1858年(安政5年)は、日本の進む道が決定づけられた年です。
この年、江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を結び、本格的な開国に踏み切りました。
しかしこの決断は、朝廷の許可を得ないまま行われたものであり、国内に大きな対立を生み出します。
つまり1858年は、「開国によって日本の方向が決まり、同時に国内対立が激化した年」といえます。
なぜこの条約は、日本に大きな衝撃を与えたのか?
日米修好通商条約の締結により、不平等条約が成立し国内の反発は一気に高まります。
黒船来航からこの決断に至るまでの幕末の流れを時系列で確認できます。
Q. 1858年は何が起きた?
A. 日米修好通商条約が結ばれ、日本は本格的に開国しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 不平等条約により、日本の主権が制限されたためです。
Q. この後どうなる?
A. 国内で反発が強まり、幕末の動乱へと進みます。
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目次
1858年の重要出来事
- 日米修好通商条約が締結され、日本は本格的な開国へ進んだ
- 井伊直弼が大老となり、幕府主導で条約調印を進めた
- 安政の大獄が始まり、反対派への弾圧が強化された
- 将軍継嗣問題を巡り、幕府内部の対立が激化した
- 尊王攘夷運動が全国へ広がり始めた
この年に始まったこと
1858年(安政5年)は、日本の開国が決定的となり、幕末の政治体制が大きく動き始めた年です。条約締結や新将軍の就任、安政の大獄など、その後の歴史を左右する重要な出来事が始まりました。
- 日米修好通商条約が締結された
幕府はアメリカとの間で日米修好通商条約を締結しました。日本は本格的な通商国家への道を歩み始めます。 - 安政五カ国条約体制が始まった
アメリカに続いてイギリス・フランス・ロシア・オランダとも条約が締結され、欧米列強との外交・通商体制が整い始めました。 - 徳川家茂の将軍時代が始まった
紀州藩主・徳川慶福が第14代将軍・徳川家茂として就任し、新たな幕府体制が発足しました。 - 井伊直弼による大老政治が始まった
井伊直弼が大老に就任し、条約締結や将軍継嗣問題への対応を主導しました。 - 安政の大獄が始まった
井伊直弼は反対派の公家や大名、志士たちを弾圧し、幕府による大規模な政治弾圧が始まりました。
1858年は、「開国体制と井伊政治が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1858年(安政5年)は、日本が本格的な開国へ踏み出した一方で、幕府と朝廷、そして諸藩の対立が急激に深まった年でした。日米修好通商条約の締結をきっかけに、幕末政治は大きく揺れ動き始めます。
日米修好通商条約によって本格的な開国が始まった
1858年、幕府はアメリカとの間で日米修好通商条約を締結しました。これにより神奈川・長崎・新潟・兵庫などの開港が決まり、日本は本格的に外国との貿易を開始することになります。
不平等条約への不満が広がり始めた
日米修好通商条約には、領事裁判権の承認や関税自主権の欠如など、日本に不利な内容が含まれていました。このため国内では「弱腰外交だ」という批判が強まり、幕府への不満が急速に高まっていきます。
井伊直弼が大老として強い権力を握った
幕府は混乱する政局を立て直すため、彦根藩主井伊直弼を大老に任命しました。井伊直弼は強い指導力で条約締結を進めますが、その強硬姿勢は多くの反発を招くことになります。
将軍継嗣問題が幕府政治を大きく揺るがした
13代将軍徳川家定の後継者をめぐる争いはさらに激化しました。井伊直弼は紀州藩の徳川慶福(後の徳川家茂)を擁立し、一橋慶喜を支持する勢力との対立が深まっていきます。
安政の大獄によって反対勢力への弾圧が始まった
井伊直弼は条約締結や将軍継嗣問題に反対する勢力を厳しく弾圧しました。これが安政の大獄です。尊王攘夷派や一橋派の公家・大名・志士たちは処分され、幕末の政治対立はさらに激しくなっていきます。
尊王攘夷運動が全国へ広がり始めた
安政の大獄への反発や外国勢力への危機感から、尊王攘夷思想は急速に広がっていきました。幕府批判の空気も強まり、日本は倒幕へ向かう激動の時代へ入り始めます。
この年の重要人物
1858年(安政5年)は、日米修好通商条約が締結され、日本が本格的な開国へ踏み出した年です。一方で、将軍継嗣問題をめぐる対立が決着し、井伊直弼による強力な幕政運営が始まりました。後の安政の大獄へとつながる幕末政治の大きな転換点となったこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 井伊直弼
大老に就任し、幕府の実権を掌握しました。日米修好通商条約の締結を進めるとともに、将軍継嗣問題の決着を主導しました。 - タウンゼント・ハリス
アメリカ総領事として幕府との交渉を重ね、日米修好通商条約の締結を実現しました。日本の開国を推し進めた中心人物です。 - 徳川家茂
徳川慶福から改名し、第14代将軍に就任しました。将軍継嗣問題の決着を象徴する人物です。 - 徳川慶喜
一橋派が推した将軍後継候補でしたが、将軍就任は実現しませんでした。その後も幕末政治の中心人物として活躍することになります。 - 橋本左内
越前藩士として一橋派を支え、徳川慶喜の擁立に尽力しました。安政の大獄で処罰されることになる志士の代表的人物です。
出来事・事物起源・話題
- 1月5日
- 幕府が日米条約の締結を決定する
- 1月8日
- 幕府が老中堀田正睦に上洛を命じ、日米条約締結の勅許を求めさせる
- 1月21日
- ハリスが江戸での会見を終え、下田へ戻る
- 1月26日
- 公家たちが外交に関する意見書を朝廷に提出する
- 2月10日
- 江戸で大火が発生する(約12万戸焼失)
- 2月17日
- 勤王僧月照が勅命を受けて高野山を参詣し、国家安泰を祈願する
- 2月20日
- 幕府が諸国に楮や茶の栽培を奨励し、蝋・漆・紙・茶業の振興を図る
- 3月12日
- 幕府の日米開港条約に反対する中山忠能ら公家10名が連署して上奏する
- 4月5日
- 堀田正睦が上洛してアメリカとの条約締結の勅許を求めるが認められず帰府する
- 4月23日
- 彦根藩主井伊直弼が大老に就任する
- 4月24日
- 老中堀田正睦がハリスを私邸に招き、日米条約調印の延期を求める
- 5月3日
- オランダへ発注していた軍艦エド号(後の朝陽丸)が長崎に入港する
- 5月7日
- 江戸に種痘所が開設される
- 6月4日
- 三条実万が大老井伊直弼へ意見書を送り、時局について論じる
- 6月14日
- 松平慶永が政治改革について意見を述べる
- 6月17日
- アメリカ使節ハリスが軍艦ポーハタン号で神奈川に来航し、日米通商条約の締結を求める
- 6月19日
- 江戸小柴沖に停泊中のアメリカ軍艦上で日米修好通商条約が調印される
- 6月21日
- 幕府が日米修好通商条約調印の件を京都へ報告する
- 6月24日
- 松平春嶽が日米通商条約を独断で調印した井伊直弼を厳しく問いただす
- 7月4日
- イギリス使節エルギンは芝西応寺に、ロシア使節プチャーチンは芝真福寺に滞在する
- 7月5日
- イギリス軍艦4隻が来航し、日本に開港条約の締結を求める
- 7月5日
- 福井藩士中根師実が著した『昨夢記事』全10巻が完成する
- 7月10日
- オランダと通商条約を締結する
- 7月11日
- 日露通商条約が調印される
- 7月18日
- 幕府がイギリスと通商条約を締結する
- 7月21日
- 徳川慶福が家茂と改名する
- 8月8日
- 鵜飼幸吉が病気の父に代わり勅命を携えて京都を出発し、徳川慶篤のもとへ向かう
- 8月17日
- 江戸でコレラが大流行する(病死者681名)
- 9月7日
- 小浜藩浪士梅田雲浜が京都で逮捕される
(これを機に京都・江戸で尊王攘夷派の弾圧が進み、安政の大獄が始まる) - 9月10日
- 幕府の弾圧が強まり、西郷吉之助や有村新七らが月照を伴って京都を離れる
- 9月18日
- 勤王家の鵜飼吉左衛門父子が捕らえられる
- 10月25日
- 徳川家茂が第14代将軍に就任する
- 11月15日
- 江戸で大火が発生する(神田・京橋など259町が焼失)
- 11月16日
- 西郷吉之助が僧月照とともに錦江湾へ身を投じる
- 11月17日
- 老中間部詮勝が、アメリカとの条約締結は取り消し不可能であると朝廷へ報告する
- 12月26日
- 吉田松陰が再び野山獄に収監される
- 12月30日
- 西郷隆盛が奄美大島へ流される
天皇
孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)
将軍
徳川家定[13代](在位:嘉永6年11月23日~安政5年8月8日)
徳川家茂[14代](在位:安政5年12月1日~慶応2年8月20日)
大老
井伊直弼
生活の話題
食
- 石狩琴似の移民、幕府に収米を献ず
1858年のポイントまとめ
- 日米修好通商条約が締結された
幕府はアメリカとの間で日米修好通商条約を結び、日本は本格的な開国と通商の時代へ入っていきました。 - 不平等条約によって国内に強い反発が広がった
領事裁判権や関税自主権の欠如など、日本に不利な内容は大きな問題となりました。 - 井伊直弼が大老に就任した
幕府は政治混乱への対応として井伊直弼を大老に任命し、強権的な政治を進め始めました。 - 安政の大獄が始まった
尊王攘夷派や一橋慶喜派への弾圧が行われ、多くの志士や大名が処分されました。 - 幕末動乱が本格化する転換点となった
開国問題と政治弾圧によって幕府への反発は強まり、日本は激動の幕末時代へ突入していきました。
1858年は、日米修好通商条約の締結によって日本が本格的な開国へ踏み出した年でした。しかし、不平等条約への不満や安政の大獄による政治弾圧は、幕府への反発を一気に高めていきます。 この年は、幕末動乱が本格化する重要な転換点となりました。
1858年のよくある質問 Q&A
Q. 1858年とはどんな年ですか?
1858年は、日米修好通商条約が締結され、 日本が本格的に開国した年です。
Q. 日米修好通商条約とは何ですか?
日本とアメリカの間で結ばれた条約で、 貿易の開始や外国人居留地の設置などが定められました。
Q. 不平等条約とは何ですか?
治外法権や関税自主権の欠如など、 日本に不利な条件を含む条約のことです。
Q. なぜこのような条約を結んだのですか?
外国からの強い圧力により、 幕府が受け入れざるを得なかったためです。
Q. 国内ではどのような影響がありましたか?
条約に反対する勢力が台頭し、 尊王攘夷運動が活発化しました。
Q. なぜ1858年は重要なのですか?
日本が本格的に国際社会へ組み込まれ、 幕末の動乱が加速したためです。
Q. 1858年の出来事はその後どうつながりますか?
国内の対立が激化し、
1860年の桜田門外の変へとつながります。
→ 1860年(桜田門外の変)へ
Q. 他に重要な流れはありますか?
幕府の権威が大きく揺らぎ、 政治の主導権争いが激しくなりました。
Q. 1858年の重要人物は誰ですか?
井伊直弼やハリスなどが重要人物です。
Q. 1858年は日本にとってどんな意味がありますか?
1858年は、日本が不平等な条件で開国し、 幕末の激動が本格化した年です。
条約締結のあと、幕末の動乱はどのように激化していくのか?
安政の大獄や尊王攘夷運動の高まりへとつながり、政治的対立は一気に深まります。
幕末の激動の流れをあわせて理解できます。

