1876年(明治9年)は、日本が近代国家へと進む中で、「武士の時代」が制度的にも完全に終わりを迎えた年です。
明治政府はこれまで、身分制度の廃止や徴兵制の導入などを進めてきましたが、この年はそれが決定的な形となって現れます。
廃刀令や秩禄処分によって、士族の特権は完全に失われ、社会の構造は大きく変化しました。
一方で、こうした急激な改革は強い反発も生み、各地で士族の反乱が発生します。
つまり1876年は、「旧時代が完全に終わり、新しい国家体制への転換が決定的になった年」といえます。
なぜ旧武士たちは明治政府への反発を強めていったのか?
廃刀令や秩禄処分により、武士の特権は次々と廃止されていきます。
明治維新からこの年に至るまでの改革と対立の流れを時系列で確認できます。
Q. 1876年は何が起きた?
A. 秩禄処分と廃刀令により、武士の特権が廃止されました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 武士階級が事実上消滅し、身分制度の転換が決定的になったためです。
Q. この後どうなる?
A. 不満が高まり、1877年に西南戦争が起こります。
→ 1877年(西南戦争)を見る
目次
1876年の重要出来事
- 日朝修好条規が締結され、日本と朝鮮の国交が開かれた
- 廃刀令が公布され、武士特権の廃止が進んだ
- 秩禄処分が進められ、士族の経済的基盤が弱まった
- 神風連の乱・秋月の乱・萩の乱が発生した
- 士族反発が強まり、西南戦争前夜の不安定化が進んだ
この年に始まったこと
1876年(明治9年)は、明治政府が近代国家建設をさらに進める一方で、士族との対立が深まり始めた年です。武士の特権を廃止する政策や対外条約の締結が進められました。
- 廃刀令が施行された
士族を含む一般国民の帯刀が原則禁止され、武士の象徴であった刀の時代が終わりを迎えました。 - 金禄公債証書発行制度が始まった
秩禄処分の一環として、士族への家禄支給を廃止し、公債へ切り替える制度が始まりました。 - 日朝修好条規体制が始まった
日本と朝鮮の間で日朝修好条規(江華条約)が締結され、日本と朝鮮の近代的な外交関係が始まりました。 - 朝鮮との正式な通商体制が始まった
条約締結により、日本は朝鮮との貿易や外交交渉を本格的に進めるようになりました。 - 士族特権廃止の最終段階が始まった
廃刀令や秩禄処分によって、武士階級の特権をなくす政策が決定的な段階へ入りました。
1876年は、「武士の時代が終わり、新たな外交時代が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1876年(明治9年)は、明治政府による近代化改革がさらに進む一方で、士族の不満が一気に高まった年でした。廃刀令や秩禄処分によって武士の時代は終わりへ向かい、日本社会は大きく変化していきます。
廃刀令によって武士の特権が失われた
1876年、明治政府は廃刀令を公布し、軍人や警察官などを除いて帯刀を禁止しました。刀は武士の象徴であったため、これは旧士族層に大きな衝撃を与える改革となりました。
秩禄処分によって士族制度が大きく変化した
政府は秩禄処分を進め、士族へ支給していた家禄や俸給を整理しました。これによって武士階級の経済基盤は大きく崩れ、士族たちの不満は急速に高まっていきます。
神風連の乱によって士族反乱が激化した
熊本では神風連の乱が発生し、旧士族たちが政府へ武力反抗しました。同年には秋月の乱や萩の乱も起こり、各地で士族反乱が広がっていきます。
士族反乱によって明治政府への不満が噴出した
徴兵令・廃刀令・秩禄処分などの改革によって、旧武士層は急速に地位を失っていきました。士族反乱は、「武士の時代の終わり」に対する抵抗でもありました。
日朝修好条規によって朝鮮との外交が始まった
日本は朝鮮と日朝修好条規を締結しました。これは日本が朝鮮を「独立国」と認めて通商関係を結んだ条約であり、後の日朝関係や東アジア外交へ大きな影響を与えていきます。
武士社会から近代国家への転換が決定的となった
1876年は、旧武士制度が大きく解体された年でした。近代国家建設はさらに進みましたが、その一方で社会不安や政府への反発も強まり、日本は次第に西南戦争前夜の空気へ近づいていきます。
この年の重要人物
1876年(明治9年)は、廃刀令や秩禄処分が実施され、士族への特権廃止がさらに進んだ年です。一方で、神風連の乱・秋月の乱・萩の乱が発生し、士族の不満が各地で噴出しました。また、日朝修好条規が締結され、日本の対外政策も新たな段階を迎えました。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 大久保利通
政府の中心人物として近代化政策を推進しました。廃刀令や秩禄処分などの改革を進め、士族層の反発を招きながらも近代国家建設を進めました。 - 西郷隆盛
鹿児島で私学校を運営し、多くの士族から支持を集めていました。翌年の西南戦争へつながる動きの中心人物として注目されました。 - 秋月種樹
福岡県秋月で発生した秋月の乱の指導者です。士族反乱の代表的人物として明治政府への不満を示しました。 - 前原一誠
萩の乱を主導した元長州藩士です。維新功臣でありながら新政府に反旗を翻し、士族反乱の象徴的存在となりました。 - 黒田清隆
特命全権大使として朝鮮と交渉し、日朝修好条規の締結を実現しました。日本の近代外交を象徴する人物です。
出来事・事物起源・話題
- 1月12日
- 医術開業試験法制定
- 1月13日
- この日に記録されたマイナス9.2度が東京の最低気温
- 1月14日
- 千島に占守郡などを設く
- 1月26日
- 日鮮修好条約調印
- 1月30日
- キリスト教初めて公然と結成の第一声を挙げる
- 2月2日
- 大阪の大火(道頓堀芝居小屋より発火、16街道に延焼、俗に「大西芝居の火事」という)
- 2月20日
- 大阪毎日新聞創刊
- 2月20日
- 東京府王子村(現、北区)に、最初の洋紙専門工場が建てられる(現在の王子製紙)
- 2月27日
- 日韓修好条約交換
- 3月2日
- 新聞号外の始まり(東京日日新聞社より朝鮮問題談判の平和落着を急報のため号外を発行)
- 3月12日
- 土曜半休、日曜休日制を公官庁で実施
- 3月21日
- 水交社、芝山内に創立
- 3月28日
- 軍人、警官及び大礼服用以外に士民の帯刀禁じる(第三回目の廃刀令)
- 3月31日
- 三井銀行誕生
- 4月1日
- 官庁、1の日6の休日を廃し、日曜全休・土曜半休制となる
- 4月1日
- 男満20年を成年とする太政官布告
- 5月9日
- 上野公園開園式(明治天皇臨幸)
- 6月2日
- 明治天皇、奥羽地方巡幸のため帝都御発輦、岩倉、木戸、大隈、徳大寺供奉
- 6月6日
- ドイツの医師ベルツ博士が来日
- 6月8日
- 国道、県道、里道の制、初めて定められる(国道一等幅七間以下各種)
- 6月27日
- 鉄道桟橋初めて神戸港に竣工し、港湾と汽車運輸の連結成る
- 7月1日
- 三井銀行開業
- 7月5日
- 新聞雑誌発禁の制を布告(出版統制の最初)
- 7月7日
- 明治天皇、奥羽巡幸(盛岡の馬匹4500頭を覧給い、畜産を奨励し給う)
- 7月13日
- 警視庁に初めて電信を設け、これより報道の急に備える
- 7月20日
- 奥羽・北海道巡幸の明治天皇が軍艦でない汽船「明治丸」で、青森から横浜に帰着(海の日の始)
- 7月26日
- 大阪・京都間鉄道試運転を開始する
- 8月5日
- 華族484人・士族40万8,800人余に金禄公債支給の条例制定
- 8月14日
- 札幌農学校設立
- 8月19日
- 水夫の名称を改め水兵とする
- 8月29日
- 蔵前で殺人逃走の毒婦高橋お伝、東京で捕縛
- 8月31日
- 海軍提督府を廃し、東海、西海両道に鎮守府を仮設する
- 9月6日
- 明治天皇は元老院議長熾仁親王を召され、国憲草案の起草を命じる
- 9月23日
- 国産ビール醸造、初めて工業化される(札幌の開拓使麦酒醸造所開業)
- 9月25日
- 大阪堂島に米穀取引所開設
- 10月2日
- 東京兜町に米商会所開設
- 10月12日
- 賞勲事務局設置される
- 10月24日
- 神風連の乱(熊本県士族大田黒伴雄ら、熊本鎮台を襲撃、県令安岡良亮らを殺傷)
- 10月25日
- 熊本に乱をなす神風連の叛徒大田黒伴雄ら戦死(その他の者自首或は逃走)
- 10月27日
- 秋月の乱(福岡県士族宮崎車之助、磯淳ら熊本の神風連と呼応し挙兵)
- 10月28日
- 萩の乱(前原一誠ら、萩に反旗を樹つ)
- 10月29日
- 永岡久茂らの千葉県庁襲撃計画発覚
- 10月30日
- 前原一誠ら、萩に拠って乱す
- 10月31日
- 前原一誠ら、山口県庁襲撃
- 11月1日
- 官軍、秋月の乱平定す
- 11月3日
- 宮中御宴にて初めて洋楽演奏
- 11月4日
- 甜菜(てんさい)より砂糖製造の法を内務省にて翻訳し、これを地方産業開発のため領布する
- 11月5日
- 萩の乱の首謀者前原一誠、横山俊彦、出雲瓜港にて遂に捕えられる
- 11月6日
- 陸軍少将三浦梧桜、萩に進撃して前原一誠の餘党を破りこれを平定する
- 11月9日
- 谷干城、熊本鎮台司令長官となる
- 11月16日
- 東京女子師範内に幼稚園開園
- 11月28日
- 親鸞上人に見眞大師と諡す
- 11月29日
- 東京京橋の大火(約8,500戸焼失)
- 12月1日
- 鉄道複線品川・新橋間初開通
- 12月3日
- 前原一誠以下、萩の乱徒処分される
- 12月9日
- 各家毎に氏名の標札掲示を命ず
- 12月15日
- 吉野朝の忠臣新田義貞に正三位、楠木正行に従三位を追贈する
- 12月19日
- 函館の海防に備え湾岸砲台を設ける(砲12門に中隊長以下92人を置く)
- 12月27日
- 内務卿大久保利通、地租軽減を建議
- 12月29日
- 三条実美、岩倉具視を各勲一等に叙し、旭日大綬章を賜う(臣下勲章拝受の始まり)
生活の話題
衣
- 士族の廃刀令発布
食
- 内務省、甜菜種子を輸入し、東北・北陸諸県に配る
- 工部省、品川にガラス製造所を設け、食器その他の製造をはじめる
- 札幌ビール製造所創立
- 熱海で湯治客に牛乳を売り出す
住
- 東京府にガス局新設
- 和製の手押し水汲ポンプ販売の新聞広告でる
その他
- 日曜日を休み、土曜日午後を休暇とする
- 大阪で火葬場を新設開場する
- 京都・大阪間鉄道開通
- 東京府立病院内に産婆教授所設立事業開始
- 国道・県道・里道の制施行
- 秀英舎・三井物産・三井銀行など設立
1876年のポイントまとめ
- 日朝修好条規によって朝鮮が開国した
日本は朝鮮と日朝修好条規を締結し、朝鮮は近代外交関係へ踏み出しました。 - 廃刀令によって士族特権が大きく失われた
明治政府は帯刀を禁止し、武士階級の象徴だった特権はさらに縮小されました。 - 秩禄処分が進み士族不満が高まった
士族への家禄支給が整理され、多くの士族が生活不安を抱えるようになりました。 - 神風連の乱など士族反乱が発生した
明治政府への不満を背景に、各地で士族反乱が相次ぎ始めました。 - 近代化と旧体制崩壊が加速した年であった
1876年は、外交拡大と国内改革が進む一方、旧武士層との対立が深刻化した重要な年でした。
1876年は、日朝修好条規によって日本の対外進出が進む一方、国内では士族不満が急速に高まった年でした。廃刀令や秩禄処分によって武士の時代は大きく終わりへ向かいます。 明治政府による近代化政策は加速しましたが、その反発も全国へ広がり始めていました。
1876年のよくある質問 Q&A
Q. 1876年とはどんな年ですか?
1876年は、秩禄処分や廃刀令により、 武士階級の特権が廃止された年です。
Q. 秩禄処分とは何ですか?
秩禄処分は、武士に支給されていた俸禄を廃止し、 金禄公債に切り替えた制度です。 これにより武士の経済的基盤が失われました。
Q. 廃刀令とは何ですか?
廃刀令は、武士が刀を帯びることを禁止した法令です。 武士の象徴であった特権が失われました。
Q. なぜこれらの改革が行われたのですか?
身分制度を廃止し、 平等な近代国家を築くためです。
Q. 武士たちはどうなりましたか?
多くの武士が生活に困窮し、 政府への不満を強めていきました。
Q. なぜ1876年は重要なのですか?
武士階級の終焉により、 日本社会が完全に近代的な身分制度へ移行したためです。
Q. 1876年の出来事はその後どうつながりますか?
不満を抱えた士族による反乱が起こり、
1877年の西南戦争へとつながります。
→ 1877年(士族反乱の頂点)を見る
Q. 他に重要な流れはありますか?
政府の近代化政策が進む一方で、 社会の不満が蓄積されていきました。
Q. 1876年の重要人物は誰ですか?
大久保利通や西郷隆盛などが重要人物です。 特に西郷隆盛は後の動きに大きく関わります。
Q. 1876年は日本にとってどんな意味がありますか?
1876年は、身分制度の終焉とともに、 近代国家への移行が決定的になった年です。
士族たちの不満は、その後どのような形で噴き出していくのか?
各地の士族反乱を経て、やがて西南戦争へとつながっていきます。
明治政府と旧武士勢力の対立の流れをあわせて理解できます。
