが問われた重要な時期でもあります。
政治制度の整備は、その後どのように発展していくのか?
自由民権運動や国会開設運動が広がる中、日本は立憲国家への道を進んでいきます。
明治中期へ向かう政治改革の流れをあわせて理解できます。
