1895年(明治28年)は、日本が戦争に勝利し、近代国家としての実力を世界に示した一方で、国際政治の厳しさを初めて突きつけられた年です。
前年から続く日清戦争はこの年に終結し、日本は清に対して圧倒的な勝利を収めました。
しかし、その成果は列強による干渉によって制限され、日本は新たな課題に直面します。
つまり1895年は、「勝利によって成長し、同時に国際政治の現実を知った年」といえます。
1895年の重要出来事


- 下関条約が締結され、日清戦争が終結した
- 台湾・澎湖諸島の割譲など、日本の勢力が拡大した
- 三国干渉により、遼東半島の返還を余儀なくされた
- 日本が初めて植民地統治を開始した
この年は何が変わったのか
1895年(明治28年)は、日清戦争の勝利によって日本の国際的地位が大きく上昇する一方で、列強との力関係という現実を突きつけられた年です。
下関条約(日清戦争の講和)
1895年4月、日本と清の間で下関条約が締結され、日清戦争は終結しました。
この条約により、日本は
・朝鮮の独立承認
・台湾・澎湖諸島・遼東半島の割譲
・巨額の賠償金
などを獲得し、東アジアにおける地位を大きく高めました。
三国干渉(列強の圧力)
しかし条約直後、ロシア・ドイツ・フランスが日本に対し、遼東半島の返還を要求しました。
日本はこの圧力を受け入れ、遼東半島を清へ返還することになります。
この出来事は、日本にとって大きな屈辱であり、列強との力の差を強く意識させる契機となりました。
台湾統治の開始(植民地支配の始まり)
条約によって日本は台湾を獲得し、統治を開始しました。
台湾では抵抗運動が起こり、日本は武力によって支配を進めていきます。
これは、日本にとって初めての本格的な海外領土統治でした。
日清戦争の影響(次の戦争への布石)
三国干渉によって日本はロシアへの対抗意識を強め、その後の日露戦争へとつながる流れが生まれます。
つまり1895年は、勝利によって力を得たが、同時に限界も知った年でした。
この年の重要人物
1895年は日清戦争の講和と三国干渉によって、日本の国際的立場が大きく揺れ動いた年です。この外交の転換を動かした人物を整理します。
日本側(講和交渉)
- 伊藤博文
全権大使として下関条約の締結にあたり、日本の外交を主導した - 陸奥宗光
外務大臣として講和交渉を担い、日本の国際的地位向上に尽力した
清国側
- 李鴻章
清国の全権として講和交渉に臨み、条約締結に関わった
列強(干渉)
- ロシア・ドイツ・フランス
三国干渉を行い、日本に遼東半島の返還を迫った
日本政府(対応)
- 明治天皇
講和と外交判断の最終決定を下した国家の象徴
出来事・事物起源・話題
- 1月8日
- 首相伊藤博文、衆議院において戦時の挙国一致を議決する
- 1月21日
- 第二軍、栄城湾頭上陸
- 1月23日
- 清国講和使、香港を発ち日本に向う
- 1月27日
- 韓国王、齋藤仁、尾武久らの我顧問官に諸政の改革を託す
- 1月30日
- 連合艦隊、威海衛の総攻撃を開始し、南岸の各砲台を陥す
- 2月1日
- 京都に電車運転始まる(日本で最初の市電)
- 2月2日
- 日本軍、威海衛軍港陸岸を占領
- 2月5日
- 魚形水雷初めて実戦に用いられ、威海衛の清国艦定遠を撃沈する
- 2月12日
- 清国北洋艦隊提督丁汝昌、伊東司令長官に降り部下の助命を請う(丁汝昌自身は自殺)
- 2月17日
- 連合艦隊司令官伊東祐亨、威海衛に入港し清国の降伏規約書受領
- 2月18日
- 明治天皇、戦捷嘉尚の勅語を賜う
- 2月22日
- 中馬庚、baseballを野球と訳す
- 2月25日
- 日本軍第二軍、太平山占領
- 3月2日
- 日本軍第一軍、鞍山站を占領
- 3月3日
- 正岡子規、日清戦争従軍記者として東京を出発する
- 3月3日
- 連合艦隊司令長官伊東祐亨、宇品に凱旋
- 3月4日
- 連合艦隊司令長官伊東祐亨、大本営に登営し戦況上奏
- 3月5日
- 日本軍、牛荘城を占領
- 3月6日
- 日本軍第一師団、営口を占領
- 3月9日
- 日本軍、清国軍最後の拠点である田庄台を占領
- 3月11日
- フランス法学者ボアソナード、20数年間法学界に貢献、この日神戸を発ち帰国
- 3月15日
- 日平安遷都千百年を記念し、平安神宮創建
- 3月19日
- 清国講和全権弁理大臣李鴻章、門司着
- 3月20日
- 下関で日清講和会談開始
- 3月21日
- 昭憲皇太后、広島予備病院行啓
- 3月23日
- 日本軍、台湾澎湖島を占領
- 3月24日
- 日本軍、台湾裏正角湾上陸
- 3月24日
- 李鴻章、講和会談の帰途に狙撃され負傷
- 3月30日
- 日清休戦条約調印大臣陸奥宗光と清国の李經芳の間に調印成る)
- 4月1日
- 第四回内国勧業博覧会。黒田清輝の作品「朝妝」出品の可否問題化する
- 4月1日
- 帝国大学に史料編纂掛を置く
- 4月3日
- 植樹祭開始
- 4月10日
- 李鴻章、傷癒え再び談判開始
- 4月17日
- 日清講和条約に調印博文、陸奥宗光、清国全権李鴻章)
- 4月21日
- 日清戦争の平和回復詔勅下る
- 4月23日
- 三国干渉(日清講和条約に対し、独・仏・露、遼東半島を清国に返還勧告)
- 4月24日
- 広島の大本営において遼東半島還付三国干渉に対する御前会議開かれる
- 4月27日
- 大本営、京都に移駐
- 4月29日
- 奈良帝室博物館開館(現在の奈良国立博物館)
- 5月4日
- 露・仏・独の三国干渉の結果、遼東半島を清国へ返還する重大閣議決定
- 5月8日
- 日清講和条約批准交換
- 5月10日
- 遼東還付の詔勅発布
- 5月25日
- 台湾で反乱、台湾民主国建国宣言
- 5月28日
- 第一軍司令官野津道貫、京都に凱旋し、直ちに大本営に入り復命す
- 5月29日
- 大本営、東京に凱旋
- 5月30日
- 北白川宮、台湾征討に上陸
- 5月31日
- 野津道貫、大山巌両司令官、東京へ凱旋
- 6月2日
- 越後新発田の大火(約2000戸焼失)
- 6月3日
- 台湾及び澎湖島、日清間に正式に授受を了し、日本領土となる
- 6月7日
- 日本軍、台北を占領
- 6月8日
- 日露通商航海条約調印
- 6月8日
- 吾妻山の爆発調査出張の内務省技手ら、再爆発のため遭難犠牲となる
- 6月11日
- 台湾鎮定
- 6月14日
- 台湾事務局を設置(初代台湾総督に樺山資紀を任命、台北府に入る)
- 6月17日
- 台湾総督府開庁(毎年この日を台湾始政記念日とする)
- 6月20日
- 雲南に関する清仏条約
- 6月22日
- 日本軍、新竹を占領
- 6月25日
- 第三師団長桂太郎、名古屋に凱旋
- 6月28日
- 新政党同志会の組織成る
- 7月6日
- 清国王妃閔妃ら、クーデターにより親日派を追放し、親露派を登用
- 7月9日
- 第五師団長奥保鞏凱旋する
- 7月16日
- 日本軍、大姑陥へ進撃占領
- 8月6日
- 台湾総督府条例公布(台湾に軍政実施)
- 8月28日
- 台湾征討軍、彰化を占領
- 9月4日
- 救世軍、初めて布教のため入国(ライト大佐一行横浜着)
- 9月18日
- 住友銀行設立
- 9月22日
- 救世軍、最初の布教伝道(東京神田美土代町の日本支部において)
- 10月1日
- 野中夫妻、富士山頂で気象観測を開始
- 10月8日
- 朝鮮に京城事変起こり、公使三浦梧郎、兵を率いて騒乱を鎮撫
- 10月8日
- 日本軍、壮士、朝鮮王妃・閔妃を殺害(乙末の変)
- 10月10日
- 農商務省の第一回馬匹調査会
- 10月16日
- 第二師団、鳳山城を占領
- 10月16日
- 台湾征討軍、台南の打狗を占領
- 10月21日
- 日本軍、台南を無血占領
- 10月22日
- 近衛師団長能久王、台南入城
- 10月22日
- 正岡子規、『俳諧大要』を新聞「日本」に連載(12月31日まで掲載、1899年1月刊)
- 10月27日
- 孫文挙兵、失敗(広州事件)
- 10月31日
- 日清戦争第一回賠償金5千万両受領
- 10月31日
- 帝国京都博物館完成
- 11月2日
- 小村寿太郎公使、韓国王に国書捧呈
- 11月6日
- 台湾平定し、征討軍に凱旋を命ず
- 11月8日
- 遼東半島還付条約に調印
- 11月11日
- 北白川宮能久親王の国葬
- 11月15日
- 「東洋経済新報」創刊
- 11月16日
- 清国より遼東半島還付償金受領
- 11月22日
- 自由党、伊藤内閣との提携宣言書発表
- 11月30日
- 日本郵船、欧州定期航路開設
- 12月3日
- 遼東半島還付条約公布される
- 12月3日
- 上海紡績会社設立
総理大臣
伊藤博文(明治25年8月8日~明治29年8月31日)
生活の話題
衣
- 戦後の好況で夏外套の使用始まる
- 地方にも靴をはく人が非常に多くなる
- 男のイガグリ、丸坊主が流行し、バリカンがいよいよ普及
- 宝石入りの彫刻をした贅沢な服飾品が流行し始める
食
- 満州大豆の輸入始まり、豆腐・凍豆腐の生産盛んになる
住
- 大阪市水道竣工
- 福島電燈会社開業
文学
- 『少年世界』創刊(1月)
- 『太陽』創刊(1月)
- 『帝国文学』創刊(1月)
その他
- 国民軍条例公布
- 京都市街電車開通
- 質屋取締法公布
- 救世軍伝道始まる
地方の話題
北海道
- 北海道アイヌの代表が上京して、土人保護法案を請願する
- 日清戦争に際して、北海道全道から多数の軍馬を献納する
- 渡島・後志・胆振・石狩の4国に徴兵令を施行する
東北
- 雨宮敬次郎が仙人山の鉄鉱を買収する(岩手)
中部
- 野中至が富士山頂で越冬気象観測をおこなう(静岡)
- 木下尚江らが信州松本近郊で普通選挙運動をはじめる(長野)
近畿
- 京都市の電気鉄道が開業
- 京都の内国勧業博覧会場に黒田清輝の裸体画が陳列され問題となる
中国
- 下関で日清講和条約締結
四国
- 夏目漱石が松山中学校の教師として赴任する(愛媛)
九州
- 沖縄県に徴兵令を施行
この年のポイントまとめ
- 下関条約により、日清戦争が終結し日本の地位が上昇した
- 台湾などを獲得し、日本の領土と影響力が拡大した
- 三国干渉により、列強の圧力を受け遼東半島を返還した
- 植民地統治が始まり、日本の対外進出が本格化した
1895年は、日本が日清戦争に勝利し、国際的な地位を大きく高めた年です。
しかしその成果は、三国干渉によって制限され、日本は列強との力関係という現実に直面しました。
また、台湾統治の開始によって、日本は帝国主義国家としての道を歩み始めます。
この年を理解することで、日本がどのようにして列強の一員へと近づき、同時にその中で競争していくことになったのかが見えてきます。
また、日露戦争へとつながる国際関係の変化や、日本の対外進出の始まりを理解する重要な鍵となります。
