1905年(明治38年)の出来事

日本海海戦とポーツマス条約

今から121年前の出来事

この年の位置づけ

日本海海戦と講和

日本海海戦で日本海軍は大勝利を収めました。一方で戦争継続は困難となり、ポーツマス条約による講和へ進んでいきます。

1905年(明治38年)は、日本が大国ロシアとの戦争を終え、国際的な地位を大きく高めた年です。

この年、日露戦争は日本海海戦などの勝利を経て終結し、アメリカの仲介によりポーツマス条約が結ばれました。

しかし、この条約では賠償金が得られなかったことなどから国内では不満が高まり、日比谷焼打ち事件が起こるなど社会不安も広がります。

つまり1905年は、「戦争に勝利して国際的地位を高めた一方で、その成果をめぐり国内で大きな動揺が生まれた年」といえます。

まず全体を把握

日露戦争の勝利は、日本に何をもたらしたのか?

戦争の終結により、日本は列強の一角としての地位を確立します。
明治維新からこの年に至るまでの流れを時系列で確認できます。

明治時代の流れを一気に理解する →
1905年のポイントQ&A

Q. 1905年は何が起きた?
A. 日本海海戦で日本が大勝し、日露戦争が終結しました。

Q. なぜ重要なのか?
A. 日本が欧州列強ロシアに勝利し、世界を驚かせたためです。

Q. この後どうなる?
A. ポーツマス条約が結ばれ、日本は国際的地位を確立します。

1905年の重要出来事

日露戦役旅順開城
日露戦役旅順開城
日露役奉天戦
日露役奉天戦
日露役日本海海戦
日露役日本海海戦
ポーツマス媾和談判
ポーツマス媾和談判
凱旋観艦式
凱旋観艦式
  • 日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊に勝利した
  • ポーツマス条約が締結され、日露戦争が終結した
  • 日比谷焼打ち事件が発生し、講和内容への不満が広がった
  • 樺太南部の割譲と韓国に対する優越権が認められた
  • 日本が列強の一員として国際的地位を大きく高めた件が発生した

出来事・事物起源・話題

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1月1日
難攻不落とされた旅順が陥落する
1月2日
旅順開城の調印が成立する(司令官乃木希典がステッセルの開城提議に同意し、開城規約および附録に調印)
1月5日
乃木希典将軍が敵将ステッセルと旅順城外の水師営で会見する
1月7日
旅順でロシア捕虜32,207名を受領する(各地で旅順開城の大祝勝会が開かれる)
1月10日
旅順要塞の引き渡しがすべて完了する
1月12日
鴨緑江軍の編成が決定する
1月13日
日本海軍が潜水艇を導入する
1月13日
乃木希典率いる第三軍が旅順入城式を行う
1月14日
乃木希典が水師営南方の丘陵上で招魂祭を行う
1月14日
第三軍の北方転進が始まる
1月18日
島村速雄少将が第二戦隊司令官に転出する
1月22日
「血の日曜日」事件がペテルブルグで発生する(第一次ロシア革命)
1月25日
黒溝台付近で激戦が始まる(黒溝台会戦
1月29日
厳寒の中で激戦が続き、ついに黒溝台を占領してロシア軍を渾河右岸へ追い払う
1月29日
週刊「平民新聞」が廃刊となり、「直言」が後継紙となる
2月3日
韓国政府が警視庁第一部長丸山重俊を刑務顧問に任用する契約に調印する
2月5日
日本初の乗合自動車が広島市で営業を開始する
2月5日
平民社が「平民新聞」の後継紙として「直言」を創刊する
2月6日
旅順に鎮守府が開庁する
2月11日
満州のダルニーを大連と改称する
2月11日
森下南陽堂が仁丹を発売する
2月16日
郵便貯金法と実用新案法が公布される
2月20日
日本軍が𡐔子嶺を占領する
2月24日
日本軍が清河城を占領する
3月1日
日本軍が奉天への総攻撃を開始する(奉天会戦
3月2日
日本軍が周官堡を占領する
3月7日
奉天会戦最大の激戦となる李官堡の戦いが行われる(大越兼吉少佐が自決)
3月9日
満州軍総司令官大山巌に勅語が下される
3月9日
日本軍が撫順および安州を占領する
3月10日
日本軍が奉天を占領する(陸軍記念日)
3月15日
満州軍総司令官大山巌が奉天に入城する
3月16日
鉄嶺を占領する
3月16日
クロパトキンが総司令官を辞任する
4月4日
早稲田大学野球部が初の海外遠征を行う
4月8日
閣議が韓国保護権の確立を決定する
4月15日
漫画雑誌「東京パック」が創刊される
4月22日
日露戦争の戦没者28,999柱が靖国神社に合祀される
5月1日
平民社でメーデー茶話会が開かれる
5月12日
小林・向後両烈士が殉難する
5月25日
朝鮮京釜鉄道の開通式が行われる
5月27日
日本海海戦で大勝する(海軍記念日)
5月28日
日本海海戦でロシア艦隊が全滅する
5月28日
盛岡高等農林学校(現・岩手大学)が開校する
5月29日
バルチック艦隊が全滅し、敵将ロジェストウェンスキー提督以下が降伏する
5月31日
日本政府が高平駐米公使に「ルーズベルト大統領への調停要請」を訓令する
6月1日
塩の専売制度が実施される
6月1日
アメリカ大統領ルーズベルトに日露講和の友好的な斡旋を求める
6月3日
アメリカ大統領ルーズベルトが駐米日本公使高平小五郎を招き、日露講和を勧告する
6月3日
東郷平八郎が敵将ロジェストウェンスキー提督を佐世保海軍病院に見舞う
6月10日
外相小村寿太郎が、アメリカ大統領による日露講和提議を受諾する旨を回答する
6月10日
イギリス外相が林公使に日英同盟の対案を提示する
6月18日
台湾で暴風雨が発生し、倒壊家屋約3,600戸、半壊3,500戸、流失船数十隻の被害が出る
6月27日
ロシア艦隊ポチョムキン号で水兵の反乱が起こる
6月30日
相対性理論の論文が初めて発表される
7月1日
実用新案法が施行される
7月7日
樺太派遣軍第十三師団がメシヤ付近に上陸し、直ちに進撃を開始する
7月8日
講和全権の小村寿太郎外相一行が横浜を出発する
7月9日
桂・タフト覚書が成立する
7月24日
樺太のアレキサンドロフスクを占領する
7月26日
奉天にて征露八将軍の記念撮影が行われる
7月29日
韓国・フィリピン問題に関する桂・タフト覚書が成立する
7月30日
孫文が中国革命同盟会を結成する
7月31日
日露戦争が終結する
8月1日
公園に初めて音楽堂が開設される(日比谷公園)
8月10日
日露講和第一回会議がポーツマスで開催される
8月12日
第二次日英同盟が調印される
8月12日
ポーツマスにおける日露講和談判で第二回会見が行われる
8月19日
ポーツマスの日露講和談判は、ロシアの拒絶により一時延期となる
8月20日
孫文らが東京で中国革命同盟会を結成する
8月23日
ポーツマスの日露講和談判は、第八回会見でロシアの拒絶により今にも決裂しようとする
8月24日
東京帝国大学教授の戸水寛人が、対露強硬意見により休職処分となる
8月25日
山路愛山らが「国家社会党」を結成する
8月28日
御前会議が開かれる(日露講和談判の最終的な譲歩条件をアメリカの小村全権に打電する)
9月1日
日露休戦議定書が調印される
9月1日
神戸製鋼所が設立される
9月3日
市民大会で日露講和条約破棄が決議される
9月3日
潜水艇隊職員勤務令が定められる
9月5日
ポーツマスにて日露講和条約が調印される
9月5日
日比谷で講和反対国民大会が開かれ、交番などが焼き打ちされ、東京に戒厳令が敷かれる
9月6日
日比谷焼打事件を鎮圧するため、東京市外に戒厳令が敷かれる(11月29日解除)
9月11日
九州・朝鮮間で関釜連絡船が運航を開始する(下関・釜山航路)
9月11日
佐世保停泊中の軍艦「三笠」の火薬庫が爆発し、火災により沈没する(死傷者337名)
9月13日
日露休戦協定が調印される
9月14日
大山総司令官が全軍に休戦命令を発する
9月14日
奥羽線が福島・青森間で全通する
10月9日
政府の弾圧が厳しくなり、平民社がついに解散する(「直言」廃刊)
10月16日
平和克復の詔勅が下される
10月16日
日露平和条約が公布され、日露講和全権委員が帰朝して復命する
10月18日
東郷平八郎が伊勢神宮に戦捷奉告を行う
10月20日
連合艦隊が横須賀に凱旋する
10月22日
海軍大将司令長官東郷平八郎、海軍中将上村彦之丞らが東京に凱旋し、参内して復命する
10月23日
モスクワ労働者武装蜂起が起こる
10月23日
東京湾上で海軍凱旋式による大観艦式が挙行される(明治天皇が御召艦「浅間」に乗御)
10月24日
東郷平八郎大将以下の凱旋艦隊歓迎会が、東京市民により上野公園で開催される
10月26日
ペテルブルグで第1回労働者代表ソビエトの選挙が行われる
10月30日
ツァーリが10月勅書で立憲政体を認める
10月31日
平和克復祝賀のため、各国公使が参内する
11月5日
朝鮮の開城府で京義鉄道開通式が行われる
11月11日
ロシアの捕虜ロジェストウェンスキー提督以下約7万人が帰国の途に就く
11月15日
石油共同販売所が設立される
11月17日
明治天皇が伊勢大神宮に戦捷奉告を行われる
11月17日
第二次日韓協約(韓国保護条約)が調印される
11月20日
中央報徳会が設立される
11月30日
第一軍司令官黒木為楨が凱旋する
12月2日
ロンドンの帝国公使館を大使館と改める(これより各国公使館を大使館に改める)
12月6日
普通選挙連合会が結成される
12月7日
満州軍総司令官大山巌元帥、同参謀長児玉源太郎大将が東京に凱旋する
12月9日
第一軍司令官黒木為楨大将が東京に凱旋し、直ちに参内して復命する
12月12日
潜水艇隊条令が公布される
12月17日
上野公園で東京市民を挙げ、満州軍総司令官大山巌元帥以下の凱旋大歓迎会が開かれる
12月20日
韓国統監府が設置される
12月20日
東郷平八郎が海軍軍令部長に任命される
12月21日
伊藤博文が初代韓国統監に任命される
12月21日
連合艦隊解散式(連合艦隊解散の辞
12月21日
山県有朋が枢密院議長に親任される
12月22日
満州に関し、日清間で北京条約が締結される
12月22日
第22回帝国議会が開院する
12月23日
新政党大同倶楽部が結成される
12月29日
乃木将軍が凱旋する
12月31日
大山巌大将が参謀総長に親補される

この年に始まったこと

1905年(明治38年)は、日露戦争の勝利によって日本の国際的地位が大きく高まった年です。講和条約の締結や韓国への影響力強化など、新たな国際秩序が動き始めました。

  • ポーツマス条約体制が始まった
    アメリカの仲介によりポーツマス条約が締結され、日露戦争は終結しました。東アジアの国際秩序は新たな段階へ入りました。
  • 韓国保護国体制が始まった
    第二次日韓協約(乙巳条約)が締結され、日本は韓国の外交権を掌握しました。
  • 統監府設置への体制整備が始まった
    韓国統治を強化するための制度整備が進められ、後の統監府設置へつながりました。
  • 南満州経営が始まった
    ポーツマス条約によって獲得した権益を基盤に、日本の満州進出が本格化しました。
  • 日本の列強外交時代が始まった
    日露戦争の勝利を背景に、日本は列強の一員として国際政治へ積極的に関与する時代を迎えました。

1905年は、「戦後の東アジア新体制が始まった年」でした。

この年は何が変わったのか

1905年(明治38年)は、日露戦争の勝利によって日本が列強国家として世界へ認識された歴史的な年でした。一方で、戦争による社会不満や都市化も進み、日本社会そのものも大きく変化していきます。

日本海海戦によって日本海軍が世界へ知られた

東郷平八郎率いる連合艦隊は、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破しました。この勝利は世界へ大きな衝撃を与え、日本海軍は国際的に高く評価される存在となります。

バルチック艦隊撃破によって日本の国際的地位が向上した

ロシアの主力艦隊を破ったことで、日本は欧米列強と並ぶ軍事国家として注目されるようになりました。日露戦争勝利は、日本外交にも大きな自信を与えていきます。

ポーツマス条約によって日露戦争が終結した

アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介によって、日本とロシアはポーツマス条約を締結しました。日本は韓国での優越権や南樺太を獲得し、大陸進出をさらに進めていきます。

日比谷焼打事件によって民衆不満が爆発した

講和条約の内容に不満を持つ民衆は、東京で日比谷焼打事件を起こしました。これは近代日本初の大規模都市暴動とも言われ、政府と民衆の関係が大きく変わる転換点となります。

韓国統監府によって韓国支配が本格化した

日本は韓国統監府を設置し、伊藤博文が初代統監へ就任しました。これによって韓国への政治的支配は急速に強まり、後の韓国併合へつながっていきます。

この頃広がったもの

路面電車普及によって都市生活が近代化した

東京や大阪では路面電車網が拡大し、人々の移動や都市の景色が大きく変わっていきました。近代都市としての生活スタイルが徐々に定着していきます。

新聞報道によって戦争が身近なものになった

日露戦争では新聞各社が連日戦況を報道し、多くの国民が戦争を日々知るようになりました。号外や戦争報道は、人々の世論形成へ大きな影響を与えていきます。

近代国家日本が帝国国家へ変わり始めた

軍事・外交・都市化・報道文化の発展が同時に進み、日本は国内中心の近代国家から、世界へ進出する帝国国家へ変化していきました。1905年は、その転換点となる歴史的な一年でした。

この年の重要人物

1905年(明治38年)は、日本海海戦で日本海軍がバルチック艦隊を撃破し、日露戦争が終結した年です。また、ポーツマス条約が締結され、日本は列強の仲間入りを果たしました。一方で、講和内容への不満から日比谷焼打事件も発生するなど、戦勝と混乱が交錯した年でした。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。

  • 東郷平八郎
    連合艦隊司令長官として日本海海戦を指揮し、バルチック艦隊に歴史的勝利を収めました。日露戦争を象徴する人物です。
  • 秋山真之
    連合艦隊参謀として作戦立案を担当しました。丁字戦法をはじめとする海戦指揮で日本海海戦勝利に大きく貢献しました。
  • 児玉源太郎
    満州軍総参謀長として奉天会戦など陸軍作戦を統括しました。日露戦争における陸軍側の中心人物です。
  • 小村寿太郎
    ポーツマス会議で日本全権として講和交渉を担当しました。日露戦争終結と日本外交の成功を支えた人物です。
  • セルゲイ・ヴィッテ
    ロシア全権としてポーツマス会議に出席しました。日本との講和交渉をまとめ、戦争終結に重要な役割を果たしました。

この年を彩った人物

  • 夏目漱石
    『吾輩は猫である』を発表しました。近代日本文学を代表する作家として本格的に文壇へ登場しました。

総理大臣

桂太郎(明治34年6月2日~明治39年1月7日)

生活の話題

  • 冠婚葬祭や他所ゆきに足袋をはくことが盛んになる
  • 日露戦争後、地下足袋の使用激増
  • 婦人の髪型、”二〇三高地”というのが流行
  • 指輪を嫁入り仕度の一つにしているところが各地にあった
  • 軍服カーキ色着用始まる
  • 元禄模様大流行
  • 人絹輸入増加して産業界にこの製造の機運高まる
  • 学生間に腕時計の流行始まる
  • 軍隊用雑ノウの使用が学生間に流行、学生カバン姿を消す

  • アンパンの駅売り始まる
  • 三ツ矢平野鉱泉株式会社が三菱のあとをうけて清涼飲料水を作る

  • 岡山市水道竣工
  • 神戸市水道竣工
  • 大阪ガス会社開業
  • 東京市中の富裕者の間に賃家を建てること流行

出版

  • 『あこがれ』(石川啄木)
  • 『巌窟王』(黒岩涙香)
  • 『破戒』(島崎藤村)
  • 『夏姫』(三木露風)

その他

  • 絵はがき流行
  • 猪方正規によるツツガムシ病源発見

地方の話題

東北

  • 宮城・福島・岩手3県が72年来の大凶作
  • 大湊が海軍要港となる(青森)

関東

  • 日比谷公園で屈辱講和反対国民大会が開かれる

近畿

  • 神戸のデイリーニュース社で露字新聞を創刊
  • 大阪で講和反対・戦争継続の市民大会を開く

中国

  • 島根県美濃郡の沖にロシア軍艦が座礁し乗組員が上陸して降伏する
  • 新橋・下関間に直列列車を運転する(37時間)

九州

  • 詩人野口寧斎が郷里の諫早町に諫早文庫をたてる(長崎)
  • 対馬沖で日本連合艦隊がバルチック艦隊を撃破

1905年のポイントまとめ

  • 日本海海戦で連合艦隊が歴史的大勝利を収めた
    東郷平八郎率いる日本海軍は、バルチック艦隊を撃破し、日本海海戦は世界史に残る海戦となりました。
  • ポーツマス条約によって日露戦争が終結した
    アメリカ大統領ルーズベルトの仲介によって講和が成立し、日本は韓国や南満州での権益を拡大しました。
  • 戦争勝利の裏で国民不満も高まった
    賠償金が得られなかったことへの不満から日比谷焼打事件が発生し、国内では政府批判が強まりました。
  • 日本が世界の列強として認識され始めた
    欧米列強との戦争に勝利したことで、日本は近代国家として国際社会で大きな存在感を示しました。
  • 『坂の上の雲』最大のクライマックスとなる年であった
    秋山真之・東郷平八郎らが活躍した日本海海戦は、『坂の上の雲』を象徴する歴史的場面となっています。

1905年は、日本海海戦の勝利とポーツマス条約によって、日本が世界へ大きく飛躍した年でした。 その一方で、国民負担や社会不安も表面化し、日本は新たな課題を抱える時代へ入っていきます。 『坂の上の雲』においても、秋山真之や東郷平八郎らの活躍が描かれる最大の山場となる重要な一年でした。

1905年のよくある質問 Q&A

Q. 1905年とはどんな年ですか?

1905年は、日本海海戦の勝利により 日露戦争が終結した年です。 日本の歴史における大きな転換点となりました。

Q. 日本海海戦とは何ですか?

日本海で行われた海戦で、 東郷平八郎率いる日本海軍がロシア艦隊を撃破しました。

Q. なぜ日本は勝てたのですか?

戦略・戦術の優位性や士気の高さ、 情報戦の成功などが勝因とされています。

Q. ポーツマス条約とは何ですか?

アメリカの仲介で結ばれた講和条約で、 日露戦争の終結を定めました。

Q. 日本は何を得ましたか?

韓国に対する優越権や南満州の権益などを得ましたが、 賠償金は得られませんでした。

Q. なぜ1905年は重要なのですか?

日本が初めて欧州列強に勝利し、 国際社会での地位を確立したためです。

Q. 国内ではどのような反応がありましたか?

賠償金が得られなかったことに対する不満から、 日比谷焼打事件が起こりました。

Q. この出来事はその後どうつながりますか?

日本は列強の一員として国際政治に関与し、 その後の歴史へと大きく影響していきます。

Q. 1905年の重要人物は誰ですか?

東郷平八郎、秋山真之、小村寿太郎などが重要人物です。

Q. 1905年は日本にとってどんな意味がありますか?

1905年は、日本が世界の列強の一員として 認められた歴史的な年です。

次に読むなら

勝利の裏で、なぜ国内の不満は高まったのか?

講和条件への不満は暴動へと発展し、戦後の日本は新たな課題に直面します。
その後の社会や政治の動きをあわせて理解できます。

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明治時代年表から、この年の前後をたどる

明治維新から日清・日露戦争、近代国家の形成までを時系列で整理しています。

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