1874年(明治7年)は、日本が国内改革から一歩進み、内政と外交の両面で新たな段階へ踏み出した年です。
この年、民撰議院設立建白書が提出され、国民が政治に関わるべきだとする声が初めて大きく表れ、後の自由民権運動の出発点となりました。
一方で台湾出兵が行われ、日本は初めて海外に軍事力を展開し、対外進出の時代へと足を踏み入れます。
つまり1874年は、「政治参加の意識が芽生え、対外進出が始まった転換の年」といえます。
なぜ明治政府への不満は、反乱や政治運動へ発展したのか?
佐賀の乱や民撰議院設立建白書により、政府への反発は武力と政治の両面で広がっていきます。
明治維新からこの年に至るまでの改革と対立の流れを時系列で確認できます。
Q. 1874年は何が起きた?
A. 民選議院設立建白書が提出され、自由民権運動が始まりました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 国民が政治参加を求める動きが本格化したためです。
Q. この後どうなる?
A. 政治改革が進み、1881年に国会開設の約束が出されます。
→ 1881年(国会開設の詔)を見る
目次
1874年の重要出来事
- 民撰議院設立建白書が提出され、自由民権運動が始まった
- 佐賀の乱が発生し、不平士族による反乱が起こった
- 台湾出兵が行われ、日本初の海外派兵となった
- 板垣退助らが政治参加拡大を求める運動を進めた
- 明治政府による中央集権化と近代国家建設が進展した
この年に始まったこと
1874年(明治7年)は、明治政府が対外政策と国内政治の両面で新たな一歩を踏み出した年です。日本初の海外派兵や民間による政治運動が始まり、近代国家としての新しい動きが見られました。
- 台湾出兵が始まった
琉球人殺害事件をきっかけに、日本は台湾へ軍隊を派遣しました。日本初の本格的な海外出兵となりました。 - 民選議院設立建白書運動が始まった
板垣退助らが民選議院設立建白書を提出し、自由民権運動の出発点となりました。 - 愛国公党が結成された
板垣退助らによって結成され、日本初期の政治結社として国会開設を求める活動が始まりました。 - 自由民権運動が本格的に始まった
国民による政治参加や憲法制定を求める運動が全国へ広がり始めました。 - 近代的な政党政治への動きが始まった
政治結社の活動が活発化し、後の政党結成や議会政治へつながる流れが始まりました。
1874年は、「海外進出と自由民権運動が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1874年(明治7年)は、明治政府への不満が表面化し、日本で自由民権運動が始まり始めた年でした。一方で台湾出兵も行われ、日本は対外進出へ動き始めていきます。
民撰議院設立建白書によって自由民権運動が始まった
板垣退助らは民撰議院設立建白書を提出し、国民による議会開設を求めました。これをきっかけに、政治参加や憲法制定を求める自由民権運動が全国へ広がり始めます。
自由民権運動によって政治参加要求が高まった
士族や知識人を中心に、「政府だけで政治を決めるべきではない」という考えが広がっていきました。明治政府に対する批判も強まり、日本は近代政治制度を模索する時代へ入っていきます。
台湾出兵によって日本の対外進出が始まった
明治政府は台湾出兵を実施しました。これは琉球漂流民殺害事件への対応を名目とした軍事行動であり、日本が近代国家として初めて本格的な海外派兵を行った事例となります。
江藤新平による佐賀の乱が発生した
征韓論争後に政府を去った江藤新平らが不満を強め、佐賀の乱を起こしました。これは明治政府に対する最初の本格的士族反乱であり、後の士族反乱へつながっていきます。
士族反乱によって旧武士層の不満が表面化した
廃藩置県や徴兵令によって特権を失った士族たちの不満は各地で高まっていました。佐賀の乱は、その不満が武力行動として表れた象徴的事件となります。
明治政府への反対運動が本格化し始めた
自由民権運動と士族反乱という異なる形で、政府への反発が広がり始めました。1874年は、近代国家建設が進む一方で、新政府への不満も全国へ広がっていった重要な一年でした。
この年の重要人物
1874年(明治7年)は、佐賀の乱や台湾出兵が発生したほか、民選議院設立建白書が提出されるなど、国内政治と対外政策の両面で大きな動きがあった年です。自由民権運動の始まりと士族反乱の発生という、明治日本の新たな課題が表面化したこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 板垣退助
民選議院設立建白書の提出に参加し、自由民権運動の中心人物として活動を開始しました。後の政党政治につながる流れを築いた人物です。 - 江藤新平
佐賀の乱を主導しました。明治政府に不満を抱く士族の代表的存在であり、士族反乱の先駆けとなりました。 - 大久保利通
政府の実力者として台湾出兵を主導しました。征韓論政変後の新政府を率い、近代国家建設を進めました。 - 西郷従道
台湾出兵の現地責任者として派遣されました。日本初の本格的な海外派兵を指揮した人物です。
出来事・事物起源・話題
- 1月4日
- 榎本武揚、最初の海軍中将に任命される(最初の海軍大将は明治27年の西郷従道)
- 1月14日
- 岩倉具視、凶漢に襲われ負傷
- 1月14日
- 民撰議員設立を建白(副島種臣、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、由利公正ら)
- 1月15日
- 東京警視庁設置
- 1月17日
- 「民撰議員設立建白書」を提出
- 1月23日
- 近衛歩兵第1・第2連隊編成成り、天皇、軍旗を授ける
- 1月28日
- 東京青山御所開かれる
- 1月31日
- 女工採用の始(大蔵省の紙幣寮にて初めて女工を採用)
- 2月2日
- 新橋・京橋間に鉄道設置
- 2月4日
- 江藤新平による佐賀の乱起こる(鎮圧のため鎮台兵出動)
- 2月6日
- 大久保利通・大隈重信、台湾出兵を決定
- 2月15日
- 国産石鹸の販売広告、初めて新聞に表れる(東京木挽町の某商店)
- 2月18日
- 江藤新平ら、佐賀県庁(佐賀城)を占領
- 2月19日
- 佐賀県賊徒征討仰出
- 2月22日
- 陸軍省第6局を廃し、参謀局を置く
- 3月1日
- 政府軍、佐賀県庁を奪回
- 3月24日
- 安部川に初めて木橋の安水橋竣工して盛大な開通式を挙行
- 3月24日
- 明治最初の人口調査(太政官令に依って日本全国の人口調査を布令)
- 3月29日
- 佐賀の乱の主謀江藤新平捕らえられる
- 4月2日
- 明六雑誌の発行
- 4月4日
- 陸軍中将西郷従道を台湾蕃地事務都督とし、兵3,600を率いて討伐することを命ずる
- 4月10日
- 板垣退助ら高知で立志社を創立
- 4月13日
- 江藤新平処刑
- 4月13日
- 英公使、清国が日本の出兵を侵略と見なすならば、英人・英船舶の参加を禁止すると寺島外務卿に通告
- 4月18日
- 参議兼文部卿木戸孝允、台湾出兵に不満をもち辞表提出
- 4月18日
- 米公使ビンハム、清国の敵対行為には、米人・米船の参加禁止を通告
- 4月19日
- 政府、台湾征討中止を決定し、西郷従道に出発延期を命ずる(西郷反対姿勢を強く示す)
- 5月2日
- 台湾征伐のため、谷干城ら長崎を発つ
- 5月4日
- 大久保利通・大隈重信、西郷従道と長崎で会見、西郷の強硬意見をいれ征討実施を決定
- 5月11日
- 大阪・神戸間鉄道竣工、仮開通
- 5月22日
- 台湾征討軍、台湾に上陸(二番十八社を降す)
- 6月6日
- 娼婦の検黴制度初めて実施される(吉原の娼妓色を失い脱出多数に及ぶ事件発生)
- 6月7日
- 外国郵便の始まり(アメリカ合衆国と郵便交換条約締結される)
- 6月8日
- 島根県雑賀町の大火(約2,000戸焼失)
- 6月18日
- 陸軍参謀局条例を定める
- 6月25日
- 谷干城、台湾平定凱旋復命
- 7月9日
- 閣議、台湾問題につき、清国との開戦も辞せずと決定
- 7月22日
- 巡査の棍棒を廃し帯剣とする
- 7月24日
- 台湾問題のため、特命全権公使柳原前光、天津において李鴻章と会見
- 7月30日
- 東京湯島の図書館を浅草米倉に移し浅草文庫を設立(和漢書約2,600冊)
- 8月1日
- 参議大久保利通、議官高崎正風らの一行に台湾征討折衝のため、清国派遣を任命
- 8月3日
- 全権公使柳原前光、清国の大臣と会見折衝して、台湾問題を議す
- 8月5日
- 郵便貯金開始
- 8月8日
- 森有礼に依り、日本最初の洋式商科専門教育たる商法講習所を設立
- 8月14日
- 海軍仮提督府を鹿児島県におくことを決定
- 8月16日
- 全権総理大臣大久保利通、軍艦「龍驤」にて長崎発、清国に向う
- 9月9日
- 二階建馬車を禁止する
- 9月14日
- 大久保利通全権、恭親王と台湾問題の交渉を開始
- 9月20日
- 兵学寮内に水雷製造局設置される
- 10月9日
- 万国郵便連合発足
- 10月20日
- 青森県尻屋崎燈台竣工点火される
- 10月23日
- 台湾問題の日清談判不調に終わる(全権大使大久保利通、最後通牒を起草する)
- 10月29日
- 清国台湾問題第一回償金支払
- 10月31日
- 大久保利通の談判に依り、日清間台湾問題和議成り立ち、清国側弁償と決す
日清両国間互換条款(償金50万両)および互換憑単を北京で調印 - 11月2日
- 読売新聞創刊される
- 11月13日
- 台湾派遣軍隊撤退の勅命出る
- 11月26日
- 新島襄、渡米後10年振りに帰朝横須賀着(これより同志社の建設に努める)
- 11月27日
- 台湾征討に関する日清談判に成功せる大久保利通帰朝、参内復命する
- 12月1日
- 大阪・神戸間に鉄道貨車運輸開業
- 12月3日
- 西郷従道の率いる台湾征討軍、台湾を発して凱旋の途に就く
- 12月10日
- 外国天文学者初めて来日し、神戸諏訪山上にて金星の太陽通過を観測
- 12月11日
- 東京市街に初めて石油ランプの街燈点火される
- 12月13日
- 伶人に命じ、西洋音楽を学ばせる
- 12月18日
- 東京市街に初めてガス燈点火
- 12月18日
- 東京、名古屋、大阪に歩兵連隊編制
- 12月27日
- 西郷従道、谷干城ら、台湾征討より東京に凱旋(参内して征台の状を奏す)
生活の話題
衣
- 巡査の制服制帽公布
- 京都府石鹸使用を奨励する
- マント流行始まる
- 陸海軍人服制改定
- 長襟巻の流行
- 外国錦の輸入盛んになる
食
- 津校正信、大阪市内で搾乳を始める
- 弘前のアメリカ人教師、アメリカよりリンゴの苗を移植
- 政府『紅茶製法書』を刊行
- 浅草に紙巻タバコつくるものあり
- 千葉の山田箕之助、野菜の缶詰をつくる
住
- 竹橋陣営、煉瓦造三階建の工事完了
- 東京ガス会社、ガス灯の点火を開始する
- 工部大学校生徒館(煉瓦造二階建)できる
- 舶来ランプだけでなく、和製も出まわり、東京市中にランプ普及する
- 駿河町三井組三階煉瓦建築成る
その他
- 郵便脚夫、ピストル取扱規則公布
- 東京府、大通りの人道車道の区別を定める
- 東京府、新墓地設定
- 二階建四頭立の乗合馬車、東京市内を通る
- 大阪・神戸間鉄道開通
- 新橋駅構内人力車夫数を制限する
- 東京市内街路樹を植える
1874年のポイントまとめ
- 台湾出兵が行われた
明治政府は台湾へ出兵し、日本は初めて本格的な対外軍事行動を実施しました。 - 日本の対外進出政策が始まりつつあった
台湾出兵によって、日本は近代国家として外交・軍事面での存在感を示し始めました。 - 民撰議院設立建白書が提出された
板垣退助らが国会開設を求め、日本で自由民権運動が本格的に始まりました。 - 士族反乱の動きが広がり始めた
明治政府への不満を抱く士族たちによる反発が全国で強まっていきました。 - 近代国家としての課題が表面化した年であった
1874年は、外交・政治・社会問題が同時に進行し、日本近代化の課題が明確になった重要な年でした。
1874年は、台湾出兵によって日本が対外進出へ踏み出した年でした。また、民撰議院設立建白書によって自由民権運動も始まり、国内政治改革への要求が高まっていきます。近代国家建設が進む一方で、新政府への不満や新たな課題も表面化し始めた一年でした。
1874年のよくある質問 Q&A
Q. 1874年とはどんな年ですか?
1874年は、政治参加を求める自由民権運動が始まり、 同時に台湾出兵が行われた年です。
Q. 民選議院設立建白書とは何ですか?
板垣退助らが政府に対して国会の設立を求めた意見書です。 日本における民主政治の始まりとされています。
Q. 自由民権運動とは何ですか?
国民が政治に参加し、憲法や議会の設立を求めた運動です。 日本の民主化の基礎となりました。
Q. 台湾出兵とは何ですか?
日本が台湾に軍を派遣した出来事で、 日本初の本格的な海外軍事行動とされています。
Q. なぜ台湾出兵が行われたのですか?
琉球民が台湾で殺害された事件への対応として、 日本政府が軍を派遣しました。
Q. なぜ1874年は重要なのですか?
国内では政治参加の動きが始まり、 対外的には軍事行動が行われるなど、 日本の方向性が広がった年だからです。
Q. 1874年の出来事はその後どうつながりますか?
自由民権運動は発展し、
1881年の国会開設の詔へとつながります。
→ 1881年(政治改革の進展)を見る
Q. 1874年の重要人物は誰ですか?
板垣退助、大久保利通、西郷従道などが重要人物です。
Q. 1874年は日本にとってどんな意味がありますか?
1874年は、政治参加と対外進出の両面で、 日本が新たな段階へ進んだ年です。
政府への反発は、その後どのように拡大していくのか?
士族反乱と自由民権運動はさらに広がり、日本の政治と社会は大きく揺れ動いていきます。
西南戦争や国会開設へつながる流れをあわせて理解できます。
