1879年(明治12年)の出来事

琉球処分と沖縄県設置

今から147年前の出来事

この年の位置づけ

琉球処分と国境形成

琉球藩が廃止され沖縄県が設置されました。近代国家としての領土・国境整備が進められていきます。

1879年(明治12年)は、日本の国家体制がさらに強化され、中央集権国家としての形が整えられていった年です。

この年には、琉球王国が廃止され沖縄県が設置されるなど、日本の領土と統治のあり方に大きな変化が起こりました。

近代国家としての「統治」が完成に近づいた年です

まず全体を把握

なぜ明治政府は全国統一の体制を強化していったのか?

琉球処分により沖縄県が設置され、日本の中央集権化はさらに進んでいきます。
明治維新からこの年に至るまでの改革と国家統一の流れを時系列で確認できます。

明治時代の流れを一気に理解する →
1879年のポイントQ&A

Q. 1879年は何が起きた?
A. 琉球王国が廃止され、沖縄県が設置されました(琉球処分)。

Q. なぜ重要なのか?
A. 日本の領土と統治が拡大し、近代国家としての対外関係が変化したためです。

Q. この後どうなる?
A. 国内体制が整い、1881年に国会開設の詔が出されます。
1881年(国会開設の詔)を見る

1879年の重要出来事

  • 琉球処分が行われ、沖縄県が設置された
  • 琉球王国が廃止され、日本の領土統合が進められた
  • 自由民権運動が各地でさらに活発化した
  • 明治政府による中央集権国家体制が強化された
  • 外交問題として清国との対立が深まり始めた

この年に始まったこと

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1879年(明治12年)は、明治政府による沖縄統治が本格的に始まった年です。また、教育制度や地方行政制度の整備も進み、近代国家としての仕組みづくりが続けられました。

  • 沖縄県の設置が始まった
    琉球藩が廃止され、沖縄県が設置されました。これにより明治政府による沖縄の直接統治が始まりました。
  • 琉球処分が完了した
    琉球王国は消滅し、日本の行政制度に組み込まれる新たな体制が始まりました。
  • 沖縄の府県制度運用が始まった
    本土と同様の県制度が導入され、沖縄でも近代行政の整備が始まりました。
  • 教育令による新たな教育制度が始まった
    学制に代わる教育令が公布され、地方の実情に応じた教育制度の運用が始まりました。
  • 明治政府による南西諸島統治体制が始まった
    沖縄県設置により、日本の領域統治がさらに拡大し、中央政府による全国統治体制が強化されました。

1879年は、「沖縄県と新しい教育制度が始まった年」でした。

この年は何が変わったのか

1879年(明治12年)は、明治政府が領土統治と中央集権化をさらに進めた年でした。琉球処分によって沖縄県が設置され、日本の国家統合が強化される一方、自由民権運動もさらに広がっていきます。

琉球処分によって沖縄県が設置された

明治政府は琉球藩を廃止し、新たに沖縄県を設置しました。これが琉球処分です。琉球王国は完全に日本政府の統治下へ組み込まれ、日本の領土統合が進められていきます。

中央集権国家への統合がさらに進んだ

廃藩置県後も進められていた中央集権化は、琉球処分によってさらに強化されました。明治政府は全国統一的な行政支配を拡大していきます。

自由民権運動が勢いを増していった

国会開設や憲法制定を求める自由民権運動は全国へ広がり、政治結社の活動も活発化していきました。政府に対する政治参加要求は徐々に強まっていきます。

教育令によって教育制度改革が進められた

明治政府は教育令を公布し、学制を見直して教育制度改革を進めました。地方事情に応じた教育運営を認めつつ、近代国家としての教育整備が続けられていきます。

殖産興業政策がさらに進展した

鉄道・通信・工業化などの近代化政策は引き続き進められ、日本経済は徐々に発展していきました。文明開化の流れも都市部を中心にさらに広がっていきます。

明治国家の形が整い始めた

領土統合・地方制度・教育制度・産業政策などが進み、日本は近代国家としての形を徐々に整えていきました。1879年は、明治政府の国家建設がさらに具体化した一年でした。

この年の重要人物

1879年(明治12年)は、琉球処分によって琉球藩が廃止され、沖縄県が設置された年です。また、自由民権運動が全国へ広がり、明治政府と民権派の対立も深まりました。国内統治と外交の両面で重要な転換点となったこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。

  • 松田道之
    内務官僚として琉球処分を主導しました。沖縄県設置の実務を担い、日本の中央集権化を推し進めました。
  • 尚泰
    最後の琉球藩王です。琉球藩廃止によって東京へ移住し、琉球王国の歴史に一区切りがつく象徴的な存在となりました。
  • 伊藤博文
    政府の中心人物として地方制度や国家制度の整備を進めました。大久保利通亡き後の明治政府を支える存在となっていました。
  • 板垣退助
    自由民権運動の指導者として活動を続けました。国会開設や政治参加の拡大を求める運動を全国へ広げました。

出来事・事物起源・話題

1月25日
大阪朝日新聞創刊される
1月29日
万国電信条約に加盟し、外国電信業務を開始
3月12日
最初の内閣書記官長に中村弘毅を任命(内閣書紀官設立は3月10日)
3月14日
松山にコレラ発生、全国に広がる
3月20日
東京府会開会(府県会規則による府県会の最初)
3月27日
愛国社第二回大会開催
3月28日
初めての蓄音機の吹込(東京商法会議所において福知桜痴による)
4月4日
琉球藩を廃止、沖縄県とする
5月9日
官吏の公開の場での政談演説を禁止する
5月13日
陸軍幕僚参謀条例を定める
5月15日
山林局を内務省に設置
6月4日
東京招魂社を別格官幣社とし、靖国神社と改称(内務・陸軍・海軍3省の管理とする)
6月27日
コレラ予防法定める
7月3日
アメリカ前大統領グラント将軍夫妻来日
7月4日
来日中のアメリカ前大統領グラント将軍来朝参内する
7月10日
東京大学卒業生に初めての学位(学士号)授与する(医学本科18名、製薬本科19名の計37名)
7月16日
日本最初の考古学研究書完成(モールスの「大森貝塚研究報告」)
8月1日
日本最初の損害保険会社開業(東京海上火災保険会社)
8月10日
明治天皇、濱離宮に臨幸(アメリカ前大統領グラント将軍を引見し給う)
8月25日
車駕上野公園に臨幸し、犬追物天覧(アメリカ前大統領グラント将軍陪観する)
8月31日
皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)御降誕
9月15日
製茶共進会を初めて横浜に開催(産業一種目の共進会はこれを端となす)
9月29日
文部卿寺島宗則、教育令布告(学制廃止)
10月13日
侍補職を廃止する
10月27日
徴兵令改正(免役条項を縮小、軽重輸卒を説く)
10月28日
水上警察を東京に開設
11月1日
横浜に生糸の共進会開催
11月7日
愛国社第3回大会開催、国会開設請願を決議する
11月11日
萩原鑛場に最初の石油輸送鉄管竣工(それまでは樽に石油を容れ人夫に運ばしていた)
11月22日
道元に承陽大師と諡す
12月20日
青森県尻屋崎燈台に霧笛を設ける
12月26日
東京日本橋京橋の大火(約1万戸焼失)

生活の話題

  • 千住製絨所成り、毛糸の生産も始まる
  • 印刷局抄紙部でカセイソーダの製造はじまり洗濯石鹸もつくる(明治14年に廃止)
  • 唐チリメン(メリンス)の輸入が盛ん

  • 北海道紋別に製糖所設置
  • 東京小石川興農社で各種の缶詰をつくり利益をあげる
  • 広島の博進社缶詰製造をはじめ、日清戦争以来牛肉缶詰盛んになる基となる

その他

  • 梟首刑廃止
  • 府県会開始
  • 印刷局が、懐中日記を発行
  • 国立銀行150行に達する
  • 大阪に硫酸製造会社設立

1879年のポイントまとめ

  • 琉球処分によって沖縄県が設置された
    明治政府は琉球藩を廃止して沖縄県を設置し、日本の中央集権化をさらに進めました。
  • 日本の領土統治体制が強化された
    琉球王国は日本政府の直接統治下へ入り、近代国家としての領域支配が進められました。
  • 自由民権運動が全国へ広がった
    国会開設を求める政治運動が各地で活発化し、政府への改革要求が高まりました。
  • 政府内で憲法制定への議論が進み始めた
    近代国家としての政治制度整備が課題となり、立憲政治への準備が進められていきました。
  • 近代国家日本の形が整い始めた年であった
    1879年は、中央集権化と政治改革の両面で、日本国家体制がさらに確立へ向かった重要な年でした。

1879年は、琉球処分によって日本の領土統治が大きく変化した年でした。また、自由民権運動の広がりによって、国会開設や憲法制定を求める声も強まっていきます。 中央集権国家としての整備と、近代政治制度への移行が同時に進んだ重要な時期となりました。

1879年のよくある質問 Q&A

Q. 1879年とはどんな年ですか?

1879年は、琉球王国が廃止され沖縄県が設置された年です。 日本の領土と統治体制が拡大しました。

Q. 琉球処分とは何ですか?

琉球処分とは、琉球王国を廃止し、 日本の一部として組み込んだ政策です。 これにより沖縄県が設置されました。

Q. なぜ琉球は日本に編入されたのですか?

日本が近代国家として領土と主権を明確にするためです。 同時に清との関係も影響しました。

Q. 当時の国際関係はどうでしたか?

清(中国)との間で琉球の帰属を巡る問題が起こり、 外交上の課題となりました。

Q. なぜ1879年は重要なのですか?

日本の領土と統治が明確になり、 近代国家としての枠組みが完成に近づいたためです。

Q. 1879年の出来事はその後どうつながりますか?

国内制度の整備が進み、 1881年の国会開設の詔へとつながります。
1881年(政治体制の転換)を見る

Q. 他に重要な流れはありますか?

対外政策がより明確になり、 日本の国際的な立場が変化していきました。

Q. 1879年の重要人物は誰ですか?

松田道之などが琉球処分に関わった重要人物です。

Q. 1879年は日本にとってどんな意味がありますか?

1879年は、日本の領土と統治体制が確立され、 近代国家としての枠組みが完成に近づいた年です。

次に読むなら

国家統一の完成は、日本をどのように変えていったのか?

中央集権体制の強化を背景に、日本は立憲国家と近代国家づくりをさらに進めていきます。
1880年代へ向かう政治改革の流れをあわせて理解できます。

明治中期への流れを確認する →

時代の流れをもう少し広く見る

明治時代年表から、この年の前後をたどる

明治維新から日清・日露戦争、近代国家の形成までを時系列で整理しています。

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