1860年(万延元年)の出来事

遣米使節団と桜田門外の変

今から166年前の出来事

1860年(万延元年)は、江戸幕府の権威が大きく揺らいだ転換の年です。

この年、幕府の最高権力者である大老・井伊直弼が江戸城桜田門外で暗殺される事件が起こりました。

この出来事は幕府の支配体制に大きな衝撃を与え、日本全国に動揺が広がります。

つまり1860年は、「幕府の絶対的な権威が崩れ始めた年」といえます。

まず全体を把握

桜田門外の変は、なぜ起き幕府は揺らいだのか?

井伊直弼の暗殺により幕府の権威は大きく揺らぎます。
黒船来航から攘夷・倒幕へと進む幕末の流れを時系列で確認できます。

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1860年のポイントQ&A

Q. 1860年は何が起きた?
A. 桜田門外の変で井伊直弼が暗殺され、遣米使節団が渡米しました。

Q. 咸臨丸とは?
A. 勝海舟らが乗り、日本人の手で太平洋を横断した軍艦です。

Q. 重要人物は?
A. 小栗上野介や勝海舟など、近代化を担う人材が登場しました。

Q. この後どうなる?
A. 尊王攘夷運動が激化し、幕末の動乱が加速します。
1863年へ

1860年の重要出来事

  • 遣米使節団が派遣され、日本が本格的な対外外交を開始した
  • 桜田門外の変により、井伊直弼が暗殺された
  • 幕府の権威が大きく失墜し、政治の混乱が深まった

この年は何が変わったのか

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1860年(万延元年)は、幕府の中心人物が暗殺され、政治の主導権が大きく揺らぎ始めた転換点の年です。

万延元年遣米使節団の派遣

1860年、幕府はアメリカへ使節団を派遣しました。

これは日米修好通商条約の批准書交換のために派遣されたもので、
日本が正式に海外へ代表団を送り、外交を行った最初の本格的な事例です。

使節団はアメリカで大きな注目を集め、日本が国際社会に登場した象徴的な出来事となりました。

この使節団には、小栗上野介、勝海舟、福沢諭吉らも関わり、西洋の制度や技術に触れることになります。
小栗は帰国後、横須賀製鉄所の建設などを進め、日本の近代化に大きな影響を与えることになります。

桜田門外の変(井伊直弼の暗殺)

1860年3月、江戸城桜田門の外で、大老・井伊直弼が水戸藩の浪士らに襲撃され殺害されました。

この事件は、尊王攘夷派による幕府要人暗殺という前例のない出来事であり、幕府の権威を大きく揺るがすことになります。

安政の大獄への反発

井伊直弼は、それまでに反対勢力を弾圧する「安政の大獄」を行っていました。

その強硬な政治への不満が積み重なり、ついに暗殺という形で爆発したのがこの事件でした。

幕府の権威の失墜

最高権力者が江戸城の目の前で暗殺されたことで、幕府の統治能力に対する信頼は大きく崩れました。

これにより、幕府は政治の主導権を維持することが難しくなっていきます。

尊王攘夷運動の激化

この事件をきっかけに、尊王攘夷運動は一気に勢いを増しました。

幕府に代わる政治を求める動きが広がり、倒幕へ向けた流れが加速していきます。

つまり1860年は、幕府の権威が崩れ、日本の政治が大きく動き始めた年でした。

この年の重要人物

1860年は桜田門外の変によって幕府の最高権力者が暗殺され、日本の政治状況が大きく揺らいだ年です。この事件に関わった中心人物を整理します。

幕府側(標的となった人物)

  • 井伊直弼
    大老として開国政策と安政の大獄を主導したが、桜田門外の変で暗殺された

尊王攘夷派(実行側)

  • 有村次左衛門
    薩摩藩士として襲撃に参加し、井伊直弼を討った実行者の一人
  • 水戸浪士たち
    安政の大獄への報復として襲撃を計画・実行した中心勢力

背景となる人物

  • 徳川家茂
    第14代将軍として事件後の混乱した政局を担うことになる
  • 孝明天皇
    開国に反対し、幕府との対立を深めていた

出来事・事物起源・話題

1月7日
米船ポーハタン号、品川港に入る
1月19日
咸臨丸、アメリカに向けて浦賀を出港(乗組みは木村摂津守芥舟、勝麟太郎、福沢諭吉ほか)
1月22日
遣米使節新見正興一行、浦賀出帆(鎖国以来初めて公然の外交使節)
2月14日
幕府の遣米使節一行、ハワイ着
3月2日
水戸藩士金子孫二郎等、陰謀を抱いて脱藩の届書を小石川水戸屋敷に投ず
3月3日
桜田門外の変
3月9日
幕府の遣米使節サンフランシスコに着す
3月18日
万延と改元
閏3月6日
遣米使節一行、初めて汽車に乗る
閏3月28日
幕府の遣米使節、ワシントンにて大統領と会見
閏3月30日
彦根藩に於て藩主井伊掃部頭の死(桜田門外の変)を50余日目に発表す
4月3日
遣米使節新見正興一行ワシントンにて米国と本条約批准を交換す
5月9日
遣米使節の新見正興等、ニューヨークに於てペリーの遺族を訪問す
5月12日
遣米使節一行、米国第一の大船ナイアガラ号にてニューヨーク出帆、帰国の途につく
6月30日
幕府、高松、郡山、彦根、松江、桑名の5藩に命じ厳に京都を警衛せしむ
7月10日
皇子祐宮を儲君に立て給う(後の明治天皇)御年9歳なり
7月19日
長州、水戸の両藩志士、品川碇泊中の丙辰丸の船中密かに盟約を協議す
7月22日
ポルトガル船馬関に来航す
8月8日
和宮、関東降嫁を固辞し給う
8月9日
幕府、西洋語の学習を奨励す
9月22日
高杉晋作、松代に蟄居中の佐久間象山を訪ね両雄初めて会見、夜を徹して語る
9月28日
明治天皇、立太子の御儀行わる
12月5日
米国書記官ヒュースケン、江戸赤羽にて清川八郎らに襲われ殺害される
12月16日
英仏両公使、ヒュースケン殺害事件に憤慨し公使館より国旗を徹し、横浜引揚

天皇

孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)

将軍

徳川家茂[14代](在位:安政5年12月1日~慶応2年8月20日)

大老

井伊直弼

生活の話題

  • 各地に時計商現る

その他

  • 長崎人和田金助ブリキ細工を始める
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) [ 大江 健三郎 ]

この年のポイントまとめ

  • 桜田門外の変により、幕府の権威が大きく揺らいだ
  • 政治的対立が激化し、倒幕の流れが加速した
  • 遣米使節団の派遣により、日本の本格的な外交が始まった
  • 国内の混乱と対外進出が同時に進んだ

1860年は、幕府の権威が揺らぐ一方で、日本が本格的に国際社会へ踏み出した年です。
桜田門外の変によって国内の政治は不安定化しましたが、同時に遣米使節団の派遣によって対外外交は進められました。

この年を理解することで、幕末の日本が「国内の混乱」と「国際化」という二つの流れの中で変化していたことが見えてきます。

1860年のよくある質問 Q&A

Q. 1860年とはどんな年ですか?

1860年は、桜田門外の変による政治的混乱と、 遣米使節団・咸臨丸による国際交流が同時に進んだ年です。

Q. 桜田門外の変とは何ですか?

大老・井伊直弼が暗殺され、 幕府の権威が大きく揺らいだ事件です。

Q. 遣米使節団とは何ですか?

日米修好通商条約の批准のため、 日本からアメリカへ派遣された公式使節団です。

Q. 咸臨丸とは何ですか?

日本の軍艦で、勝海舟らが乗り、 日本人の手で初めて太平洋横断を成功させました。

Q. 勝海舟とはどんな人物ですか?

幕臣であり海軍の近代化を推進した人物で、 日本の近代国家形成に大きく貢献しました。

Q. 小栗上野介とはどんな人物ですか?

遣米使節団の一員として渡米し、 西洋の制度を学び、日本の産業近代化に影響を与えました。

Q. なぜ1860年は重要なのですか?

幕府の崩壊が進む一方で、 日本の近代化が同時に進んだ象徴的な年だからです。

Q. この出来事はその後どうつながりますか?

尊王攘夷運動が激化し、 最終的に明治維新へとつながります。
1868年へ

Q. 1860年の重要人物は誰ですか?

井伊直弼、勝海舟、小栗上野介などが重要人物です。

Q. 1860年は日本にとってどんな意味がありますか?

1860年は、崩壊と近代化が同時に進み、 日本の進路が決定づけられた年です。

次に読むなら

権威が揺らいだあと、幕末の動乱はどう進んでいくのか?

桜田門外の変を契機に政治的対立は激化し、幕末の動乱は一気に進みます。
その後の尊王攘夷運動や倒幕への流れをあわせて理解できます。

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