1866年(慶応2年)は、幕末の主導権が幕府から倒幕勢力へと移った決定的な年です。
この年、薩摩藩と長州藩が手を結ぶ「薩長同盟」が成立し、倒幕に向けた体制が整いました。
さらに幕府は長州藩に対して第二次長州征討を行いますが、結果は敗北に終わります。
つまり1866年は、「幕府が力を失い、倒幕の流れが決定的になった年」といえます。
幕府の敗北は、なぜこの年に決定的となったのか?
薩長同盟の成立と長州征討の失敗により、幕府の力は大きく揺らぎます。
黒船来航からこの年に至るまでの幕末の流れを時系列で確認できます。
Q. 1866年は何が起きた?
A. 薩長同盟が成立し、幕府との戦いで長州藩が勝利しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 倒幕勢力が結束し、幕府の弱体化が決定的になったためです。
Q. この後どうなる?
A. 1867年に大政奉還が行われます。
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1866年の重要出来事
薩長同盟の成立
1月、薩摩藩と長州藩が同盟を結びました。
それまで対立していた両藩が協力関係に入ったことで、倒幕勢力が一気に強化されます。
第二次長州征討(幕府の敗北)
6月、幕府は再び長州討伐に乗り出します。
兵力では幕府が圧倒的に有利でしたが、近代的な軍制を整えた長州軍が各地で勝利し、幕府軍は敗退しました。
また、薩摩藩が参戦しなかったことも、幕府にとって大きな痛手となりました。
徳川家茂の死去
7月、第14代将軍徳川家茂が死去しました。
戦争の最中に将軍を失ったことは、幕府にとって大きな打撃となります。
徳川慶喜の将軍就任
12月、徳川慶喜が第15代将軍に就任しました。
しかしこの時点で、幕府の立て直しは非常に困難な状況となっていました。
この年は何が変わったのか
薩長同盟が成立し、倒幕勢力が結集しました。
幕府は第二次長州征討を行いますが、近代化を進めた長州軍に敗北し、権威を大きく失います。
さらに将軍家茂の死去も重なり、幕府の体制は大きく揺らぎました。
これにより政治の主導権は幕府から倒幕勢力へと移っていきます。
つまり1866年は、「幕府が敗北し、主導権が完全に移った年」です。
この流れは、1867年の政権崩壊へとつながります。
この年の重要人物
1866年は、薩長同盟の成立と長州藩の勝利によって、幕府と倒幕勢力の力関係が決定的に変化した年です。この転換を生み出した中心人物を整理します。
薩長同盟(倒幕の核心)
- 坂本龍馬
薩摩と長州の仲介役として同盟成立に大きく貢献した - 西郷隆盛
薩摩藩を代表し、長州との提携を決断した - 木戸孝允(桂小五郎)
長州藩側の代表として同盟を推進した
長州藩(幕府に勝利)
- 高杉晋作
奇兵隊を率いて軍事改革を進め、長州勝利の基盤を築いた - 大村益次郎
西洋式軍制を導入し、戦闘での勝利を支えた
幕府側
- 徳川家茂
第二次長州征討を指揮するが、戦局悪化の中で死去 - 徳川慶喜
将軍に就任し、幕府の立て直しを図るが厳しい状況に置かれる
外交・近代化
- トーマス・グラバー
武器供給を通じて薩長の近代化を支援した商人
出来事・事物起源・話題
- 1月21日
- 薩長連合の盟約成立
- 1月23日
- 寺田屋騒動(坂本龍馬襲撃事件)
- 3月14日
- 松本良順(蘭学者)万国公法6冊を14代将軍徳川家茂へ贈る
- 4月4日
- 林甚六郎、幕府の命に依り、三条実美以下の五卿に対し京都へ帰還を迫る。薩摩の大山格之助、黒田嘉右衛門等、西郷吉之助に代って頑として五卿を渡さず
- 4月5日
- 毛利敬親、形勢切迫せるを以て緒隊の軍備を急ぎ幕府軍対抗に備える
- 5月13日
- 燈台条約締結
- 6月5日
- 家茂、防長大営を大阪に置く
- 6月7日
- 幕府の長州征伐、戦端を開く
- 6月16日
- 薩摩藩士村田新八、黒田了介、山口に来り藩士毛利敬親に謁す
- 6月17日
- 第二次長州征伐(征長幕軍の敗退)
- 6月17日
- 英国公使パークス、汽船にて横浜より鹿児島港に入り、藩主と会見を請う
- 6月24日
- 桂小五郎、杉孫七郎等、幕府長州征伐の間に立てる外人の調停を固辞す
- 7月3日
- 長州藩兵、豊前小倉藩兵と衝突
- 7月13日
- 長州藩石見内田に諸藩兵と戦う
- 7月16日
- 幕府、イタリアと通商条約締結
- 7月19日
- 薩摩藩主島津茂久、幕府に対し、征長の非を陳じその罪を赦さんことを請う
- 7月27日
- 徳川慶喜、将軍家相続に決定
- 7月29日
- 朝廷、慶喜の将軍家相続勅許
- 8月2日
- 将軍徳川慶喜、仏国公使を通じ軍艦その他の兵器購入を依嘱す
- 9月2日
- 幕府の使節勝海舟、宮島の大願寺に長州藩の代表と会見し和協す
- 9月16日
- 高杉晋作、姫島の獄にある野村望東尼を救出
- 9月19日
- 幕府、征長軍の撤兵を命ず
- 10月6日
- 幕府吹上奉行を新設す
- 10月15日
- 薩摩藩士小松帯刀、西郷吉之助、一挙以て王政復古の実を挙げんと鹿児島発
- 10月16日
- 徳川慶喜参内して天盃を拝受す
- 10月26日
- 朝廷、重ねて諸大名の上洛を促さる、病と称して上洛する者少なし。薩摩藩士小松帯刀、西郷吉之助、入京す
- 10月28日
- 在京諸大名参内して、徳川慶喜を15代将軍たらしめんとして奏請す
- 11月10日
- 江戸の大火、元乗物町より京橋八丁堀に至る延長21町、幅7町余延焼す
- 11月20日
- 幕府、三千石以上の者に英仏両国へ留学を許す。守兵の服制新兵式に改む
- 11月23日
- 三条実美ら、大宰府発上洛出発
- 12月5日
- 徳川慶喜、15代将軍となる
- 12月7日
- 幕府、デンマークと通商条約締結
- 12月9日
- 和宮親子内親王を静寛院とす
- 12月25日
- 孝明天皇崩御
- 12月29日
- 孝明天皇の大喪発せられる
- 12月30日
- 江戸幕府、数奇屋を廃し坊主200余人を撤兵隊となす
天皇
孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)
将軍
徳川家茂[14代](在位:安政5年12月1日~慶応2年8月20日)
徳川慶喜[15代](在位:慶応2年12月5日~慶応3年12月12日)
生活の話題
衣
- 武家調練用に西洋式筒袖陣股引を使用していたが、調練以外にも使用を許可し、公用にはこの上に羽織を重ねることとす
- そぎ袖羽織袴を陸海軍の平服とする
食
- 大阪で米買占を禁じ、外国米輸入を許可
- 開成所で田中芳男、アメリカ産リンゴの接木に成功
住
- はじめて煉瓦をつくる
この年のポイントまとめ
- 薩長同盟により、倒幕勢力が結集した
- 第二次長州征討で幕府が敗北した
- 将軍家茂の死により、幕府の求心力が低下した
- 徳川慶喜が将軍に就任したが、立て直しは困難だった
- 幕府から倒幕勢力へと主導権が移った
1866年は、幕末の勝敗がほぼ決まった年です。
この年を理解することで、1867年の政権崩壊と1868年の戦争の流れがより明確に見えてきます。
1866年のよくある質問 Q&A
Q. 1866年とはどんな年ですか?
1866年は、薩摩藩と長州藩が同盟を結び、 幕府に対抗する体制が整った年です。
Q. 薩長同盟とは何ですか?
薩摩藩と長州藩が協力して 幕府に対抗するために結んだ同盟です。
Q. なぜ同盟が成立したのですか?
坂本龍馬らの仲介により、 共通の敵である幕府に対抗する必要があったためです。
Q. 第二次長州征討とは何ですか?
幕府が長州藩を攻撃した戦いで、 長州藩がこれを退けました。
Q. 幕府はなぜ敗れたのですか?
軍事力の差や統率力の低下により、 長州藩に対抗できなかったためです。
Q. なぜ1866年は重要なのですか?
幕府の衰退と倒幕勢力の結束が決定的となり、 明治維新への流れが固まったためです。
Q. この出来事はその後どうつながりますか?
1867年の大政奉還へとつながり、
幕府体制が終わりを迎えます。
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Q. 1866年の重要人物は誰ですか?
坂本龍馬、西郷隆盛、木戸孝允などが重要人物です。
Q. 1866年は日本にとってどんな意味がありますか?
1866年は、倒幕が現実となり、 日本の政権交代が決定的になった年です。
幕府の劣勢が決定的となったあと、どのように終焉へ向かうのか?
政治の主導権は大きく動き、大政奉還へと流れが進んでいきます。
幕末がどのように終わりを迎えるのか、その過程をあわせて理解できます。

