1882年(明治15年)は、日本が本格的に近代国家へと進み始めた時期にあたります。
政治面では自由民権運動が活発化し、政党が誕生。
社会面では鉄道や電灯などの近代技術が普及し始めました。
「政治の近代化」と「生活の近代化」が同時に進んだ年です。
日本はなぜ近代国家としての仕組みを整え始めたのか?
日本銀行の設立や政党の誕生により、政治と経済の基盤が整えられていきます。
明治維新からこの年に至るまでの近代化の流れを時系列で確認できます。
Q. 1882年は何が起きた?
A. 大隈重信が立憲改進党を結成し、政党政治が動き出しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 国会開設に向けた具体的な政治体制づくりが始まったためです。
Q. この後どうなる?
A. 憲法制定が進み、1889年に公布されます。
→ 1889年(大日本帝国憲法)を見る
目次
1882年の重要出来事
- 立憲改進党と立憲帝政党が結成され、政党政治が進展した
- 伊藤博文が憲法調査のためヨーロッパへ派遣された
- 軍人勅諭が発布され、軍隊の天皇への忠誠が示された
- 自由民権運動と政府の対立がさらに深まった
- 憲法制定と近代国家制度整備が本格化した
この年に始まったこと
1882年(明治15年)は、政党政治や近代軍制の整備が進んだ年です。自由民権運動の流れを受けて新たな政党が誕生し、また軍の統率体制にも大きな変化が生まれました。
- 立憲改進党が結成された
大隈重信を中心に立憲改進党が結成され、自由党と並ぶ有力政党として活動を開始しました。 - 軍人勅諭が発布された
明治天皇の名で軍人勅諭が発布され、日本軍の精神的な指針となる統率体制が始まりました。 - 日本銀行設立への準備が始まった
日本銀行条例が制定され、近代的な中央銀行創設へ向けた体制整備が始まりました。 - 政党間競争の時代が始まった
自由党と立憲改進党が並び立つことで、本格的な政党政治の基盤が形成され始めました。 - 憲法制定に向けた制度研究が本格化した
伊藤博文が欧州へ渡り、近代憲法の調査研究を開始しました。後の大日本帝国憲法制定へつながる重要な第一歩となりました。
1882年は、「政党政治と近代国家制度づくりが始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1882年(明治15年)は、憲法制定と近代国家建設へ向けた制度整備がさらに進んだ年でした。一方で、自由民権運動や政党活動も活発化し、日本は本格的な立憲政治時代へ近づいていきます。
伊藤博文によって憲法調査が進められた
伊藤博文はヨーロッパへ渡り、ドイツを中心に各国の憲法制度を調査しました。この調査は後の大日本帝国憲法制定へ大きな影響を与えていきます。
立憲改進党によって政党政治が広がった
大隈重信らは立憲改進党を結成しました。自由党と並ぶ有力政党の誕生によって、日本では本格的な政党政治への流れが強まっていきます。
軍人勅諭によって軍隊統制が強化された
明治天皇は軍人勅諭を発布し、軍人に対する忠誠や規律を示しました。これによって日本軍は天皇への忠誠を重視する軍隊として整備されていきます。
福島事件によって自由民権運動への弾圧が強まった
自由民権運動が広がる中、政府は運動への警戒を強めていました。福島事件では民権派への取り締まりが行われ、政府と民権派の対立はさらに激化していきます。
殖産興業によって近代産業化が進展した
鉄道・通信・工業化政策は引き続き進められ、日本の近代産業は徐々に発展していきました。文明開化の流れも都市部を中心にさらに広がっていきます。
立憲国家への準備が本格化した
憲法調査、政党結成、政治制度整備などが進み、日本は本格的に立憲国家への道を歩み始めました。1882年は、近代日本の政治体制づくりがさらに具体化した一年でした。
この年の重要人物
1882年(明治15年)は、自由民権運動が新たな段階へ進み、日本初の本格的な政党が誕生した年です。また、軍制改革が進められ、軍人勅諭が発布されるなど、近代国家としての制度整備も進展しました。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 板垣退助
自由党を結成し、日本初の本格的な政党政治の実現に向けて活動を進めました。自由民権運動の中心人物です。 - 大隈重信
立憲改進党の結成に関わり、議会政治の実現を目指しました。自由党と並ぶ政党勢力の中心人物でした。 - 伊藤博文
政府の中心人物として憲法制定に向けた準備を進めました。政党の台頭を見据えながら国家制度の整備を進めていました。 - 山縣有朋
軍人勅諭の発布に深く関わり、近代日本軍の基礎づくりを進めました。軍の政治的中立と天皇への忠誠を重視する体制を築きました。 - 福澤諭吉
慶應義塾を中心に教育と言論活動を展開し、近代的な政治意識や独立自尊の思想を広めました。自由民権運動の時代を語るうえで欠かせない知識人です。
この年を彩った人物
- 福澤諭吉
『時事新報』を創刊し、言論活動を通じて近代日本の世論形成に影響を与えました。 - 嘉納治五郎
講道館を創設しました。柔道を通じて日本の近代スポーツと教育の発展に大きく貢献しました。
出来事・事物起源・話題
- 1月1日
- 全国人口、3,670万118人(東京98万2,143人)
- 1月4日
- 陸海軍に「軍人勅諭」発布
- 1月24日
- 結城宗広を祀る結城神社、別格官弊社に列せられる
- 1月31日
- 日本初の生命保険金受け取り人が出る
- 2月15日
- 東京大学に植物学会創立(植物専攻研究の始め)
- 2月25日
- 参議伊藤博文、憲法及び制度研究のため西洋諸国へ差遣を命じられる
- 2月25日
- 兵器博物館たる遊就館、東京九段上に竣工開館式を行う
- 3月1日
- 松方大蔵卿「日本銀行創立ノ議」を建議する
- 3月14日
- 伊藤博文、欧州へ憲政視察に出航
- 3月15日
- 中央気象台に常設の地球磁気観測の始
- 3月16日
- 立憲改進党結党式
- 3月18日
- 渋沢栄一、大倉喜八郎ら、東京電灯会社設立を出願
- 3月20日
- 上野動物園開園
- 3月24日
- ドイツの細菌学者コッホにより初めて結核菌発見され、ベルリン学会に同予防法を発表
- 4月5日
- 井上馨の内地開放声明(条約改正会議)
- 4月6日
- 板垣退助、遊説中に襲撃される
- 4月28日
- 東京上野の帝室博物館落成(現在の東京国立博物館)
- 4月30日
- 伊勢神宮、神官の研究・教育機関として、神宮皇学館を設立
- 5月3日
- 東京気象学会設立
- 5月29日
- 東京でコレラ発生 死者3万人以上
- 6月3日
- 集会条例改正、政治結社に大打撃
- 6月3日
- 林子平、佐藤信淵の両氏に正五位を追贈
- 6月5日
- 嘉納治五郎、東京下谷北稲荷町永昌寺書院に柔道場開設、初年の入門者9人(講道館のおこり)
- 6月7日
- 警視庁に保安課を新設
- 6月25日
- 東京馬車鉄道、新橋・日本橋間開通(車両総数6両)
- 6月25日
- 東京上野・高崎間鉄道開通
- 6月27日
- 日本銀行条例公布
- 6月27日
- 神戸・横浜などの7港に悪疫防止のため船舶検疫制度実施される
- 7月23日
- 朝鮮京城に内乱起り暴徒王宮に乱入、日本公使館も襲撃される(壬午事変)
- 7月30日
- 朝鮮の変報に日本軍艦を急きょ派遣する
- 8月5日
- 戒厳令制定される
- 8月12日
- 徴発令を定める
- 8月15日
- 参事院議長山県有朋、煙草増税をもって軍備拡張にあたることを建議
- 8月22日
- 東京初の路面電車開業
- 8月30日
- 日韓両代表間に済物浦(サイモッポ)条約成る(15年事件は賠償により解決)
- 9月4日
- ニューヨークに初めて電燈点火
- 9月22日
- 陸軍裁判所を廃止、東京鎮台に軍法会議を設置
- 10月1日
- 第1回内国絵画共進会開催(農商務省主催)※洋風画の出品は拒否
- 10月10日
- 日本銀行開業
- 10月21日
- 大隈重信・小野梓ら、東京専門学校開校式を挙行(早稲田大学の前身)
- 10月31日
- 海軍兵学校条令制定される
- 11月11日
- 板垣退助・後藤象二郎、横浜を出発し渡欧
- 11月13日
- 陸軍大学校条例を定める
- 11月19日
- 右大臣岩倉具視、海軍拡張建議
- 11月23日
- 見延山久遠寺炎上する
- 11月24日
- 兵備拡張のため地方長官召命
- 12月1日
- 福島県自由党幹部河野広中ら、政府転覆の盟約作成の容疑で逮捕される(福島事件)
- 12月2日
- 東京の馬車鉄道を更に延長して、京橋より上野間に布設開業する
- 12月11日
- 為替手形、約束手形条例公布
- 12月12日
- 請願規則を布告する
- 12月28日
- 朝鮮特命全権公使朴泳孝、副使金晩植らと東京を発ち帰国する
- 12月29日
- 村田経芳、銃の発明にて叙勲
- 12月31日
- 陸奥宗光、禁固5年の刑を終わり出獄を許される
生活の話題
衣
- 銀座に丸善・森村sl・大倉組などの洋服店ができる
- 二重マワシを着るものあり、横浜で金巾の輸入最も盛ん
- 浅草で学生カバン製造され漸次普及する
食
- 神戸港で米slの輸入はじまる
- 大阪に七つの搾乳場あり、牛乳過剰でバター製造を始める
- 松本市で馬肉を食べ始める
- 神谷伝兵衛コウザン蜂印ブドウ酒製造に成功する
住
- 米国のブラッシ会社より初めて発電機が移入され、銀座二丁目に2,000燭光の弧光燈の電燈を点す
その他
- 本暦・略本暦は伊勢神宮で領布することになる
- 田鎖綱記、速記文字を創案、習う者多し
- 東京に鉄道馬車開通
- 郵便葉書取扱手続公告
- 下岡蓮杖、浅草に写真館を開業
- スダレを豪州に輸出
- 共同運搬会社・大日本山林会・大日本水産会設立
1882年のポイントまとめ
- 立憲改進党と自由党が対立した
大隈重信の立憲改進党と板垣退助の自由党が活動を本格化させ、日本の政党政治が動き始めました。 - 福沢諭吉が『時事新報』を創刊した
福沢諭吉は新聞『時事新報』を創刊し、近代日本の言論や社会思想に大きな影響を与えました。 - 日本銀行設立によって金融制度整備が進んだ
日本銀行条例が公布され、近代国家としての金融・通貨制度づくりが進められました。 - 自由民権運動がさらに拡大した
国会開設や憲法制定を求める動きが続き、政治参加への関心は全国へ広がっていきました。 - 近代政治国家への準備が進んだ年であった
1882年は、政党政治・言論活動・金融制度改革が進み、日本近代国家の土台がさらに整備された重要な年でした。
1882年は、政党政治と近代金融制度の整備が進み、日本が立憲国家へ向かって動き続けた年でした。自由党・立憲改進党の活動は本格化し、国民の政治参加への意識も高まっていきます。 政治・経済・言論の各分野で、日本近代化の基盤が広がっていく重要な時期となりました。
1882年のよくある質問 Q&A
Q. 1882年とはどんな年ですか?
1882年は、政党の結成が進み、 日本の議会政治に向けた動きが具体化した年です。
Q. 立憲改進党とは何ですか?
大隈重信が結成した政党で、 立憲政治の実現を目指しました。 日本の政党政治の先駆けとなりました。
Q. なぜ政党が必要だったのですか?
国会開設に向けて、 国民の意見を政治に反映する仕組みが必要だったためです。
Q. 伊藤博文の欧州派遣とは何ですか?
憲法制定のために、 伊藤博文がヨーロッパへ渡り制度を調査しました。 これが憲法制定の基礎となります。
Q. 軍人勅諭とは何ですか?
軍人の行動規範を示したもので、 近代軍隊の精神的基盤となりました。
Q. なぜ1882年は重要なのですか?
政党政治と憲法制定の準備が同時に進み、 日本の政治体制が具体的に形づくられ始めたためです。
Q. 1882年の出来事はその後どうつながりますか?
憲法制定が進み、
1889年に大日本帝国憲法が公布されます。
→ 1889年(憲法の完成)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
政党の活動が活発化し、 議会政治の基盤が整えられていきました。
Q. 1882年の重要人物は誰ですか?
大隈重信、伊藤博文、山県有朋などが重要人物です。
Q. 1882年は日本にとってどんな意味がありますか?
1882年は、政党政治と憲法制定の準備が進み、 近代政治体制が具体化した年です。
政治と経済の基盤は、その後どのように発展していくのか?
制度や組織の整備を背景に、日本はさらに近代国家としての体制を強化していきます。
明治中期から後期にかけての発展の流れをあわせて理解できます。
