1898年(明治31年)は、日本の政治が大きく揺れ動き、政党政治が新たな段階へ進んだ年です。
この年、自由党と進歩党が合同して憲政党が結成され、日本で初めての本格的な政党内閣が誕生しました。しかしその後、党内対立によって内閣は短期間で崩壊し、政治の不安定さも露わとなります。
つまり1898年は、「政党政治が本格化する一方で、その未成熟さも明らかになった転換の年」といえます。
なぜ日本は政党による政治へ進み始めたのか?
憲政党内閣の成立により、日本では本格的な政党政治への流れが始まります。
明治維新からこの年に至るまでの政治発展の流れを時系列で確認できます。
Q. 1898年は何が起きた?
A. 憲政党による内閣(隈板内閣)が成立しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 日本で初めて本格的な政党内閣が誕生したためです。
Q. この後どうなる?
A. 政党政治は試行錯誤を経て、やがて安定していきます。
→ 1904年(日露戦争)を見る
目次
1898年の重要出来事
- 大隈重信と板垣退助による隈板内閣が成立した
- 日本初の本格的政党内閣が誕生した
- 自由党と進歩党が合同し、憲政党が結成された
- 政党政治への期待が高まる一方、内閣運営は混乱した
- 日本の議会政治と政党政治が大きな転換期を迎えた
出来事・事物起源・話題
- 1月12日
- 第三次伊藤博文内閣成立
- 1月20日
- 元帥府を設置する
- 1月20日
- 九州の佐世保線が開通する
- 2月1日
- 奈良県で市制が施行される
- 2月12日
- 『日本』紙上で正岡子規の『歌よみに与ふる書』の連載が始まる
- 2月24日
- 日本鉄道会社で日本初の鉄道ストライキが発生する(上野〜青森間の列車が2日間運休し、待遇改善により解決)
- 2月26日
- 児玉源太郎が台湾総督に任命される
- 3月6日
- 清国とドイツが膠州湾租借条約を締結する
- 3月15日
- 第5回衆議院議員総選挙が行われる
- 3月25日
- 日本初の装甲巡洋艦「浅間」がイギリスのアームストロング造船所で進水する
- 3月27日
- ロシアが旅順・大連の租借権と南満州鉄道の敷設権を獲得する
- 4月5日
- 日本鉄道矯正会が結成される
- 4月10日
- フランスと清国が広東・広西・雲南の不割譲協定を結ぶ
- 4月10日
- 東京奠都30年祭の祝賀会が盛大に開催される
- 4月22日
- 福建省不割譲条約が締結される
- 4月24日
- 米西戦争が始まる
- 4月25日
- 西・ローゼン協定が成立する
- 4月26日
- 石川理紀之助が秋田県の凶作救済のため出発する
- 4月30日
- 北海道亀田郡上湯川にトラピスト女子修道院が創設される
- 6月1日
- 日本初の勧業債券100万円分が発行される
- 6月1日
- 警視庁が自転車取締規則を制定する
- 6月5日
- 直江津の大火(約1,600戸焼失)が発生する
- 6月6日
- 九龍半島およびその周辺地域の租借条約が調印される
- 6月9日
- イギリスが九龍半島を租借する
- 6月15日
- 万国郵便条約の締結調印式が行われる
- 6月22日
- 自由党と進歩党が合同し、憲政党を結成する(総理は板垣退助)
- 6月25日
- 第三次伊藤内閣が総辞職する
- 6月30日
- 日本初の政党内閣となる憲政党内閣が成立(大隈重信が首相に就任)
- 7月1日
- イギリスが威海衛を租借する
- 7月1日
- 日本美術院の開院式が行われる
- 7月10日
- 沙市事件が解決し、清国政府が日本へ9万円の賠償金を支払う
- 8月10日
- 第6回衆議院議員総選挙が行われる
- 8月13日
- 日本初の国際水泳競技会が開催される
- 8月20日
- 尾崎文部大臣の共和演説事件が起こる
- 8月21日
- 北海道で旭川鉄道の開通式が行われる
- 9月22日
- 山陽鉄道で列車ボーイ制度が始まる
- 10月1日
- 東京市が特別市から一般市となる
- 10月1日
- 滋賀県大津市で市制が施行される
- 10月7日
- 電話の発明者アレクサンダー・グラハム・ベルが来日する
- 10月11日
- 漢口に日本領事館が開設される
- 10月15日
- 岡倉天心らが日本美術院を創設する
- 10月18日
- 社会主義研究会が設立される(片山潜・幸徳秋水ら)
- 10月22日
- ベルが参内し明治天皇に謁見する
- 10月29日
- 旧自由党系の閣僚が辞表を提出する
- 10月31日
- 大隈重信内閣が総辞職する
- 11月2日
- 上海に東亜同文書院が創設される
- 11月3日
- 憲政本党が結成される
- 11月8日
- 第二次山県有朋内閣成立
- 11月13日
- 東京市役所の開庁式が行われる
- 11月17日
- フランスが広州湾を租借する
- 11月20日
- 衆議院が地租増徴・地価修正法案を可決する
- 11月20日
- 東京築地本願寺の起工式が行われる
- 11月27日
- 門司〜長崎間の鉄道が全線開通する
- 11月29日
- 徳富蘆花の『不如帰』の連載が始まる
- 12月8日
- 地租増徴反対同盟が結成される
- 12月9日
- 博士号の対象に薬学・農学・林学・獣医学が追加される
- 12月10日
- アメリカがフィリピンを植民地化する
- 12月18日
- 上野公園で西郷隆盛銅像の除幕式が行われる
この年に始まったこと
1898年(明治31年)は、日本の政党政治が大きく前進した年です。日本初の本格的な政党内閣が誕生し、議会を基盤とする政治運営が始まりました。
- 憲政党が結成された
自由党と進歩党が合同し、当時最大の政党である憲政党が発足しました。 - 日本初の政党内閣が発足した
大隈重信を首相とする隈板内閣が成立し、日本初の本格的な政党内閣が始まりました。 - 政党中心の政治運営が始まった
政党が政府運営を担う時代への第一歩として、新しい政治体制がスタートしました。 - 憲政党政権による改革が始まった
行政改革や政治改革を目指す新政権の取り組みが始まりました。 - 本格的な二大政党時代への流れが始まった
政党の再編が進み、後の立憲政友会や憲政本党につながる政党政治の基盤が形成されました。
1898年は、「日本初の政党内閣が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1898年(明治31年)は、日本で初めて本格的な政党内閣が誕生し、政党政治が大きく前進した年でした。一方で、政党間対立や政治的不安定さも表面化し、日本の議会政治は試行錯誤の時代へ入っていきます。
隈板内閣によって日本初の政党内閣が誕生した
1898年、大隈重信と板垣退助を中心とする隈板内閣が成立しました。これは日本初の本格的政党内閣であり、政党が政府運営を担う時代への大きな一歩となります。
憲政党によって政党勢力が統合された
自由党と進歩党は合同し、憲政党を結成しました。これによって政党勢力は大きく拡大し、藩閥政府に対抗する政治基盤を形成していきます。
政党政治が本格化し始めた
帝国議会開設以降続いていた政府と政党の対立は、政党側が政権を担う段階へ進み始めました。日本政治は、藩閥政治から政党政治へ徐々に移行していきます。
隈板内閣崩壊によって政党政治の課題が見えた
内部対立によって隈板内閣は短期間で崩壊しました。政党間の結束不足や政策対立が表面化し、日本の政党政治はまだ不安定な段階にあることが明らかになっていきます。
軍備拡張と産業発展が続いた
ロシアへの警戒感を背景に、軍備拡張政策は引き続き進められていました。同時に重工業化や鉄道整備も進み、日本は近代国家としての基盤をさらに強化していきます。
議会政治時代への転換が始まった
1898年は、政党が実際に政権を担ったことで、日本政治が新しい段階へ入った年でした。完全な政党政治にはまだ課題が多かったものの、近代議会政治の流れは確実に前進していきます。
この年の重要人物
1898年(明治31年)は、日本初の本格的な政党内閣である隈板内閣が成立した年です。自由党と進歩党が合同して憲政党を結成し、政党政治が大きく前進しました。一方で内閣は短期間で崩壊し、政党政治の難しさも浮き彫りとなりました。この年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 大隈重信
日本初の政党内閣となる隈板内閣の総理大臣に就任しました。政党政治実現の象徴となる人物です。 - 板垣退助
自由党を率いて進歩党との合同を実現し、憲政党結成に参加しました。大隈重信とともに政党内閣を支えました。 - 伊藤博文
長年政界を主導してきた元老として政局に大きな影響力を持ち続けました。政党政治の進展を見守る立場にありました。 - 山縣有朋
政党内閣に批判的な立場から政治情勢を注視しました。後に再び政権を担うことになる重要人物です。
この年を彩った人物
- 岡倉天心
日本美術院を創設しました。日本美術の近代化と伝統の再評価を進めた中心人物です。 - 横山大観
日本美術院の創設に参加しました。近代日本画を代表する画家として活躍していきます。
総理大臣
松方正義(明治29年9月18日~明治31年1月12日)
伊藤博文(明治31年1月12日~明治31年6月30日)
大隈重信(明治31年6月30日~明治31年11月8日)
山県有朋(明治31年11月8日~明治33年10月19日)
生活の話題
衣
- 豊田織機操業開始
- 東京モスリン株式会社設立
- 日本鉄道各駅に赤帽始まる
- 時計の輸入53万個
食
- 久能山の神官オランダ苺を試植
住
- 広島市水道竣工(8月)
- 東京市水道竣工(12月)
その他
- 日本鉄道会社の機関手矯正会同盟罷業
- 深川印刷会社に同盟罷業
- 貧民研究会設立
- 名古屋市電開通
- 本土・九州間の汽車・汽船連絡を開業
- 神田綿輝館に活版工組合発会
- 城泉太郎、神戸に労働組合研究会を起す
- 『日本の下層社会』成る・翌32年発刊
- 鉄工組合附属の徒弟夜学会設立
- 留岡幸助、不良感化の家庭学校を起す
- 東京砲兵工廠職工、共働店を設立
地方の話題
東北
- 平田篤胤の門弟らが秋田に平田文庫の設立をはじめる(秋田)
関東
- はじめての政党内閣として隈板内閣が成立する
- 伊勢崎染織学校が開校(群馬)
中部
- 能登の総持寺が全焼する(石川)
- 富士郡鷹岡村に富士製紙会社の大工場ができあがる(静岡)
四国
- 愛媛県新居郡大町の西条綿練会社の女工60名が賃上げを要求してストライキをおこす
九州
- 長崎で日本とロシアの水兵が衝突する
- 熊本国憲党が分裂し、肥後協会が設立される
1898年のポイントまとめ
- 日本初の政党内閣が成立した
自由党と進歩党が合同して憲政党を結成し、大隈重信を首相とする日本初の政党内閣が誕生しました。 - 憲政党内閣は短期間で崩壊した
党内対立や政治運営の混乱によって、憲政党内閣はわずか数か月で総辞職へ追い込まれました。 - 政党政治の課題が明らかになった
政党間対立や政府運営の難しさが表面化し、日本の議会政治は試行錯誤の段階にありました。 - 列強との競争を背景に軍備拡張が続いた
ロシアとの対立激化を背景に、日本は陸海軍強化と国家体制整備を進めていきました。 - 日本の政党政治が新たな段階へ入った年であった
1898年は、日本初の政党内閣成立によって、近代日本の議会政治が大きな転換点を迎えた重要な年でした。
1898年は、日本初の政党内閣が誕生し、日本政治が新たな段階へ進んだ年でした。 しかし、政党間対立や政治運営の難しさも浮き彫りとなり、政党政治はまだ発展途上にありました。 立憲国家として制度が整う中、日本はさらに成熟した議会政治を模索していくことになります。
1898年のよくある質問 Q&A
Q. 1898年とはどんな年ですか?
1898年は、憲政党による内閣が成立し、 日本で初めて本格的な政党政治が実現した年です。
Q. 隈板内閣とは何ですか?
大隈重信と板垣退助が率いた政党内閣で、 憲政党によって組織されました。
Q. なぜ政党内閣が成立したのですか?
議会政治の発展により、 政党が政権を担う流れが生まれたためです。
Q. その後どうなりましたか?
内部対立により短期間で崩壊し、 政党政治の難しさが明らかになりました。
Q. なぜ1898年は重要なのですか?
政党が政権を担うという新しい政治の形が試されたためです。
Q. 1898年の出来事はその後どうつながりますか?
政党政治は試行錯誤を経て発展し、
日本の政治体制が成熟していきます。
→ 1904年(日露戦争)へ
Q. 他に重要な流れはありますか?
政党と官僚の関係が再構築され、 近代政治の基盤が強化されていきました。
Q. 1898年の重要人物は誰ですか?
大隈重信、板垣退助などが重要人物です。
Q. 1898年は日本にとってどんな意味がありますか?
1898年は、政党政治の可能性と課題が明らかになった重要な年です。
政党政治は、その後どのように発展していくのか?
藩閥政治との対立を繰り返しながら、日本の議会政治は徐々に成熟していきます。
明治後期の政治と発展の流れをあわせて理解できます。
