1884年(明治17年)の出来事

華族令と身分制度再編

今から142年前の出来事

この年の位置づけ

華族制度と国家体制整備

華族令制定など、近代国家としての統治制度整備が進みました。憲法制定準備も本格化していきます。

1884年(明治17年)は、自由民権運動が大きく揺れ動き、社会不安が表面化した年です。

この年、華族令が制定され、近代国家の身分制度が整えられる一方で、政治への不満は各地で高まりました。とくに秩父事件では、困窮した農民たちが負債の軽減などを求めて武装蜂起し、政府によって鎮圧されます。

また、加波山事件など自由民権運動の急進化も見られ、社会は不安定さを増していきました。

つまり1884年は、「近代国家の制度が整う一方で、民衆の不満が爆発し、社会の緊張が高まった年」といえます。

まず全体を把握

なぜ明治政府は新しい支配体制を整え始めたのか?

華族令の制定により、日本は近代国家として新たな統治体制を整備していきます。
明治維新からこの年に至るまでの改革と制度整備の流れを時系列で確認できます。

明治時代の流れを一気に理解する →
1884年のポイントQ&A

Q. 1884年は何が起きた?
A. 華族令により新しい貴族制度が整備されました。

Q. なぜ重要なのか?
A. 近代国家としての身分制度が再編されたためです。

Q. この後どうなる?
A. 憲法制定が進み、1889年に公布されます。
1889年(大日本帝国憲法)を見る

1884年の重要出来事

  • 華族令が制定され、近代的貴族制度が整備された
  • 秩父事件が発生し、自由民権運動が激化した
  • 自由民権運動への政府弾圧がさらに強化された
  • 伊藤博文らによる憲法制定準備が進められた
  • 近代国家体制と立憲政治整備が本格化した

出来事・事物起源・話題

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1月4日
官吏恩給令が公布される
1月9日
大阪市東区で大火が発生する(1,440戸焼失)
1月23日
近衛兵に軍旗が授与される
2月15日
朝鮮で初めて電信の取扱いが開始される(日本の運営により、内地―釜山局間に限る)
2月16日
陸軍卿大山巌、川上操六・桂太郎両大佐を伴い、欧州兵制視察のため横浜を出発する
2月17日
梅ヶ谷藤太郎が横綱となる
3月10日
芝浜離宮の延遼館で天覧相撲が開催され、初代梅ヶ谷に横綱が許される
3月15日
地租条例を制定する(税率の固定と法定地価の決定)
3月17日
憲法制定取調局を設置し、参議伊藤博文が長官を兼任する
4月2日
明治天皇・皇后、隅田川で海軍兵によるボート競漕を観覧される
4月7日
山本長五郎(清水次郎長)、賭博罪により懲役7年・罰金400円を言い渡される
5月1日
大阪商船会社が創立・開業する
5月7日
区町村会法を改正し、戸長を官選とする
5月12日
フランスの化学者シャルドネが人造絹糸を発明し、学会で発表する
5月13日
群馬事件が発生する
5月17日
東京帝国大学に造船科が新設される
5月24日
学習院の初代院長に谷干城が任命される
5月27日
横浜停車場の荷揚場に蒸気起重機を初めて設置し、荷役の効率化を図る
6月1日
天気予報を巡査派出所に掲示し始める
6月7日
商標条例を制定する
6月12日
鹿鳴館で日本初のバザーが開催される
6月16日
全国天気予報が開始される
6月25日
日本薬局方が制定・公布される
6月26日
陸地測量事業を参謀本部の管轄に統一する
7月7日
華族令を制定する(公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵制を定める)
7月21日
横須賀造船所で開渠式が行われる
7月26日
ハワイ・ホノルルに領事館を設置する
7月28日
二条城を離宮と定める
8月10日
自由党有一館が設立される
8月10日
武蔵国御殿峠で困民党が蜂起する
9月5日
宇品港(広島港)の築港工事に着手する
9月23日
茨城県で自由党員による加波山事件が発生する
10月10日
相模国観音崎の砲台が完成する
10月13日
グリニッジ標準時が世界標準時として採用される
10月17日
隅田川吾妻橋付近で学生ボート競漕が開催される(日本初のボートレース)
10月18日
巡洋艦「畝傍」がフランスから回航の途につく(12月3日にシンガポールを出港後、消息不明となる)
10月29日
自由党が解党する
10月31日
秩父事件が発生する
11月1日
明治天皇、不忍池畔競馬場に行幸される
11月6日
内村鑑三、離婚を機に渡米する
12月4日
甲申事変が発生する(ソウルで金玉均・朴泳孝ら親日派がクーデターを起こす)
12月4日
飯田事件(名古屋鎮台・監獄襲撃計画)が発覚する
12月6日
京城で竹添公使の護衛兵と、袁世凱率いる清国軍が王宮内外で衝突する
12月15日
横須賀鎮守府の設置が布告される
12月17日
大隈重信らが改進党を離党し、名古屋事件(政府転覆計画)が発覚する
12月24日
外務卿井上馨が朝鮮との交渉のため派遣される

この年に始まったこと

1884年(明治17年)は、華族制度の整備や内閣制度創設へ向けた準備が進められた年です。近代国家としての政治制度が形を整え始め、日本の立憲国家化が一歩前進しました。

  • 華族令が制定された
    公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵制度が定められ、近代的な華族制度が始まりました。
  • 華族による貴族院構想が始まった
    将来の帝国議会開設を見据え、貴族院の基盤となる華族制度の整備が進められました。
  • 内閣制度創設への準備が本格化した
    伊藤博文を中心に、欧州諸国を参考とした近代的な政府制度の検討が進められました。
  • 近代的な官僚制度の整備が進み始めた
    憲法制定と議会開設に向けて、中央政府の組織改革が本格的に進められました。
  • 秩父事件を契機とした民権運動の新局面が始まった
    秩父事件の発生により、自由民権運動は武装蜂起から議会政治を目指す方向へ転換する時代を迎えました。

1884年は、「華族制度と立憲国家づくりが始まった年」でした。

この年は何が変わったのか

1884年(明治17年)は、明治政府が立憲国家体制整備をさらに進めた年でした。華族制度の整備や内閣制度準備が進む一方、自由民権運動への弾圧も強まり、政治対立はより激しくなっていきます。

華族令によって新しい貴族制度が整えられた

1884年、明治政府は華族令を制定し、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵制度を整備しました。これは後の貴族院設置を見据えた制度であり、日本型立憲国家づくりの一環として進められます。

秩父事件によって自由民権運動が激化した

埼玉県で秩父事件が発生し、困窮した農民や自由民権運動支持者が蜂起しました。政府はこれを武力で鎮圧し、自由民権運動への警戒をさらに強めていきます。

自由民権運動への弾圧が強化された

秩父事件を受けて、政府は民権派への取り締まりを強化しました。急進的政治運動への警戒が高まり、自由民権運動は次第に転換期を迎えていきます。

内閣制度導入への準備が進められた

伊藤博文を中心に、近代国家としての政府制度整備が進められていました。太政官制から近代的内閣制度へ移行する準備が本格化していきます。

朝鮮問題によって東アジア情勢が緊張した

1884年には朝鮮で甲申事変が発生し、日本と清の対立が強まりました。日本は朝鮮への影響力拡大を図り始め、後の日清関係悪化へつながっていきます。

立憲国家と近代社会づくりが同時に進んだ

政治制度・外交・社会制度改革が同時に進み、日本は近代国家としての形をさらに整えていきました。1884年は、明治国家体制がより具体化した重要な一年でした。

この年の重要人物

1884年(明治17年)は、華族令が制定される一方で、自由民権運動の急進化を背景に加波山事件が発生した年です。また、伊藤博文が憲法制定に向けて制度研究を進めるなど、立憲国家への準備も着実に進められました。近代国家建設と政治対立が並行して進んだこの年を理解するうえで重要な人物を整理します。

  • 伊藤博文
    憲法制定に向けた制度研究を進めました。後の大日本帝国憲法制定へ向けて中心的な役割を担った人物です。
  • 板垣退助
    自由民権運動の指導者として活動を続けました。政府による民権運動への取り締まりが強まる中でも、政治参加の拡大を訴えました。
  • 井上馨
    政府首脳の一人として欧化政策や条約改正交渉を進めました。近代国家建設を推進した中心人物の一人です。

生活の話題

  • 官吏の服制定まる
  • 鹿鳴館時代はじまり上流婦人の洋装はやる
  • 織物不況の時であるが綿ネル生産のみは高まる
  • 都市で首巻すたれ、肩掛はやる
  • バリカンが輸入され始める
  • 経木真田帽子の製作はじまる
  • 足利・桐生に染色講習所をおく
  • 紡績業深夜業開始

  • 三田育種『舶果来樹要覧』を刊行
  • 摂津能勢で天然炭酸水を利用し平野水の製造を始める
  • 大阪師団で白米病といわれる脚気患者多く、麦飯にあらためる

  • 宮城県古川町で土管により小規模の上水道竣工

文学

  • 坪内逍遥訳『自由太刀余波鋭鋒』(じゆうのたちなごりのきれあじ)刊(5月)
  • 井上勤訳『狐の裁判』刊(7月)
  • 円朝作『怪談牡丹灯籠』刊

その他

  • 官吏恩給令制定
  • 大阪商船会社開業
  • 上野・熊谷間鉄道開通
  • 佐久間貞一、活版工組合設立
  • 長崎・静岡・宮城県に紡績所創立
  • 小坂・十和田鉱山・赤城炭鉱開掘

1884年のポイントまとめ

  • 華族令が制定された
    明治政府は公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の華族制度を整備し、新たな近代貴族制度を確立しました。
  • 秩父事件が発生した
    困窮した農民や自由民権運動支持者が蜂起し、政府は武力によって鎮圧を行いました。
  • 自由民権運動が大きな転換期を迎えた
    秩父事件など激化事件の発生によって、自由民権運動は政府の強い警戒対象となっていきました。
  • 内閣制度導入への準備が進められた
    伊藤博文を中心に近代国家制度整備が進み、日本は立憲国家体制へ向けた準備を続けました。
  • 近代国家形成と社会不安が同時に進んだ年であった
    1884年は、政治制度改革が進む一方で、農民困窮や政府への不満も広がった重要な年でした。

1884年は、華族制度整備によって近代国家体制が強化される一方、秩父事件によって社会不安も表面化した年でした。 自由民権運動は転換期を迎え、政府はより強い統制姿勢を見せるようになります。 立憲国家建設が進む一方で、その裏側では国民生活との矛盾も広がり始めていました。

1884年のよくある質問 Q&A

Q. 1884年とはどんな年ですか?

1884年は、華族制度が整備され、 新しい身分秩序が確立された年です。

Q. 華族令とは何ですか?

華族令は、旧公家や大名を基にした貴族制度を定めた法律です。 公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五等級が設けられました。

Q. なぜ華族制度が必要だったのですか?

近代国家として安定した統治体制を築くため、 新しい支配層を形成する必要があったためです。

Q. 秩父事件とは何ですか?

秩父事件は、農民や民権運動家が起こした武装蜂起です。 政府への不満が爆発した出来事でした。

Q. なぜ秩父事件が起きたのですか?

重税や経済的困窮、政治への不満が原因となりました。

Q. なぜ1884年は重要なのですか?

身分制度の再編と社会不安が同時に進み、 近代国家の矛盾が表面化したためです。

Q. 1884年の出来事はその後どうつながりますか?

政治体制の整備が進み、 1889年の憲法制定へとつながります。
1889年(近代国家の完成)を見る

Q. 他に重要な流れはありますか?

政府は民権運動の抑制を強め、 社会の安定を図ろうとしました。

Q. 1884年の重要人物は誰ですか?

伊藤博文、井上馨、板垣退助などが重要人物です。

Q. 1884年は日本にとってどんな意味がありますか?

1884年は、近代国家の社会構造が整う一方で、 その矛盾が表面化した重要な年です。

まず全体を把握

なぜ明治政府は新しい支配体制を整え始めたのか?

華族令の制定により、日本は近代国家として新たな統治体制を整備していきます。
明治維新からこの年に至るまでの改革と制度整備の流れを時系列で確認できます。

明治時代の流れを一気に理解する →

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明治時代年表から、この年の前後をたどる

明治維新から日清・日露戦争、近代国家の形成までを時系列で整理しています。

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