1889年(明治22年)は、日本が近代国家としての制度を完成させ、「憲法国家」として正式にスタートした歴史的な年です。
これまで明治政府は、西洋をモデルに制度整備を進めてきましたが、この年ついに大日本帝国憲法が発布され、日本は立憲国家としての形を整えました。
同時に、鉄道の全通や産業の発展などにより、国家としての基盤も強化されていきます。
つまり1889年は、「制度と実力の両面で、近代国家として完成した年」といえます。
なぜ日本は憲法を制定し、立憲国家を目指したのか?
大日本帝国憲法の発布により、日本は近代国家としての政治体制を整えていきます。
明治維新からこの年に至るまでの改革の流れを時系列で確認できます。
Q. 1889年は何が起きた?
A. 大日本帝国憲法が公布され、日本初の近代憲法が誕生しました。
Q. なぜ重要なのか?
A. 日本が立憲国家としての体制を正式に整えたためです。
Q. この後どうなる?
A. 翌1890年に帝国議会が開かれ、議会政治がスタートします。
→ 1890年(帝国議会開設)を見る
目次
1889年の重要出来事

- 大日本帝国憲法が発布され、日本は立憲国家体制へ移行した
- 皇室典範が制定され、皇室制度が整備された
- 衆議院議員選挙法が公布され、帝国議会開設準備が進められた
- 東海道線が全線開通し、国内交通網整備が進展した
- 天皇中心の近代国家体制が本格的に確立された
この年に始まったこと
1889年(明治22年)は、日本が立憲国家として新たな一歩を踏み出した年です。憲法の発布と地方自治制度の施行により、近代国家としての枠組みが本格的に動き始めました。
- 大日本帝国憲法が発布された
2月11日、大日本帝国憲法が発布されました。日本初の近代憲法として、立憲国家体制が始まりました。 - 市制・町村制が施行された
前年に公布された市制・町村制が施行され、近代的な地方自治制度の運用が始まりました。 - 近代地方自治体が発足した
全国で市や町村が整備され、現在の地方自治制度につながる仕組みが動き始めました。 - 立憲君主制国家が始まった
憲法の発布によって、天皇を中心とする立憲君主制国家としての体制が整えられました。 - 帝国議会開設への最終準備が始まった
翌年の帝国議会開設に向けて、選挙制度や議会運営の準備が本格化しました。
1889年は、「大日本帝国憲法と地方自治制度が始まった年」でした。
この年は何が変わったのか
1889年(明治22年)は、大日本帝国憲法公布によって、日本が本格的な立憲国家として歩み始めた歴史的な年でした。近代国家としての政治制度が整えられ、日本は欧米列強に並ぶ国家を目指して進み始めます。
大日本帝国憲法によって立憲国家体制が始まった
1889年2月11日、明治天皇によって大日本帝国憲法が発布されました。これによって日本はアジア初の本格的立憲国家となり、近代国家体制が正式に整えられていきます。
天皇主権による国家体制が確立された
大日本帝国憲法では、天皇が国家統治権を持つ「天皇主権」が定められました。日本独自の立憲体制として、議会制度と天皇中心国家が両立する形が整えられていきます。
帝国議会開設への準備が進んだ
憲法公布によって、翌1890年の帝国議会開設準備が本格化しました。政党や政治家たちは議会政治時代へ向けて活動を活発化させていきます。
市制・町村制によって地方自治制度が始まった
1889年には市制・町村制が施行され、全国で近代的地方自治制度がスタートしました。地方行政も中央政府主導の近代制度へ再編されていきます。
東海道線全通によって国内交通網が発展した
1889年には東海道線が全通し、東京と神戸が鉄道で結ばれました。これによって人や物資の移動は大きく変化し、日本の経済発展と近代化を支える重要基盤となっていきます。
近代日本の国家体制が完成段階へ入った
憲法・議会・地方自治・交通網整備などが進み、日本は本格的な近代国家としての形を完成させつつありました。1889年は、明治国家体制が大きく完成へ近づいた歴史的な一年でした。
この年の重要人物
1889年(明治22年)は、大日本帝国憲法が発布され、日本が立憲国家として新たな一歩を踏み出した年です。また、市制・町村制も施行され、近代的な地方自治制度が整備されました。明治国家の骨格が完成したこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。
- 明治天皇
2月11日に大日本帝国憲法を発布しました。立憲国家としての日本の出発点を象徴する存在であり、この年の中心人物です。 - 伊藤博文
憲法制定の最高責任者として大日本帝国憲法の完成を主導しました。近代国家日本の制度設計者といえる人物です。 - 井上毅
憲法草案の作成に深く関わった法制官僚です。大日本帝国憲法の実務面を支えました。 - 山縣有朋
政府の中枢として憲法体制の運用基盤づくりを進めました。後の政治・軍事体制にも大きな影響を与えました。
出来事・事物起源・話題
- 1月16日
- 水戸・小山間の鉄道開通
- 1月23日
- 三池鉱山を三井に払い下げる
- 1月23日
- 徴兵令改正(徴兵猶予の制度廃止)
- 1月25日
- 石川島造船所、会社組織に改組発足
- 2月11日
- 大日本帝国憲法発布(立憲君主国の仲間入り)
- 2月11日
- 文部大臣森有礼刺殺される
- 2月11日
- 西郷隆盛へ、正三位を追贈
- 2月11日
- 「万歳三唱」が決まる
- 2月12日
- 黒田首相、地方長官に超然主義の方針を訓示
- 2月13日
- 日海軍治罪法公布
- 2月20日
- 紀淡海峡の砲台竣工
- 3月4日
- 清国、徳宗親政治始まる
- 3月31日
- 佐渡、生野の両鉱山、帝室財産に編入され、御料局支庁に属す
- 4月16日
- メートル法条約に加盟する
- 4月16日
- 静岡・浜松間の鉄道竣工して、ここに初めて東海道全線の開通を見る
- 4月19日
- 大隈外相の条約改正案ロンドンタイムズに掲載され、以後反対世論高まる
- 4月21日
- 民法財産編公布
- 4月26日
- 法学、立法事業の恩人フランスボアソナード、帰国のため参内(御暇乞い)
- 5月9日
- 正岡子規、常盤会寄宿舎で血を吐く
- 5月11日
- 東京乗合馬車会社創立す
- 5月16日
- 帝国博物館(東京、京都、奈良)官制成り、博物館総長に九鬼隆一を任命
- 5月21日
- 最初の市会議員選挙、東京において本日より3日間行われる
- 5月28日
- 地久節の御儀初めて行われる
- 6月8日
- 市制実施後、最初の東京市会を開く
- 6月10日
- 第1回貴族院多額納税議員選挙
- 6月16日
- 横須賀線鉄道開通
- 6月20日
- 富山県伏木に米騒動
- 7月1日
- 呉、佐世保の南鎮守府開庁
- 7月1日
- 山梨県甲府に市制実施される
- 7月1日
- 東海道本線全通(新橋・神戸間鉄道全通)
- 7月15日
- 第2インター結成
- 7月24日
- 艦隊条令公布により、常備艦隊を編成
- 7月30日
- 第一回条約改正内閣会議
- 8月25日
- 条約改正反対派、東京にて大演説会を開く
- 9月11日
- 商業会議所条令公布
- 10月2日
- 第1回汎米会議
- 10月7日
- 海軍旗章条例により、それまで日章旗であったものが旭日旗に統一される
- 10月8日
- 逓信大臣後藤象二郎、条約改正問題を以て国家の不利とし、反対の旨を奏上する
- 10月11日
- 枢密院議長伊藤博文、大隈外相の条約改正案に反対し辞表を提出
- 10月13日
- 富山県魚津で米騒動
- 10月15日
- 御前会議で条約改正を議す
- 10月18日
- 大隈重信外相、暗殺未遂(玄洋社社員来島恒喜に襲われ負傷、条約改正中止)
- 10月20日
- 元老院廃止
- 10月21日
- 黒田首相辞表を提出
- 10月24日
- 黒田首相以下大隈外相を除く各大臣、辞表を提出
- 10月25日
- 内大臣三条実美内閣総理大臣を兼職する
- 11月3日
- 嘉仁親王、立太子式
- 11月10日
- 歌舞伎座、木挽町に開場
- 11月18日
- 北海道炭鉱汽船会社・鉄道会社創立
- 11月30日
- 地租改正条例公布される
- 12月10日
- 閣議にて、条約改正交渉延期決定される
- 12月13日
- 四条畷神社、別格官弊社に列格
- 12月19日
- 板垣退助、旧自由党員ら大阪で愛国公党を結成
- 12月24日
- 大隈重信外相、辞任
- 12月24日
- 第一次山県有朋内閣成立
総理大臣
黒田清隆(明治21年4月30日~明治22年10月25日)
三条実美(明治22年10月25日~明治22年12月24日)※内大臣兼任
山県有朋(明治22年12月24日~明治24年5月6日)
生活の話題
衣
- 警察官・消防官帯剣制定
- 服飾に復古的な傾向強く現れ始め、日本髪用品の売れゆき良くなる
食
- フランスの万国博覧会に上菱ビール出品される
住
- 凾館水道竣工
- 東京石工組合認可
- 木挽町に歌舞伎座建つ
- 大阪電燈、京都電燈、名古屋電燈、それぞれ開業
- 福島県郡山水道会社開業
- 年末、神奈川県、石油貯蔵規則を発布し、石油小売商人困難となる
文学
- 『史学雑誌』創刊(12月)
その他
- 徴兵令改正(一年志願兵制度)公布
- 鉄道一千哩記念祝賀会
- 東海道鉄道全通
- 新聞・雑誌の郵税半額となる
- 九州鉄道開業
- 横須賀線開通
1889年のポイントまとめ
- 大日本帝国憲法が発布された
明治政府は大日本帝国憲法を発布し、日本はアジア初の本格的立憲国家として新たな段階へ入りました。 - 天皇中心の近代国家体制が確立した
天皇主権を柱とする国家体制が整えられ、日本の政治制度は大きく近代化されました。 - 皇室典範が制定された
皇位継承や皇室制度を定める皇室典範が整備され、近代天皇制の基盤が形成されました。 - 東海道線が全線開通した
新橋―神戸間の鉄道網が完成し、日本全国の交通・物流・経済発展が大きく進みました。 - 近代国家日本が本格的に完成へ向かった年であった
1889年は、憲法発布によって政治制度が整い、日本近代国家成立を象徴する歴史的転換点となりました。
1889年は、大日本帝国憲法発布によって日本が立憲国家として大きく歩み始めた年でした。 政治制度だけでなく、皇室制度や交通網整備も進み、日本近代国家の形は急速に完成へ向かっていきます。 明治国家成立を象徴する、日本近代史最大級の節目となる一年でした。
1889年のよくある質問 Q&A
Q. 1889年とはどんな年ですか?
1889年は、大日本帝国憲法が公布され、 日本が近代的な立憲国家として正式にスタートした年です。
Q. 大日本帝国憲法とは何ですか?
天皇を中心とする国家体制を定めた日本初の近代憲法です。 国の仕組みや政治のルールが明文化されました。
Q. なぜ憲法が必要だったのですか?
近代国家として国際社会に認められるため、 また国内の政治体制を安定させるために必要でした。
Q. どのような特徴がありますか?
天皇主権を基本としつつ、 議会や内閣といった近代的な制度を取り入れた点が特徴です。
Q. 誰が中心となって制定しましたか?
伊藤博文が中心となり、 ドイツ(プロイセン)の憲法を参考にして作られました。
Q. なぜ1889年は重要なのですか?
日本の政治体制が法的に確立され、 近代国家として完成したためです。
Q. 1889年の出来事はその後どうつながりますか?
翌1890年に帝国議会が開設され、
実際の議会政治が始まります。
→ 1890年(議会政治の開始)を見る
Q. 他に重要な影響はありますか?
日本の政治制度が国際基準に近づき、 不平等条約改正への道が開かれました。
Q. 1889年の重要人物は誰ですか?
伊藤博文、明治天皇、山県有朋などが重要人物です。
Q. 1889年は日本にとってどんな意味がありますか?
1889年は、日本が近代国家として制度的に完成した年であり、 現代日本の政治の原点となる重要な節目です。
憲法制定のあと、日本の政治はどのように動いていくのか?
帝国議会の開設や政党政治の発展を経て、日本は立憲国家として歩み始めます。
明治中期から後期への流れをあわせて理解できます。
