1891年(明治24年)は、日本が近代国家として歩みを進める中で、外交・政治・災害の面で大きな出来事が相次いだ年です。
この年、来日中のロシア皇太子が襲撃される大津事件が起こり、国際関係を揺るがす重大事件となりました。
さらに、濃尾地震が発生し、死者7,000人以上に及ぶ甚大な被害をもたらし、近代日本における防災意識の出発点ともなりました。
つまり1891年は、「国際問題と大災害が重なり、国家の危機対応が問われた年」といえます。
近代化が進む日本で、どのような課題が表面化したのか?
濃尾地震や大津事件を通じて、日本は近代国家としての課題や危機管理に直面します。
明治維新からこの年に至るまでの発展の流れを時系列で確認できます。
Q. 1891年は何が起きた?
A. 濃尾地震が発生し、近代日本で最大級の被害が出ました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 防災や耐震への意識が高まり、社会基盤の見直しにつながったためです。
Q. この後どうなる?
A. 国家体制の整備が進み、1894年に条約改正が実現します。
→ 1894年(条約改正)を見る
目次
1891年の重要出来事
- 大津事件が発生し、日本外交に大きな緊張が走った
- 濃尾地震が発生し、日本近代最大級の震災被害が生じた
- 帝国議会で政府と民党の対立が激化した
- 鉄道や通信など近代インフラ整備が全国で進展した
- 立憲国家としての政治運営と社会基盤整備が進められた
出来事・事物起源・話題
- 1月13日
- 警視総監が保安条例を発動し、壮士ら54名に東京退去を命じる
- 1月19日
- 板垣退助が議員40名とともに立憲自由党を結成する
- 1月20日
- 帝国議会議事堂が全焼する
- 2月3日
- 内村鑑三が不敬事件をきっかけに失職へ追い込まれる
- 2月18日
- 三条実美死去(正一位を追贈される)
- 2月20日
- 土佐派自由党議員の離反により、政府支持の動議が可決される(自由党分裂)
- 2月21日
- 中江兆民が議会の弱腰を批判し、衆議院議員を辞職する
- 3月1日
- 東京手形交換所が設立される
- 3月8日
- 神田ニコライ堂の開堂式が行われる
- 3月18日
- ロンドン・パリ間で海底電話が開通し、両市で盛大な開通式が行われる
- 3月19日
- 立憲自由党が自由党と改称し、板垣退助を総理に選出する
- 3月24日
- 度量衡法が公布される
- 3月25日
- 板垣退助が自由党総理に就任する
- 4月1日
- 郡制の施行が始まる
- 4月9日
- 橋本左内、坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作ら幕末の勤王志士27名に正四位が追贈される
- 4月29日
- 日本で初めて飛行機の模型が飛行する
- 5月1日
- 日本赤十字社病院が飯田町から麻布へ移転開院する(以後、5月1日を創立記念日とする)
- 5月6日
- 三国同盟が更新される
- 5月6日
- 第一次松方正義内閣が成立する(山県内閣総辞職)
- 5月11日
- 大津事件が発生する(巡査・津田三蔵が来日中のロシア皇太子ニコライを襲撃し負傷させる)
- 5月12日
- 明治天皇が京都へ向かわれる
- 5月13日
- 明治天皇がロシア皇太子ニコライを見舞われる
- 5月20日
- 畠山勇子が大津事件による国難を憂い、日本の危機回避を祈願して京都府庁門前で自殺する
- 5月21日
- 屋井先蔵が電気時計を発明する
- 5月26日
- 法務大臣と内務大臣が児島惟謙ら裁判官の説得を試みるが失敗する
- 5月27日
- 大審院長・児島惟謙が政府の大逆罪適用要求に反対し、津田三蔵に無期懲役判決を下す(大津事件)
- 5月30日
- ロシアがシベリア鉄道の建設を開始する
- 7月11日
- 東京音楽学校の卒業式で「君が代」が歌われ、その後の先例となる
- 8月7日
- 日本初の魚形水雷の試射が行われる(相模国の海岸で海軍省技師・喜志氏、坂本氏が実施)
- 8月27日
- 露仏同盟が締結される
- 9月1日
- 日本鉄道の上野・青森間(東北本線)が開通し、東京・青森間が全通する
- 10月2日
- 東京市が市区改正費調達のため1,000万円の公債を募集する(市民公債の始まり)
- 10月28日
- 濃尾地震が発生する(岐阜県・愛知県を中心に全壊家屋約14万戸、死者7,273人)
- 11月5日
- 陸軍省が靖国神社に維新前後の国事殉難者1,277人を合祀する
- 11月8日
- 自由党総裁・板垣退助と改進党総裁・大隈重信が早稲田で会見し、両党の提携を協議する
- 11月21日
- 第二通常議会が召集される
- 11月26日
- 第二回帝国議会の開院式が行われる
- 12月13日
- 近衛司令部条例が改正され、近衛都督を近衛師団長とする
- 12月18日
- 田中正造が足尾銅山鉱毒問題に関する質問書を衆議院へ提出する
- 12月22日
- 海軍大臣・樺山資紀が「蛮勇演説」を行い、議場が混乱する
- 12月25日
- 衆議院が民党の予算大削減案を可決し、政府は衆議院を解散する(初の議会解散)
- 12月28日
- 大隈重信が立憲改進党に復党する
- 12月30日
- 鳥取県淀江町で大火が発生する(約2,600戸焼失)
この年に始まったこと
1891年(明治24年)は、帝国議会開設後の政治運営が本格化した年です。また、日本の鉄道網整備や法制度の近代化が進み、近代国家としての基盤強化が続けられました。
- 民法施行延期問題への本格的な議論が始まった
フランス法を基礎とした民法の施行をめぐり議論が活発化し、日本独自の法体系整備が進められました。 - 帝国議会における本格的な政党活動が始まった
政党勢力が議会内で政府と対立・協力を繰り返しながら、議会政治の運営が本格化しました。 - 東北本線全通への取り組みが本格化した
鉄道網の整備が進み、全国を結ぶ交通インフラ構築が加速しました。 - 濃尾地震後の近代防災研究が始まった
日本最大級の内陸地震である濃尾地震を受け、地震観測や耐震研究への取り組みが本格化しました。 - 法治国家完成への制度整備が進み始めた
憲法・議会・司法制度を支える法体系の整備が新たな段階へ入りました。
1891年は、「議会政治と近代法制度の整備が進み始めた年」でした。
この年は何が変わったのか
1891年(明治24年)は、日本の近代国家体制が進む一方で、大津事件や濃尾地震など大きな出来事が相次いだ年でした。外交・社会・インフラ整備の重要性が改めて意識され、日本社会はさらなる近代化へ向かっていきます。
大津事件によって外交問題が緊張した
1891年、来日中のロシア皇太子ニコライが警察官に襲撃される大津事件が発生しました。日本政府はロシアとの関係悪化を強く警戒し、国家的危機として対応に追われました。
明治天皇による迅速対応が国際問題回避につながった
大津事件では明治天皇自ら見舞いを行うなど、政府は異例の対応を取りました。その結果、ロシアとの深刻な外交対立は回避され、日本の国際的信用維持にもつながっていきます。
濃尾地震によって近代防災意識が高まった
1891年には濃尾地震が発生し、中部地方を中心に甚大な被害が出ました。この大災害によって、耐震建築や近代防災体制への関心が高まっていきます。
帝国議会で政党と政府の対立が続いた
帝国議会では予算問題などをめぐり、政党勢力と政府側の対立が続いていました。議会政治はまだ安定しておらず、日本は試行錯誤を重ねながら立憲政治を進めていきます。
鉄道整備によって国内交通網が拡大した
明治政府は引き続き鉄道建設を進め、国内交通網はさらに発展していきました。経済発展や地方統合を支える近代インフラ整備が本格化していきます。
近代国家としての課題が見え始めた
外交危機・自然災害・政治対立などを通じて、近代国家運営の難しさも明らかになっていきました。1891年は、日本が近代国家として成熟するための課題に直面し始めた一年でした。
この年の重要人物
1891年(明治24年)は、大津事件が発生し、日本外交が大きな試練に直面した年です。また、濃尾地震が発生して甚大な被害をもたらすなど、国内外で重要な出来事が相次ぎました。近代国家としての日本が国際社会から注目を集めるようになったこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- ニコライ皇太子
ロシア皇太子として来日中、大津事件で襲撃されました。この事件は日露関係にも影響を与え、日本外交の重大問題となりました。 - 津田三蔵
大津事件を起こした巡査です。ニコライ皇太子を襲撃し、日本政府を震撼させました。 - 山縣有朋
内閣総理大臣として大津事件への対応にあたり、外交問題への発展を防ぐため尽力しました。 - 児島惟謙
大審院長として司法の独立を守り、政府の圧力に屈せず津田三蔵に法律に基づく判決を下しました。日本の司法史を語るうえで欠かせない人物です。
総理大臣
山県有朋(明治22年12月24日~明治24年5月6日)
松方正義(明治24年5月6日~明治25年8月8日)
生活の話題
衣
- 東京大森の川田父子、経木真田(きょうぎさなだ)を発明
- 信玄袋現れる
- 女持手さげ鞄現れる
住
- 長崎市水道竣工
- 熊本電燈、北海道電燈、それぞれ開業
- ガスの白熱マントルが使用されはじめる
文学
- 大槻文彦編『言海』完成(6月)
- 『早稲田文学』創刊(10月)
その他
- 帝国議事堂火災
- 度量衡法公布
- 雇人口入営業取締規則警察令として公布
- 日本鉄道甲乙二種の定期乗合割引切符発売始める
- 東北本線鉄道全通
- 濃尾大地震
- 木挽町郵便局、郵便配達に自転車使用
地方の話題
北海道
- 釧路港が特別輸出港に指定される
東北
- 日本鉄道の上野・青森間が全線開通
関東
- 第一高等中学校で内村鑑三の不敬事件がおこる
中部
- 濃尾地方に大地震がおこり、1,500人が亡くなる
近畿
- 大津で津田三蔵巡査がロシア皇太子をきりつける
中国
- 三重県の真珠を広島に移植試験をおこなう
九州
- ロシア皇太子が来朝し、長崎に上陸する
1891年のポイントまとめ
- 大津事件が発生した
ロシア皇太子ニコライが日本巡遊中に警察官から襲撃を受け、日本政府は外交危機への対応に追われました。 - 司法権独立が国際的に注目された
政府は厳罰を求めましたが、大審院長・児島惟謙は法に基づく判決を守り、日本の司法独立を示しました。 - 濃尾地震が発生した
日本最大級の内陸直下型地震である濃尾地震が発生し、多くの被害が出ました。 - 帝国議会で政党勢力が存在感を強めた
議会では民党勢力と政府側の対立が続き、日本の政党政治は徐々に発展していきました。 - 近代国家としての課題が浮き彫りになった年であった
1891年は、外交・司法・災害対応などを通じて、日本近代国家の実力と課題が試された重要な年でした。
1891年は、大津事件によって日本外交が大きな緊張を迎えた年でした。 その一方で、司法権独立の姿勢は国際社会から高く評価され、日本近代国家としての成熟も示されます。 また、濃尾地震など大災害への対応も含め、日本社会が多くの課題に直面した重要な一年となりました。
1891年のよくある質問 Q&A
Q. 1891年とはどんな年ですか?
1891年は、濃尾地震が発生し、 日本各地に大きな被害をもたらした年です。
Q. 濃尾地震とは何ですか?
岐阜県・愛知県を中心に発生した大地震で、 多くの建物が倒壊し、甚大な被害が出ました。
Q. 被害はどの程度でしたか?
数千人規模の死者が出るなど、 当時としては最大級の災害となりました。
Q. なぜこの地震は重要なのですか?
建築技術や防災意識の見直しにつながり、 近代日本の災害対策に大きな影響を与えたためです。
Q. 政府や社会はどのように対応しましたか?
復興支援やインフラ整備が進められ、 災害に強い社会づくりが模索されました。
Q. なぜ1891年は重要なのですか?
自然災害を通じて、 近代国家としての社会基盤の課題が明らかになったためです。
Q. 1891年の出来事はその後どうつながりますか?
国家体制の整備とともに、
日本は国際社会での地位向上を目指します。
→ 1894年(条約改正)を見る
Q. 他に重要な出来事はありますか?
大津事件が起こり、 外交問題として注目されました。
Q. 1891年の重要人物は誰ですか?
明治天皇や政府関係者、復興に関わった人々が重要です。
Q. 1891年は日本にとってどんな意味がありますか?
1891年は、自然災害を通じて 近代国家としての課題と対応力が試された年です。
近代国家としての課題は、その後どのように克服されていくのか?
制度整備や国力強化を進めながら、日本はさらに国際国家として発展していきます。
日清戦争へ向かうその後の流れをあわせて理解できます。
