1859年(安政6年)は、日本が本格的に開国し、外国との交流が現実のものとなった転換の年です。
この年、幕府は条約に基づき横浜・長崎・箱館(函館)などの港を開き、外国との貿易を開始しました。
それまでの「開国の決定」から一歩進み、日本は実際に世界とつながる段階へと入ります。
つまり1859年は、「開国が現実となり、日本が世界と直接つながった年」といえます。
開国は、日本社会にどのような現実をもたらしたのか?
横浜開港などにより外国との交流が本格化し、社会の変化が一気に進みます。
黒船来航からこの年に至るまでの幕末の流れを時系列で確認できます。
Q. 1859年は何が起きた?
A. 横浜・長崎・箱館が開港し、貿易が始まりました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 日本が実際に外国と交流・貿易を開始したためです。
Q. この後どうなる?
A. 外国との関係に対する反発が強まり、幕末の動乱が激化します。
→ 1860年(桜田門外の変)を見る
目次
1859年の重要出来事
- 横浜・長崎・箱館が開港し、本格的な貿易が始まった
- 外国人居留地が形成され、日本社会に大きな変化が生じた
- 安政の大獄が続き、反幕府勢力への弾圧が強まった
- 吉田松陰が処刑され、尊王攘夷運動へ大きな影響を与えた
- 開国による物価上昇と社会不安が全国で広がった
この年に始まったこと
1859年(安政6年)は、安政五カ国条約にもとづく開港・貿易が実施され、日本が本格的な国際貿易の時代へ入った年です。また、安政の大獄による弾圧も続き、幕末の政治対立がさらに深まっていきました。
- 横浜港が開港した
神奈川(実際は横浜)が開港され、外国との本格的な貿易が始まりました。後の日本最大の国際貿易港へ発展していきます。 - 長崎・箱館で本格的な外国貿易が始まった
開港場として整備が進み、外国商人との継続的な貿易活動が始まりました。 - 外国人居留地の運用が始まった
開港地には外国人居留地が設けられ、外国人が居住しながら商業活動を行う体制が始まりました。 - 日本の本格的な国際貿易時代が始まった
生糸や茶などの輸出が増え、日本経済は世界市場との結びつきを強め始めました。 - 横浜を中心とする開港都市の発展が始まった
開港によって商人や外国人が集まり、後の近代都市・横浜の発展が始まりました。
1859年は、「日本の国際貿易時代が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1859年(安政6年)は、日本が本格的に外国との貿易を開始し、開国時代へ大きく踏み出した年でした。一方で、外国人への反発や尊王攘夷運動も強まり、幕末の政治対立はさらに激化していきます。
横浜開港によって本格的な貿易時代が始まった
1859年、日米修好通商条約に基づき横浜・長崎・箱館が開港されました。特に横浜は外国貿易の中心地として急速に発展し、日本社会は本格的な国際交流の時代へ入っていきます。
日米修好通商条約の影響が全国へ広がった
条約締結によって外国商人や外国船の往来が増え、日本国内では経済や社会の変化が目立ち始めました。物価上昇や金の流出なども起こり、人々の不満や不安が高まっていきます。
安政の大獄による弾圧が続いた
井伊直弼による安政の大獄は1859年にも続き、多くの尊王攘夷派や幕府批判勢力が処分されました。この強硬政治への反発はさらに強まり、幕府への敵意が広がっていきます。
尊王攘夷運動が急速に拡大した
開国と外国人流入への反発から、「天皇を尊び外国を排除する」という尊王攘夷思想は全国へ広がっていきました。特に長州藩や水戸藩などでは攘夷論が強まり、後の倒幕運動へつながっていきます。
ハリスを中心に外国外交が本格化した
アメリカ総領事ハリスをはじめ、欧米各国との外交交渉はさらに活発化しました。幕府は外国との関係維持に追われる一方で、国内では「弱腰外交」という批判が高まっていきます。
幕末の混乱がさらに深まっていった
開国による社会変化、外国問題、幕府への不満、尊王攘夷運動の拡大などが重なり、日本社会は急速に不安定化していきました。1859年は、幕末の動乱が全国規模へ広がり始めた重要な一年でした。
この年の重要人物
1859年(安政6年)は、横浜・長崎・箱館が開港し、日本が本格的に国際社会との交流を始めた年です。一方で、井伊直弼による安政の大獄が頂点を迎え、多くの志士や改革派が弾圧されました。開国と政治弾圧が同時に進んだこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 井伊直弼
大老として幕政を主導し、安政の大獄を断行しました。反対派を厳しく処分し、幕府権力の維持を図りました。 - 吉田松陰
長州藩の思想家です。安政の大獄によって処刑されましたが、その思想は後の明治維新を担う多くの志士に受け継がれました。 - 橋本左内
越前藩の改革派として活躍しましたが、安政の大獄によって処刑されました。幕末の改革派を代表する人物の一人です。 - 梅田雲浜
尊王攘夷運動の指導者として活動し、安政の大獄で捕らえられました。幕末の尊王運動に大きな影響を与えた人物です。
出来事・事物起源・話題
- 1月7日
- 秋山好古誕生
- 2月22日
- 江戸の大火(青山より音羽へ延焼)
- 3月10日
- 近衛家老女村岡及び丹羽正庸、春日仲襄等大獄に連坐し江戸の大名預となる
- 5月25日
- 吉田松陰、萩獄より江戸に送る
- 6月2日
- 下田、横浜、長崎、函館の4港を開き、英・米・仏・蘭・露の5国と交易す
- 6月4日
- タウンゼント・ハリス米国公使として江戸へ入り麻布の善福寺に館す
- 6月9日
- イギリス公使アールマック、江戸に入り品川東漸寺に館す
- 6月20日
- 幕府、外国より武器輸入を許す
- 6月22日
- 幕府、外国との貿易を許す(当時生糸1斤の価1両1分、生糸輸出始まる)
- 7月6日
- ドイツの科学者シーボルト、再び日本へ来航して長崎港に入る
- 7月9日
- 吉田松陰、江戸伝馬町の獄に投じられる
- 7月16日
- 幕府、外国人擁護を令す
- 9月6日
- 幕府、銅の海外密輸を厳禁す
- 9月27日
- 幕府、会津、秋田、荘内、盛岡、弘前の5藩に命じ蝦夷地の開墾を命ず
- 12月17日
- 水戸藩士勅諚返納の不可を極論
天皇
孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)
将軍
徳川家茂[14代](在位:安政5年12月1日~慶応2年8月20日)
大老
井伊直弼
生活の話題
食
- 北海道江差の水田に稲米を収穫す
住
- 開港場に石造の外国商館多く建ち、石工に大きな影響があったという
- 越後長岡の人、横浜の外国商人よりランプを購入してかえり点火
1859年のポイントまとめ
- 横浜・長崎・箱館が開港した
日米修好通商条約にもとづき港が開かれ、日本は本格的に外国との貿易を開始しました。 - 横浜が国際貿易都市として発展し始めた
多くの外国人商人が集まり、西洋文化や新しい技術が日本へ流入していきました。 - 物価上昇や社会不安が広がった
金銀交換比率の違いによって大量の金が海外へ流出し、国内経済は混乱を深めました。 - 尊王攘夷運動がさらに勢いを増した
開国への反発から、外国排斥や幕府批判の動きが全国で強まっていきました。 - 日本社会が急速に国際化へ向かい始めた年であった
1859年は、鎖国時代から近代国家への転換が現実のものとなった重要な年でした。
1859年は、港の開港によって日本が本格的に国際社会へ踏み出した年でした。外国との貿易や西洋文化の流入は、日本社会に大きな変化をもたらします。 その一方で、経済混乱や攘夷運動の拡大によって、幕末の政治不安はさらに深まっていきました。
1859年のよくある質問 Q&A
Q. 1859年とはどんな年ですか?
1859年は、横浜・長崎・箱館が開港し、 日本が本格的に外国との貿易を開始した年です。
Q. 開港とは何ですか?
外国船の出入りや貿易を許可する港を開くことで、 国際交流の拠点が整備されました。
Q. なぜ横浜が重要なのですか?
横浜は外国人居留地が置かれ、 日本最大の貿易拠点へと発展しました。
Q. 日本社会にはどのような影響がありましたか?
物価の変動や文化の流入により、 社会が大きく変化しました。
Q. なぜ1859年は重要なのですか?
条約で決められた内容が実際に動き出し、 日本が世界と直接つながったためです。
Q. 1859年の出来事はその後どうつながりますか?
外国との関係に対する反発が強まり、
幕末の動乱が激化します。
→ 1860年(桜田門外の変)へ
Q. 他に重要な流れはありますか?
尊王攘夷運動が広がり、 幕府への不満が高まりました。
Q. 1859年の重要人物は誰ですか?
井伊直弼や幕府の関係者、 外国商人などが重要です。
Q. 1859年は日本にとってどんな意味がありますか?
1859年は、日本が実際に世界とつながり、 社会が大きく変わり始めた年です。
外国との接触は、なぜ幕末の動乱を加速させたのか?
攘夷運動や政治対立はさらに激化し、やがて大きな事件へとつながっていきます。
幕末の激動の流れをあわせて理解できます。

