1867年(慶応3年)は、江戸幕府が終焉へと向かい、日本の政治体制が大きく転換した年です。
この年、土佐藩の建白を受けて徳川慶喜が大政奉還を行い、約260年続いた幕府政治に終止符が打たれました。さらに年末には王政復古の大号令が発せられ、旧来の幕府や摂関の制度が廃止され、新たな政府が誕生します。
また、坂本龍馬や中岡慎太郎の活動、そしてその暗殺など、時代を動かした人物たちの動きも相次ぎ、情勢は一気に緊迫していきました。
つまり1867年は、「幕府が政権を返上し、王政復古によって新しい時代が始まる直前の決定的な年」といえます。
大政奉還は、なぜ実現し幕府は終わったのか?
徳川慶喜による大政奉還をもって幕府は終焉へと向かいます。
黒船来航からこの決断に至るまでの幕末の流れを時系列で確認できます。
Q. 1867年は何が起きた?
A. 徳川慶喜が大政奉還を行い、政権を朝廷に返しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 約260年続いた江戸幕府が終わりを迎えたためです。
Q. その後どうなった?
A. 王政復古により新政府が成立します。
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1867年の重要出来事


- 大政奉還により、徳川慶喜が政権を天皇に返上した
- 王政復古の大号令により、天皇中心の新政府が宣言された
- 江戸幕府が事実上終わり、武家政治が終焉を迎えた
この年は何が変わったのか
1867年(慶応3年)は、日本の政治体制が大きく転換し、江戸幕府から明治政府へと移行する決定的な年です。
大政奉還
1867年、15代将軍・徳川慶喜は政権を朝廷に返上しました。
これは、約260年続いた江戸幕府の統治を終わらせる大きな決断であり、鎌倉幕府以来およそ700年続いた武家政治にも終止符を打つ出来事でした。
王政復古の大号令
同年12月、朝廷は王政復古の大号令を発し、天皇を中心とする新政府の樹立を宣言しました。
この動きにより、旧幕府勢力は政治の中心から排除され、新しい国家体制が具体的に形を取り始めます。
徳川慶喜の辞官・納地
王政復古の後、徳川慶喜は官職を辞し、領地を返上することが決定されました。
これにより、幕府の政治的な影響力は完全に失われ、新政府による統治への移行が決定的となります。
江戸幕府の終焉
これら一連の出来事によって、江戸幕府は事実上崩壊しました。
ただし、政治的対立は完全には解消されておらず、翌1868年には武力衝突(戊辰戦争)へと発展していきます。
つまり1867年は、幕府が終わり、新しい政治体制が動き出す直前の転換点の年でした。
この年の重要人物
1867年は大政奉還と王政復古によって、江戸幕府の支配体制が終わりを迎えた年です。
この歴史的転換を動かした中心人物を整理します。
幕府側(政権返上)
- 徳川慶喜
第15代将軍として大政奉還を行い、政権を朝廷に返上した
倒幕・新政府側
- 西郷隆盛
薩摩藩の中心人物として討幕を主導 - 大久保利通
政治面から倒幕と新政府構想を推進 - 木戸孝允(桂小五郎)
長州藩の代表として新政府の枠組みづくりに関与
仲介・構想
- 坂本龍馬
大政奉還を提案し、政権返上の道を示した - 後藤象二郎
土佐藩として大政奉還を幕府に提案した実務担当者
朝廷
- 明治天皇
新政府の正統性を象徴する存在となる - 岩倉具視
王政復古を実現させた公家の中心人物
出来事・事物起源・話題
- 1月5日
- 夏目漱石誕生
- 1月9日
- 睦仁親王(16歳)、践祚して明治天皇となる
- 1月11日
- 遣欧特使徳川昭武等、渡仏のため出発
- 1月23日
- 福沢諭吉、幕府の軍艦受取委員に従って渡米
- 2月6日
- 徳川慶喜、フランス公使ロッシュを大阪城に引見し、幕府改革の意見を聴く
- 3月5日
- 徳川慶喜、兵庫開港の勅許奏請
- 3月19日
- 朝廷、兵庫開港の奏請を許さず
- 3月24日
- 各大名、兵庫開港の可否建議
- 3月25日
- 徳川慶喜、英国公使と会見
- 3月26日
- 幕府の新造軍艦「開陽丸」、オランダより回航して横浜に入港
- 4月12日
- 鹿児島の島津久光、京都警備のため兵7,000を率いて堂々京都に入る
- 4月14日
- 高杉晋作没
- 4月18日
- 薩摩藩士大山綱良、兵30数名、砲3門を率いて大宰府に入り、三条実美以下五卿の動座に反対
- 4月23日
- いろは丸事件(日本最初の蒸気船衝突事件)
- 5月8日
- 幕府、松平慶永以下、山内、伊達、島津の諸侯に登城を命ずるも応ぜず
- 5月12日
- 火薬製造機、初めて輸入される
- 5月14日
- 山内容堂、島津久光、松平慶永、伊達宗城らの雄藩諸侯、徳川慶喜に対し王政復古の急務と開港の已むなきを論ず
- 5月21日
- 高知藩士板垣退助ら、鹿児島藩士小松帯刀らと京都で会見、倒幕挙兵を盟約
- 5月24日
- 朝議決定し、長州藩処分を寛大にし、併せて兵庫開港の勅許下る
- 5月27日
- 中岡慎太郎、板垣退助、谷守部(干城)、小松帯刀、西郷隆盛ら倒幕同盟を結ぶ
- 6月9日
- 坂本龍馬、後藤象二郎、上洛のため、長崎を出帆(坂本龍馬、「船中八策」を提唱)
- 6月13日
- 長崎にて耶蘇教徒85名捕縛
- 6月14日
- 薩長土三藩の志士西郷隆盛、大久保利通、後藤象二郎ら王政復古を議す
- 6月22日
- 後藤象二郎・坂本龍馬ら、西郷隆盛・大久保利通らと会見(大政奉還の薩土盟約を結ぶ)
- 6月25日
- 土佐藩士中岡慎太郎、坂本龍馬と共に岩倉具視を訪ね王政復古を論ず
- 7月8日
- 兵庫開港のため、国産改所を京都及び大阪に設置して物産検査の制を定める
- 7月10日
- 江戸の四門、品川、千住、板橋、新宿の四駅廃され、江戸の出入り自由となる
- 7月24日
- 英国公使パークス大阪に入りて、老中板倉勝静らと会見する
- 7月27日
- 徳川慶喜、英国公使パークスと会見
- 8月11日
- 幕府、従来の飼鷹を廃す
- 8月13日
- 幕府、ベルギーと通商条約締結
- 8月21日
- 桂小五郎、坂本龍馬ら、長崎において公儀政体を論じ、その貫徹を期す
- 8月25日
- 土佐藩士後藤象二郎ら、藩主の命により大政奉還建策のため高知を発ち上洛する
- 9月4日
- 幕府、デンマークと通商条約締結
- 9月6日
- 幕府、イタリアと通商本条約締結
- 9月9日
- 土佐藩士後藤象二郎、福岡藤次(孝弟)ら、小松帯刀、西郷隆盛と会見し、幕府に対する武力牽制の延期を求める(西郷隆盛訊かず)
- 9月11日
- 島津忠義、1,000余の兵を率いて京都に入る(西郷隆盛の王政復古の大計いよいよ熟す)
- 9月12日
- 江戸・大阪間に飛脚船開始される
- 9月14日
- 幕府、江戸の市街地に3階建て家屋の建築を許可
- 9月15日
- 三代目澤村田之助、片足切断の大手術(義足をつけた最初の日本人)
- 9月17日
- 正岡子規誕生
- 9月18日
- 薩摩藩士大久保利通ら、山口において毛利敬親父子に謁し、薩長攻守同盟を謀る
- 9月20日
- 海援隊坂本龍馬、長崎を発して下関に向う
- 10月3日
- 山内豊信(容堂)、後藤象二郎、福岡孝親ら大政奉還建白書を、老中板倉勝静に提出する
- 10月4日
- 土佐藩主山内容堂、将軍徳川慶喜へ、大政奉還の建白書を提出する
- 10月6日
- 大久保利通、品川弥二郎の両人が岩倉具視を訪ねて、「錦の御旗」作製について相談す
- 10月6日
- 芸州藩主浅野茂長、藩士辻将曹をして書を幕府に呈せしめ政権変換を建言
- 10月8日
- 長州藩の品川弥二郎、上京せる広沢真臣と共に薩摩の小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通、芸州藩の辻将曹、植田元次郎らと共に三藩合同し倒幕の事を議決する
- 10月9日
- 薩摩、長州、芸州三藩の倒幕連盟成立の顛末につき、中山忠能委曲奏上する
- 10月10日
- 坂本龍馬、倒幕を期し江戸に入る
- 10月12日
- 将軍徳川慶喜、老中以下諸有司を召し、大政奉還の已むを得ざる旨を懇諭する
- 10月13日
- 薩長両藩主に倒幕の蜜勅
- 10月14日
- 徳川慶喜、朝廷に大政奉還(家康以来270年の歴史に幕)
- 10月15日
- 朝廷、徳川慶喜の大政奉還允許
- 10月17日
- 伊東玄伯、日本人として初めて電報を打つ
- 10月21日
- 幕府、諸大名に総登城を命ず
- 10月24日
- 徳川慶喜、朝廷に征夷大将軍の辞表を提出
- 10月29日
- 天皇、勅使日野資宗を孝明天皇御陵に差遣、大政復古を告げしめ給う
- 11月13日
- 鹿児島藩士島津忠義、兵を率い鹿児島出発
- 11月15日
- 坂本竜馬暗殺される(中岡慎太郎も重体)
- 11月17日
- 中岡慎太郎絶命
- 11月23日
- 薩摩の島津忠義、兵を率いて京都入、西郷隆盛、品川弥二郎も京都着
- 11月25日
- 東北の各藩に樺太の開拓を許す
- 11月29日
- 幕府、樺太の漁業を民間に奨励し、旗本大名にして同地希望者へは割与する
- 11月30日
- 幕府、海底電信布設を計画す
- 12月7日
- 幕府、兵庫(神戸)港を開港され、大坂の互市場国際的に開かれる
- 12月7日
- 坂本龍馬、中岡慎太郎の仇を狙って新撰組を襲撃
- 12月8日
- 三条実美ら六卿及び毛利敬親父子の官位を復し入京を許される
- 12月9日
- 小御所会議(王政復古に関する御前会議)
- 12月9日
- 新たに総裁、議定、参与を置く
- 12月10日
- 徳川慶喜に退官納地の勅諭
- 12月12日
- 徳川慶喜の将軍職辞職に幕臣騒然(特に会津、桑名の両藩の兵激昻する)
- 12月14日
- 西郷従道、大山巌ら、三条実美以下の五卿を迎えるため大宰府に到着する
- 12月16日
- 徳川慶喜、英・米・仏らの六国使臣を招き政体改革の事を告げる
- 12月19日
- 三条実美ら、帰京のため大宰府を発つ
- 12月23日
- 閣老小笠原壱岐守、米国書記官ボルトメンの願により江戸・横浜間の鉄道敷設免許を与える(その後明治新政府はこの契約を認めず)
- 12月25日
- 薩摩屋敷焼討事件
- 12月27日
- 明治天皇、最初の御閲兵
- 12月28日
- 今津、桑名藩の佐幕党、旗本諸隊憤怒して徳川慶喜に迫り挙兵を主張す
- 12月29日
- 岩倉具視、西郷隆盛、井上馨、大久保利通ら、三条実美邸にて施政を議す
- 12月30日
- 松平慶永、成瀬正肥ら、参内して徳川慶喜の復命書を上る
天皇
明治天皇(在位:慶応3年1月9日~明治45年7月30日)
将軍
徳川慶喜[15代](在位:慶応2年12月5日~慶応3年12月12日)
生活の話題
衣
- 陸軍フランス式訓練を採用、その服制を改める
- コウモリ傘の流行始まる
食
- 江戸高輪に牛肉店ができる
- 外国米買入
- 横浜の中川善兵衛、パン、ビスケット、ボットルの販売広告を出す
住
- 築地居留地に外国人宿泊のホテルが建つ
その他
- 片山淳之介、『西洋衣食住』を著す
- 幕府、但馬に人をやり、牧牛法を教える
- 島津藩、鹿児島紡績を創立
この年のポイントまとめ
- 大政奉還により、幕府が政権を天皇に返上した
- 王政復古の大号令により、新政府の成立が宣言された
- 徳川慶喜の辞官・納地により、幕府の影響力が消滅した
- 約260年続いた江戸幕府が終焉を迎えた
1867年は、日本の政治体制が大きく転換した決定的な年です。
幕府は自ら政権を返上し、天皇を中心とした新しい政治体制が形づくられていきました。
しかし、この変化は平和的に完結したわけではなく、旧幕府勢力との対立は残り、翌年の戦争へとつながっていきます。
この年を理解することで、明治維新が「戦争による革命」だけでなく、「政治的な決断によって始まった変革」であったことが見えてきます。
また、なぜその後に戊辰戦争が起こったのか、政治的な対立の構図を理解する重要な鍵となります。
1867年のよくある質問 Q&A
Q. 1867年とはどんな年ですか?
1867年は、徳川慶喜が大政奉還を行い、 江戸幕府の政権が朝廷に返上された年です。
Q. 大政奉還とは何ですか?
将軍が政治の権限を朝廷に返すことで、 徳川政権の終焉を意味する出来事です。
Q. なぜ大政奉還が行われたのですか?
幕府の弱体化と倒幕勢力の台頭により、 政権維持が困難になったためです。
Q. 王政復古とは何ですか?
天皇中心の新しい政治体制を築くために、 幕府を廃止した政治改革です。
Q. 徳川慶喜はどんな人物ですか?
江戸幕府最後の将軍で、 時代の転換期に重要な決断を下した人物です。
Q. なぜ1867年は重要なのですか?
幕府体制が終わり、 新しい政治体制への移行が決定的になったためです。
Q. この出来事はその後どうつながりますか?
1868年の明治維新へと進み、
日本は近代国家へと転換します。
→ 1868年へ
Q. 1867年の重要人物は誰ですか?
徳川慶喜、坂本龍馬、西郷隆盛などが重要人物です。
Q. 1867年は日本にとってどんな意味がありますか?
1867年は、日本の政治体制が大きく変わり、 近代国家への道が決定づけられた年です。
幕府の終焉のあと、日本はどのように変わっていくのか?
王政復古と明治維新へと進み、日本は新しい時代へと移行していきます。
幕末の終わりから明治への流れをあわせて理解できます。

