1885年(明治18年)は、日本の政治体制が大きく転換し、近代国家としての仕組みが整い始めた年です。
この年、太政官制に代わって内閣制度が創設され、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任しました。これにより、日本は本格的に近代的な政府体制へと移行していきます。
つまり1885年は、「内閣制度が始まり、近代国家としての政治体制が確立へ向かった年」といえます。
なぜ日本は内閣制度を導入したのか?
内閣制度の創設により、日本は近代国家としての行政体制を本格的に整えていきます。
明治維新からこの年に至るまでの政治改革の流れを時系列で確認できます。
Q. 1885年は何が起きた?
A. 内閣制度が創設され、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 近代的な政府の仕組みが整い、政治運営が大きく変わったためです。
Q. この後どうなる?
A. 憲法制定が進み、1889年に公布されます。
→ 1889年(大日本帝国憲法)を見る
目次
1885年の重要出来事
- 内閣制度が創設され、伊藤博文が初代内閣総理大臣となった
- 太政官制度が廃止され、近代的政府制度へ移行した
- 条約改正交渉と欧化政策が引き続き進められた
- 自由民権運動への統制が続き、政府主導体制が強化された
- 憲法制定と立憲国家建設へ向けた準備が進展した
この年に始まったこと
1885年(明治18年)は、日本の政治制度が大きく転換した年です。太政官制に代わって内閣制度が導入され、近代国家としての行政体制が本格的に始まりました。
- 内閣制度が始まった
太政官制が廃止され、日本初の内閣制度が発足しました。これにより近代的な政府組織への転換が実現しました。 - 初代内閣が発足した
伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任し、日本初の内閣がスタートしました。 - 内閣総理大臣制度が始まった
国家運営の最高責任者として内閣総理大臣が置かれ、現在まで続く政治制度の基礎が築かれました。 - 近代的な中央行政制度が始まった
各省を中心とする行政機構が整備され、近代国家にふさわしい統治体制が本格的に始まりました。 - 天津条約体制が始まった
日本と清国の間で天津条約が締結され、朝鮮をめぐる両国の関係に新たな外交ルールが設けられました。
1885年は、「内閣制度が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1885年(明治18年)は、日本の政治制度が大きく近代化した年でした。内閣制度が創設され、伊藤博文が初代内閣総理大臣へ就任したことで、日本は本格的に近代国家としての政治体制を整え始めます。
内閣制度によって近代政府体制が始まった
1885年、明治政府は従来の太政官制を廃止し、新たに内閣制度を導入しました。これによって近代国家としての行政制度が整備され、日本政治は大きな転換点を迎えます。
伊藤博文が初代内閣総理大臣へ就任した
内閣制度創設に伴い、伊藤博文が日本初の内閣総理大臣へ就任しました。伊藤は憲法制定や近代国家制度整備を進める中心人物となっていきます。
天津条約によって日清対立が一時調整された
朝鮮問題をめぐって対立していた日本と清は、天津条約を締結しました。両国は朝鮮からの撤兵で合意しましたが、朝鮮をめぐる対立そのものは続いていきます。
電信・鉄道整備によって近代インフラが発展した
殖産興業政策のもと、鉄道や電信網の整備がさらに進みました。日本国内の交通・通信環境は急速に近代化し、国家統治や経済発展を支える基盤となっていきます。
文明開化が社会へ定着していった
西洋文化や近代制度は都市部を中心に広がり続け、人々の生活様式も変化していきました。洋装・西洋建築・新聞文化などが徐々に社会へ定着していきます。
立憲国家建設が最終段階へ入り始めた
内閣制度創設によって、日本は憲法制定と議会開設へ向けた準備をさらに加速させました。1885年は、近代日本の政治制度が本格的に形を整え始めた重要な一年でした。
この年の重要人物
1885年(明治18年)は、太政官制度が廃止され、日本初の内閣制度が発足した年です。近代国家としての統治機構が整備され、明治政府は新たな段階へ進みました。日本の政治制度が大きく変わったこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 伊藤博文
日本初の内閣総理大臣に就任しました。内閣制度創設の中心人物であり、近代国家日本の政治制度づくりを主導しました。 - 井上馨
初代外務大臣として入閣し、条約改正交渉や欧化政策を進めました。明治政府の中枢を担った人物です。 - 山縣有朋
初代内務大臣として入閣しました。地方行政や警察制度の整備を進め、後の日本政治にも大きな影響を与えました。 - 大隈重信
立憲改進党の指導者として政府の立憲化を求め続けました。政党政治の発展を支えた代表的人物です。
この年を彩った人物
- 坪内逍遥
『小説神髄』を発表しました。日本近代文学の方向性を示した文学理論として大きな意味を持ちました。
出来事・事物起源・話題
- 1月1日
- 往復はがき、初めて発行される
- 1月7日
- 特命全権大使井上馨、韓国全権大臣金宏集と談判、我要求五事を約す
- 1月17日
- 羅馬字会創立、第一回例会を開催
- 1月25日
- 千葉医学校開校(現在の千葉大学)
- 1月25日
- 大山巌、欧州の兵制視察を終え帰朝
- 1月27日
- ハワイ第1回移民(927人出発)
- 2月7日
- 政商、岩崎弥太郎死去
- 2月24日
- 伊藤博文、特派全権大使として清国へ差遣(西郷従道、井上馨これに従う)
- 3月1日
- 赤羽・品川間の鉄道開通(官私営鉄道の最初)
- 3月9日
- 初めて電話機・電燈が輸入される(エジソンが電話機と白熱電燈26個を工部大学に寄贈)
- 3月17日
- 全権大使伊藤博文、西郷従道、天津にて李鴻章と会見(天津条約の談判)
- 3月18日
- プロシア参謀少佐メッケル、陸軍大学校雇教師となる
- 4月3日
- 特派全権大使伊藤博文、西郷従道ら、天津において李鴻章全権と談判開始
- 4月6日
- 府県に小作慣行調査を命令
- 4月18日
- 朝鮮問題に関し、全権伊藤博文は清国代表李鴻章と天津条約調印
- 5月8日
- 九州改進党解党
- 5月9日
- 日本銀行、初めて兌換銀行券を発行する
- 5月15日
- イギリス海軍、朝鮮の巨文島を占領する
- 5月18日
- 監軍部条例(東部、中部、西部とする)、鎮台条例を改正する
- 5月20日
- 各鎮台の歩兵連隊を旅団に編成
- 5月30日
- 大蔵省に初めて預金局を設置(国家経済の運用と利殖を計る)
- 5月31日
- 富山市の大火(ほとんど全滅)
- 6月2日
- 京都にて琵琶湖疎水起工式
- 7月1日
- 特許法実施(第1号特許は堀田瑞松届けの錆止め塗料)
- 7月2日
- 関西地方に豪雨続き大洪水(とくに大阪市内の橋梁悉く流失し、死傷者多数)
- 7月17日
- 海底電信万国条約に加盟する
- 7月26日
- 明治天皇、山陽巡幸御発輦
- 9月17日
- 日本郵船創立
- 9月24日
- 違警罪即決例制定
- 10月1日
- 東京瓦斯、日本郵船両社創立
- 10月16日
- 上野駅開業
- 11月13日
- 華族女学校開校式(皇后宮行賓)
- 11月14日
- 最初の坑業組合となる九州の筑豊石炭坑業組合成立
- 11月18日
- 明治天皇、日比谷操練場に御閲覧
- 11月23日
- 大阪事件(自由党士大井憲太郎ら、清国に対する朝鮮の独立を謀り、事発覚して大阪に捕えられる)
- 11月24日
- 東京に基督(キリスト)教信徒大会開催
- 12月12日
- 大阪・堺間の鉄道開通する
- 12月22日
- 太政大臣、左右大臣、参議の制を廃し、新たに内閣各省を置き、官制改革が行われる
- 12月22日
- 最初の組閣、第一次伊藤内閣成立し初代総理大臣に伊藤博文(宮相兼務)
- 12月22日
- 宮中に内大臣をおく(三条実美)
- 12月23日
- 初代法制局長官山尾庸三を任命
- 12月28日
- 内閣に統計局を設置
- 12月29日
- 大阪・堺間の鉄道開通開業
総理大臣
伊藤博文(明治18年12月22日~明治21年4月30日)
生活の話題
衣
- 東京女子師範制服を洋服とする(10月)
- 婦人束髪会発会し、束髪多くなり、リボンが流行し始める
- 兵営にバリカン献納を出願するものあり
- 東京神田にセルロイドで櫛の製造をなすものあり
- 婦人用洋式日傘流行する
- インド産天然藍の輸入盛んになる
食
- 大日本節酒会設立
- 三田育種場『再植馬鈴薯の記』を刊行
- 大阪の屠牛数12,676頭に達し、同年の日本全屠牛中数の約80%を占める
住
- 摺附木に黄燐使用を禁止
- 東京瓦斯株式会社設立
- 横浜市初めて鉄管使用の上水道を設ける
文学
- 硯友社創立、『我楽多文庫』創刊(2月)
- 坪内逍遥著『当世書生気質』分冊刊行(6月)
- 『女学雑誌』創刊(7月)
- 坪内逍遥著『小説神髄』第一冊刊(9月)
- 東海散士著『佳人之奇遇』刊(10月)
- 近藤瓶城編『史籍集覧』正編刊了
その他
- 往復ハガキ発売(1月)
- 山手線(品川-赤羽間)開通(2月)
- 萩野ぎん、女医となる(3月)
- 電信料金、全国均一制
- 日本郵船会社設立
- 阪堺鉄道開通
- 丸善、万年筆を輸入、和製もできる
- 国産の石盤できる
- 除虫菊栽培はじまる
- 東京感化院創立
- 秋田の阿仁鉱山及び福岡県の八炭坑が開業する
1885年のポイントまとめ
- 内閣制度が創設された
明治政府は太政官制を廃止し、日本初の近代的な内閣制度を導入しました。 - 伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任した
伊藤博文は初代総理大臣となり、日本の立憲政治体制づくりを主導していきました。 - 近代国家としての行政制度整備が進んだ
各省庁制度や官僚制度が整えられ、日本は西洋型国家体制へ大きく近づいていきました。 - 条約改正交渉が重要課題となった
不平等条約改正を目指し、日本政府は欧米列強との外交交渉を積極的に進めました。 - 近代国家日本の政治体制が大きく変化した年であった
1885年は、内閣制度創設によって日本の近代政治システムが本格的に始動した歴史的転換点でした。
1885年は、内閣制度創設によって日本の政治体制が大きく変わった年でした。 伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任し、日本は本格的な近代国家体制づくりを進めていきます。 明治政府による制度改革はさらに加速し、立憲国家への道筋がより明確になった重要な一年でした。
1885年のよくある質問 Q&A
Q. 1885年とはどんな年ですか?
1885年は、内閣制度が創設され、 近代的な政府の中枢が整えられた年です。
Q. 内閣制度とは何ですか?
内閣制度は、内閣総理大臣と各大臣によって 政治を運営する仕組みです。 現代日本の政府制度の原型となりました。
Q. なぜ内閣制度が導入されたのですか?
近代国家として効率的な政治運営を行うため、 西洋の制度を参考に導入されました。
Q. それまでの政府と何が違うのですか?
太政官制から内閣制度へ移行し、 より近代的で統一された政治体制となりました。
Q. なぜ1885年は重要なのですか?
近代国家としての行政の仕組みが完成し、 憲法制定に向けた体制が整ったためです。
Q. 1885年の出来事はその後どうつながりますか?
憲法制定が進み、
1889年に大日本帝国憲法が公布されます。
→ 1889年(国家体制の完成)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
外交や軍事の整備も進み、 日本は近代国家としての形を整えていきました。
Q. 1885年の重要人物は誰ですか?
伊藤博文が初代内閣総理大臣として重要な役割を果たしました。
Q. 1885年は日本にとってどんな意味がありますか?
1885年は、近代国家としての政府の中枢が完成した年です。 現代の政治制度の基礎が築かれました。
内閣制度の導入は、日本をどのように変えていったのか?
憲法制定や帝国議会開設へ向けて、日本は立憲国家としての仕組みをさらに整えていきます。
明治中期から後期への流れをあわせて理解できます。
