1888年(明治21年)は、日本が近代国家としての制度を最終段階まで整え、「憲法国家」へ移行する直前の準備が整った年です。
明治政府はこれまで、中央集権化や近代制度の整備を進めてきましたが、この年は特に政治制度と地方制度の両面で大きな進展が見られます。
枢密院の設置や市制・町村制の公布などにより、国家運営の仕組みが具体的に整えられていきました。
つまり1888年は、「近代国家としての制度が完成直前まで整った年」といえます。
なぜ日本は憲法発布へ向けて国家体制を整えていったのか?
枢密院の設置により、憲法制定を支える国家機構の整備が進められていきます。
明治維新からこの年に至るまでの政治改革の流れを時系列で確認できます。
Q. 1888年は何が起きた?
A. 憲法審議のための枢密院が設置されました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 憲法制定に向けた最終的な政治体制が整ったためです。
Q. この後どうなる?
A. 1889年に大日本帝国憲法が公布されます。
→ 1889年(大日本帝国憲法)を見る
目次
1888年の重要出来事

- 枢密院が設置され、憲法制定体制が整えられた
- 伊藤博文を中心に大日本帝国憲法制定準備が進められた
- 市制・町村制が公布され、地方自治制度整備が進展した
- 黒田清隆内閣が発足し、近代政府運営が進められた
- 立憲国家と帝国議会開設へ向けた準備が最終段階へ入った
出来事・事物起源・話題
- 2月1日
- 大隈重信が外務大臣に就任する
- 2月3日
- 文部省が、高崎正風作詞・伊沢修二作曲の「紀元節歌」を学校唱歌として府県や直轄学校へ配布する
- 2月25日
- 大阪・名古屋・広島・熊本の各師団に騎兵大隊を設置する
- 3月16日
- 世界初の自動車購入者としてパリのロジェが記録される
- 4月3日
- 雑誌『日本人』が創刊される
- 4月13日
- 東京・上野黒門町に日本初の喫茶店「可否茶館」が開店する
- 4月25日
- 市制・町村制を公布する
- 4月30日
- 枢密院を設置し、初代議長に伊藤博文を任命する
- 4月30日
- 黒田清隆内閣が成立する
- 5月7日
- 学位令に基づく日本初の博士が誕生する(加藤弘之、箕作麟祥、鳩山和夫、高木兼寛ら25名)
- 5月8日
- 枢密院の開院式が行われる(枢密会議で初めて皇室典範が審議される)
- 5月12日
- 陸軍各条例の大改正を公布する
- 5月14日
- 陸海軍参謀本部条例を改正する
- 5月25日
- 憲法草案会議が開かれる
- 5月29日
- キリンビールが発売される
- 6月1日
- 東京天文台が麻布に新設される
- 6月6日
- 御歌所を設置する(所長は高崎正風)
- 6月10日
- 乃木希典がドイツ留学から帰国する
- 6月18日
- 枢密院会議に明治天皇が臨席され、伊藤博文を議長として憲法審議の第1回会議が開かれる
- 6月19日
- 日本赤十字社に資金が下賜される
- 6月21日
- 皇居内で初めて電灯が点灯される
- 7月14日
- 海軍大学校官制を公布する
- 7月15日
- 磐梯山が大噴火する
- 7月29日
- 朝鮮の独立運動家・金玉均が札幌へ移される
- 10月1日
- 日本初の火災保険会社である東京火災保険会社が営業を開始する
- 10月7日
- 中国初の近代海軍である北洋艦隊が編成される
- 10月10日
- 国会議事堂の起工式が行われる
- 10月14日
- 皇居の二重橋が2年の工期を経て完成する
- 10月27日
- 皇城を「宮城」と改称する
- 10月28日
- 四国初の鉄道として、伊予鉄道の松山・三津ヶ浜間が開通する
- 10月30日
- 東京大学に史料編纂係を設置する
- 11月3日
- 帝国水難救済会が創立される
- 11月14日
- パストゥール研究所が設立される
- 11月15日
- 天竜川に鉄橋が完成する
- 11月20日
- 『立憲政党新聞』が『大阪毎日新聞』に改称される
- 11月26日
- 東京で海軍大学校が開校する
- 11月30日
- 条約改正後初の対等条約として、日本・メキシコ修好通商条約が締結される
- 12月3日
- 全国の行政区画を3府43県とする
- 12月3日
- 池田早苗が日本初の写真印刷法の特許を出願する
- 12月4日
- 香川県が愛媛県から分離・独立する
- 12月8日
- 牛島謹爾が郷里の久留米を出発し、渡米する(後に「馬鈴薯王」と呼ばれる)
- 12月11日
- 東京美術学校が上野に設立される
この年に始まったこと
1888年(明治21年)は、大日本帝国憲法の発布を目前に控え、近代国家の統治制度が整えられた年です。憲法体制を支える重要な機関が新たに設けられました。
- 枢密院が設置された
憲法や重要政策を審議する最高諮問機関として枢密院が設置されました。 - 市制・町村制が公布された
地方自治制度の基礎となる市制・町村制が制定され、近代的な地方行政制度の整備が始まりました。 - 憲法体制を支える統治機構が始まった
枢密院を中心に、憲法発布後の国家運営を見据えた新たな統治体制の構築が進められました。 - 近代地方自治制度の運用準備が始まった
市制・町村制の施行に向け、全国で自治体再編や行政整備が進められました。 - 立憲国家運営への最終段階が始まった
翌年の大日本帝国憲法発布に向けて、政治制度の整備が最終段階へ入りました。
1888年は、「枢密院と地方自治制度が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1888年(明治21年)は、大日本帝国憲法公布を目前に控え、日本の立憲国家体制が最終段階へ入った年でした。枢密院設置によって憲法審議体制が整えられ、近代国家としての制度づくりが完成へ近づいていきます。
枢密院によって憲法審議体制が整えられた
1888年、伊藤博文を議長として枢密院が設置されました。枢密院は天皇の諮問機関として、大日本帝国憲法や重要国家政策を審議する役割を担っていきます。
大日本帝国憲法公布への準備が最終段階へ入った
伊藤博文を中心に進められてきた憲法制定作業は完成段階へ近づいていました。ドイツ流立憲体制を参考にしながら、日本独自の天皇中心国家体制が形づくられていきます。
市制・町村制によって地方自治制度が整備された
明治政府は市制・町村制を公布し、近代的地方自治制度を整えました。地方行政制度が再編され、日本全国で統一的な自治体運営が進められていきます。
中央集権国家体制がさらに強化された
地方制度や官僚制度整備が進み、明治政府による全国統治体制はさらに強固になっていきました。近代国家としての行政運営が本格化していきます。
条約改正問題への関心が続いた
不平等条約改正は依然として大きな外交課題でした。欧米列強と対等な国家となるため、政府は近代国家体制整備を急いでいきます。
立憲国家成立直前の体制が整った
憲法審議・地方制度改革・中央集権化などが進み、日本は本格的な立憲国家成立直前の段階へ入りました。1888年は、近代日本の政治制度がほぼ完成形へ近づいた重要な一年でした。
この年の重要人物
1888年(明治21年)は、翌年の大日本帝国憲法発布に向けて政治体制の整備が進められた年です。枢密院が設置され、憲法審議のための重要な機関が発足しました。立憲国家への移行が最終段階を迎えたこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 伊藤博文
枢密院議長に就任し、憲法制定作業を主導しました。大日本帝国憲法発布を目前に控え、日本の政治制度づくりの中心にいました。 - 山縣有朋
内務大臣として国家体制の整備を進めました。後の首相就任へ向けて政治的影響力を強めていた時期です。 - 井上毅
法制官僚として憲法草案の作成に深く関わりました。大日本帝国憲法制定の実務を担った重要人物です。 - 伊東巳代治
憲法制定や法制度整備に携わりました。伊藤博文を補佐し、枢密院顧問官として活躍し、近代国家体制の構築を支えました。
総理大臣
伊藤博文(明治18年12月22日~明治21年4月30日)
黒田清隆(明治21年4月30日~明治22年10月25日)
生活の話題
衣
- 三越洋服店開業(1月)
- 綿ネル、支那輸出始まる
食
- 日本橋の西洋料理店「新吾妻」玉突場の営業広告を出す
- 非常に暑く氷がよく売れる
- 天長節の宴会に大隈外相は鹿鳴館に1,000余名の招待状を出す
- 神戸港以外より米輸出されるに至る(下関・門司・口ノ津)
- 秦孝一郎が孵卵器の改良をして安価となる
- 伊豆地方の種無し密柑、和歌山をしのいで東京市場を賑わす
- 東京風月堂米津がアイスクリームやウォーターアイス(アイスキャンデー)をつくる
- 喫茶店がはじめて上野黒門町にできた
- 品川硝子製造所が民間に払下げられビール瓶の製造に成功
- 東京師団に白米病といわれた脚気患者出る
住
- 神戸電燈会社開業(9月)
- 東京市内、ガラス障子の家がかなり出てくる
文学
- 『日本人』創刊(4月)
その他
- 東京・熱海間電話開通
- 警視庁不潔な円太郎馬車を諭告
- 東京府は乗合馬車の馭者、馬丁満20歳以下を禁じ、乗合馬車激減
- 国歌「君が代」の制定公布
- 静岡、東京長距離電話試験に成功
- 支那カバンが柳行李にかわり流行する
- 東京に二人乗人力車が多かったが、漸次減少
1888年のポイントまとめ
- 枢密院が設置された
明治政府は憲法や重要政策を審議する機関として枢密院を設置し、立憲国家体制整備を進めました。 - 大日本帝国憲法制定が最終段階へ入った
伊藤博文を中心に憲法草案作成が進み、日本は近代立憲国家成立直前の段階を迎えていました。 - 市制・町村制が公布された
地方自治制度整備が進められ、日本全国で近代的な地方行政制度が整えられていきました。 - 欧化政策から国粋主義への変化が見え始めた
急速な西洋化への反発も強まり、日本独自の文化や国家意識を重視する動きが広がり始めました。 - 立憲国家成立目前の重要な年であった
1888年は、憲法制定・地方制度整備・政治体制改革が進み、日本近代国家の形が完成へ近づいた年でした。
1888年は、枢密院設置や地方制度改革によって、日本の立憲国家体制が整備された年でした。 大日本帝国憲法制定も最終段階へ入り、日本は本格的な近代国家成立直前を迎えます。 政治制度だけでなく、国家意識や社会思想にも大きな変化が見え始めた重要な時期となりました。
1888年のよくある質問 Q&A
Q. 1888年とはどんな年ですか?
1888年は、枢密院が設置され、 憲法制定に向けた最終段階に入った年です。
Q. 枢密院とは何ですか?
枢密院は、天皇の諮問機関として 重要な政策や憲法案を審議する機関です。
Q. なぜ枢密院が設置されたのですか?
憲法を慎重に検討し、 国家体制を安定させるためです。
Q. どのような役割を果たしましたか?
憲法案の審議を行い、 日本の政治体制の基礎を固める役割を担いました。
Q. なぜ1888年は重要なのですか?
憲法制定直前の最終準備が整い、 国家体制の完成が目前となったためです。
Q. 1888年の出来事はその後どうつながりますか?
翌1889年に大日本帝国憲法が公布され、
近代国家としての体制が完成します。
→ 1889年(憲法公布)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
行政・司法・教育制度が整い、 日本は近代国家としての最終段階に入りました。
Q. 1888年の重要人物は誰ですか?
伊藤博文が憲法制定の中心人物として重要な役割を果たしました。
Q. 1888年は日本にとってどんな意味がありますか?
1888年は、近代国家としての体制が完成直前に達した年です。
国家体制の整備は、どのように完成へと至るのか?
翌年には大日本帝国憲法が発布され、日本は立憲国家としての形を完成させていきます。
明治中期から後期への流れをあわせて理解できます。
