軍神・乃木希典とは何者か|賛否が分かれる理由をわかりやすく解説
1912年(明治45年)は、明治という時代が終わり、新しい時代へと移り変わった年です。
この年、明治天皇が崩御し、日本は明治から大正へと改元されました。
約45年間続いた明治時代はここで幕を閉じ、日本は次の時代へと進んでいきます。
明治時代は、幕末の混乱から始まり、近代国家の形成、戦争と勝利、そして国際社会への進出を経て、日本の基盤を築いた時代でした。
つまり1912年は、「近代日本を作り上げた時代が終わった年」といえます。
まず全体を把握
明治という時代は、日本に何をもたらしたのか?
明治天皇の崩御により、一つの時代が終わりを迎えます。
明治維新からこの年までの変化を時系列で振り返ることができます。
1912年のポイントQ&A
Q. 1912年は何が起きた?
A. 明治天皇が崩御し、明治時代が終わりました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 日本の近代化を進めた明治時代が一区切りを迎えたためです。
Q. この後どうなる?
A. 大正時代が始まり、政治や社会は新たな段階へ進みます。
Q. 全体の流れを知りたい
→ 幕末〜明治の年表一覧を見る
目次
1912年の重要出来事
- 明治天皇が崩御し、明治時代が終わった
- 大正天皇が即位し、大正時代が始まった
- 第一次護憲運動が起こり、政党政治への要求が高まった
- 桂太郎内閣への反発が強まり、藩閥政治が揺らぎ始めた
- 近代国家日本が新たな時代へ移り変わる転換点となったれた
この年に始まったこと
1912年(明治45年・大正元年)は、明治天皇の崩御によって明治時代が幕を閉じ、新たに大正時代が始まった年です。また、政党政治がさらに発展するきっかけとなる出来事も起こりました。
- 大正時代が始まった
明治天皇の崩御に伴い、大正天皇が即位し、新たな時代が始まりました。 - 大正政変が始まった
第3次桂内閣に対する反発から護憲運動が広がり、後の大正デモクラシーへつながる政治運動が始まりました。 - 護憲運動が本格化した
「憲政擁護」を掲げる国民運動が全国へ広がり、政党政治の発展を後押ししました。 - 大正デモクラシーへの流れが始まった
国民の政治参加を求める声が強まり、新しい政治文化が芽生え始めました。 - 明治国家完成後の新時代が始まった
明治維新以来の近代国家建設が一区切りを迎え、日本は新たな発展段階へ入りました。
1912年は、「大正時代と護憲運動が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1912年(明治45年・大正元年)は、明治天皇崩御によって長く続いた明治時代が終わり、日本が新たな時代へ入った年でした。一方で、大正政変によって政党政治への流れも強まり、近代日本は次の段階へ進み始めます。
明治天皇崩御によって明治時代が終わった
1912年7月30日、明治天皇が崩御しました。これによって1868年から続いた明治時代は終わりを迎え、日本は新たに大正時代へ入っていきます。
大正改元によって新しい時代が始まった
明治天皇崩御後、元号は「大正」へ改められました。近代国家建設を進めた明治時代から、政党政治や大衆社会が発展していく新時代へ移り始めます。
大正政変によって政党政治への流れが強まった
第二次西園寺公望内閣が陸軍との対立によって総辞職し、桂太郎内閣成立に反発した民衆運動が広がりました。これが大正政変です。藩閥政治への批判が高まり、政党政治を求める声が強くなっていきます。
桂園時代が終わりへ向かい始めた
桂太郎と西園寺公望が交互に政権を担ってきた桂園時代は、大正政変によって大きな転換点を迎えました。日本政治は次第に政党中心へ移行していきます。
明治国家体制が完成形となった
軍事・産業・教育・外交制度など、明治時代に進められた近代国家建設は大きな完成段階へ達していました。日本は列強国家として国際社会で存在感を持つようになっていきます。
近代日本が新しい時代へ入り始めた
明治時代は「近代国家をつくる時代」でした。そして1912年は、その成果を土台として、日本が次の時代へ進み始めた歴史的な転換点となりました。
この年の重要人物
1912年(明治45年・大正元年)は、明治天皇が崩御し、明治時代が幕を閉じた年です。また、第一次護憲運動のきっかけとなる政治対立が表面化し、大正デモクラシーへつながる新たな時代の動きも始まりました。明治から大正への転換点となったこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 明治天皇
7月30日に崩御しました。明治維新から近代国家建設までの時代を象徴する存在であり、その死は明治時代の終焉を意味しました。 - 大正天皇
明治天皇の崩御により即位しました。新たな時代の始まりを象徴する人物です。 - 桂太郎
第3次桂内閣を組織しましたが、藩閥政治への反発を招き、第一次護憲運動のきっかけをつくりました。 - 犬養毅
立憲政友会の指導者として桂内閣に対抗しました。護憲運動を支えた代表的人物の一人です。 - 尾崎行雄
「憲政の神様」と呼ばれる政治家です。第一次護憲運動の中心となり、政党政治の発展に大きな役割を果たしました。
この年を彩った人物
- 森鷗外
『興津弥五右衛門の遺書』を発表しました。明治の終焉と武士道的精神をめぐる問題を文学として描いた作品です。
出来事・事物起源・話題
- 1月8日
- 頭山満、犬養毅、南京にて孫文、黄興等と正式会見を行う
- 1月16日
- 大阪の大火(難波新地の湯屋煙突より発火し4,576戸焼失、死傷者多数)
- 1月21日
- 最初のスキー競技会、新潟県高田市金谷山に挙行される
- 1月27日
- 日中国政府、大倉組と300万円借款
- 1月28日
- 白瀬中尉、南極に日章旗を掲ぐ
- 2月1日
- 京都ガス会社争議
- 2月12日
- 宣統帝退位、清朝廃止
- 2月22日
- 未成年者の飲酒取締法制定
- 2月25日
- 台湾で中国人の会社設立禁止
- 3月12日
- ジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)、東京に創立(中村是公、近藤廉平、浅野総一郎らが発起)
- 3月18日
- 小松宮彰仁親王の銅像竣工し、上野公園内に除幕式を挙げる
- 3月22日
- 白瀬中尉の南極探検船開南丸、探検を終えて無事ウエリントンへ入港
- 3月29日
- 呉海軍工廠スト
- 4月1日
- 三原山噴火
- 4月29日
- 北海道夕張炭坑爆発 276名死亡
- 5月12日
- 国内最初の郵便飛行、米国アットウォーターにより、東京芝浦・横浜間で試みる
- 5月16日
- 第5回オリンピックへ三島・金栗出発
- 5月18日
- 発明協会にて無線電信発明家鳥潟右一、横山英太郎、北村政治郎の表彰
- 5月22日
- 山陰鉄道線竣工全通する
- 6月6日
- 私娼の検黴制度実施される
- 6月8日
- 日本鋼管設立
- 6月18日
- 6国(日英米独仏露)借款団成立
- 7月3日
- 大坂の「新世界ルナパーク」開場
- 7月5日
- 東京にタクシー自動車会社創立
- 7月8日
- 第三回日露秘密協約、調印
- 7月10日
- 明治天皇、東京帝国大学へ行幸(最後の行幸となる)
- 7月20日
- 明治天皇重患の御由、宮内省より発表される(御平癒祈願の赤子二重橋前に充ちて跪坐す)
- 7月20日
- 樺太縦貫鉄道全通式を挙ぐ
- 7月22日
- 豪雨のため、富山県小川温泉全滅
- 7月30日
- 明治天皇崩御(大正に改元)
- 7月30日
- 皇太子嘉仁親王、踐祚
- 8月1日
- 友愛会を創立する
- 8月5日
- 日本初のタクシー営業開始
- 8月13日
- 桂太郎、内大臣兼侍従長に就任する
- 8月13日
- 大正天皇、山県有朋・大山巌・松方正義・井上馨・桂太郎に先帝(明治天皇)の遺業を継ぐ勅語を下す
- 9月13日
- 明治天皇御大葬
- 9月13日
- 乃木希典夫妻、殉死する
- 9月14日
- 明治天皇、京都の伏見桃山陵に葬られる
- 9月26日
- 恩赦令、大赦令公布
総理大臣
西園寺公望(明治44年8月30日~大正元年12月21日)
桂太郎(大正元年12月21日~大正2年2月20日)
生活の出来事
食
- 米価暴騰、不正枡検挙行われる
- 鉄道員施米運賃割引施行
住
- 門司及び若松市に水道竣工
- 名古屋、市営で屎尿処理事業始める
- 秋田・松山・山口・福井の各ガス会社それぞれ開業
出版
- 『悲しき玩具』(石川啄木)
- 『新訳源氏物語』(与謝野晶子)
- 『牧水歌話』(若山牧水)
- 『浅草』(久保田万次郎)
- 『土』(長塚節)
その他
- 山陰鉄道開通
- 財団法人大阪職業紹介所設立
- 済生会、深川・本所に診療開始
- 友愛会結成
- 北九州で自動車業出願各地に起こり、道路幅員なきため不許可のもの多し
- 製縄機発明される
- 高松電気軌道、岡山電気軌道、広島電気軌道、それぞれ開業
地方の出来事
北海道
- 夕張炭鉱でガス爆発が起こり260名が亡くなる
関東
- 榛名湖でスケートをはじめる(群馬)
中部
- 大石寺を大本山とする日蓮宗富士派が日蓮正宗と改称(静岡)
中国
- 山陰線が出雲今市まで全線開通する(島根)
九州
- 清国動乱に際し、小倉第12師団に動員令くだる(福岡)
- 沖縄県に衆議院議員選挙法を施行
1912年のポイントまとめ
- 明治天皇が崩御し、大正時代が始まった
明治天皇の崩御によって約45年続いた明治時代が終わり、日本は大正時代へ入りました。 - 乃木希典夫妻が殉死した
日露戦争の英雄・乃木希典夫妻は明治天皇に殉じて自害し、大きな衝撃を社会へ与えました。 - 第一次護憲運動が始まった
桂太郎内閣に対する反発から護憲運動が広がり、民衆による政治参加意識が高まっていきました。 - 政党政治の時代へ変化し始めた
藩閥政治中心だった明治時代から、政党勢力が存在感を強める新しい政治時代へ移行し始めました。 - 『坂の上の雲』の時代が幕を閉じた年であった
1912年は、明治という激動の時代が終わり、『坂の上の雲』で描かれた日本近代化の時代が一つの区切りを迎えた重要な年でした。
1912年は、明治天皇崩御によって明治時代が終わりを迎えた年でした。 日露戦争を経て列強国家となった日本は、大正時代という新たな時代へ進んでいきます。 政治・社会・思想の変化も始まり、『坂の上の雲』で描かれた明治日本の時代が大きな節目を迎えた一年となりました。
1912年のよくある質問 Q&A
Q. 1912年とはどんな年ですか?
1912年は、明治天皇の崩御により 明治時代が終わり、大正時代が始まった年です。
Q. 明治天皇とはどんな人物ですか?
日本の近代化を進めた時代の象徴的存在で、 明治維新以降の変革を支えました。
Q. なぜ1912年は重要なのですか?
幕末から続いた激動の時代が一区切りとなり、 日本の近代国家としての基盤が完成したためです。
Q. 明治時代にはどのような変化がありましたか?
近代国家の形成、産業化、軍事力の強化、 そして列強の一員としての地位確立などが進みました。
Q. 日清戦争や日露戦争との関係は?
明治時代の後半には対外戦争が行われ、
日本の国際的地位を大きく高めました。
→ 1894年(日清戦争)
→ 1905年(日露戦争)
Q. 明治時代の最も大きな成果は何ですか?
日本が近代国家として確立し、 国際社会で重要な役割を担うようになったことです。
Q. 1912年以降はどうなりますか?
大正時代に入り、 政党政治の発展や社会の変化が進んでいきます。
Q. 幕末からの流れを振り返ると?
開国から始まり、
明治維新、近代化、戦争を経て、
日本は列強の一員へと成長しました。
→ 年表一覧で全体の流れを見る
Q. 1912年の重要人物は誰ですか?
明治天皇をはじめ、 伊藤博文、東郷平八郎など明治を支えた人物たちです。
Q. 1912年は日本にとってどんな意味がありますか?
1912年は、日本の近代化が一つの完成を迎え、 次の時代へとバトンが渡された年です。
さらに理解を深める
明治という時代は、日本に何を残したのか?
明治維新から近代国家の成立まで、日本は大きく変化しました。
その背景や人物を深掘りすると、時代の理解がより深まります。

