1866年(慶応2年)の出来事

薩長同盟と討幕体制

今から160年前の出来事

この年の位置づけ

薩長同盟と幕府衰退

坂本龍馬らの仲介により薩長同盟が成立しました。第二次長州征討で幕府軍は苦戦し、幕府の弱体化が明確になっていきます。

1866年(慶応2年)は、幕末の主導権が幕府から倒幕勢力へと移った決定的な年です。

この年、薩摩藩と長州藩が手を結ぶ「薩長同盟」が成立し、倒幕に向けた体制が整いました。

さらに幕府は長州藩に対して第二次長州征討を行いますが、結果は敗北に終わります。

つまり1866年は、「幕府が力を失い、倒幕の流れが決定的になった年」といえます。

まず全体を把握

幕府の敗北は、なぜこの年に決定的となったのか?

薩長同盟の成立と長州征討の失敗により、幕府の力は大きく揺らぎます。
黒船来航からこの年に至るまでの幕末の流れを時系列で確認できます。

幕末の流れを一気に理解する →
1866年のポイントQ&A

Q. 1866年は何が起きた?
A. 薩長同盟が成立し、幕府との戦いで長州藩が勝利しました。

Q. なぜ重要なのか?
A. 倒幕勢力が結束し、幕府の弱体化が決定的になったためです。

Q. この後どうなる?
A. 1867年に大政奉還が行われます。
1867年へ

1866年の重要出来事

  • 薩長同盟が成立し、倒幕勢力が結集した
  • 第二次長州征討で幕府軍が苦戦し、幕府権威が低下した
  • 高杉晋作らが長州藩の軍制改革を進めた
  • 徳川家茂が死去し、幕府の政治基盤が揺らいだ
  • 坂本龍馬が薩長両藩の仲介役として活躍した

この年に始まったこと

スポンサーリンク

1866年(慶応2年)は、薩長同盟の成立や第二次長州征討など、明治維新へ直結する新たな動きが始まった年です。幕府と薩長の対立は決定的となり、日本の政治体制は大きな転換期を迎えました。

  • 薩長同盟が成立した
    坂本龍馬らの仲介により、薩摩藩と長州藩が同盟を結びました。倒幕運動の基盤となる歴史的な連携が始まりました。
  • 第二次長州征討が始まった
    幕府は長州藩への再征討を開始しましたが、長州藩は近代的な軍制を活かしてこれに対抗しました。
  • 薩長連携による倒幕体制が始まった
    同盟成立によって、幕府に対抗する政治・軍事体制の構築が本格的に始まりました。
  • 慶応改革が始まった
    第14代将軍・徳川家茂のもとで幕府改革が進められましたが、情勢の変化に十分対応することはできませんでした。
  • 徳川慶喜による新体制への準備が始まった
    家茂の死去後、徳川慶喜が将軍就任へ向けて動き始め、幕府再建の試みが本格化しました。

1866年は、「薩長同盟と倒幕体制が始まった年」でした。

この年は何が変わったのか

1866年(慶応2年)は、薩長同盟の成立によって倒幕勢力が大きく結びつき、幕府の衰退が決定的になり始めた年でした。第二次長州征討でも幕府軍は苦戦し、日本の政治構造は大きく変化していきます。

薩長同盟によって倒幕勢力が結びついた

坂本龍馬や中岡慎太郎らの仲介によって、対立していた薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結びました。これにより、倒幕へ向けた強力な政治・軍事連携が形成されていきます。

第二次長州征討で幕府軍が苦戦した

幕府は長州藩討伐のため第二次長州征討を実施しました。しかし、西洋式軍制を導入した長州藩軍は善戦し、幕府軍は各地で苦戦を強いられます。

高杉晋作による軍制改革が成果を見せ始めた

奇兵隊を中心とした高杉晋作の軍制改革によって、長州藩は近代的軍事力を備え始めていました。身分にとらわれない兵制や西洋式戦術は、幕府軍に対して大きな効果を発揮します。

徳川家茂の死によって幕府体制が揺らいだ

14代将軍徳川家茂が死去したことで、幕府はさらに不安定化しました。将軍不在による政治混乱は、幕府の求心力低下を加速させていきます。

孝明天皇の死によって京都政局が大きく変化した

長く公武合体を支持してきた孝明天皇が崩御したことで、京都の政治情勢は大きく変わりました。これによって倒幕派にとって有利な流れが生まれ始めます。

倒幕と明治維新への流れが決定的になり始めた

薩長同盟の成立、幕府軍の苦戦、将軍と天皇の死去などが重なり、幕府中心の政治体制は急速に揺らいでいきました。1866年は、明治維新へ向かう流れが決定的になり始めた重要な一年でした。

この年の重要人物

1866年(慶応2年)は、薩長同盟が成立し、倒幕への流れが大きく前進した年です。また、第二次長州征討で幕府軍が敗北し、その権威は大きく揺らぎました。さらに将軍徳川家茂が死去するなど、幕末の勢力図が大きく変化した重要な年でした。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。

  • 西郷隆盛
    薩摩藩の中心人物として長州藩との提携を進めました。薩長同盟成立の中心を担い、倒幕への流れを大きく前進させました。
  • 木戸孝允(桂小五郎)
    長州藩側の代表として薩長同盟に参加しました。長州藩再建と倒幕運動の中核を担った人物です。
  • 高杉晋作
    第二次長州征討で長州藩軍を率い、幕府軍を撃退しました。長州藩を救い、倒幕勢力の台頭に大きく貢献しました。
  • 徳川家茂
    第14代将軍として第二次長州征討を進めましたが、大坂城で病没しました。その死は幕府に大きな衝撃を与えました。
  • 小松帯刀
    薩摩藩家老として西郷隆盛らを支え、薩長提携の実現に尽力しました。藩の実務責任者として重要な役割を果たしました。

出来事・事物起源・話題

1月21日
薩長連合の盟約成立
1月23日
寺田屋騒動(坂本龍馬襲撃事件)
3月14日
松本良順(蘭学者)万国公法6冊を14代将軍徳川家茂へ贈る
4月4日
林甚六郎、幕府の命に依り、三条実美以下の五卿に対し京都へ帰還を迫る。薩摩の大山格之助、黒田嘉右衛門等、西郷吉之助に代って頑として五卿を渡さず
4月5日
毛利敬親、形勢切迫せるを以て緒隊の軍備を急ぎ幕府軍対抗に備える
5月13日
燈台条約締結
6月5日
家茂、防長大営を大阪に置く
6月7日
幕府の長州征伐、戦端を開く
6月16日
薩摩藩士村田新八、黒田了介、山口に来り藩士毛利敬親に謁す
6月17日
第二次長州征伐(征長幕軍の敗退)
6月17日
英国公使パークス、汽船にて横浜より鹿児島港に入り、藩主と会見を請う
6月24日
桂小五郎、杉孫七郎等、幕府長州征伐の間に立てる外人の調停を固辞す
7月3日
長州藩兵、豊前小倉藩兵と衝突
7月13日
長州藩石見内田に諸藩兵と戦う
7月16日
幕府、イタリアと通商条約締結
7月19日
薩摩藩主島津茂久、幕府に対し、征長の非を陳じその罪を赦さんことを請う
7月27日
徳川慶喜、将軍家相続に決定
7月29日
朝廷、慶喜の将軍家相続勅許
8月2日
将軍徳川慶喜、仏国公使を通じ軍艦その他の兵器購入を依嘱す
9月2日
幕府の使節勝海舟、宮島の大願寺に長州藩の代表と会見し和協す
9月16日
高杉晋作、姫島の獄にある野村望東尼を救出
9月19日
幕府、征長軍の撤兵を命ず
10月6日
幕府吹上奉行を新設す
10月15日
薩摩藩士小松帯刀、西郷吉之助、一挙以て王政復古の実を挙げんと鹿児島発
10月16日
徳川慶喜参内して天盃を拝受す
10月26日
朝廷、重ねて諸大名の上洛を促さる、病と称して上洛する者少なし。薩摩藩士小松帯刀、西郷吉之助、入京す
10月28日
在京諸大名参内して、徳川慶喜を15代将軍たらしめんとして奏請す
11月10日
江戸の大火、元乗物町より京橋八丁堀に至る延長21町、幅7町余延焼す
11月20日
幕府、三千石以上の者に英仏両国へ留学を許す。守兵の服制新兵式に改む
11月23日
三条実美ら、大宰府発上洛出発
12月5日
徳川慶喜、15代将軍となる
12月7日
幕府、デンマークと通商条約締結
12月9日
和宮親子内親王を静寛院とす
12月25日
孝明天皇崩御
12月29日
孝明天皇の大喪発せられる
12月30日
江戸幕府、数奇屋を廃し坊主200余人を撤兵隊となす

天皇

孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)

将軍

徳川家茂[14代](在位:安政5年12月1日~慶応2年8月20日)

徳川慶喜[15代](在位:慶応2年12月5日~慶応3年12月12日)

生活の話題

  • 武家調練用に西洋式筒袖陣股引を使用していたが、調練以外にも使用を許可し、公用にはこの上に羽織を重ねることとす
  • そぎ袖羽織袴を陸海軍の平服とする

  • 大阪で米買占を禁じ、外国米輸入を許可
  • 開成所で田中芳男、アメリカ産リンゴの接木に成功

  • はじめて煉瓦をつくる

1866年のポイントまとめ

  • 薩長同盟が成立した
    坂本龍馬や中岡慎太郎の仲介によって薩摩藩と長州藩が提携し、倒幕勢力が大きく前進しました。
  • 第二次長州征討で幕府軍が苦戦した
    幕府は長州藩討伐を行いましたが、長州藩の近代軍事力の前に苦戦し、幕府権威は大きく低下しました。
  • 将軍・徳川家茂が死去した
    第二次長州征討の最中に第14代将軍・徳川家茂が死去し、幕府はさらに不安定な状況へ陥りました。
  • 孝明天皇が崩御した
    朝廷でも大きな転換が起こり、幕府を支持していた孝明天皇の死去は政局に大きな影響を与えました。
  • 倒幕への流れが決定的となった年であった
    薩長同盟と幕府軍敗北によって、幕末政局は一気に倒幕へ向かい始めました。

1866年は、薩長同盟成立によって倒幕勢力が本格的に結集した年でした。第二次長州征討では幕府軍が苦戦し、幕府の権威低下は決定的となっていきます。 さらに将軍・徳川家茂と孝明天皇の死去によって、日本の政治情勢は大きな転換点を迎えることになりました。

1866年のよくある質問 Q&A

Q. 1866年とはどんな年ですか?

1866年は、薩摩藩と長州藩が同盟を結び、 幕府に対抗する体制が整った年です。

Q. 薩長同盟とは何ですか?

薩摩藩と長州藩が協力して 幕府に対抗するために結んだ同盟です。

Q. なぜ同盟が成立したのですか?

坂本龍馬らの仲介により、 共通の敵である幕府に対抗する必要があったためです。

Q. 第二次長州征討とは何ですか?

幕府が長州藩を攻撃した戦いで、 長州藩がこれを退けました。

Q. 幕府はなぜ敗れたのですか?

軍事力の差や統率力の低下により、 長州藩に対抗できなかったためです。

Q. なぜ1866年は重要なのですか?

幕府の衰退と倒幕勢力の結束が決定的となり、 明治維新への流れが固まったためです。

Q. この出来事はその後どうつながりますか?

1867年の大政奉還へとつながり、 幕府体制が終わりを迎えます。
1867年へ

Q. 1866年の重要人物は誰ですか?

坂本龍馬、西郷隆盛、木戸孝允などが重要人物です。

Q. 1866年は日本にとってどんな意味がありますか?

1866年は、倒幕が現実となり、 日本の政権交代が決定的になった年です。

次に読むなら

幕府の劣勢が決定的となったあと、どのように終焉へ向かうのか?

政治の主導権は大きく動き、大政奉還へと流れが進んでいきます。
幕末がどのように終わりを迎えるのか、その過程をあわせて理解できます。

幕末の終焉までの流れを確認する →

時代の流れをもう少し広く見る

幕末年表から、この年の前後をたどる

黒船来航から大政奉還まで、幕末の流れを時系列で整理しています。

スポンサーリンク