1884年(明治17年)は、自由民権運動が大きく揺れ動き、社会不安が表面化した年です。
この年、華族令が制定され、近代国家の身分制度が整えられる一方で、政治への不満は各地で高まりました。とくに秩父事件では、困窮した農民たちが負債の軽減などを求めて武装蜂起し、政府によって鎮圧されます。
また、加波山事件など自由民権運動の急進化も見られ、社会は不安定さを増していきました。
つまり1884年は、「近代国家の制度が整う一方で、民衆の不満が爆発し、社会の緊張が高まった年」といえます。
Q. 1884年は何が起きた?
A. 華族令により新しい貴族制度が整備されました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 近代国家としての身分制度が再編されたためです。
Q. この後どうなる?
A. 憲法制定が進み、1889年に公布されます。
→ 1889年(大日本帝国憲法)を見る
この年の重要出来事
明治17年は、近代国家としての制度が整えられる一方で、民衆の不満が爆発し、社会が大きく揺れ動いた年である。象徴的な出来事は秩父事件であり、困窮した農民たちが負債の軽減や生活の安定を求めて武装蜂起し、政府によって鎮圧された。これは自由民権運動の流れの中で起きた代表的な激化事件であった。
またこの年には華族令が制定され、公侯伯子男の五爵が定められ、近代国家における新たな身分制度が整えられた。
制度は整う一方で、民衆の不満が爆発した年
この年は何が変わったのか
この年、日本は「上からの近代化」と「下からの不満」が衝突する段階へと入った。政府は華族制度の整備などによって国家体制を固め、統治の枠組みを明確にしていく。
しかしその一方で、松方デフレによる不況や農民の生活苦は深刻化し、社会の下層では強い不満が蓄積していた。その不満が爆発したのが秩父事件である。
つまりこの年は、「国家の整備」と「民衆の反発」が正面からぶつかった年である。
この構図は、その後の日本社会においても繰り返し現れる重要なテーマとなる。
出来事・事物起源・話題
- 1月4日
- 官吏の恩給令公布
- 1月9日
- 大阪市東区の大火(1,440戸焼失)
- 1月23日
- 近衛兵に軍旗を授与する
- 2月15日
- 朝鮮に初めて電信取扱開始(日本の経営にて内地釜山局間に限られる)
- 2月16日
- 陸軍卿大山巌、川上操六・桂太郎両大佐を従え、欧州兵制視察のため横浜出発
- 2月17日
- 梅ケ谷藤太郎、横綱となる
- 3月10日
- 芝浜離宮の延陵館に天覧相撲催され初代梅ケ谷に横綱を許される
- 3月15日
- 地租条約制定(税率の固定、法定地価の決定)
- 3月17日
- 憲法制定取調局設置され、参議伊藤博文が長官を兼ねる
- 4月2日
- 明治天皇・皇后、隅田川に海軍兵のボート競漕を観覧
- 4月7日
- 山本長五郎(清水次郎長)、賭博で懲役7年、罰金400円に処せられる
- 5月1日
- 大阪商船会社創立開業する
- 5月7日
- 区町村会法改正、戸長官選となる
- 5月12日
- フランスの化学者シャルドネにより人造絹糸発明され学会に発表報告
- 5月13日
- 群馬事件起こる
- 5月17日
- 東京帝国大学に造船科新設される
- 5月24日
- 学習院、初代院長に谷干城を任命
- 5月27日
- 蒸気起重機を初めて横浜停車場の荷揚場に建設し、運輸に便ならしめる
- 6月1日
- 天気予報を巡査交番所に掲示開始
- 6月7日
- 商標に関する条例制定
- 6月12日
- 鹿鳴館で日本初のバザー
- 6月16日
- 全国天気予報開始
- 6月25日
- 日本薬局方制定公布される
- 6月26日
- 陸地測量事業、参謀本部に管轄統一される
- 7月7日
- 華族令定める(爵位公・侯・伯・子・男の五位の制成る)
- 7月21日
- 横須賀造船所の開渠式
- 7月26日
- ハワイホノルルに領事館設置
- 7月28日
- 京都二条城を離宮と定めらる
- 8月10日
- 自由党有一館設立される
- 8月10日
- 武州御殿峠に困民党蜂起
- 9月5日
- 宇品港(広島港)の築港着手
- 9月23日
- 茨城県下自由党の加波山事件起こる
- 10月10日
- 相州観音崎の砲台成る
- 10月13日
- グリニッジの世界標準時定める
- 10月17日
- 学生ボート競漕、隅田川吾妻橋付近に催される(最初のボートレース)
- 10月18日
- 巡洋艦「畝傍」フランスより回航の途につく(12月3日にシンガポールを発ったのち消息不明)
- 10月29日
- 自由党解党
- 10月31日
- 秩父事件起こる(国民党が一斉に蜂起)
- 11月1日
- 明治天皇、不忍池畔競馬場臨幸
- 11月6日
- 内村鑑三、離婚を機に渡米する
- 12月4日
- 甲申事変(ソウルで金玉均、朴泳孝ら親日派によるクーデターが起こる)
- 12月4日
- 飯田事件(名古屋鎮台・監獄襲撃の計画)発覚する
- 12月6日
- 京城にて竹添公使の守兵、清国袁世凱の兵2,000と王宮の内外に衝突
- 12月15日
- 横須賀に鎮守府開設布告
- 12月17日
- 大隈重信ら改進党を脱党、名古屋事件(政府転覆の計画)発覚する
- 12月24日
- 外務卿井上馨を朝鮮に遣して談判
生活の話題
衣
- 官吏の服制定まる
- 鹿鳴館時代はじまり上流婦人の洋装はやる
- 織物不況の時であるが綿ネル生産のみは高まる
- 都市で首巻すたれ、肩掛はやる
- バリカンが輸入され始める
- 経木真田帽子の製作はじまる
- 足利・桐生に染色講習所をおく
- 紡績業深夜業開始
食
- 三田育種『舶果来樹要覧』を刊行
- 摂津能勢で天然炭酸水を利用し平野水の製造を始める
- 大阪師団で白米病といわれる脚気患者多く、麦飯にあらためる
住
- 宮城県古川町で土管により小規模の上水道竣工
文学
- 坪内逍遥訳『自由太刀余波鋭鋒』(じゆうのたちなごりのきれあじ)刊(5月)
- 井上勤訳『狐の裁判』刊(7月)
- 円朝作『怪談牡丹灯籠』刊
その他
- 官吏恩給令制定
- 大阪商船会社開業
- 上野・熊谷間鉄道開通
- 佐久間貞一、活版工組合設立
- 長崎・静岡・宮城県に紡績所創立
- 小坂・十和田鉱山・赤城炭鉱開掘
この年のポイントまとめ
- 社会:秩父事件で農民の不満が爆発
- 政治:自由民権運動が急進化し対立が激化
- 制度:華族令で近代的身分制度が整備
- 経済:不況により農村の生活が悪化
- 構造:国家と民衆の対立が顕在化
まとめると「近代国家の整備と、民衆の不満が衝突した年」
1884年は、日本が近代国家としての制度を固める一方で、その裏側にある社会のひずみが表面化した年です。
この年を理解することで、その後の政治改革や社会運動がどのように展開していくのかがより明確に見えてきます。
1884年のよくある質問 Q&A
Q. 1884年とはどんな年ですか?
1884年は、華族制度が整備され、 新しい身分秩序が確立された年です。
Q. 華族令とは何ですか?
華族令は、旧公家や大名を基にした貴族制度を定めた法律です。 公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五等級が設けられました。
Q. なぜ華族制度が必要だったのですか?
近代国家として安定した統治体制を築くため、 新しい支配層を形成する必要があったためです。
Q. 秩父事件とは何ですか?
秩父事件は、農民や民権運動家が起こした武装蜂起です。 政府への不満が爆発した出来事でした。
Q. なぜ秩父事件が起きたのですか?
重税や経済的困窮、政治への不満が原因となりました。
Q. なぜ1884年は重要なのですか?
身分制度の再編と社会不安が同時に進み、 近代国家の矛盾が表面化したためです。
Q. 1884年の出来事はその後どうつながりますか?
政治体制の整備が進み、
1889年の憲法制定へとつながります。
→ 1889年(近代国家の完成)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
政府は民権運動の抑制を強め、 社会の安定を図ろうとしました。
Q. 1884年の重要人物は誰ですか?
伊藤博文、井上馨、板垣退助などが重要人物です。
Q. 1884年は日本にとってどんな意味がありますか?
1884年は、近代国家の社会構造が整う一方で、 その矛盾が表面化した重要な年です。
