1856年(安政3年)は、日本が開国へ向かう流れの中で、外交と西洋化が本格的に動き始めた年です。
この年、アメリカ総領事ハリスが下田に来航し、幕府との交渉を開始しました。
また、西洋の知識や軍事技術を取り入れる動きも進み、日本は急速に変化し始めます。
つまり1856年は、「開国と近代化が現実に動き始めた年」といえます。
日本はなぜ本格的な外交交渉に踏み出すことになったのか?
ハリスの来日により、通商条約に向けた交渉が始まります。
開国から本格的な外交へと進む幕末の流れを時系列で確認できます。
Q. 1856年は何が起きた?
A. アメリカ総領事ハリスが下田に着任し、交渉が本格化しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 本格的な通商条約に向けた外交交渉が始まったためです。
Q. この後どうなる?
A. 1858年に日米修好通商条約が結ばれます。
→ 1858年(通商条約)を見る
目次
1856年の重要出来事
- ハリスが下田へ着任し、通商条約交渉が始まった
- 幕府は本格的な開国要求への対応を迫られた
- 開国を巡って幕府内の対立が深まり始めた
- 西洋列強による対日圧力がさらに強まった
- 海防強化と洋式軍備導入が全国で進められた
この年に始まったこと
1856年(安政3年)は、アメリカ総領事ハリスの着任により、日本が本格的な外交交渉の時代へ入った年です。開国後の日本は、外国との継続的な交渉や通商問題への対応を迫られることになりました。
- アメリカ総領事による常駐外交が始まった
タウンゼント・ハリスが下田に着任し、日本初のアメリカ総領事として活動を開始しました。 - 通商条約交渉が始まった
ハリスは幕府に対して通商開始を求め、本格的な条約交渉を開始しました。後の日米修好通商条約へつながる重要な出発点となりました。 - 外国公館による外交体制が始まった
外国外交官が日本国内に常駐し、継続的な外交交渉を行う新しい体制が整い始めました。 - 開国後の本格的な外交政策が始まった
幕府は海防中心の対応から、貿易や条約を含む外交政策の構築へ取り組み始めました。 - 安政通商交渉の時代が始まった
欧米諸国との通商問題が幕政最大の課題となり、その後の幕末政治を左右する交渉が始まりました。
1856年は、「日本の本格的な外交交渉が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1856年(安政3年)は、日本が本格的な開国と通商へ向かい始めた年でした。アメリカ総領事ハリスが下田へ着任し、幕府は外国との新たな外交問題に直面します。ここから日本は、単なる開国ではなく「国際社会との交渉」の時代へ入っていきました。
ハリス来航によって通商交渉が本格化した
1856年、アメリカ総領事ハリスが下田へ着任しました。ハリスは日本へ本格的な通商開始を強く求め、幕府は開港・貿易問題への対応を迫られることになります。
日米和親条約から通商問題へ発展し始めた
前年の日米和親条約では補給や寄港が中心でしたが、1856年頃からは本格的な貿易要求へと発展していきました。日本は「開国するかどうか」ではなく、「どの条件で通商を行うか」という段階へ入っていきます。
下田が外国外交の拠点となり始めた
ハリスの着任によって、下田は外国との外交交渉の重要拠点となりました。ここから日本は、欧米列強との本格的な外交関係を築いていくことになります。
海防と軍備改革の必要性がさらに高まった
外国との接触が増える中で、幕府や諸藩では海防強化への危機感がさらに高まりました。西洋式兵器や軍艦への関心も強まり、日本の軍事改革は徐々に加速していきます。
洋学と西洋知識の重要性が広がった
外交や軍事対応のため、西洋の知識を学ぶ必要性が急速に高まりました。蘭学だけでなく英語や西洋法制度への関心も広がり、日本社会は少しずつ近代化への方向へ動き始めます。
幕末政治の対立が深まり始めた
開国や通商をめぐって、幕府内部や諸藩では意見対立が強まり始めました。「外国と協調するべきか」「攘夷を進めるべきか」という議論が広がり、後の尊王攘夷運動へつながる空気が形成されていきます。
この年の重要人物
1856年(安政3年)は、アメリカ総領事ハリスが下田に着任し、日本との本格的な通商交渉が始まった年です。幕府は開国後の外交対応に追われ、欧米列強との関係構築という新たな課題に直面しました。後の日米修好通商条約へつながる重要な年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- タウンゼント・ハリス
アメリカ初代総領事として下田に着任しました。幕府に通商条約の締結を求め、日本の開国をさらに推し進めました。 - 阿部正弘
老中首座として外交問題への対応を主導しました。ハリスとの交渉を進める一方、海防強化や幕政改革にも取り組みました。 - 堀田正睦
幕府の重臣として外交問題に関与しました。後に通商条約交渉の中心人物となる存在で、この頃から重要な役割を担い始めました。
出来事・事物起源・話題
- 2月13日
- 蕃書取調所を九段下に設く
- 3月12日
- 駒場にて西洋流の訓練を行う
- 4月22日
- 伊豆国戸田浦にて造船の洋式軍艦に対し君沢形と呼称すべしと幕府令あり
- 4月25日
- 江戸築地に講武所開設される
- 6月30日
- 幕府令して旗本の子弟中経書に通ずる者に限り蕃書調所に通学を許す
- 7月12日
- 水戸藩主徳川斉昭の軍船、旭日丸竣工す
- 7月21日
- アメリカ総領事ハリス、通訳官ヒュースケン、下田に来航
- 7月22日
- 佐久間象山、蟄居謹慎中海防意見書を幕府に呈して国防を促す
- 8月24日
- 幕府、ハリスの駐在許可
- 8月24日
- 露使プチャーチン、長崎に来航す
- 8月26日
- 北海道駒ヶ嶽の大爆発
- 10月17日
- 幕府、老中堀田正睦に外国事務を担任せしめ、これより外交的局面一変せんとす
- 10月20日
- 二宮尊徳没す
- 11月10日
- 下田にて日露条約交換式、露艦ヂヤナ号より大砲52門を我に贈る
- 12月3日
- 二宮弥太郎、亡父金次郎の家を相続し特に御普請役恪に召抱えられる
- 12月12日
- 幕府、松平容保の海防の功を賞す
- 12月18日
- 吉田松陰、梅田雲浜と会見
天皇
孝明天皇(在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)
将軍
徳川家定[13代](在位:嘉永6年11月23日~安政5年8月8日)
生活の話題
その他
- 二分金を鋳る
1856年のポイントまとめ
- 開国後の外交交渉が本格化した
アメリカ総領事ハリスが下田へ着任し、日本に通商条約締結を強く求め始めました。 - 幕府が外国対応に苦慮するようになった
欧米列強との交渉が続く中で、幕府内では開国派と攘夷派の対立が徐々に強まっていきました。 - 西洋文化や技術への関心が高まり始めた
海防強化や外交問題への対応を通じて、日本国内では洋学や西洋技術への注目が広がっていきました。 - 幕末の政治不安が静かに進行していた
大きな戦乱こそまだありませんでしたが、幕府体制への不安や社会の変化は確実に進んでいました。 - 通商条約締結へ向かう重要な準備期間となった
1856年は、翌年以降の安政五カ国条約や開港へつながる重要な転換期でした。
1856年は、開国後の日本が本格的な外交時代へ入り始めた年でした。ハリスの来日により、幕府は通商問題への対応を迫られ、日本社会は大きな変化へ向かっていきます。 表面上は静かな時代でしたが、幕末動乱へつながる緊張は着実に高まっていました。
1856年のよくある質問 Q&A
Q. 1856年とはどんな年ですか?
1856年は、開国後の外交交渉が本格化し、 通商条約に向けた準備が進められた年です。
Q. ハリスとは誰ですか?
アメリカの初代総領事で、 日本に通商条約の締結を強く求めました。
Q. なぜ交渉が必要だったのですか?
開国により外国との関係が始まり、 貿易や外交のルールを決める必要があったためです。
Q. 幕府はどのように対応しましたか?
外国との交渉に苦慮しながらも、 慎重に対応を進めていました。
Q. なぜ1856年は重要なのですか?
本格的な通商関係の成立に向けた 準備段階となったためです。
Q. 1856年の出来事はその後どうつながりますか?
1858年に日米修好通商条約が結ばれ、
日本は本格的な開国へと進みます。
→ 1858年(通商条約)へ
Q. 日本への影響は何ですか?
外交問題が国内政治に影響を与え、 幕府の権威が揺らいでいきました。
Q. 1856年の重要人物は誰ですか?
ハリスや幕府の外交担当者たちが重要人物です。
Q. 1856年は日本にとってどんな意味がありますか?
1856年は、日本が本格的な国際関係へと踏み出す 準備段階となった年です。
外交交渉の進展は、日本にどのような変化をもたらすのか?
やがて不平等条約の締結へと進み、国内の対立はさらに深まっていきます。
幕末の動乱へとつながる流れをあわせて理解できます。

