1878年(明治11年)は、近代日本が大きく揺れた年です。政府中枢の暗殺事件と軍の反乱が起こる一方で、株式取引所や商工会議所の設立により、日本は近代経済へと踏み出しました。
西南戦争の後、日本はどのように立て直されていったのか?
西南戦争後の混乱の中、明治政府は中央集権体制の強化を進めていきます。
明治維新からこの年に至るまでの改革と対立の流れを時系列で確認できます。
Q. 1878年は何が起きた?
A. 郡区町村編制法が施行され、地方制度の整備が進みました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 地方行政の仕組みが整い、中央集権国家の統治が具体化したためです。
Q. この後どうなる?
A. 政治改革が進み、1881年に国会開設の詔が出されます。
→ 1881年(国会開設の詔)を見る
目次
1878年の重要出来事
- 大久保利通が紀尾井坂の変で暗殺された
- 地方三新法が制定され、地方行政制度整備が進められた
- 自由民権運動が全国でさらに拡大した
- 明治政府による中央集権体制が安定へ向かい始めた
- 士族反乱後の政治再編と近代化政策が進展した
この年に始まったこと
1878年(明治11年)は、西南戦争後の明治政府が地方制度や行政制度の整備を進めた年です。近代的な地方自治制度の基礎が築かれ、日本の統治体制は新たな段階へ入りました。
- 郡区町村編制法が施行された
全国を郡・区・町・村に再編する制度が始まり、近代的な地方行政制度の基盤が整備されました。 - 府県会規則が施行された
府県ごとに議会を設置する制度が始まり、地方行政へ住民の意見を反映する仕組みが導入されました。 - 地方税規則が施行された
地方自治体が独自に税を徴収・運営する制度が整備され、地方財政の基礎が築かれました。 - 三新法による地方制度改革が始まった
郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則の施行により、日本の地方制度改革が本格的に始まりました。 - 地方議会政治が始まった
府県会の設置によって、地方レベルでの議会政治の運営が始まりました。
1878年は、「近代地方自治制度が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1878年(明治11年)は、西南戦争後の混乱を経て、明治政府が近代国家体制をさらに整え始めた年でした。一方で、大久保利通暗殺によって政府内部にも大きな衝撃が走り、自由民権運動も次第に勢いを増していきます。
大久保利通暗殺によって明治政府に衝撃が走った
1878年、明治政府の中心人物であった大久保利通が東京で暗殺されました。西南戦争後の不満を抱える士族らによる犯行であり、政府に大きな衝撃を与える事件となります。
大久保利通による近代化政策が引き継がれていった
殖産興業や中央集権化を進めてきた大久保利通の政策は、その死後も政府によって継続されました。日本は近代国家建設をさらに進めていくことになります。
郡区町村編制法によって地方制度改革が進んだ
明治政府は郡区町村編制法を制定し、地方行政制度の整備を進めました。これによって近代的地方自治制度への基盤が形成されていきます。
地方三新法によって中央集権体制が強化された
郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則からなる地方三新法が整備され、地方統治制度が再編されました。政府は全国統一的な行政運営をさらに強化していきます。
自由民権運動が全国へ広がり始めた
国会開設や憲法制定を求める自由民権運動は、士族だけでなく農民や知識人にも広がり始めました。政府への政治参加要求は徐々に強まっていきます。
明治政府が安定期へ入り始めた
西南戦争による内戦危機を乗り越えたことで、明治政府は軍事的安定を手にしました。1878年は、近代国家制度整備と政治改革要求が同時に進み始めた重要な一年でした。
この年の重要人物
1878年(明治11年)は、大久保利通が暗殺されるという大事件が発生し、明治政府は大きな転換点を迎えました。また、郡区町村編制法が制定されるなど地方制度の整備も進められ、近代国家建設が新たな段階へ進みました。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 大久保利通
明治政府最大の実力者として改革を主導していましたが、5月14日に紀尾井坂の変で暗殺されました。その死は明治政府に大きな衝撃を与えました。 - 伊藤博文
大久保利通亡き後の政府を支える中心人物として存在感を高めました。後の内閣制度や憲法制定へ向けた動きの中心となります。 - 大隈重信
政府首脳の一人として財政や制度改革に携わりました。大久保死後の政局で重要な役割を担うことになります。 - 西郷従道
西南戦争後の政府を支える有力政治家として活動しました。兄・西郷隆盛の死後も明治政府の中枢で活躍しました。
出来事・事物起源・話題
- 1月24日
- 東京府駒場農学校開校式
- 1月28日
- 世界最初の電話機、米国コネチカット州ニューヘイブンに架設される
- 2月19日
- エジソン発明の蓄音機、ニューヨークにて世界最初の特許権を獲得
- 3月6日
- 大久保利通、一般殖産の建議をする
- 3月12日
- 東京商法会議所設立
- 3月14日
- 東京上野博物館建設起工
- 3月17日
- 神田の大火(4562戸焼失)
- 3月25日
- 日本で初めて電燈(アーク灯)が点灯
- 3月28日
- イギリスの宣教師ジョン・バチラー、北海道に来航しアイヌ救済に身を灌ぐ
- 3月29日
- 印刷局において製紙の原料に初めて稲藁を用い成功する
- 4月5日
- 板垣退助ら愛国社再興趣意書を発表する
- 4月10日
- 第2回地方官会議開催、議長は伊藤博文(5月3日まで)
- 4月29日
- ニューヨークに初めて高架鉄道開通
- 5月3日
- 日本赤十字社の前進「博愛社」設立のため願書提出(西南の役傷病者救済の博愛者誕生)
- 5月4日
- 株式取引所条例を制定(東京・大阪・横浜の三地に取引所を設置)
- 5月8日
- 東京・横浜間鉄道複線全通
- 5月10日
- 渋沢栄一ら、資本金20万円にて東京兜町に株取引所設立を出願し許される
- 5月14日
- 内務卿大久保利通、刺殺される(紀尾井坂の変)
- 5月22日
- 東郷平八郎、イギリス留学より帰朝
- 5月24日
- 日本初の公立盲あ学校開校として京都府立盲あ院開校する
- 6月1日
- 東京株式取引所開業
- 6月5日
- 春季皇霊祭(春分日)・秋季皇霊祭(秋分日)を定める
- 6月8日
- 東京の大劇場新富座竣工開場
- 6月10日
- 陸奥宗光ら、挙兵陰謀で逮捕
- 6月10日
- 陸軍士官学校を東京に開校
- 6月13日
- 東北問題に関し、ベルリン会議開催
- 7月15日
- 東京の工部大学開校式式場に初めて万国旗を掲げる
- 7月15日
- 日本初の本格リゾートホテル、富士屋ホテル開業
- 7月19日
- 大阪株式取引所開業
- 7月22日
- 地方三新法公布(郡区町村編成法制定される)
- 8月23日
- 竹橋事件(近衛砲兵大隊の反乱起こる)
- 8月30日
- 明治天皇、岩倉具視、大隈重信ら一行800人、北地巡幸に御発
- 9月11日
- 大阪に愛国社再興大会開かれる
- 9月15日
- 最初の鉄道事故(新橋・横浜間の河川氾濫し3日間運転休止)
- 9月19日
- 佐野常民、博愛社(日本赤十字社の前身)の存在とその事業を社会に知らしめる為、宣伝文を作成
- 10月1日
- 初めて鉄道往復切符発行される
- 10月8日
- 桂太郎、陸軍参謀局拡張の議を太政官に上申
- 10月12日
- 山県有朋陸軍卿、「軍人訓戒」を配布
- 10月20日
- 東京大学に生物学会創立
- 10月21日
- ビスマルク、「社会主義鎮圧法」を制定(1890年廃止)
- 10月24日
- 体操伝習所の設立(体操教育始まる)
- 11月1日
- 明治天皇、車駕東行し金原明善夫妻を召見
- 11月2日
- 西南の役の功により初めて、有栖川宮熾仁を大勲位に叙す
- 11月2日
- 東京市に区制を布く(麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂など15区)
- 11月2日
- 学校体操、初めて東京女子師範にて実施される
- 12月5日
- 陸軍参謀局を廃し、陸軍省に参謀本部を設置
- 12月10日
- 教育総監部の前身となる監軍本部創設(中部は野津鎮雄、東部は谷干城、西部に三浦梧桜)
- 12月10日
- 紙幣局を大蔵省印刷局と改称
- 12月13日
- 陸軍監軍本部を置く(後の教育総監部)
- 12月15日
- 停車場扱いの電信開始される(最初は新橋・横浜両駅のみ)
- 12月24日
- 侍従長を置く(米田虎雄中佐任命)
- 12月26日
- 従来の海軍始の儀式を廃せられる
生活の話題
衣
- 少女のシャツを着る風現われる
- 島田十郎兵衛麦わら帽子を作り売り出す
- 亜鉛白粉発売さる
- 海軍兵学校、洋服自給のため裁縫工場をもつ
- 国産フランネル・紋羽二重綾木綿の無税輸出が許可される
- オーストラリアの羊1,500余頭が下総牧場に移される
食
- 飲料水の取締規則が出来て井戸水検査が始まる
- 開拓使、鮭の缶詰をイギリス・フランス・アメリカに試売する
- 勧農局、紅茶伝習所を各地に設ける
住
- コレラ流行により、防疫・衛生意識が高まる
- 電信中央局の開業祝賀会に初めて弧光燈の電気燈が点火される
- 新富座、ガス燈をつけて夜間興行をなす
- 神戸のマッチ、上海に輸出を始める
その他
- 大蔵省、西洋式複式簿記の講習会を開く
- 郡区町村編成法・地方税規則など公布
- 高嶋炭坑坑夫虐待事件起こる
- 大蔵省印刷局創立
1878年のポイントまとめ
- 大久保利通が暗殺された
明治政府の中心人物だった大久保利通が紀尾井坂で暗殺され、政府に大きな衝撃が走りました。 - 西南戦争後の士族不満がなお続いていた
士族反乱は終息へ向かいましたが、旧士族層の不満や社会不安は依然として残っていました。 - 地方制度改革が進められた
郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則が制定され、地方自治制度の整備が進みました。 - 自由民権運動がさらに拡大した
国会開設や政治参加を求める声が全国へ広がり、政府への改革要求が強まっていきました。 - 明治政府が新たな時代へ移行した年であった
1878年は、大久保利通死去によって維新第一世代の時代が変化し始めた重要な転換期でした。
1878年は、大久保利通暗殺によって明治政府が大きな衝撃を受けた年でした。その一方で、地方制度改革や自由民権運動の拡大によって、日本社会は新たな政治段階へ進み始めます。 維新を主導した指導者たちの時代から、新しい近代国家運営の時代へ移り変わる転換期となりました。
1878年のよくある質問 Q&A
Q. 1878年とはどんな年ですか?
1878年は、地方制度の整備が進み、 同時に大久保利通が暗殺された年です。 政治と社会の両面で大きな転機となりました。
Q. 郡区町村編制法とは何ですか?
郡・区・町・村の区分を定め、 地方行政の基本的な仕組みを整えた法律です。 近代的な地方自治の基礎となりました。
Q. なぜ地方制度の整備が必要だったのですか?
廃藩置県後の統治を安定させるため、 全国を統一的に管理する仕組みが必要だったためです。
Q. 大久保利通の暗殺とは何ですか?
明治政府の中心人物であった大久保利通が、 不満を持つ士族により暗殺された事件です。
Q. なぜ暗殺が起きたのですか?
西南戦争後の士族の不満や、 政府の強い中央集権政策への反発が背景にありました。
Q. なぜ1878年は重要なのですか?
地方統治の制度が整う一方で、 政治指導者の死により政局が大きく動いたためです。
Q. 1878年の出来事はその後どうつながりますか?
政治改革が進み、
1881年の国会開設の詔へとつながります。
→ 1881年(議会政治の開始)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
地方行政の整備により、 日本全体の統治体制がより安定していきました。
Q. 1878年の重要人物は誰ですか?
大久保利通、伊藤博文、板垣退助などが重要人物です。
Q. 1878年は日本にとってどんな意味がありますか?
1878年は、中央集権国家としての統治が完成に近づき、 同時に政治の方向性が変化した重要な年です。
明治政府は、その後どのように近代国家を完成させていくのか?
制度整備や政治改革が進み、日本は立憲国家としての体制を整えていきます。
1880年代へ向かう発展の流れをあわせて理解できます。
